二九.運命が動く日
7月1日 国会議事堂 衆議院安全保障委員会
安保委員会の周りにはマスコミが溢れかえり、大騒ぎになっていた。民生党の指導部は今日も審議拒否すると息巻いていたにも関わらず、民生党の安保委員会に属する一部議員が委員会の開会を主張して自由民権党や日本労働党の議員達とともに現れたのである。その数は委員会の開会に必要な出席議員数、つまり定数の半分を1人上回っていた。
幸いなことに安全保障委員会の委員長は自由民権党の議員で、彼は晴れやかな笑顔で開会を宣言した。
このような事態を民生党首脳部は予期していなかったらしく、ほとんど対応ができなかった。できたことは離反に参加しなかった主流派の民生党議員のうち安保委員会に属する議員を送り込むことだけであった。重要な決断が民生党主流派抜きで行われるのは拙い。
かくして午前に開かれた安全保障委員会は所属する議員がほぼ全員出席することになった。ただ選挙区に戻っていた民生党の議員が1人欠席となった。
開いてしまえば、もはや防衛出動の承認を止める手段はなかった。民生党の作戦はあくまでも採決を遅らせることである。しかし、採決まで持ち込まれてしまえば民生党といえども防衛出動に反対はできない、筈である。閣僚として出席していた菅井はそう考えていたが、いまいち自信が持てなかった。
形式的に与野党双方の議員の何人かが意見を述べた。自由民権党と離反した民生党の議員は防衛出動の承認を早急に採決することが第一であると述べた。日本労働党の議員の意見陳述は外交的手段の活用の必要性を訴えて政府に注文を付けたが、自衛隊の防衛出動はやむを得ないという見解を述べて終わった。最後に民生党主流派と社会民生党の議員の出番となった。彼らは政府の対応を批判する意見を述べたが事前に準備をしていなかった為にその内容は些か精細さが欠けていた。社会民生党の議員は明確に自衛隊の防衛出動に反対の姿勢を示したが、民生党の議員の方は防衛出動そのものに賛成なのか反対なのかはっきりさせずに終わった。
「これより採決に入ります」
各党の代表者が意見を言い終えると委員長の議員が高らかに宣言した。
「内閣総理大臣により自衛隊に対する防衛出動命令の承認並びに内閣提出の北九州有事対処基本方針案について採決いたします。本案に賛成の諸君の起立を求めます」
いよいよ運命のときである。菅井はじっと議員達の動きを見守った。
次の瞬間、多数の議員が立ち上がった。顔ぶれを見ると、自由民権党は全員立ち上がっているが、日本労働党は1人座ったままだ。社会民生党の議員は全員座っている。そして民生党の議員のほとんどが立ち上がっている。
「起立多数。よって本案は原案のとおり可決すべきものと決しました」
委員長が宣言した。自衛隊の防衛出動が開戦から一週間経過してようやく安全保障委員会で承認された。後は両院本会議での採決を待つばかりであるが、安保委員会を通過した以上は承認を得たも同然であった。
中南海 中国共産党本部執務室
安全保障委員会の様子はテレビ中継されており、その放送は様々なルートで各国政府高官にも視聴されていた。当然ながら高麗寄りの姿勢を示す中国の中央政府にもだ。
中南海は紫禁城の西にある2つの湖のことであり、転じてその湖の周辺に集まる中華人民共和国の中枢部を表す。この時、湖の畔にある共産党本部の一室に指導部の主要なメンバーが集まっていた。
「日本は高麗に屈するつもりは無いということがはっきりしたな」
薄暗い執務室で通訳を交えて国会の中継を見ていた中国の指導者層の1人が言った。
「つまりどういうことだ?」
メンバーの長老とも言うべき老人が尋ねた。
「つまり高麗の勝利は無くなったということです」
軍服の男が答えた。
「もはや高麗の約束した取り分も期待できないな」
「白将軍が行方をくらました時点で既にそうであろう。もはや我々には高麗と十分な連携をとることができないのだ」
「残念だが、この度の計画は修正が必要になったようだな」
話は1つの方向に向かっていた。
「安保理ではアメリカが高麗軍の即時撤退を求める決議案の採択を求めているが」
「いまさら反対する理由はない。人民解放軍は叛乱軍の相手で手一杯だ。今、アメリカと対決する利点はなにもない」
「軍の意見を述べますと、台湾に対する臨戦態勢を続けている部隊をそろそろ叛乱軍討伐に復帰させる許可を頂きたい。前線の兵力が薄くなった隙を突いて、叛乱軍が攻勢を強めています」
「こうなった以上、高麗の現政権もそう長く持たないだろう。次に備えるべきだ」
かくして高麗の孤立化が決定的になった。
ニューヨーク 国連安全保障理事会
アメリカはまだ19日の夜だったが、国連本部の動きは慌しくなった。
