異世界転生したけど幼女のヒモになった件-その2
続きました!
◇
1日経った。
ティベリスとの話を終え今後を考える。明日に館を出る事になっているのだ。
ティベリスから投資を受ける事が出来たが、投資額については都度都合してもらう事にした。
少量の投資額を複利で増やしていく雪だるま方式をするのが投資の基本である。失敗しても最初の掛け金を失うだけで済むからで被害額を抑えることが出来る。法人や個人事業主が採用している方式で時間が経つにつれて利益幅が大きくなるが、膨張と拡大の違いを判断する事が重要だ。
「懐かしの・・・か」
結局、人間社会で生きるのであればこういった事が必要なのだ。残念だが、何処に逃げても人間と関わる以上は。まぁ、死人の顔写真が載った紙片を集めるよりも金で出来た硬貨を集めた方がやる気が出る。
金の重さで潰れて死ぬ位稼いで後は隠居生活が理想的だろう。
時間的な期限が有るが私は何が必要とされ、何が売れるのかを知っているのだ。これはかなりのアドバンテージになるに違いない。
今必要なのは商売に関する知識。詰まりは明文化されている法律。スマートデバイスがあるので写真を撮るだけで良いが写真を撮る手間があるので早めに資料室に向かう。
資料室に着くと直ぐに本棚から法律関係の書物を漁る。机に持っていく手間が惜しいので本棚の前で写真を撮っていると資料室の管理人だろうか、緑髪の若い男が私に声をかけた。
「初めまして、何をなさっているのでしょうか?」
面識の無い人間だ。使用人と言う雰囲気は無く目の鋭さから私を不審者扱いしていることは自明であるが、私の行動を阻害していない所を考えると、私の事を不審に思いつつもリスクを考えて暴力的な行動に移していない理性的な男である。
私自身こういう男を山ほど見てきたので最小限の言葉で足りる事を知っていた。
「ええ初めまして、ティベリスに資料の閲覧を許可されていますヒロシと申します。本から知識を蓄えている所です」
真面目さが取り柄で仕事を熱心に熟す人間だ。社会の中で自ら商売をするというよりも安定した会社に入り真面目に勤務する事に価値を見出し、誰かに従う事を好む人間に対してはこれで伝わるだろう。
私の口からティベリスの名前が出たという事は私の行動自体がティベリスに許可されているという事である。大貴族の名前を出すリスクを分かっている人間にしか使えないが。
私の予想通り緑髪の男に正しく意味が伝わった様で男は頭を下げて下がった。
無音カメラのアプリを入れているので音はしないのだがこの部屋には影が差し、所々暗いのでシャッターを切っていたのが不審に繋がったのだろう。
私は20分ほど掛けて法律関係の全ての本を撮り終えた。法律関係の書類は煩雑で無駄が多い文面が多かったが、後で見返し単純化した物を清書すれば良いだろう。
この資料室には様々な文学の専門書が並んでいた。気になる学問も確かにあるが魔術書という現実的でない、ある種の妄想めいた書物を見た際に莫迦らしくなった。
幾つか目ぼしい書物でも見つけようと思っていたが如何にも良さそうな物を見つける事が出来なかった。
「いや、まてよ」
思えば、カラフルな髪色がある時点で非現実的だ。人の髪の色はユーメラニンとフェオメラニンの着色の結果から決まる。赤髪やストロベリーブロンドまでは劣性遺伝の特徴として目にすることはあるが、ティベリスの孫にあたるユーリ嬢の水色や先程の男の緑髪は科学的にあり得ない。
詰る所、科学的でない何らかの作用があるという事に他ならない訳だ。
……そう考えると、案外莫迦らしいと思っている魔術書や占星術書等は価値があるものになるのか?
つまりは科学を越えた奇跡的な変化を生命に与える事があるのであろうか?
