一一.飯塚包囲網
福岡県飯塚市西部 八木山バイパス筑穂インター前 空挺団第5中隊陣地
第1空挺団第2普通科大隊第5中隊―ちなみに第1空挺団に属する普通化中隊は所属大隊に関係なく通し番号で呼ばれているので、別に第2大隊に5個中隊も配属されているわけではない―は、飯塚市の西に防衛線を築いていた。
大隊は西側の高麗軍に備える態勢をしていて、飯塚市内への突入ルートとして北の国道201号線と南の八木山バイパスルートが考えられたので、第4中隊と第5中隊をそれぞれの道沿いに配置するとともに、2つのルートの間に広がる山々森林に第6中隊を配置して防衛線の穴を埋めた。さらに後方には第41普通科連隊戦闘団から配属された1個普通科中隊と1個戦車小隊―第4戦車大隊第3中隊の74式戦車小隊―が予備として待機していた。
第5中隊長である山岸1尉は配下の3個小隊を八木山バイパスに沿って1個小隊ずつ配置していた。高麗軍がやってきたら1個小隊で敵の先頭部隊に火力を集中し前進を阻止する。そして後退して次の陣地に向かう。その間に前進してきた敵部隊を今度は次の小隊が攻撃して後退する。さらに敵が前進してきたら3番目の小隊とぶつかり…といった風に交代で敵の動きを鈍らせながら後退し、最後の陣地で集結して予備の中隊とともに高麗軍を叩きのめす。必要なら空挺団直属の予備である第41普通化連隊戦闘団を呼び出す。それが山岸の作戦であった。
そして山岸は先頭の小隊の陣地が設けられた筑穂インター前に中隊本部を置いて陣頭指揮を執っていた。なだらかな斜面に掘られた塹壕陣地は八木山バイパスと並行して走る県道60号線の両方に面していて射界の中に収まっている。道と陣地の設けられた森林の間には田畑が広がり川も流れているので、高麗軍が山岸の陣地に真正面から攻撃を仕掛けても射撃の的になるだけである。
410高地 陸上自衛隊前線観測所
日本のどこもがそうであるように、飯塚の山中にもゴルフコースがあった。福岡方面からの飯塚市街地への突入路と見られている国道201号線と八木山バイパスの間にあり、その東西には山々があってゴルフコースを挟んでいた。
東側は一帯の山系の最高峰である龍王山で、その標高から615高地と呼称されていた。そして福岡方面である西側には410高地があった。ゴルフコースの縁が山頂付近まで達していたので交通の便は良く―ただし開けているので高麗空軍の動向を気にする必要がある―しかも、山頂からは国道210号線と八木山バイパスの合流点を見下ろすことができた。つまり高麗軍が福岡から飯塚に攻め込もうとすれば、必ず410高地に居る者の目の前を通らなければならないのだ。自衛隊がそこに砲兵隊の観測拠点を設けるのは至極当然のことであった。
観測所は龍王山のさらに東に配置された空挺特科大隊から配属された120ミリ迫撃砲中隊と第41普通科連隊戦闘団の特科大隊と電話網が繋がれていた。もし彼らが高麗軍の姿を見つければ、ただちにこれらの砲撃を加えることができるのだ。
十分に偽装された山頂陣地から観測員が下の様子を双眼鏡で監視していた。するとトラックの縦隊が西から来るのが確認された。観測員は片手で双眼鏡を構えたまま、すぐに横に置いてある野戦電話機の受話器を取った。
国道201号線 二瀬川交差点
高麗のトラック隊は飯塚西側からの攻撃を担う高麗空中襲撃旅団の1個大隊の先遣隊である。彼らの任務は侵入路を発見し、本隊を導くことになる。
北九州制圧のために投入された空中襲撃旅団であるが、任務を終えて侵攻作戦を上陸した装甲部隊に譲ると彼らは北九州と福岡の占領行政の実行部隊となったのだが、今回の任務のために戦略予備に指定されていた1個大隊を投入することになった。十分に防御された敵陣地を突破するには軽装備の1個大隊では不十分であるが、与えられた任務は達成できる筈であった。
1個中隊の先遣隊は410高地の前にある交差点でトラックを停めると、降りて森の中へ進んでいった。目標は目の前に広がる山の山頂、つまり410高地である。
410高地
その様子を監視していた観測員は背筋が凍る想いをしていた。敵の侵攻路は北側でも南側でもなく中央、すなわち自分達の陣地を蹂躙して進むつもりなのだ。
