九.大攻勢
北九州市内
戦場という場所では大なり小なり軍紀に乱れが生じるものであった。ある高麗軍兵士にとって、それが命とりになった。歩哨は2人1組で行なうものであるが、面倒ごとを嫌った彼の相方が彼1人に押し付けてしまったのである。
高麗連邦共和国は占領した北九州と福岡に戒厳令を敷き、チェ・チョンヒ将軍を戒厳司令官に任命して占領・統治を行なっていた。といっても、高麗軍には恒久的な占領をするつもりなどまったく無かったので行政活動には殆ど手をつけておらず“家に篭もること”を推奨する放送を流す程度であったし、占領下の街から脱出する市民に対してもなにもしようとしなかった。これは難民を押し付けて日本に圧力をかける意図もあった。
ともかく、その高麗兵はK2小銃を肩にかけて徴用した自転車に乗り朝の住宅街を駆けていた。そしてある角を曲がった瞬間、肩から血飛沫が飛んでそのまま倒れてしまった。高麗兵は咄嗟にK2小銃を構えようとしたが、今度は胸元から血飛沫が飛び、そのまま動かなくなった。
相手が動かなくなるのを確かめると、平坂2曹は隠れていた物陰から飛び出した。脈に手を当てて相手の死を確認すると、高麗兵の持つ小銃用弾倉を奪い取って、その場を後にした。
4日前に原隊からはぐれて敵の占領下の街に1人取り残された平坂は、ゲリラのような戦いをしつつ何とか生きのびていた。
すると空から轟音のようなものが聞こえてきた。平坂が空を見上げると、ミサイルが陸地に向かって飛んでいるのが見えた。
「巡航ミサイルか…」
それが高麗軍のさらなる攻勢の始まりを示す合図であった。
阿蘇山上空 航空自衛隊E-767AWACS
早期警戒を担っていた上空のE-767AWACSは高麗軍の発射した多数の巡航ミサイル、それと同時に活発化した高麗空軍機の動きを捉えていた。
すでに防衛省中央から“高麗が攻勢にでる可能性あり”と報告を受けていたオペレーターたちはその動きを見て、その時が来たのだと判断した。
オペレーターたちはまず鹿屋で待機中の海自の新型機であるXEP-1Cに出動を要請した。E-767にも巡航ミサイル探知能力が備わっているが、同時に高麗空軍機の動きが活発化しているのでそちらに集中したかった。なので巡航ミサイルは巡航ミサイルの専門家に任せることにしたのである。
そして各地の部隊にただちに迎撃部隊を出撃させるように要請した。
鹿屋基地を飛び立ったXEP-1Cは一気に高度を上げた。巡航ミサイルに対処するために配置されている各種部隊とデータリンクが繋がり、機体下部のフェイズド・アレイ・レーダーを起動させた。
「マイホーム、こちらアスター2。目標を捕捉した」
レーダーシステムは高麗軍が発射した20発以上の巡航ミサイルを確かに捉えていた。
XEP-1Cの下を1機の戦闘機が飛んでいった。同じく鹿屋から出撃したF-15FXである。XEP-1Cに比べると空中戦闘能力があり生存性が高いF-15FXは、XEP-1Cの哨戒線より前方に進出して巡航ミサイルを捜索する役割を与えられていた。そして搭載するフェイズド・アレイ・レーダーは見事にその役割を果たした。
「マイホーム、こちらクレイモア・ワン。目標を捕捉した」
コクピットに座る東條惣一3等空佐は新田原にそう報告した。
F-15FXを追って4機の戦闘機が続いた。第6航空団のF-15J改である。翼の下にAAM-4空対空ミサイルを搭載して迎撃の準備を済ましていた。
さらに新田原からもF-15Jが発進し、特異な動きを見せる高麗空軍に備えた。空における防空態勢は自衛隊が用意できるなかで万全の状態であった。
<クレイモア・ワン、こちらマイホーム。マグースチームを誘導せよ>
「ラジャー」
F-15FXはさらに海自機であるXEP-1Cに代わって友軍機を誘導する任務も与えられている。
東條は返答をすると通信機を機内回線にあわせて後席手に呼びかけた。
「どうだ?まだ追尾しているか?」
「大丈夫。くっきり映っているよ」
後席でWSOを務めるWAF(女性自衛官)である多々良弥生1尉が答えた。
「よし。最適な迎撃位置を割り出せ」
F-15の編隊は東條のF-15FXを先頭に一気に加速して獲物である巡航ミサイルに喰いかかったのである。
迎撃の主力となるのは第6航空団のF-15J改、マグースチームたちである。
「マグース・ワン。フォックス・ワン!」
4機のF-15J改がそれぞれの目標に向かって99式空対空誘導弾AAM-4を発射した。比較的遠距離からの発射であるので、F-15J改が自らのレーダーで捉えた情報を基にミサイルを誘導しなくてはならない。しかし、やがてAAM-4に搭載されたアクティブレーダーが高麗の巡航ミサイルを捉えた。AAM-4は撃ちっぱなし型ミサイルの本領をいよいよ発揮したのである。発射母機の制御下から離れ、各個に目標に向かうAAM-4。そして、空中にいくつもの爆発が生じた。
<4機撃墜!4機撃墜!新たな目標に攻撃を続行せよ>
XEP-1Cのオペレーターの興奮した声が無線越しに聞こえてきて、東條は微笑んだ。
「了解。引き続き迎撃行動を行なう」