魔術書の1つを手に取る。パラパラとめくると私には意味があるとは思えない様な難解で規則立った図と
暗号化されたであろう文字が書いてあった。恐らく秘匿性を求めた結果だろう。
魔術書の全てのページを写真に撮っておく。この世界には何かがあると少しだけ期待するには十分な資料であった。
用事も済み、資料室を後にする。
考えてわからない事は聞くか、解るまで放置するかが私の問題への取り組み方であった。
知識が増えれば何かが起こるに違いないのだ。
先程撮った法律関係の書類の画像を眺めてみると目につく悪法は無かった。今回の場合は短期間で儲けを得たいので法のグレーな部分を探す。法は元老院を含めた王が執行するもので、執行官は居ないという事と人頭税を納めていない人間は法の適用外になる事が印象に残る。
これは税を払っていない人間が盗みなどが出来るようになるという訳では無い。むしろその逆で税を納めない人間を法的に守らないと言う宣言である。当然ながら私は人頭税を支払っていない。人頭税を払っていない時点で最も弱い存在と言う事になるしこの国では奴隷制がある事は知っているので、私自身人狩りの対象になる事を察していた。
ある程度の法関係の書類を見終わると館を出た後の事を脳内でシミュレートする。
真っ先にやる事は人頭税の支払い。これには家族または保護者等の身元保証人が必要らしい。恐らく他国の諜報員を国内に入れないことを目的としているのだろう。それでも完全には防ぐことはできないが、手引きした人間が居なければ人頭税を払えない以上、1人炙り出せば纏めて尋問できるのだから効率的だ。このアクィタニア帝国は人種のサラダボウルとも言える程多数の人種が集まっている。基本的には中立国と言うよりも征服事業の結果とも言える領地の拡大がこの事態を引き起こしているのだが支配された国が従順であると言う保証は無く、むしろ強大な敵に対して爪を研いでいる時期であろう事は誰にでも予想が付く。戦争による恨みは根深く世代を交代した程度で晴れるものではない。
つまり、人狩りに会った際に売られるのは他国である可能性が高い。言うまでも無いが扱いは最悪であろう事は予想できるし法関係を調べた限り奴隷に対しての特別な取り決めが無いのだから、どのように使っても罰則が無い。売られた時点で将来が消える事が確定しているのだった。
次いで、商人ギルドへの顔見せ。全ての屋台の管理は此処で行うらしい。商会を展開させる規模によって国へ払う税が決まるらしい。店舗に関しても年間で土地税を支払うし商品に対しては持ち込み税や持ち出し税、場合によっては職人の斡旋及び商人からの買取りを行っている。商人ギルドはそれらを管理しているギルドであり、国や国民からの希望を商人たちに伝える事で何が足りていないか。何が過剰かを判断し物価の安定を図っている。つまりは帝国の金の殆どがこのギルドを通るのであった。
他に冒険者ギルドや宗教ギルド医療ギルド等といった商工業者の排他的な同業者組合は多い。ギルドとはつまり、身内で技術を独占し他者への参入を許さない事で利益を出す組合のようなものである。一応仲が良い悪いはあるらしいが基本的に互いに不干渉である事が大前提であるらしい。
こういった組合は年功序列が前提で腐敗が進んでいるのが定番なのだが、そこは多種族国家らしく国が雇っている監視用のの人間がかなり多い割合で各組合に居るのである程度は風通しが良いらしい。国としても技術の独占がどれだけの損害を齎すのかを理解しているのだろう。ここから考えられる事は貴族の権威がある程度通じるという事である。折角ティベリスとの縁を紡いだのだから有用に使わなければならないだろう。
さて、今後を考えながら厨房に着く。食事が妙に美味かったという理由で今日はティベリスとトラヤヌス夫人、ユーリ嬢の晩餐を任されているのだ。私もその席に呼ばれているのだが、時間の関係上、昼食は作る事が出来ないのでこの館の使用人に作らせることになった。恐らく毒味役とマナーを見られるのであろう。トラヤヌス夫人としては父が変な男に騙されていないかを試す機会になると考えられる。ティベリス自身領主の任から身を引いているのだから領主の名を使うのなら当然トラヤヌス夫人の許可が必要になる。領主の前であれだけの大口を叩いたのだから、試すのは当然だった。
ティベリスはもう完治と言っていいレベルにまで回復したし、態々晩餐と言う言葉を使ったのだから貴族用の食事を出しても良いだろう。
市内に買い出しに行くまでも無く大抵のものは揃っているのは流石貴族と言ったところか。
出す料理は決まっているがどれも時間が掛るので早めに準備する事にした。
冷たい井戸水にオレンジとグレープフルーツ、トマトを入れて冷やしておく。
大き目の鍋で牛乳1Lを45度程まで温めレモン液100mlをゆっくり掻き混ぜて温度を保ちながら15分間放置。固まった乳脂肪からカードを取り除き伸ばし丸める。これを熱湯の中で繰り返すことでモッツァレラチーズが出来上がる。チーズは冷めたカードの中で保存。
