一.情勢は些か悪し
2015年6月25日 午前5時 九州上空
航空自衛隊は百里基地に唯一の偵察飛行隊を配置している。装備機種は近代化改修に対応していない初期型のF-15Jを戦術偵察機に転用したRF-15Jである。
百里基地を飛び立ったRF-15Jは翼の下には通常載せられる外装式戦術偵察ポッドではなく巨大な飛行機のようにも見える物体を2機も吊り下げていた。それこそ航空自衛隊が偵察能力を向上させるために導入した新型の無人偵察機TACOM-Rである。その特徴は航空機の翼に吊るされていることからも分かるように他の航空によって空中に運ばれてから発進することである。
冷戦中に開発された戦略偵察機U-2/TR-1、それに冷戦後に配備された無人偵察機のプレデターやグローバルホーク。これらの機体は高高度で長時間滞空できるように設計されている。だからこそ機体に比して巨大な直線翼が使い、莫大な揚力を発生させて僅かな推進力のみでの浮遊を可能とするのだ。しかしそれは滞空能力を高める代わりに空気抵抗を生み出して加速力を失わせることになった。つまり急上昇ができないのである。これは日本の航空自衛隊が配備するうえで重大な障害となった。
なぜかと言えば日本周辺には多くの航空路があり、日夜旅客機が飛び交っているからだ。戦略偵察機が偵察活動する高度そのものは民間航路と重ならないが、そこまで上昇するには途中で旅客機の飛ぶ高度を通過する必要がある。戦闘機など上昇能力が高い機体なら短時間で突破することが可能であるが、急上昇ができない戦略偵察機は多くの時間をかけなくてはならず危険も増大する。有人機なら人の手で補うこともできるが、完全自律飛行能力まで求められる無人機ではそうはいかない。
というわけで自衛隊が編み出した解決策が空中発射方式であった。上昇の段階の問題を有人機に搭載されることでクリアしたのである。
TACOM、正式には多用途小型無人機と呼ばれる無人飛翔隊はその名の通り標的の曳航、各種訓練支援など様々な任務に対応することが可能で偵察もその1つなのだ。偵察型であるTACOM-Rの下部には偵察用カメラが装備されているのだ。
しかし問題が無いわけではない。なにしろ他の航空機に搭載するものであるから、あんまり重かったり大きかったりしてはいけない。翼も小さく生み出せる揚力は小さいし、燃料もそれほど多く載せられない。偵察に不可欠な滞空能力が劣っているのである。というわけでTACOM-Rは平時の監視活動よりも主に非常時の戦術偵察任務に使われる。今回もそれが任務であった。
RF-15Jは上空を監視しているAWACSと緊密に連絡を取り合いながら北を目指していた。一応、福岡からは距離をとってTACOM-Rを射出する手筈になっているが、高麗空軍による攻撃の可能性はいくらでもあった。なにしろ今は戦時中である。
航法装置がRF-15Jのパイロットに射出地点に到達したことを知らせた。岩国近くの瀬戸内海上空、ここから射出されたTACOM-Rは1機が北九州、もう1機が福岡を空から偵察する。撮影した画像はリアルタイムに送信され、地上の自衛隊機地で受信される。そして偵察を終えたTACOM-Rは佐世保沖まで飛行して着水し、第2護衛隊群の残存部隊に洋上で回収される手筈であった。
パイロットがTACOM-Rは軌道修正なしに目的地に向かえるように針路を修正して1機のTACOM-Rのシステムを起動させた。
「TACOM-R-1、射出!」
パイロットが射出ボタンを押すとRF-15JのパイロンからTACOM-Rが切り離された。それと同時にTACOM-Rのエンジンが遠隔操作で点火された。
「TACOM-R-1、オペレーション、スタート」
