四一.高麗陸軍、守勢に転ずる
もうこれ以上地上戦でグダグダするのもなんなので、1回で終わらせました
嘉手納基地
第19普通科連隊が米軍の増援を得て高麗海兵隊を撃退した時よりいくらか時間を遡る。
まだ日が地平線の向こうにあり闇夜が戦場に支配した頃に 空中でもアメリカ軍の介入が本格化しようとしていた。先陣を切るのは、見たところ自衛隊の主力戦闘機であるF-15と似た航空機だった。ただしその機体は自衛隊の場合は乗員の訓練に使う複座型で、しかも翼の下には対地攻撃用の兵器を大量に搭載していた。防空戦闘機である自衛隊のF-15は原則として空対空用の装備しか搭載しない。
嘉手納を出撃したのはアメリカ空軍第366航空団第391戦闘飛行隊のF-15Eストライクイーグルであった。自衛隊も採用している制空戦闘機F-15の改造機で、外見もよく似ているが、その実態は機体構造の60%以上を作り変えた強力な戦闘爆撃機であり、最大で11tの兵装を装備できる。第二次世界大戦における最強の爆撃機B-29スーパーフォートレスでさえ、その搭載量が9tに過ぎないことを思えばその凄まじさが分かるであろうか?
この時、391飛行隊から8機のF-15Eが出撃していた。翼の下にはAGM-65マーベリック対地ミサイルを装備していた。嘉手納を飛び立った8機のストライクイーグルは闇夜の中を海上を北東へと飛んでいった。
九州の戦場
大宰府防衛線を突破した高麗軍部隊を包囲した自衛隊であるが、その撃滅には些かハードルがあった。突破した高麗軍に対して自衛隊の戦力が不足していた。
高麗側の戦力はこれまでの戦闘で損耗しているとはいえ完全に機械化された2個旅団6個大隊という依然として有力な兵力であった。それに対して自衛隊は単純な兵力でこそ上回っているものの、多くが装甲車両を持たない軽歩兵部隊であり、打撃力という点において高麗軍を下回っていた。そこを突いて高麗軍は脱出作戦を決行した。
まずJR天拝山駅付近に陣取っていた高麗軍第13旅団のある大隊が、都府楼南駅周辺で自衛隊部隊に包囲されている同じ旅団の大隊の救助へと向かった。
敵を包囲して勝利を間近に捉えていた自衛隊部隊にとって救援部隊の出現は意表を突くことになった。高麗側の解囲を目指す救援大隊の激しい攻撃に呼応し、包囲下の高麗部隊も内側から攻撃を開始する。自衛隊はしだいに押されつつあった。
一方、第9旅団と第13旅団の残る大隊は鳥栖市街を出発して県道17号線を大急ぎで北上し始めた。それは自衛隊側の予想を上回る素早さだった。東から包囲する第7師団の戦闘団も、南から追撃する第12旅団部隊も即座に対処できなかった。
だが彼らが北上する先には第12普通科連隊が待ち構えていた。
福岡県と佐賀県の県境近く 第12普通科連隊の陣地
鳥栖方面から福岡へと抜けるのに高麗軍が使うであろう道は国道3号線と県道17号線の2つであるが、その2つの道路が接近するのがJR原田駅に近い県境付近であった。それが第12普通科連隊がそこに陣地を築いた理由であった。しかも周辺には森林が広がっているので機甲部隊が動きにくいという利点があった。
県道17号線を北上していた高麗軍部隊の縦隊が自衛隊の陣地の前に現れた。先頭は4輌の戦車縦隊で、早速攻撃命令が陣地を守る部隊に出された。現場の指揮官は配属されていた中距離多目的誘導弾の使用を決断した。
この陸上自衛隊最新の対戦車ミサイルは強力ながら、高機動車1台に全ての機材を載せたコンパクトな設計になっている。だから道路を見下ろす丘の林の中に素早く入り込み、射撃の準備を整えることができた。
「撃て!」
指揮官の命令と同時に先頭と最後尾の戦車に向けて2発ずつ、発射を命じた。ミサイルが命中すると同時に、普通科部隊が小銃から携帯対戦車ミサイル、迫撃砲に至るまでの各種火器の猛烈な射撃を浴びせた。激しい抵抗に直面した高麗軍部隊は北上を停止せざるをえなかった。