牛乳を小瓶に入れてとにかく振る。乳脂肪が固まりバターを作った。
鴨肉に似た味の肉を見つけたので肉料理として使う事にした。そうすると自ずとメニューは決まってくる。
鴨を絞め殺し肝臓を取り出す。肝臓と砂肝、肝に心臓を良く洗い塩をして2時間放置。その間に内蔵を抜き取った鴨を熱湯に通し羽を抜き取り仕上げに直火に潜らせ残った毛を焼く。肉を部位ごとに分け塩をしてこれも放置。抜き取った骨はオーブンで香ばしく焼いた後にセロリ、人参とで出汁を取る。アクだけ掬えば良い。これも1時間30分程沸騰させずに静かに煮詰める。
フランスパンを作る為、強力粉を酵母と水と塩で軽く混ぜ、2倍に膨れるまで水で軽く濡らした布をかけて放置。成型後2次発酵を済ませて後は焼くだけの状態にした。
玉ねぎを6つ程薄切りにしてカラメル色になるまでバターで炒め、4つ分を鍋に取り分け鴨の出汁を入れた後に10分程弱火で煮込む。これでオニオンスープの出来上がりだ。
この時点で塩を馴染ませた鴨の内蔵の水分を拭きニンニクとローズマリーと共に小鍋に入れる、内臓をオリーブオイルで浸した後、湯を張った大鍋に小鍋ごと入れる。これは弱火で1時間程でコンフィが出来る。後は仕上げに強火で香ばしく焼き上げるだけだ。
オレンジの果汁を果肉が入らない様に120ml程絞る。
砂糖を15gカラメルにして白ワインのビネガー23mlで色を止める。中火でビネガーの酸味を飛ばしてオレンジ果汁を入れ、先程取った鴨の出汁を120ml。粘度が上がってきたらオレンジの皮の油と白ワインを入れアルコールを飛ばした後バターを入れて乳化させ塩で味を調整する事でビラガードソース。味見するとオレンジのさわやかな酸味にキャラメルの苦みが深みのある味わい。本来はフォンドボーを使うのだが時間が無さ過ぎた。そも、香辛料が無さすぎる。基本の胡椒が無いので香草類で何とかごまかしている状態だった。
さて、ここからが大変だ。
卵3つを卵黄と卵白に分け、卵黄に砂糖を20g入れて混ぜる。牛乳35mlとオリーブオイル35mlを合わせ白っぽくなるまで混ぜ薄力粉60gをふるい入れさらに混ぜる。
卵白に40gの砂糖を分けて入れ8分立てのメレンゲにし卵黄の混合液を少しずつ入れボールの底から混ぜる。白く丸い陶器製の深皿に油を塗り付け生地を入れた後に200度に予熱したオーブンに10分入れる。表面のみ香ばしく焼き上がった生地にナイフで切り込みを入れオーブンの温度を180度まで下げてさらに20分焼く。焼き上がりは串で確認。生焼けの部分が無かったら冷まして常温になったら串で丁寧に型から外して完成シフォンケーキ。中央に穴が開いていないのでケーキ型で焼いたようになった。
このままフランスパンを焼き上げる。250度にオーブンを熱しオーブン内に水を入れ水蒸気で満たす。210度程度になったら20分間焼き上げて完成。冷めたら斜めに輪切りにして籠にいれておく。
オーブンに熱が残っているうちにオレンジの輪切りとオレンジピールを入れる。1時間ほどで乾燥し切り、オレンジチップとピールパウダーが出来る。オレンジを乾燥している間に生クリームを8分立てにする。
この時点で晩餐の時間前に近くなっていた。
私は小さめのトマトを分厚く輪切りにし塩を振る、その上にモッツァレラチーズをトマトの半分程度の重量になるように乗せる。チーズの上にはバジルを1枚。上からオリーブオイルと赤ワインビネガーで線を描く。それを1皿に2枚乗せアミューズのカプレーゼ。
鴨の内臓を油漬けし、ゆっくりと火を通したものを強火で焼き上げて、肝臓は1mm程に輪切り。白い皿の中央に3枚扇状に並べ、端にトマトの種の部分を除いて粗みじん切りにし上にセロリの若葉を乗せた物と前に作ったオレンジのマーマレードジャムの余りをティースプーンの半分ほどずつ散らしてオードブルのフォアグラのコンフィ。
オニオンスープは温めるだけだ。小さい深めの小皿に取り分け仕上げにバターを一欠け入れる。
スープを温めている間にグレープフルーツとオレンジの外皮と内皮を纏めて削ぎ切り粒にし、皿に風車の様に飾る。グレープフルーツには砂糖をそのままかけて、ソルベに当たる物にした。本来は氷菓だが氷が無いのでどうしようもない。色合いも黄色とオレンジの2色のみで単調になった。ルビーグレープフルーツがあればもう少し違っただろうが妥協。
フォアグラを焼き上げた油の残る鉄鍋で鴨胸肉の皮を格子状に切った塊をアロゼで肉の内部がロゼになるまで焼き上げる。ガルニチュールは6分の1にカットしたカブを葉を取らずにオリーブオイルでソテーしたもの。
鴨胸肉は6cm程に切り分け肉の断面が見えるように3切れ皿に盛りつける。皿の下部に弧を描くようにビラガードソースを流し、オレンジパウダーを鴨胸肉の断面にかけ、オレンジチップをビラガードソースの弧の終わりに添える。ソテーしたカブは鴨胸肉の反対側に添えて、アントレである鴨肉のロティ。
皿の中央に8分の1にカットしたシフォンケーキを乗せ垂れる様に生クリームを。デゼールのシフォンケーキ。