小型のジェットエンジンに点火され、TACOM-Rはぐんぐんと加速してRF-15Jの前を飛んでいった。後は自律飛行するのでRF-15Jの乗員にすることはなにもない。成功を祈るだけである。
RF-15Jの乗員は2機目のTACOM-R射出の準備を始めた。
午前11時 防衛省会議室
防衛省には統合幕僚長を筆頭とする制服組と防衛省事務次官を筆頭とする文官の背広組が集まり現状の報告と今後の方針を定める会議を開いていた。議長は防衛大臣である中山である。最初に報告をしたのは航空幕僚長の斉藤空将であった。
「今朝、我が航空自衛隊の無人偵察機TACOM-Rが福岡と北九州に対する強行偵察を実行しました。偵察は成功し、高麗軍の展開状況を知ることができました」
「損害は?」
中山が尋ねた。
「1機が高麗軍のミサイルに撃沈されました。しかしもう1機は回収に成功しています」
無人機は高価だが無人なので惜しくは無かった。
「得られた写真情報から推測するに、高麗軍は合計2個師団ほどの戦力を上陸させています」
北九州有事は3日目を向かえ、高麗軍は第11師団の全部隊の揚陸を終えた。一方、海兵隊も2個目の連隊を揚陸させた。これまでの兵力と併せて高麗軍は九州に2個師団ほどの兵力を送り込んだことになる。
斉藤が自分の説明を終えると席に座った。次に情報本部長の真田陸将が立ち上がった。
「我々の無線傍受アンテナが捉えた情報によりますと、上陸した高麗軍部隊は<千里馬>任務部隊と呼ばれているようです」
「チョンリマ?」
背広組の1人は知らない言葉に戸惑っていた。
「千里の馬と書きます。韓国の神話に登場する馬で、翼を持ち千里を1日で駆けるんだそうです」
真田は無線傍受で得られた情報の詳細をさらに説明した。
<千里馬>任務部隊はチェ・チョンヒ陸軍大将を最高司令官として、その主力となるのは韓国軍の第11機械化歩兵師団である。
「第11機械化歩兵師団というのは強力な部隊なのかね?」
背広組の1人からの質問に剣持陸上幕僚長が答えた。
「はい。最近、装甲化が進められた師団の1つです。高麗軍の精鋭部隊である首都師団や第26機甲師団に比べれば幾分戦力は劣りますが、近代化が遅れている陸上自衛隊には十分な脅威です」
剣持の声はこれまで陸上兵力の近代化に力を入れなかった現状への不満を背広組や防衛大臣にぶつけているかのようでもあった。
第11機械化師団は指揮官のキム・ジェフン少将の下、3つの旅団から成る。第9旅団と第13旅団、第20旅団である。各旅団は1個戦車大隊と2個の歩兵大隊、砲兵大隊より編成される。それらの部隊は完全に機械化、装甲化されていて、戦車大隊にはK1A1戦車、歩兵大隊にはK200装甲車、砲兵大隊にはK55自走砲が配備されている。
ぺク・キョクイル大佐率いる第9旅団は師団の中では最初に九州に上陸し、福岡一番乗りを果たした。現在は自衛隊の大宰府防衛線を前に春日市に布陣している。
それに続くキム・ビョンクン大佐の第13旅団の主力は粕屋町に配置され、1個大隊を福岡空港の占領に派遣している。第13旅団は自衛隊が居座る飯塚に対しても大宰府防衛線に対しても必要に応じて即座に部隊を進める位置にあるわけである。
最後にイ・ピョントク大佐の第20旅団は直方市に布陣し、北から飯塚へと進撃しようとしている。
一方、高麗海兵隊は疲弊した第1海兵連隊を第5海兵連隊と交替させた。1個中隊の戦車とともに上陸した第5海兵連隊は前原市南部に集結し、西の陸上自衛隊第16普通化連隊戦闘団に対する防御線を構築しつつ、斥候隊を県道56号線に沿って南下させ、県境になっている筑紫山地のいくつかの峠を偵察させていた。彼らは然るべき時に山地を突破して、自衛隊の大宰府防衛線の後方へ浸透することを任務としているのだ。第1海兵連隊は前原市北部に主力を集めて第16普通科連隊戦闘団正面を守っていた。また予備の大隊を福岡市内に派遣し、占領行政部隊の増援にしていた。彼らは多くの装甲車輌を失い、いまや軽歩兵部隊になっていた。しかし高麗海兵隊は依然として20輌ほどのK1A1戦車とやはり20輌ていどのK55自走砲を有しており、侮りがたい戦力である。