アメリカ空軍のF-15Eストライクイーグルが上空にやって来たのは、丁度その時であった。彼らは空中で合流した第390戦闘飛行隊の4機のF-15Cを護衛として引きつれて、攻撃態勢に入った。幹線道路の上で一列になって渋滞に陥っている高麗軍部隊はまさに格好の標的だった。
F-15Eのエアインテーク下に装備されているLANTIRNポッドは高度な赤外線センサーシステムを内蔵しており、高麗軍の装甲戦闘車輌を鮮明に捉えることができた。センサーが捉えた画像はコクピットの多機能ディスプレイに表示され、それで敵を確認したパイロットはマーベリックミサイルのシステムをオンにした。
AGM-65Dマーベリックは開発時期がベトナム戦争期まで遡れる旧式のミサイルだが、その分、信頼性が高い兵器システムだった。誘導方式は弾頭部の赤外線カメラの捉えた映像をパイロットが見て目標をロックオンするというもので、命中率はすこぶる高い。
8機の編隊は2機ずつに分かれて攻撃を開始した。片方が援護する中、もう片方が1発ずつ―誘導方式の特性上、同時に多目標を攻撃できない―発射するというやり方で、攻撃役と援護役を入れ替えながら繰り返すのだ。この方式で長い渋滞の列を分散して攻撃した。
急速に進められた撤退突破作戦の為に重厚な防空チームを配置できず、携帯式対空ミサイル程度しか有効な対抗策を用いられなかった高麗軍に対処する術は無く縦隊のあちこちで爆発が起こった。
勿論、高麗側も黙ってやられるわけはない。高麗空軍は陸軍が大攻勢に転じるとともに航空自衛隊に対して激しい攻撃を仕掛けていて、あまり余裕がある状況ではなかったが、4機のKF-16をF-15E攻撃の為に捻出した。
だが、その動きは航空自衛隊のE-767AWACSによって完全に把握されていた。そして情報はすぐに護衛の4機のF-15Cに送られた。この時、第390飛行隊が使用していたF-15Cはまさに究極のF-15と言える機体で、最新の近代化改修を施されたゴールデンイーグル仕様である。レーダーには最新のアクティブ・フェイズド・アレイレーダーであるAPG-63(V)3を装備し、さらに赤外線センサーやリンク16戦術データリンクシステムなど最新のアヴィオニクスを搭載していた。
4機のF-15はE-767に状況提供を受けて―機上のオペレーターの誘導ではなく、リンク16を通じて直接データを入手して―目標の位置を確認すると、KF-16編隊をレーダーの死角となる側面―戦闘機のレーダーは通常、前方の狭い領域しか走査できない―に回り込んで、KF-16の右後方から襲い掛かるかたちで攻撃を行なった。
しかし回り込むF-15の姿を捉えるものも居た。高麗空軍のE-737AEWである。E-737のオペレーターはすぐにKF-16のパイロットに警告を与えた。警告を聞いた4機のKF-16はすぐに散開した。
データリンクを通じてKF-16が散開して逃亡したことを知ったアメリカ空軍のパイロットは落胆した。敵がF-15E部隊攻撃を諦めたのであるから、任務達成と言えば任務達成なのだが、やはり撃墜マークを増やしたいのが戦闘機パイロットの性なのである。そして、敵の早期警戒機を撃破する必要性を感じた。
だが落胆するのは早かった。散開したKF-16のうち2機が再び攻撃を行なおうと引き返してきたのである。F-15Cのうち2機がデータリンクを通じてE-767の捉えた目標を確認すると迎撃に向かった。
だが次第にE-767の捉えた敵機のデータが途切れるようになった。
<敵はかなりの低空を飛んでクラッターに紛れようとしているようだ…>
