見上げた空に届くまで
あるところに一人の少年がいた。歳は十六、七で世間的には高校生の時分である。だが、彼は今学校には行っていない。同年代の多くの者たちが頭を捻りながら考査に臨み、友人と若き日の時間を共有し、青春時代というものを謳歌しているなか、彼はひとり街に繰り出しプラプラとあてどなく歩いていた。昼下がりの閑散とした街にいるのは老人と主婦くらいなもので、彼のような若者はへたな合成写真のようにぽつんと背景から浮き上がっていた。彼の住む街は人の顔が見えぬ都会ではなく、割合小さな街である。だから彼のような若者は今時分は目立つし、彼を知っている者も少なくない。
彼はなるべくそういった視線を気にせぬようにしながらばつが悪そうに歩いた。学校がなんだ、勉強がなんだ、どこへいってもそればかり。彼には居場所がない。学校にも、家にも、街にもどこにもない。誰もが彼に均一なものさしを押し当てている。そんな世界に彼は嫌気が差していた。
街にははぐれ者たちの集まる場所があった。彼らもまた、烙印を押された者たちである。少年は、居場所を求めてさまよい、彼らと出会った。今日も彼らと共に苦しき喜びを噛み砕く。
それは、別の日の昼下がりのことであった。彼はいつものように仲間たちと刹那的な時間を過ごそうとしていた。すると、どこかから歌が聴こえてきた。弱々しいが透き通った綺麗な歌である。見ると、公園のベンチに見知らぬ少女が座っていた。少女は空を眺めながらひとりで歌を口ずさんでいた。彼がしばらくその少女を見つめていると、少女は彼に気づき、にこりと微笑んだ。その笑みに、彼は久しい感情を覚えた。
「こうしてね、外で風にあたりながら歌うのは気持ちがいいの」
少女は涼やかな声で言った。彼は少女の隣に腰かける。美しい少女だった。歳は少年と同じくらいで、あどけなさの残る端正な顔立ちと、人形のような繊細な髪からは、穢れなき透明感が漂う。腰まである真っ直ぐな黒髪は風が吹くたびに美しくたなびき、儚い香りが鼻をくすぐる。その姿には、あらゆる苦しみを忘れさせる神秘的な風情があった。だが、彼女は病院で着るような患者衣を身にまとっていることに少年は気づく。
「きみ、どこからきたんだ」
少年はさりげなく聞いた。彼女は遠くの街から来て、この街の病院に入院しているのだという。少年には難しいことなど分からない。だが、たやすく済むような病でないことは分かった。
「でも退屈だからこうしてたまに抜け出しているの」
「いいのかい、そんなことして。身体に響くだろう」
「気分が悪くなったら身体も悪くなっちゃうでしょ。だからいいの」
彼女は微笑みながら言った。それからというもの、少年は毎日少女と公園のベンチで話をした。彼は、今学校に行っていないこと、そして、自分には夢があることを彼女に話した。すると彼女はそれを肯定した。抱擁するようにそれを優しく包み込んだ。夢や希望を持つことは素晴らしいことだと彼女は言う。誰からも認められなかった少年の夢を、彼女だけは認めてくれたのであった。
そして、彼女はいつも歌を歌った。そのたおやかな音色に彼は慰められ、励まされる。彼女と共にいるうちに、だんだんと彼のナイフの切っ先は丸くなっていった。だが、少年はようやく気づいた。彼女は、他者のあらゆる穢れを引き受けているのだと。自分の身を犠牲にして、他者を癒しているのだと。少年は、彼女を哀れに思った。彼女こそが夢を持つべきだと思った。
「きみの夢、きっと叶うよ。わたし、応援してる」
少女の言葉で少年は決心する。自分の思い描いている夢を、真っ直ぐに追い求めることを、二人でこの世界から抜け出すことを。この誰にも成し遂げられなかった夢を、現実にしてみせると誓った。それは簡単な道ではない。二人分の夢を叶えられるほどこの世界は優しくはない。だが、少年はもうひとりではなかった。世界でひとりぼっちだった少年は、少女と出会い、夢を追う力を手に入れた。そして、彼は他者の穢れを背負う少女を救う決意をもしたのであった。
「きみの夢は絶対に叶う。必ず叶う」
そして、彼らは鳥となった。どこまでも自由な二羽の鳥は、高い塀を飛び越え、群青の空へと羽ばたいていった。
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