「敵はまっすぐ山を突っ切る気だ。至急、砲撃を頼む」
そのリクエストにはすぐに応えられた。
筑穂インター前
山岸は北から聞こえてくる砲弾の炸裂音をBGMにして、大隊本部からの情報を検討していた。敵は軽装備の歩兵部隊で、戦車や装甲車の援護はなし。まともに飯塚を攻め落とすのに必要な戦力とは思えない。
「牽制か?」
全体像は分からなかったが、高麗軍の主攻がここでないのは間違い無さそうであった。どこか別の場所で総攻撃が行なわれるのか、それとも総攻撃があると見せかけて自衛隊を浮き足立たせるのが目的か。
山岸は少し考えてから自らの無意味な思考を笑った。敵の主功がどこであるかなど今の山岸にとってはどうでもいいことである。それはもっと上の人間が考えることで、現場の指揮官である山岸は自分の担当する区域に出撃した敵を撃退することを第一に考えなくてはならないのだ。
中隊の通信係りの肩を叩き、野外電話の受話器を取った。各小隊の小隊長を呼び出さなくてはならない。敵が森林を縦横無尽に進むことができる軽歩兵部隊であるならば、装甲化部隊の攻撃を想定した今の中隊の配置は無意味である。すぐに陣形を立て直さなくてはならない。
鞍手郡小竹町 戦車隊陣地
飯塚の北側には空挺団第1普通科大隊の防衛線が築かれていて、ここには第41普通科連隊戦闘団に配属された第4戦車大隊第3中隊から74式戦車2個小隊が増援として派遣されていた。北側からの主要な侵攻ルートも2つあり、それは飯塚市内を通り北九州へ流れる遠賀川沿いに進む旧来の国道200号線と新しい国道200号線バイパスである。第1大隊は2つのルートに沿って1個中隊ずつ配置し、もう1個中隊を予備として後方に置いていた。
古い方の200号線を守る中隊の陣地は飯塚の北側に隣接する鞍手郡小竹町にまで及んでいて、派遣された戦車小隊はゴルフ場の縁で森の広がる丘の上に陣取っていた。そこは遠賀川を見下ろし古い方の国道200号線と筑豊本線を射界の中に収めていて、そこを通る敵に射撃を浴びせることになっていた。
4輌の74式戦車は戦車壕の中に車体を隠し、砲塔だけを出して国道に向けていた。その上から偽装用のネットが被せられていたので彼らを事前に発見することは困難であった。
すると前方に配置されていた普通科中隊の前哨陣地から緊急連絡が入った。
<敵の装甲部隊が前進してくる>
戦車の中で待機していた小隊長が車長用ペリスコープを覗いてズームしてみると、確かにK1A1戦車2輌とK200装甲車4輌が国道200号線に沿って南下してくるのが見えた。
「小規模だな。偵察部隊か?」
有線電話で普通科中隊の本部に尋ねると相手の指揮官も同意見であった。そしてとりあえず片付けることにした。
「よし戦車を狙え。あれさえ倒せば後はどうにでもなる」
74式戦車は105ミリ砲装備の戦後第2世代戦車で第3世代に分類されるK1A1戦車と戦うには分が悪かった。
「十分に引き寄せるんだ。小隊の火力を集中するぞ」
敵部隊の先頭を走るK1A1がぐんぐん近づいてくる。やがて距離300まで迫った。
「よし、今だ。撃て!」
4輌の74式戦車が一斉に主砲を放った。古い砲が相手とはいえ4門に集中攻撃され、しかも砲塔と車体の繋ぎ目や砲塔上面といった弱点を集中的に狙われたK1A1はひとたまりもない。
「各個、自由に射撃せよ」
4輌の戦車が残ったK200装甲車に牙を向けた。戦車の援護を失った装甲車など74式戦車小隊には的も同然で、周りが田んぼで逃げ場が無かったこともあり瞬く間に3輌が破壊された。1輌は土手を川岸側に下りてなんとか身を隠した。
すると逃げた装甲車が要請したのか、戦車隊の前に発煙弾が撃ちこまれて視界を塞いだ。装甲車はその間に逃げてしまった。
他の乗員たちは敵を倒したことを喜んでいたが小隊長は違った。偵察隊はきっと本格的な攻撃の前触れに違いない。そしてこちらの防衛線が知られてしまった以上、敵はいよいよ攻撃してくるであろう。
小隊長はもうひとつの戦車陣地に移動するように命令を出した。距離にして500メートルほど南に別の戦車壕が用意されていて、ここと同じような射界が確保されていた。
