一二.山中の死闘
首相官邸
高麗軍の攻勢により烏丸首相は衆院厚生労働委員会への出席をキャンセルして首相官邸に篭らざるをえなかった。民生党はこのことを大いに批判してマスコミも同調するだろう。彼らはその瞬間だけ、まるで北九州有事など発生していないかのように振舞うのだ。
「それで現状は?」
中山防衛大臣は首を横に振った。
「はっきり言いまして、高麗軍が攻撃をしてきたという以外はまだ詳細は分かっていません」
烏丸はその掴み所の無い報告に自衛隊がなにか隠し事をしているのではないかとも思った―烏丸は社会民生党出身で今でも護憲派なのだ―が、これ以上追求してもどうしようもない。話題を変えることにした。
「官房長官。それで民生党の切り崩しの方がどうなっているんだ?」
「なんとかなりそうです。今夜、会合を行ないます」
菅井は機嫌が良さそうであった。
背振山地
飯塚市で高麗軍の本格的な攻勢が始まろうとしている頃、第19普通科連隊はこの日の戦闘は最終局面に入ろうとしていた。
高麗海兵隊が偵察に派遣した1個小隊が自衛隊の防御陣地と膠着状態に陥ると、韓国側の指揮官は山中に中隊主力を進めた。後方に迂回して自衛隊の陣地を包囲しようと企んだのだ。
高麗中隊の主力は慎重に森林の中を進んでいたが、その警戒は木々の間に張られているであろうワイヤートラップに向けられていて、自衛隊が持ち込んでいたより高度なセンサーシステムには注意が向けられていなかった。
「止まれ!」
先頭を進む歩兵分隊が先頭の兵士の掛け声によって一斉にその場に伏せた。先頭の兵士は銃剣を出して、足元に張られたワイヤーを切ろうとしていた。その様子を見張る赤外線センサーが存在するとも知らず。
金立公園 第4師団司令部
「センサーに感あり」
機動妨害システム担当のオペレーターが叫んだ。
「敵か?」
内海師団長の問いにオペレーターは首を横に振った。
「まだ確認できません。現在、現地部隊に照会中」
内海は不完全な状況の自分の部隊に舌打ちした。本来なら機動障害システムは陸上自衛隊のC4Iシステムである|基幹連隊指揮統制システム《ReCs》と接続することにより、センサーが目標を感知したことを自動的に現地部隊に通告するとともに、味方の位置情報から敵味方識別までこなすことができるのであるが、ReCsの方が導入されていない現在の第4師団では人力で代替しなければならない。
「防衛線から入電。目標は味方ではありません。攻撃します」
背振山地
丁度、ワイヤーが取り除かれた時であった。
「よし、安全を確保した…」
除去を担当した先頭の兵士は振りむいて報告をしようとした瞬間、横から衝撃を受けた倒れた。彼を襲ったのは数十個のパチンコ玉ほどの金属球であったが、火薬により加速されて拘束で突っ込んできたので高麗兵を防弾着の上からでも容易に打ちのめした。彼がこの世で最後に見たのは、自分と同じように仕掛けられた指向性散弾によりボロボロになった分隊の仲間の姿であった。
その後方に居た中隊長は目の前の出来事にぎょっとしていた。しかし、彼は目の前の出来事がクレイモアなどの在来型の指向性地雷によって引き起こされた者だと勘違いをした。日本が持つ高度なセンサーシステムと結びついた機動障害システムについても事前に説明を受けていたが、悲惨な光景を目の前にして自軍が持たない兵器については考えが及ばなかった。
「ワイヤーに注意しろ!あと、もしかしたら周りに日本兵が潜んでいるかもしれん」
先頭の分隊が自らクレイモアのワイヤーを引っ張ったか、近くに潜む自衛官が手動で爆破させたなら適切な指示であったかもしれないが、この場合はまったく意味が無く、むしろ警戒すべき対象から注意を外すことになった。
高麗兵は回りに弾丸をばら撒きながら前進した。そうすれば近くに潜んでいるかもしれないクレイモアの起爆装置を握る自衛官を威圧する事が出来るかもしれない。しかし生憎ながら起爆スイッチを握っている者はずっと彼方の安全地帯に居た。
再び指向性散弾が炸裂した。何人か高麗兵の呻き声が聞こえてくる。さらに再び炸裂。
「止まれ!その場から動くな!」
中隊長は堪らず命じた。兵士たちはその場に伏せると周りの様子をじっと見つめて敵の姿を探したが、どこにも見られなかった。