厨房にコーヒーが無かったので代わりに紅茶で締める。焼き菓子は焼いていないのでシフォンケーキと紅茶を同時に出す事にした。
本来はテーブルセッティングとして出される献立に合わせてナイフとフォークをセッティングした状態で食べ始めるが今回は皿と共に出す。輪切りにしたパンは籠に入っているのでテーブルにセッティングして貰う事にした。
調理段階で腕がパンパンに腫れあがている。なにもしなくても痙攣しているのでフルーツを冷やしていた井戸水で顔を軽く洗った後に腕を冷やした。自動機が無いので単調作業がかなり辛い。
しかし、これはトラヤヌス夫人を説得するための晩餐。態々ティベリスが晩餐と言う形で私の持つ知識を発揮する機会を与えたのは少なくともトラヤヌス夫人が投資に納得するだけのものを見せつけなければならないと謂う事だし、私にかなり大規模な資料室の閲覧許可まで渡したのは詰まりはこの国に対応して見せろと言うティベリスからの挑戦だろう。
当然の事ながら投資に値するものを披露しなくてはいけないし、ティベリスが求める未知を知らしめ旅人の持つ異文化をも感じさせなければならない。
異文化を感じさせながらもこの国の貴族に合う食事を作る。ティベリスとしてはエンジェル投資になるのだろう。人柄、性格、知識を見てファーストペンギンの利点を狙う事。投資家は数字で動くのだが、新しい技術については社会に受け入れられない可能性があるのだ。医療と言う国に無くてはならない物であっても既存の物を否定するのであれば相応の時間と人脈、金が必要であるので失敗する可能性の方が高い。だが、成功したらどうだろう?技術は独占。他社よりも時間的な有利を取ることが出来る。これはブランディングをする上でかなり重要な事だ。エンジェル投資はハイリスクハイリターンなのだからこの見極めが今後、私自身が受ける貴族からの印象につながるだろう。
トラヤヌス夫人の晩餐の為の着付けが終わったのであろう。メアリ嬢とギボンが厨房に戻ってくる。
「ヒロシ様。晩餐の準備はよろしいでしょうか?」
「ああ、準備は整った。料理に関しては全員が食べ終わり次第次の皿を都度運んでくれ。配膳はワゴンで空の食器は次の皿を運ぶ前に回収。順番はこうで・・・食器は皿と同時に出して欲しい」
食事中は席を立てないのでメアリ嬢とギボンに配膳を頼んだ。地頭が良い事は知っているので直ぐに覚えられるだろう。
「はい、解りました。紅茶はデゼールの直前に淹れますので」
「頼む」
緊張しているのだろう。自身でも口数が少なくなっている事が解る。ティベリスとの会話は出会い頭がアレだったので気の合う友人を演じた。トラヤヌス夫人については貴族との会話になるだろう。
この緊張も仕方ないとは思うが、今後を考えると万全で商売を始めなければならない。緊張は胸を張り姿勢を正して飲み下す。ギボンの案内でダイニングルームに向かう。ギボンがダイニングルームに入る前に扉をノックすると中からティベリスの入室を促す声が聞こえた。
案内されたダイニングルームは大人数でパーティーをするような大きさでは無く、貴族が使う長机に豪華な椅子と言うものでもなかった。
白を基調とした部屋にはクリーム色に白色の花を模したような壁紙。暖炉は白い石で彫刻柱が彫られ上には金の額縁にティベリスの姿絵。両端には桃、紅、黄、白、青の花が美術性の高い花壺に生けられている。グレーに近い緑のカーテンの近くには深いウィスキー色の飾り棚。中には金の聖杯のようなものに複雑な模様が描かれた花瓶。黒い8人用のテーブルの中央には生け花が飾られ、上を見れば豪華すぎないクリスタルのシャンデリアに火が灯っていた。
察するに家族用のダイニングルームであろう。席の上座にはティベリス。ティベリスからみて右隣にトラヤヌス夫人。トラヤヌス夫人の左隣にユーリ嬢。恐らく入り婿が居ると考えられる。
私はティベリスとの対面。下座に座る前に椅子の横で一礼して挨拶する。
「お招きに預かり・・・と言った方が良いかな?」
ティベリスは随分嬉しそうに笑う。
「お前にアクィタニア帝国貴族の礼をせよとは言えんよ」
私はニヤリと笑い言った。
「では、お前には之で」
次にトラヤヌス夫人に向かい右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す、ボウアンドスクレ―プで挨拶する。
「ご婦人。末席に失礼いたします。改めましてナイハラ・ヒロシです。本日は私の故郷で貴族に当たる方々の為の食事をご用意いたしました。是非ともご堪能ください」
嘘だが。こんなもの誰でも食べる事が出来る。が、物は言いようだ。対して価値のないものでも如何にも大事そうに抱えている人間が居れば何となく価値がある物に見えてしまうのと同じである。
長い行列が出来ている店が如何にも素晴らしい名店の様に感じる人間の心理であった。
トラヤヌス夫人は扇子で口元を隠し笑いかける様に言った。