F-15J改の編隊は次なる目標を探す。そこへ那覇からAAM4装備のF-2編隊も駆けつけた。
今度は8発の高麗巡航ミサイルが空に散った。
九州電力 南畑発電所
坂本峠の防衛線から国道385号線に沿って北上したところに南畑発電所がある。防衛線の一角を担っている南畑ダムから供給される水を利用する水力発電所である。
その先、国道385号線は緩やかなS字カーブになっているが周りには畑が広がっているので視界を遮る森が無く、発電所敷地内に設置された観測所は広い視界を得られた。
「来たぞ」
双眼鏡を片手に見張りをしていた隊員が叫んだ。S字カーブの先の方のカーブを戦車が曲がって来て観測所の視界の中に現われたのだ。
「K1A1だ」
1輌の戦車を先頭に歩兵隊を乗せていると思われるトラックが続く。時速は待ち伏せを警戒しているのか遅めで時速10km程度。それを有線回線で報告した。
第19普通科連隊防衛線
第2小隊の陣地にも高麗軍接近のニュースは伝わった。彼らを含めた第1中隊の守る防衛線に敵軍が突っ込んでくるのだ。
防衛線が敷かれている地点において国道385号線は急激なS字カーブを描いている。つまり2つのU字カーブがあり、上から見ると一定の区間の中に道が三つ、並行して並んでいる形となる。
第1中隊の防衛線は最初のU字カーブの中に設けられている。道路が並行に並んでいるその中間に川が流れていて、その川に沿った防衛線から対岸の道路を狙い、そこへやってきた高麗軍を殲滅する作戦である。北側から第2小隊、第3小隊、第4小隊の順に3個小隊が並列して対岸に睨みを利かせて、北側には第1小隊が予備として待機する。予備小隊は迂回して浸透してくる高麗軍に備えるとともに、可能ならば他の小隊の集中砲火で足止めした高麗軍に攻撃を仕掛けて粉砕する役割が与えられている。そして対戦車小隊の87式対戦車誘導弾は各小隊の陣地に分散、配置されて敵の戦車を狙う。
一方、第1中隊の後方、二つ目のU字カーブの中には第2中隊が控えている。彼らの任務は第1中隊を援護し、第1中隊が撤収する場合は次の陣地に移動するまでの時間を稼ぐことにある。
そして両中隊の軽迫撃砲小隊は一番後方にまとめられ、協力して火力支援を行なう事になる。
第2小隊の陣地は中隊の中で一番北側にあり、南下してくる高麗軍はまず彼らの目の前に現われるのだ。
<敵勢力は1個中隊。戦車2輌に支援されている。先頭と最後尾を戦車で守り、間にトラック縦隊が…>
敵勢について報告が次々と入り、その度ごとに緊張が高まる。隊員たちは入念に擬装が施された陣地の中から銃身だけを突き出して敵を待ち構え、小隊長の“撃ち方はじめ”の一言を待っているのだ。
そこへ戦闘の戦車が現われた。さらに徒歩歩兵が1個小隊ほど続く。
「偵察部隊のようだな」
古谷が呟いた。高麗軍はここを絶好の待ち伏せポイントと考えて、まず先遣隊を派遣して情報収集を行なうつもりのようだ。
問題は第1中隊の攻撃開始のタイミングである。敵の主力が来るのを待つか、それとも先に先遣部隊を粉砕するか。攻撃を仕掛ければこちらの防衛線が暴露してしまうのだから、判断は難しい。全ては中隊長の判断にかかっている。
佐賀市金立公園 第4師団司令部
標高501メートルの金立山の麓に広がる公園の森の中に師団の司令部が設置されていた。高速のサービスエリアにも面していて、業務用の出入口が開放されているので高速道路である長崎自動車道へ直接乗り入れることもでき、2つの峠の防衛線との連絡線を確保していた。
森の中に設けられた半地下式の司令部には各防衛線からの情報が次々と舞い込んでいた。そこで内海師団長は悩んでいた。
「385と263に1個中隊ずつ?後ろに大隊主力が控えているとかそういうことはないのか?」
385と263はそれぞれ国道385号線と国道263号線を示す。どちらも防衛線を通る道路だ。高麗軍は前原付近に2個連隊の兵力を揚げている。それが攻勢に2個中隊しか投入しないというのはおかしい。
「はい。斥候の情報や電子偵察の結果を総合しても、それ以上の規模の軍事行動は確認できません」
情報幕僚が手元にある事柄をすべて説明した。
「機動妨害システムの方はどうだ?森のあちこちに監視センサーを設置しているんだろ」
内海はシステム専属のオペレーターに尋ねた。
「センサーに動きはありません」
「他所での大規模攻勢を隠すための陽動か、それとも威力偵察か。もしくは我々の情報網を巧くすり抜けているか?どちらにしても、こちらの手の内は見せたくないな」
内海は西部方面普通科連隊と第19普通科連隊の連隊長に指示を出した。
第19普通科連隊防衛線
古谷は有線回線で中隊長からの指令を受け取った。
<敵先遣部隊を攻撃しろ。ただし第2小隊だけだ。小規模な前哨陣地と思わせろ>
「了解。交信、終わり」
古谷は優先電話の受話器を戻すと、小隊無線網の発信ボタンを押した。
「撃ち方はじめ!」
文中に登場する機動妨害システムの正体を知りたい方は、防衛省のサイトにアクセスして、“我が国の防衛と予算-平成21年度概算要求の概要-”をご覧下さい。