二六.膠着の玄界灘
玄界灘 高麗海軍潜水艦<チャン・ボコ>
対馬沖で海上自衛隊第2護衛隊群に痛撃を与え、この日韓戦争における最初の戦果をあげた潜水艦<チャン・ボコ>は陸軍の占領下にある博多港に補給の為、入港しようとしていた。
ドイツの傑作潜水艦タイプ209の韓国ヴァージョンであるチャン・ボコ級の一番艦である<チャン・ボコ>は就役から20年以上の歳月が経っているが、その分だけ改良が行き届き機械的な信頼性は高く、優秀な乗員の技量も相まって艦長は自艦に絶対的な自信を持っていた。
また艦長は潜水艦乗りに必要な大胆さと慎重さを兼ね備えた人物であり、入港の前に後方の安全確認をする必要があると感じた。
「回頭、取り舵」
自艦のスクリューのためにソナーの死角となる後方の安全を確かめるもっとも簡単な手段は旋回することである。あくまで念のための行為であったが、それが<チャン・ボコ>の運命を変えることになった。
「ソナー感!後方にスクリュー音!」
それを聞いた艦長は反射的に命じた。
「機関停止!無音航行」
艦長が冷静に物事を考えられるようになったのは電動モーターが停止した後であった。
「目標を探知しているか?」
「いいえ。失探しました」
ソナーマンの回答は別に不自然なことではなかった。敵に発見されると思ったら、機関を止めて無音航行に移行する。潜水艦乗りとしては当然のことだ。
「速力は?」
艦長が尋ねると今度は航海長が答えた。
「現在8ノットです」
モーターを停止しても、しばらくは惰性で進む。次第に速力は失われるが、今なら舵も聞く。
「回頭を継続。目標に艦首を向けるんだ」
行動を決めたら、次は手持ちの武器の確認である。次は水雷長に尋ねた。
「兵装はどうなっている?」
「魚雷管全門装填済みです。いつでも発射可能」
幸い<チャン・ボコ>の戦闘準備は万全であった。これで敵が動き出したら、いつでも魚雷を撃ちこむことができる。
しかし問題は相手が動かないことだ。無音航行をする最新の潜水艦をパッシブソナーだけで探知することは難しい。アクティブソナーを使えば見つかるかもしれないが、こちらの正確な位置を相手に教えることにもなりリスクが大きい。
こうなったら先に動いた方が負けで、それはおそらく相手も分かっていることだから我慢比べとなる。その場合は自衛隊の潜水艦に比べて小型な上に、航行を終えて入港しようとしていた<チャン・ボコ>は余裕がないわけではないものの戦う前から酸素もバッテリーも相当消耗してしまっているので不利だ。しかし、博多港は今や高麗軍の根拠地であり、すぐそこに味方の水上部隊がいる。この状況を把握しているとは思えないが、<チャン・ボコ>の入港は通知されているので現れなければ何らかの行動を起こす筈である。
「賭けるしかないな」
かくして玄界灘で潜水艦同士の神経戦が始まった。
国会議事堂 予算委員会
委員会は始めから紛糾した。
予算とは国の行う全ての仕事の根幹となるものである。政治とは予算の配分のことだと言っても差し支えない。それ故に予算委員会では国政について幅広く討論するのが慣例になっている。そして、この日の質疑は総理の責任追及に集中した。
最初に質問の席に立ったのは民生党の最高幹部の1人、菅野尚議員であった。
「総理。北九州有事への対応がまったく進んでおりません。今、現地にいる自衛隊の皆さんは大変厳しい状況にあります。今まさに有事に対して命をかけて対処しているにも関わらず、法的な裏づけがまったくない状況なのです」
テレビ栄えするようにポーズをとりながら烏丸に対する批判を続ける管を閣僚達は冷ややか目線で見ていた。中山防衛大臣は菅野議員が“戦闘”や“戦い”といった戦争を連想する表現や高麗を名指しする表現を避けているように感じるのが気になった。
「こうした事態を引き起こした責任は総理の指導力のなさに他なりません。自身の行為のために多くの国民を傷つけたその責任をどのように取るのか、この場で明らかにしていただきたい」
そもそも国会が政府に対して防衛出動の承認をすることができないのは民生党の審議拒否のためであるが、菅野はまるでそんな事実は存在しないかのように振舞った。民生党の議員たちはそんな菅野に拍手を送った。
閣僚達はこの場でそれを指摘することはできるが、それはあまり意味のないことだ。本人達はそんなことは百も承知で批判をしているのだろうし、テレビは報道の際に閣僚の民生党に対する批判はカットしてしまうだろうから国民にも伝わらない。この国の民主政治において真実とはその程度の存在なのだ。
菅野議員の批判演説が終わると壇上に烏丸総理が立った。烏丸はいくらか社交辞令的な挨拶をした後、本題に入った。
「お話を伺いますと菅野議員は早急に自衛隊の防衛出動を承認すべきである、とお考えであると受け取りましたが、それならばなぜ民生党は審議拒否をしているのでしょうか?確かにこの度の北九州有事に起きまして国民の皆様に多大な被害が生じたことへの責任から免れることはできません。しかし、政府としてまず行うべきは、その被害の原因となっている事態を早急に解決することであります。その為にまず必要なことは自衛隊に対して防衛出動を命じ、上陸した高麗軍部隊を排除することであります。もし民生党議員の皆さんが真に“国民生活が第一”とお考えであるならば、ただちに安保委員会に出席して防衛出動の発動を承認していただきたい!」