「ええ、お茶会ではあまりお話出来なかったから。貴方とお話するのを楽しみにしていたのよ」
笑顔とは本来・・・。さて、貴族様の内心は解らない。晩餐の席で話せと言う事に違いないがティベリスの館を離れ、別の土地で行動を許されている時点で優秀な人間である事は確定的だ。投資させるには彼女に納得してもらう他ないが、女性には恐ろしい事に感情論と言う手段がある。
大前提が彼女に気に入られる事。この場はそういう席だ。
次にユーリ嬢に対して礼をする。親の警戒を無くすには攻略しやすい子にも注意が必要だ。
「恐縮です。・・・お嬢様2日ぶりですね」
子供にはなるべく笑顔で。
「・・・うん。また遊んで」
電子ゲームに関して、特にアクションゲームには中毒性がある。激しく光る画面と音は俗にいうパチンコ依存症と同じで聞けば聞く程中毒になりやすい。なぜなら短く単純な音を繰り返し聞くことになるので無意識化にその短い音が刷り込まれるのだ。これが続くと音の聞こえない空間に居ても刷り込まれた音が聞こえるようになる。寝る前に特徴的な音楽が脳内で流れるイヤーワームと呼ばれる現象もこの刷り込みからくるのだ。更に人の興奮を促す電子発光はより強く刷り込みを行う。子供が何時間もゲームにのめり込むのはこの依存性が重たる原因である事は誰もが知る常識であった。
「ええ、機会があれば勿論。本日のデゼールは甘いものが好きなお嬢様の為に作った物です。お気に召しましたらご購入の検討をよろしくお願いいたします」
私は頭を下げる。
「・・・くるしゅうない?」
ユーリ嬢は7歳。自我が芽生え、アイデンティティの確立で、中間反抗期とも言われている7歳反抗期は子どもの口が達者になり、親に対しての口答えが激しく、言葉で親に対抗してくるのが特徴だ。丁度、自立を目指す時期で親の世話を嫌がる時期である。
一人でできるという自信や、親の手を離れ自由にしたい等の気持ちの表れが出てくる時期でもある。
私は今回其処を突く。
要は領主の真似事をさせてやれば良いのだ。それがごっこであれども。しかし、この行動は親の不信を買いかねない。親としては子供を利用する為に近づいた様に見える事も多いのだ。そう考えると次の行動も決まってくる。
私はティベリスに向かってウィンクをし、それをトラヤヌス夫人にも見えるようにした。
これを見た人間は明らかに何かを伝えたのではないかと思い込む事だろう。トラヤヌス夫人からして見ればティベリスに何かしら命令され、ユーリ嬢が喜ぶように配慮したのでは無いか、と考えて欲しかった。
親は子供が絡むと途端に考えが左右される。子の為ならば、ある程度の損害は視野に入れずに助けるし、子を任せるというのは親としてその人間を信用していると言う証であった。
ティベリスが私にユーリ嬢のご機嫌取りを指示したという事を勘違いさせる事でティベリスからの信頼を勝ち取っていると言外に伝える。
その為の行動である。幸いトラヤヌス夫人は私を見極める為に私に対して観察の目を向けている。細かい行動に対しても機敏に察知するのは貴族としての技能に関わる所であると私は考えているので十分伝わったのではないだろうかと思う。
今日の晩餐で行わなければならない事はトラヤヌス夫人へのプレゼンだ。彼女を納得させなければ私の今日の努力が全て水の泡になる。
私は自分の机に配置していたベルを鳴らし、メアリ嬢とギボンへ最初の配膳の合図をした。
彼女たちが配膳し終えると私は料理の説明をする。
「アミューズのカプレーゼです。上に乗った白い塊と下の果実の組み合わせを楽しむ皿です。白い塊はチーズと言って牛の乳脂を固めたもので、発酵させれば9カ月程保存が可能ですので私の国では冬の間の保存食として食されてきました。地域毎の種類も豊富ですが今回は最も癖のない物を選びました。机に出ているパンはお好きなタイミングでお試しください。無くなり次第補充するように指示してありますので」
一応毒味をアピールする為に先に食べる。国ごとに味が違うトマトを楽しむ為には之が良いだろう。
ティベリスとトラヤヌス夫人の反応は良い。どのように利用されているかを説明に含め、食べて貰う事で領内での発展に如何に貢献できるかを示す。察するに貴族は食事の間は話さないのだろう。
私は態とこの国に存在していない言葉を使っている。アミューズ等の専門用語の事であるが、これは異国感を出す為にやっていることで、要は雰囲気作りである。
全員が食べるのを見た後に次の皿が運ばれてくる。メアリ嬢とギボンは良くやってくれていた。
「オードブルのフォアグラのコンフィです。周りのソースをお好みの量付けてお食べください。コンフィは食材を油漬けにする料理でこちらも作り方にも依りますが、長いものだと丸1年程の保存が可能です。野菜や肉、魚等を何処でも食べる事が出来る様になります。特に魚は鮮度の問題が付き纏いますので私の国では海の無い内陸で魚を食べる為の技術の1つでした」