「さらに敵軍は対馬、壱岐を占領して航空部隊を前進させています。情報収集衛星による観測と電波情報収集の結果を総合しますと、KF-16とF-15Eをそれぞれ1個飛行隊ずつ、計40機ほどが展開しているようです。また高麗南部に高麗空軍の主力が集結していますし、北九州、福岡の両空港も制圧しておりますから、今後はさらなる増援がありうると考えられます」
斉藤空将が付け加えた。
「敵の海上部隊の動向は?通商破壊でもはじめたらやっかいなことに…」
防衛大臣の言葉に笹山海将は首を横に振った。
「通商破壊については杞憂でしょう。それをやったら周辺海域を航行するあらゆる船の母国、世界各国を相手にすることになってしまう。それにそうした作戦が十分な影響を与えるには時間がかかります。今、通商が断たれても日本なら備蓄で1ヶ月から2ヶ月はもちます。それほど長期間の戦争は向こうも望みません」
「つまりこの戦争は1ヶ月以内に決着がつくと?」
「おそらく。我々は高麗海軍の【クワンゲト・デワン】型駆逐艦1隻に損傷を与え、揚陸艦1隻を撃破しましたが主力は健在です。高麗海軍部隊は今、陸軍部隊と物資の輸送に精を出しているでしょう。ただ制空権はいまのところ高麗側が握っていますし、まだ多数航行している中立船舶への被害も考えれば、現状では海上自衛隊としても迂闊な行動はできません」
「自衛隊の方はどのような防御体制を築いている?」
防衛大臣の質問に剣持が引き続き説明を行なった。
陸上自衛隊は大宰府防衛線を固めつつあった。
高麗軍の侵攻が予想される大宰府正面を任されたのは北上してきた第8師団であった。最後に都城から第43普通科連隊が到着したことで第8師団の集結が完了した。
大宰府防衛線は福岡市と小郡市との間を大宰府、筑紫野を通って繋ぐ縦深5kmほどの隘路で、その最前線は大宰府跡に近い都府楼地区を挟んで北の岩屋山(二八一高地)と南の天拝山(二五七高地)の間に引かれていた。高麗軍の侵攻経路は国道3号線と県道31号線が予想されるので、その周辺に主力部隊が集められている。鷺田川を境に北側に第24普通科連隊、南側に第42普通科連隊が配置されている。そしてその背後、筑紫野市中心部に第12普通科連隊が配備されて二重の防衛線を用意したのである。さらに最後に到着した第43連隊が大宰府と宇美町の境界線、県道35号線付近に展開して防衛線の北を固めた。
一方、第4師団は高麗軍との戦闘で多くの戦力を失い、しかも部隊が分散していた。第4師団司令部は飯塚を守る第41普通科連隊戦闘団を第1空挺団に預ける代わりに西部方面普通科連隊が配属され、大宰府の西側、福岡・前原の南側の防衛を託されることになった。その一帯は背振山地の山々が連なり、侵攻ルートは幾つかの山道に限られていた。
第一のルートは坂本峠を通る国道385号線である。このルートの防備は桜井らの属する第19普通科連隊の担当となった。
第二のルートは三瀬ルートを通る国道263号線で、ここの防備は西部方面普通科連隊の担当である。
そして海沿いに進むルートは引き続き第16普通科連隊戦闘団が防衛する。彼らは高麗海兵隊が陣取る前原市と隣接する二丈町の境に防御ラインを引き、小さな山々と河川を巧みに利用して防御陣地を築いていた。また各種重装備も配属され、大きな被害も受けていないことから、必要に応じて前原、そして福岡に側面より突入するという重要な任務が与えられた。