意味がないこととはいえ、言うべきことは言っておかなくてはならない。当然ながらその演説が民生党議員の心に響くということはなく、烏丸はブーイングの嵐に晒された。
再び壇上に立った菅野議員は再び烏丸批判を続けた。
「烏丸総理。繰り返し申し上げますが、このような事態を招いた原因は総理の指導力の無さにあります。それを棚に上げて我々に責任を転嫁するようなマネを見過ごすわけにはまいりません」
民生党の議員達が再び拍手と声援を送る。
「総理。この場で自らの責任を明確にして、それを何時、いかなる形でとるのか明らかにしていただきたい」
あくまで責任の取り方を明確にすることを求める野党に対して烏丸は覚悟を決めた。菅井に目配せして、相手が頷くのを見ると再び壇上に立った。
「当然ながら、政府として今回の事態に対する責任を免れるということはありえません。私は事態が収拾され次第、国会を解散して国民に審判を仰ぐ決意であります」
突然の解散宣言に委員会の室内は静まり返った。
玄界灘 海上自衛隊潜水艦<こうりゅう>
膠着状態に陥ってから数時間が経った。お互いに決め手に欠け、手が出せない状況である。退避しようにも下手に動けば敵に探知され一方的に攻撃されかねない。
「血が沸き肉踊る大海戦って風にはいかないんだな」
中曽根艦長は発令所の自らの席に立って呟いた。
「しかし、何時までも続けるわけにはいきませんよ?」
隣に立つ副長が指摘した。酸素もバッテリーもまだ余裕はあるが、敵の根拠地を前ににらみ合いというのは気持ちの良いものではない。
「まぁ見つかっちまった以上は任務失敗。中止して退避だな」
こんな無様な様を晒してしまった以上は昇進の道は断たれたよ、と艦長は心の中で付け足した。
「問題はどう退避するかですね」
手っ取り早いのは高麗潜水艦を排除することだが、向こうがこちらに感づいている以上は下手に動けない。排除できても博多湾の高麗水上艦に察知される可能性が高く、その危険はできれば避けたかった。
というわけで、<こうりゅう>ができれば取りたい策はこのままこの場を立ち去ることであるが、問題はどう見つからずに立ち去るかである。
「次に高麗の貨物船が出てきたら、その尻尾についてトンずらするか」
つまり高麗軍の物資を運ぶために出入りしている貨物船の航跡に隠れて逃げようというのである。大型船が通ると、その巨大なスクリューキャビテーションによりソナーが利かない場所が生じる。そこに隠れれば高麗潜水艦の探知から逃れられるが、同時に自らのソナーも利かなくなる。
「危険ではありませんか?」
副長は乗り気ではなかった。下手したら貨物船の船尾と衝突して、二度と浮上できなくなる。
「危険だが、俺はこの艦を信じている。お前達ならやれるさ」
中曽根艦長はあくまで楽観的だった。それを聞いて副長もいくらか自信が出てきたようだ。
「分かりました。ソナー、湾内の動きに注意しろ」
すぐに博多港の状況が発令所にも届いた。しかし、それは中曽根艦長らが期待したものではなかった。
「湾内の複数の船舶が一斉に動き出しました」
「貨物船か?」
副長が尋ねると、しばしの沈黙の後にソナーマンの答えが返ってきた。
「いえ。ウルサン級です。2隻とも動き出しました。それに掃海艇が1隻、ウルサン級を先導しています。海底に向けてソナーを発信しながら湾外に針路をとっている模様です」
ソナーマンの報告を聞いて副長が言った。
「貨物船の露払いでしょうか?でもフリゲートが随伴するのは珍しいですね」
このようなことは何度かあった。貨物船の安全を守るために付近の海底を捜索するのだ。ただ高麗海軍は補給船舶に対して船団護衛を行うよりも中立船舶に紛れて隠れることを期待して単独行動させることが多かったので、フリゲートまで一緒に出てくることは無かった。
「貨物船に動きは?」
艦長がソナーマンに尋ねると、すぐに返事が返ってきた。
「いえ。まったく」
その返事が意味するのは、今の高麗艦隊の行動が日課となった補給維持の一環ではなく、新たな作戦行動であるということだ。そして、高麗軍が新たな活動を始める理由は1つしか思い浮かばなかった。
「高麗潜水艦を捜索しているのか?」
高麗艦は友軍相撃を防ぐためにも事前に博多港への入港を占領部隊に通知している筈である。そして、今はこうやって<こうりゅう>とにらみ合っている。当然ながら高麗軍は予定通りに潜水艦が現れないことを不審に思うだろう。
「どうします?」
副長の声がまた強張っていた。海底付近ではソナー効率が悪いこともあり、これまでの掃海艇による先導捜索はやり過ごしてきたが、3隻のソナーによって徹底的に探索されれば見つからない保障はない。仮に水上艦の方が<こうりゅう>を捉えられなくても、ソナーの反射を高麗艦が捉えて攻撃してくる恐れがある。もちろん反対に<こうりゅう>が高麗潜水艦を反射したソナー音波を捉えられる可能性もあるが、それで攻撃したら水上艦に自らの位置を晒すようなものだ。
「水上艦がこっちに来るまでに決着をつけないとな」
中曽根は覚悟を決めた。しかし、膠着状態を破る手立てが浮かばなかった。
「どうする?」
今日は6月25日です。朝鮮戦争開戦の日であるとともに、遅滞の章掲載開始の日でもあります。気がついたら2年経ってました。できれば今年中に終わらせたいのですが。
(改訂 2012/3/23)
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