事の発端は日本の国会安全保障委員会が自衛隊の防衛出動を承認したというニュースが流れたことだ。それに引き続き中国大使がアメリカ大使に会談を申し込んだ。どのような会話が交わされたかは定かではないが、その会談の後に両大使は議長であるアルゼンチン大使に停戦決議案の採択を求めた。
かくして国連決議1265が採択された。ほぼ全ての加盟国が賛成票を投じたが、中国だけは高麗に対する義理立てのつもりか棄権した。その内容は以下の通りである。
1つ、高麗連邦軍はただちに日本の領域内から撤退すべし。(なお“日本の領域”に竹島が含まれるか否かについては一切触れられていない)
2つ、撤退を確認次第、対馬を非武装地帯に指定し、国連軍が駐留する。対馬海峡を非武装海域に指定し、日本及び高麗の軍艦は国連に事前の許可を得ずに同海域を航行してはならない。
3つ、同決議を高麗が受託しない場合は、国連は加盟国に対してあらゆる手段を用いて決議内容を強制する権利を付与する。
台湾海峡 空母<ジョージ・ワシントン>
原子力空母<ジョージ・ワシントン>を中心とする第70任務部隊は相変わらず台湾への臨戦態勢をとりつづける中国軍への警戒のために台湾海峡に張りついていた。しかし、状況が変わりつつあることを任務部隊の将兵達は肌で感じることができた。
最初の兆候を察知したのは情報部門であった。彼らは台湾の対岸に集結している中国軍の通信を傍受していたのだが、中国軍の通信の量が国連決議の採択された時間を境に極端に減ったのである。通信の量だけでなく沿岸に集結している部隊の数そのものも減っているようであった。
それに連動して空母任務部隊に接近する中国軍機に対するスクランブルもめっきり減ったし、逆に中国沿岸に艦載機が接近しても熱烈な歓迎を受けなくなった。それまでは沿岸に配備された様々なレーダーが艦載機に照射されて迎撃機も群がってきたが、今は申し訳程度の対応しかしてこないのだ。
そして任務部隊司令部は第7艦隊司令官よりの新たな命令を受電した。任務部隊司令官のスチュアート少将はただちに艦橋へと向かい<ジョージ・ワシントン>艦長であるアダムス大佐に口頭で命令を伝達した。
「艦長。ブルーリッジより命令だ」
「一体何事です?中国沿岸を核攻撃でもしますか?」
侵略を受けている同盟国を無視して台湾海峡に張りついている現状に対するものか、不満げな口調で冗談を言うアダムス大佐にスチュワート少将は笑顔で応じた。
「いや。至急、台湾海峡を離脱して北上せよ、との命令だ」
それを聞いたアダムスの目つきが変わった。それは獲物を前にした狩人の目だった。
「いよいよ本物の戦争の時間ってわけですか」
青瓦台
高麗連邦共和国の指導部の雰囲気はまるで葬式のようであった。開戦初日の浮かれ気分はどこへやらである。その中で情報院長のキム・ユリョンだけはタバコを口にして冷静な顔色をしていた。
「情報院長。ここは禁煙だぞ」
大統領に指摘されたキム・ユリョンでは無言で頷くと、タバコを懐から出した携帯灰皿に押し込んだ。それから大統領が集まった閣僚達に向けて宣言した。
「事態は急激に悪化している」
大統領の目線は計画を主導した外交通商部長と国防部長に向けられ、その言葉は詰問するような口調になっていた。
「日本は我々の要求を拒絶し、中国は裏切り、国連決議が我々に不利な形で採択された。どう対処する?」
最初に案を述べたのは金幽霊であった。
「決議を受け入れるべきでしょうな。決議が採択された以上、自衛隊も本格的に反撃してくるでしょうし、アメリカ軍も本格的に介入してくる筈です。軍に勝ち目がありますかな?」
問われたイ・セチャン国防部長は黙り込んだままだった。そしてユリョンは構わずに話を続けた。
「今なら軍の主力を無傷に本国に戻せます。我々はその武力を背景に日本と交渉ができます。彼らは我々がイザとなれば強行手段を辞さないことを今回のことで彼らも知ったわけですから、日本もなにかしら譲歩をせざるをえないでしょう」
「どうなんだ?」
大統領がユリョンの言葉を受けて、セチャンに意見を求めた。
「首都師団の旅団も揚陸を完了し、物資の集積も終わりました。攻勢の準備は整っています」
「また攻撃を行うべきだと?」
「はい。アメリカ軍が本格的に介入してくるまではまだ時間があります。その前に自衛隊に痛撃を与えれば、更なる譲歩を引き出せるはずです」
国防部長には引き下がるつもりはなかった。
「まだ戦力があるからこそ、引き下がるべきなんです。全てを失ってしまえば、なにもできなくなる」
ユリョンはあくまでも停戦勧告の受け入れを訴えた。
「九州の我が陸軍部隊はほぼ無傷です。海軍も空軍も健在です。このまま何もせずに負けろと言うのでしょうか!」
セチャンも引き下がる。
大統領はしばし考えた後、決断した。
「最後の総攻撃に賭ける!」