第一空挺団は飯塚の防備を担当することとなった。飯塚は北九州と筑紫野を結ぶ国道200号線と福岡・周防灘を結ぶ国道201号線が交差する街で、ここを高麗が押さえれば占領地である北九州と福岡の連絡を確固たるものとするとともに、大宰府防衛線を側面から攻撃する策源地になる。一方、自衛隊が押さえれば高麗側の支配地域を沿岸地域に押さえ込み、占領地に対して圧力を加える事ができる。まさに戦略的な要所であった。飯塚の防衛には第41普通科連隊戦闘団が担っていたが、彼らは臨時に第1空挺団に配属されることになった。
飯塚市は山に囲まれた盆地で、進撃路は限られている。高麗軍の攻撃が予想されるのは国道200号線に沿って北側からか国道201号線を使って西側からの二通りである。空挺団の2個普通科大隊が市の北と西に配備され防備を固めた。一方、第41普通科連隊は街の東側に配置され、火消し部隊として敵が攻撃した場所に増援として派遣されることになる。そして空挺団最後の大隊は特別な任務を与えられて山の中に消えていった。さらに西部方面隊はここの防備を重視しているらしく第19普通科連隊とともに福岡防衛線を守っていた10式戦車中隊の生き残りが増援として派遣されることになった。
周防灘に面する苅田町には中央即応連隊が防衛線を張っていた。連隊には第40普通科連隊の最後の生き残りである第2中隊が編入され増強されていた。
これが2015年6月25日朝現在の陸上自衛隊の配備状況であった。このように一応の防衛態勢を整えたものの、東京では北九州有事対処基本方針が国会の承認を得ておらず積極的な攻勢は不可能な状況であった。ただ、陸上自衛隊の地方張り付け部隊は軽装備の部隊で、十分に装甲化された高麗軍部隊とまともに戦うのは難しい。どちらにしろ北海道から陸上自衛隊唯一の機動打撃部隊である第7師団の到着を待たなくてはならない。
剣持に続き斉藤空将が航空自衛隊の状況を説明した。
築城より退避したF-2装備の第6飛行隊とF-15J装備の第304飛行隊であったが、退避先の新田原は結果として大変混雑した状況になっていた。新田原には元々F-4EJ改装備の第301飛行隊と教育飛行隊が配置されていて、それに2個飛行隊が加わったのであるから当然である。この事態を打開するために西部航空方面隊司令部は教育飛行隊と第6飛行隊を沖縄の那覇基地に退避させ、新田原基地は防空に専念することとなった。さらに小松、百里、千歳からF-15飛行隊を1個ずつと三沢からF-2飛行隊2個を増援として派遣することを検討していた。
最後に笹山が海上自衛隊の動向を伝えた。
高麗軍の攻撃を受けた第2護衛隊群の残存艦艇は佐世保に退避した。舞鶴から第3護衛隊群が隠岐諸島の沖に展開して、高麗軍の東進を防ぎ山陰地方への奇襲上陸作戦を阻止する位置を占めた。地方隊の稼動艦と航空集団が総力を結して高麗軍の更なる侵攻を防ぐべく行動中である。一方、第1護衛隊群は沖縄沖を北上中である。オーバーホール中の第4護衛隊群も出撃準備中である。
「なるほど。よく分かった」
防衛大臣は居並ぶ将星たちの顔を目配せしながら言った。
「それで今後の対処方針は?」
「遅滞作戦です」
剣持が答えた。
「遅滞作戦というのは、つまり時間稼ぎです。我々は高麗軍を包囲する部隊を使って、侵攻してきた高麗軍に対して小規模な戦闘を繰り返して、その速度を弱めます。その隙に反撃のための戦力を集めるのです」
「そして戦力が整った時に一気に反撃をすると?」
「そうです。ですからその時までには国会の承認が必要です」
防衛大臣はその言葉に頷いて同意を示した。一刻も早く国政を動かさなくてはならない。それが防衛大臣である彼の使命であった。