私は周りのマーマレードと共にフォアグラを口に運ぶ。味見で解っていた事だが油の乗りは悪い。しかし、野生の鴨の健康的な肝臓は無理やり肥大させた脂肪肝とは別の旨さがあるのだ。バターを使っても良かったが油物が続くとティベリスの体調が悪くなる可能性があるので、オリーブオイルでソテーしてある。
これはユーリ嬢が主だった反応を見せた。解り易い旨味だったのだろう。
「スープのオニオンスープです。卓上のパンと合わせて食べる物に仕上げています。浮いている油は乳脂を分離したバターと云う物です。用途の多い油でパンやソテーに使用する事で旨味を加える事が出来ます」
私はパンを1口に収まる程に千切り、口に入れた。そのままスープを流し入れる。
ハードタイプののパンを薄く切ったのだが、外側の皮の部分と内側の食感の差が塩味を引き立てて良く出来ていると思う。この館で食べたのは丸く、噛んだ瞬間に加熱し切っていない小麦粉が口に纏わり付く物であった。この技術は評価されると確信している。単純で素朴な味はどこの国でも歓迎されやすいのだ。
「ソルベのフルーツです。口直しの為の皿になります」
本来、魚料理のポワソンの後の口直しで冷たいシャーベット等を出すものだが魚も氷も無かったので仕方ない。なるべく目新しさを出すために砂糖を掛けたグレープフルーツを出したがオレンジに加工の手間を掛けていないので正直不満が残る。
食事の間に甘いものを食べる変わった習慣があるという事を示す事で食文化の違いを示す事を目的にしている。
「次の皿はアントレの鴨肉のロティになります。ビラガードソースと言うオレンジで作ったソースを合わせてお召し上がりください」
異国で自国の文化を披露するのは存外の不安感があるが、貴族のマナーとして不味くても如何にも美味そうに食べなければいけないという演技をされていない限りは大丈夫だろう。
と、言うよりも正直な所、美味い不味いは現在関係無い。食材を長期保存する事が出来ると言う事を伝えるのが最重要である。
長期保存の技術は人類が誇るべき偉業の1つである。手法や優劣は有れども、生きる為の手段の一つである事に違いなく、この世で生を紡ぐ手段を評価しない愚鈍さを持つ貴族が居るならば無能の極みである。
貴族として評価せざる負えない物を出す。当たり前だ、私は満点を狙っているのだから。
万人がその利益を享受できるものでなければならないし、そもそも異国の食文化は忌避され易い。
誰にでも好きな食物がある。そして、自分が好きな物が他人も好きだとは限らない。勿論、晩餐では自分が美味いと思っている物を出しているが、その点を考慮すると如何してもこの様な形に落ち着くのだった。
全員が食べ終わると最後の皿がティーセットと共に運ばれてくる。
「最後の皿、デゼールのシフォンケーキになります。白いクリームと共に生地を食べる茶菓子の1種です」
全員がシフォンケーキを1口食べた所で私は更に続けた。
私の演説が始まるのだ。緊張から来る唇の渇きを誤魔化す為に紅茶を1口だけ口に運んだ。
「この国は、農畜が共に盛んで羨ましいです。私の国では国土の関係で畜産物の規模が小さかったので、本日、多く使用した乳製品は畜産を行う関係者か貴族しか食べる事が出来なかったのですが、アクィタニア帝国では多くの市民が畜産物の恩恵に預かっている。私の国で貴重と尊ばれてきた食材達が当たり前に消費されている様はある種の爽快感を覚えました」
言外に市民でもこの食事を摂る事が出来ると伝える。
自国では贅沢品だったこの食事がアクィタニア帝国では安価に手に入ると言ったのだ。
「正直、この様な食事が出てきた事に驚いたぞ。私が臥せている時は滋味溢れる味であったと記憶しているが」
位が上の人間から話すのだろうか。それともティベリスのが気を利かせたのか。
「暑い時に飲む冷たい水が、寒い時に飲む温かいスープが身に染みる様に、病に臥せている時はああ言った薄味で素材が生きている料理が良い。消化するのに体力を使わない、病人食という物だ。今回は晩餐と言われたので味が濃厚な物を用意したのだ。全て保存食で作った物だから味は濃い」
「成程、アクィタニア帝国では塩漬けや砂糖漬けが一般的だが、確かに新しい手法だ。それに、保存食とは思えぬ程味が完成している。お前の国の貴族が食べる晩餐と言うのも納得できるが……何故お前が作れる?お前が旅人であるとはお前自身から聞いている。しかし、お前を見ていると、とても旅人とは思えん。食事中の礼儀はこの国でも通用するものであったし、トラヤヌスへの礼も旅人がする物真似ではない。アクィタニア帝国の礼とは違うが、動きが洗練されている。一日二日で出来るものでは無いな。この問いには正しく答えよ、ヒロシ。お前は貴族であったのか?」
他国の貴族が居るとそれ相応の対応をしなければ為らないからこその問いだろう。国家間での衝突は戦争に繋がる。アクィタニア帝国は大陸を征服した強大な国であるという事はメアリ嬢との会話から聞いていた。そう考えるとアクィタニア帝国が知らない技術は大陸内にないという事になる。つまり、ティベリスは私が海の外からやって来たと考えているのではないだろうか?