直方市内 高麗陸軍第11機械化歩兵師団第20旅団司令部
イ・ピョントク大佐は幕僚たちとともに一帯の地図が広げられた机の周りに座って作戦を練っていた。予想した通り、自衛隊は頑固な陣地を築いているようだ。
「よし。迂回攻撃を試みる。旅団隷下の大隊は中隊単位で戦闘群を編成していたな?」
旅団長の問いに作戦幕僚が答えた。
「はい。全ての中隊を戦車及び装甲車小隊から成る混成中隊に編成替えを完了しております」
韓国・高麗も日本と同様に山がちな地形であるから、そのような地勢でどのように戦うかを彼らは熟知していた。大部隊が揃って戦う余地はないので、小規模な戦闘グループを幾つも用意するのが最適である。
「第201歩兵大隊には3個中隊、第202歩兵大隊には2個中隊を配備し、第201大隊は県道30号線を進み西から、第202大隊は県道62号線を進んで東から飯塚市内に侵入し、北側を守る敵大隊を孤立させるのだ。そして第203戦車大隊には4個中隊を配置し、川沿いとバイパスに2個中隊ずつ配置し自衛隊を牽制するとともに包囲が完了した時点で突撃するのだ」
幕僚達からは作戦についてなんの異論もなかった。
「よろしい。ただちに準備にかかれ」
かくして後に飯塚攻防戦と呼ばれる戦いの火蓋が切られたのである。
久々の投稿です。更新停滞している間にいろいろなことがありましたね。いくつか触れておきましょう。
沖縄名護市長選で基地受け入れ反対派が勝ちました。もし政権交代前であったならば民主党にとって自民攻撃の良い材料になったでしょうが、今回は逆に追い詰められた結果となりました。というか、なんでこんな微妙な時期にわざわざ辺野古移設反対派の候補に推薦なんか与えたのか?傍観してれば良かったのに、推薦なんか与えたせいで余計に不味い状況になってると思うのですが。
辺野古移転問題に関してもう1つおかしいと思うのが、その議論に際して「地元の負担軽減」「アメリカとの関係」という話ばかりで「じゃあ、なんで基地を辺野古につくるんだ?」という話が全然聞こえてこないように思うのですが。そしてアメリカの現在の戦略上、現状維持か辺野古移転以外の選択肢はありえないわけで。代替候補地に「グアム」とか「硫黄島」とか出てくるところを見ると、そういった議論を与党内で全然やってないのだなぁとつくづく思うわけです。地元の皆さんには酷な話でしょうが、日本の安全保障に深く関係している軍事問題なのだから軍事的視点で見ずにどうするのかと?
それに関連して思うこと。つまり「対等な日米関係」とやらです。民主党のマニフェストにも明記され、左右両陣営から歴代自民政権への批判としてよく使われるフレーズなのですが、そもそも「対等な日米関係」とは何ぞや?と思うわけです。
辺野古移設決定も自民政府のアメリカ追従の如く言われますが、アメリカの戦略上―つまり台湾防衛―のために沖縄から離すわけにもいかず、それが日本の安全保障にとっても重要―台湾を取られたらシーレーンが容易に遮断されますよ―ならそれを受け入れるのも政府にとって当然の選択でしょう。そもそも自民政府がアメリカの言いなりなら交渉に10年以上もかかるわけがないのです。
ともかく、じゃあ「対等な日米関係」とはなんなのかと?どうも日本人が日米関係を語る場合は被害者意識が前面に出てしまっていて、対等な関係について深く考察がなされていないように思うわけです。また半世紀以上も他国軍が居座って、地元の住民は多大な被害を受けているから仕方が無いといえば仕方が無いのかもしれませんが。しかし在日米軍は日本の防衛だけではなく東アジア全体の安全保障において重要な役割を果たし、かつ南アジア・中東の安全保障とも強く結びついている。そういう性質の部隊で、しかも日本はその恩恵を享受して繁栄を謳歌している。そういう立場ですから、そのアメリカと対等になるというと「アジア全域の安全保障についてアメリカと同等の責任を負う」ということになると思うのですが。
昨日、次期輸送機C-Xが初飛行。今後も増えるであろう海外派遣で重要な役割を担う機体です。航空自衛隊の最前線で戦うまさに新時代の象徴的な機体。これまでいろいろとありましたが、これからは順調に開発が進むことを願っています。