その300メートル先には自衛隊の陣地が築かれていて、そこでも第19普通科連隊第1中隊第1小隊の面々が息を潜めて様子を伺っていた。小隊長は有線電話の受話器を手に持って誰かと話していた。
「前方300メートルですね。分かりました。前進して蹴散らしてやります。了解。交信終わり」
小隊長は受話器を戻すと配下の小銃班の班長たちを集めた。
「これより前方の高麗兵を掃討する。突撃支援射撃の終了とともに突撃する」
やがて迫撃砲が飛んでくるヒュルヒュルヒュルという音が聞こえてきた。さらに前方で炸裂音がして、やがて止んだ。
「小隊前進用意!前へ!」
第1小隊の面々は小隊長の怒声とともに一気に陣地を飛び出した。
数的には優勢であったのは高麗海兵隊であったが、機動障害システムにより動きを封じられ、勢いを削がれたこともあって数的な優勢を生かせずに居た。
「撤退!撤退!」
迫撃砲の攻撃と第1小隊の突撃に堪らず高麗中隊長は撤退を命じた。たださすがに高麗側も崩壊するということもなく、分隊単位で相互支援をしながら比較的軽傷の負傷兵を引き摺りながら整然と後退していった。
なかなか巧みに後退していくので第1小隊は遂に高麗中隊を殲滅することができず、負傷者を出すことになった。幸い死者は出なかった。第1小隊は逃走する高麗中隊に対する追撃を諦め、衛生隊を呼んで双方の負傷者を後送した。当然、残された重傷の高麗負傷兵は捕虜となった。
国道385号線 防衛線
道に沿って進み、自衛隊の防衛線と膠着状態となった高麗の先遣小隊は山中の中隊長から撤退命令が届いたが、その手順は山中より些か複雑であった。なにぶん路上の高麗兵は陣地の中の自衛隊から一方的に射撃を受ける状況にあるのだ。
中隊長は自らの安全を確保すると、より上級の司令部に支援射撃を要求した。まず発煙弾が撃ちこまれた。
桜井は視界が真っ白になるのを見ると、すぐに塹壕内に屈んで背嚢から暗視装置を取り出した。
桜井は狙撃レンジャーということで個人用暗視装置JGVS-V9を支給されていた。JSVS-V9は従来型の暗視装置であるJGSV-V8の後継として試験的に配備が始められた新型で、アメリカ軍のAN/PSQ-20の自衛隊バージョンで従来の微光増量方式とパッシブ赤外線方式を併用しているのが特徴だ。
それを急いで取り出すと、すぐに鉄帽に取り付けようとした。パッシブ赤外線方式の暗視装置は相手の発する熱を捉えるタイプなので昼夜関係なく煙を通しても目標を追うことができるという利点があった。
すると身体を衝撃が襲った。
「砲撃だ!伏せろ!」
小隊陸曹の砺波の叫び声が響いた。高麗砲兵が煙幕を張ると、今度は自衛隊の動きを妨げるために陣地に向けて榴弾を撃ちこんできたのだ。
桜井は砲撃が収まるのを待って塹壕から半身を出し、高麗兵に銃口を向けた。1人だけ、桜井に背中を向けて立ち去ろうとする兵士が見えた。桜井は躊躇なく引き金を引いた。胸のあたりに銃弾が当り、高麗兵は倒れた。遠くからディーゼル音が響き、残った戦車が後退していることを報せた。
「撃ち方止め!撃ち方止め!」
古谷の叫び声が陣地に響いた。だが銃声は止まない。
「撃ち方止めと言ってるだろが!」
続いて砺波の怒鳴り声が響いた。誰かが銃撃を続けているらしい。
やがて煙が晴れると破壊された戦車と高麗兵の死体だけが残された。自衛隊側でも砲撃により2人の死者と3人の負傷者が出た。そして最後まで銃撃を続けていた者の正体も明らかになった。少々過激な言動が気になる矢部陸士長だ。
「貴様、抗命か!」
「いや、そんなつもりは。ただ1人でも多く奴らを…」
砺波に弁解している矢部の姿を眺めつつ桜井は周囲を警戒していた。
「桜井!」
そこへ路上の高麗軍の遺物への検分を終えた古谷がやってきて桜井の肩を叩いた。
「奴を撃ったのはお前だったよな?死んだのは小隊長だ。よくやった」
つまり高麗軍が税金を使って育てた貴重な人材を1人永久に葬ったということだ。
「ありがとうございます」
桜井は形だけの言葉を発した。後味の悪さはこれまでよりも薄かった。相手が背中を見せていて、顔を直接見なかったためだろう。
それから古谷は苦い表情をした。
「小隊を再編成しないとな」
先ほどの砲撃による被害によって第2小隊の実員は20人を割って15人になっていた。これでは3個小銃班を維持できない。
ともかく第19普通科連隊正面の戦いは終わった。