私は、食事最後の説明で畜産物が少ないという事を話した。そこから海を連想したのではないだろうか。畑を耕すのも移動するのにも畜産動物は必須なのだ。全ての国民に農耕の義務を負わせているアクィタニア帝国からしたら、そう考えても仕方ない。
未開の土地の未知なる技術。征服事業を行うアクィタニア帝国にとっての脅威に他ならない。
私がするべきは……。
「否。餓えの無い国から来た旅人である。抑々貴族が料理を行う事は無いだろう?」
誤魔化している振りをする。
別段、自身の事について隠す物など無いが、相手の勘違いを誘う為だ。人間は理論的な話を信用したがるが、それと同様に奇跡や偶然を信じたがる生き物でもある。
今後の私の目標を速やかに達成するためにはそういった神秘性も必要なのである。
「無い。が、その服は貴族が着る服よりも1等優れている。絹だな?銀糸で服を作った方が安く付く。ネックレスも腕輪も金。腕輪に至っては時間を刻んでいる。この部屋に飾られている小型の時計塔を見たな?アクィタニア帝国ではあの時計が最新だ。貴族の威光を示し、他国を圧倒する技術の結晶だ。何が言いたいか解るか?お前がアクィタニア帝国大貴族であるこのティベリスに見せている物が何であるのか解っているのか?」
ティベリスは興奮していた。顔が赤くなり必要以上の言及。明らかに未知への興味ではない。ティベリスと初めに茶会をした時の反応と明らかに異なっている。最初に会った時の余裕が完全に消え失せているのであった。
恐怖から物を知ろうとするのは人間の本能だ。火を有用に使い夜の恐怖を打ち払い、星を支配するにまで至ったのは未知を払う為に得た恐怖に対抗する知識である。
本能を剥き出しにしたティベリスがそれでも対面的に理性的で居られるのは貴族であるが故だろう。
「物が優れていても人が優れているとは限らんよ。お前が何に怯えているのかは分からないが、敵なら縁を繋ぐ意味が無いだろう?」
老化すると感情が制御できなくなってくるのは何処の国でも同じらしい。
「なっ!」
トラヤヌス夫人の声が響く。貴族に対しては余りにも無礼だったのだろう。しかし、言わなければならない事もある。ティベリスとは対等な協力関係にあるのだ。トラヤヌス夫人は未だ意識的にでも無意識的にでも私を下に考えている。貴族としては当たり前ではあるがティベリスと対等である事を彼女に言外にでも伝えなければ詰まらない事で行動を制限されかねない。
「怖がるな。この国で路銀を稼ぐ為に支援を貰うのだ。お前に危害は加える気はないよ。私は、人々が喜ぶものが金貨を呼ぶことを知っているのだ」
優しく、言う。
私が金を稼ぐ事を前提とした行為を今後行っていくと言う方針も示した。
貴族に対してこの物言いは失礼だろう。解っているが、ティベリスの様な生涯知識を求め、理論的な考え方をする人間の思考パターンは知っている。私はこの晩餐である程度の知識を見せ、それが有用である事を示した。アクィタニア帝国に無い技術を見せつけ、それが明らかに高度な技術を伴う物であった。
ティベリスは私を手放せない。医療改革の約束をした後に技術の違いを見せつけアクィタニア帝国との文明の差を確信させた。今後を考え、国の発展を望む貴族で理論的な思考を持つ人間が私を手放す時は、私から全ての知識を奪った後になるだろう。
そして、その時に私は殺される。
私がティベリスと同じ立場なら絶対にそうする。利益の前に大抵の人間関係は無視されるからだ。
私はそれに対する対抗策を練らなければいかない。
もう思いついてはいるのだが、時間が掛る上に人材と金とコネクションが必要だ。そも、この国に根を張る気なら貴族に無礼を働く事など出来ない。
どうせ、いなくなる。と言う前提在っての余裕だ。逃げ道があった方が精神的に大胆に活動できる。
「ヒロシ。貴方は知らないでしょうけど、お父様は未だ帝国軍部に影響のある指導者なのよ。だからこそ帝国が医療貴族を呼んでまで助けようとしていたの。帝国が呼んだのよ?貴方は帝国軍部の指導者に怯えていると言ってしまったのよ。不敬罪になる可能性だってあるの。それを分かっているの?」
トラヤヌス夫人からの叱咤である。
つまりティベリスは、帝国が恩を売る程に気を使う人間であるという事。軍部出身だからこそ自身の生死にあれ程執着が見られなかったのだろうか?