E-767のオペレーターは原因をそう推察した。KF-16のパイロットは地面の近くを飛んで、地面から反射するレーダー波の中に機体からの反射を紛れ込ませようとしているようだ。それにしても最新のAWACSから逃げているということは余程の低空飛行をしているに違いない。
「相手は凄腕だな!レッドフラッグで会いたかったよ」
F-15Cのパイロットは素直に感嘆した。しかし、F-15Cに対処する術がないわけではない。ゴールデンイーグルが装備するAN/APG-63(V)3はシンガポール向けのF-15Eストライクイーグルにも搭載されていることから分かるように対地捜索能力も持ち合わせており、クラッターに紛れた敵を見つけるのに秀でていた。片方のF-15Cがレーダーを起動した。
すぐにAPG-63(V)3が目標を捉えた。相手も見つかったことに気づいて逃げ惑っている。だがKF-16が気づいているのはレーダーを照射している方のF-15のみであった。
KF-16がレーダーを照射しているF-15Cに気をとられている隙に、もう1機のF-15Cが射撃位置についていた。自らのレーダーを作動させなくても、僚機からデータリンクを通じて目標のデータを入手しているので問題は無かった。
「フォックス3!」
1機のKF-16に狙いを定めたF-15Cのパイロットは僚機の評定に基づきAMRAAM空対空ミサイルを発射した。KF-16のパイロットが狩人がもう1人居ることに気づいたのは、AMRAAMが自らのレーダーでKF-16を捕捉し、そのレーダー波をKF-16のESMが捉えて警告音を発したときだった。もはや逃れようのない必殺のタイミングだった。
空中でKF-16が爆発四散するのを確認したF-15Cのパイロットはすぐに次の目標、もう1機のKF-16を探したが、既に逃げ出した後であった。
その間にもF-15E部隊は高麗軍地上部隊に激しい打撃を与えた。弾を撃ちつくした後も、別の編隊と入れ替わり攻撃を継続した。その合間には自衛隊のAH-1コブラがTOWミサイルを撃ち込み、戦果を加えた。
朝日が東の空から昇る頃には、高麗軍第9旅団と第13旅団の1個大隊は壊滅的な被害を被っていた。道には撃破された装甲車両や戦死した高麗兵の遺体が放置され、既に命脈が尽きつつある高麗軍部隊の行き先を暗示していた。その姿は湾岸戦争でクウェートから逃亡を図り、多国籍軍から袋叩きにあったイラク軍の姿、いわゆる“死のハイウェー”を連想させた。
その間に第7師団戦闘団が東から、第12旅団が南から高麗軍部隊を包囲し、逃げ道を完全に封じた。高麗兵は車輌を乗り捨てて山中へと徒歩で逃げ延びるか、降伏するかの選択肢しか残されていなかった。多くが前者を選び、降伏した者は僅かだった。そして逃亡した兵士達は多くが味方の戦線に到達することができたが、武器を失い消耗した将兵達に戦力としての価値は事実上無かった。高麗軍は戦車と機械化歩兵から成る機甲部隊を一挙に4個大隊も失うことになった。北九州有事が始まって以来、高麗軍の被った最大の損失であり、高麗軍の攻勢の完全なる失敗を意味していた。
一方、第13旅団の残りの2個大隊は幸運だった。都府楼南駅周辺に立てこもる1個大隊を包囲した陸上自衛隊第24普通科連隊と第42普通科連隊残存部隊であったが、第13旅団の残る1個大隊が介入して包囲が壊れた。
包囲部隊が2個連隊に分かれて指揮系統が統一されなかったところへ、残る1個大隊が突入してきたことで混乱状態に陥ってしまったのだ。その混乱を尽き包囲下の1個大隊は脱出に成功したのである。
第13旅団の2個大隊は味方の戦線まで逃げ延びた。自衛隊との戦闘で少なくない損失を被っていたが、依然として戦闘を継続できる組織、兵力を維持していた。この2個大隊を逃してしまったことは日本側にとって手痛い失敗だった。
なんにしろ高麗軍の最後の攻勢は失敗した。
というわけで次回よりいよいよ海上自衛隊のターンです