いや、待て。
あの貴族を差し置いて私に処置させたのは帝国からの恩を受けたくなかったからか?それともあの貴族がティベリスを殺そうとしていることを察していたのだろうか。
何方ともあり得る話だ。指導者の命を救ったとなればアクィタニア帝国が今後防衛のための戦争をする場合に指導者であるティベリスを戦場に引き出せるし、
例えばティベリスが指導した軍部。所謂ティベリス派閥が帝国軍部で力を振るっていた場合、敵対派閥から医師を派遣して殺す事も十分有り得る。
トラヤヌス夫人は医師を帝国が呼んだと言った。あの医師が敵対派閥からの刺客であった場合でも皇帝が派遣したという事実がありさえすれば責任に問われる事が無いのだろう。何せ、皇帝が派遣したのだから、責任の所在は皇帝にある。
私が敵対派閥ならティベリスの屋敷に向かうティベリス派の医師を殺し、代わりに偽物の医師を使う事で医療ミスによる殺人を成立させる事も有るだろう。先程の、ティベリスの興奮具合が如何にも引っかかる。鎌掛けてみるか。
「トラヤヌス夫人。お言葉ですがティベリスとは対等な関係を結んでいます。ご理解ください」
申し訳なさそうな顔を作る。
正直、多少トラヤヌス夫人からの好感度を多少下げてでも確認しなければならない事が出来たのでこれで黙らせる。緊急性の高い問題が浮上したのだから仕方ない。
「ティベリス。どちらだ?」
「ん?何を言っている」
「私も隠していることはある。全てを曝け出すほどお前を信用している訳では無いし、お前もそれは同じであろう。言えない事ならそれで良い。だからこそ聞くが、あの医療貴族はお前の派閥か?」
ティベリスは考えるそぶりを見せる。この時点である程度確定したようなものだ。
「…………。」
ティベリスは無言で答えた。
「トラヤヌス夫人にはもう話したのか?」
「まだだ。そも誰にも話す気などなかった」
ティベリスは諦めたような表情。
トラヤヌス夫人が目に見えて動揺している。今起きていることが解っていない様子であった。
大分きな臭い話になって来た。ある程度ドロドロした貴族社会は想像していたが、早速その沼に片足を突っ込んでしまったのだ。自分の運の無さにはびっくりする。
私は笑顔でユーリ嬢の方を向き話しかける。
シフォンケーキは全て食べられていた。話をしていた大人陣とは違うのであった。
「ユーリ嬢。デゼールのお味はいかがでしたか?少々大人の味であったと思うのですが」
自立を求める年齢だ。大人っぽい事に憧れて行動する年齢であるが故にこう言った。
自尊心を刺激する事で今後の取引をしやすくする。
「おいしかった。また作ってくれる?」
満足したらしい。万人受けする味なだけあった。
「ええ、勿論。ご注文いただければお作り致しますよ。ご婦人もお気に召したら是非ご注文ください」
先程の空気を霧散させるように明るく振舞う。全員がデゼールを食べ終え今回の晩餐はお開きになった。
私はユーリ嬢が部屋に帰ったのを確認した後、席を立とうとするティベリスとトラヤヌス夫人を呼び止める。
「失礼、ディジェスティフのホットワインが残っていますが如何いたしますか」
あの話の後だ。お前たちの話し合いに私は必要かと言外に尋ねた。
「……そうだな。此処で話す事では無いだろう。私の部屋に持ってきてくれ」
私の質問は正しく伝わったのだろう。少ない時間で思考し真意を汲み取る技術は流石、大貴族と言えた。
私は厨房に戻るとワインを小鍋で温め砂糖とオレンジピールを入れる。
彫刻が美しい金属で出来たワインゴブレットの7文目まで温めたワインを入れた。
「ティベリスの部屋だったな」
私は3つの杯を持ち、ティベリスの部屋に向かう。
敵について考えてみよう。
一般的に征伐後の人の倫理観は薄い。戦後は犯罪が多くなる傾向にあるのは、壮絶な戦中に於いて人間の倫理観が邪魔になるからであり、それらを捨てられない人間は須らく死ぬ傾向にあるからである。
言うまでも無しに現在、このアクィタニア帝国は征伐を完了し支配した国の技術を享受している状態であるが、人間の狂った感性は長い期間を以って修正していくものであり、詰りは征伐を指揮していた貴族でさえ、その倫理観と言う理性が薄れている状態であるという事が解る。
利益を目の前に吊るされ暗殺を企てた豚か、征伐による倫理観の喪失で損得でしか物事を考えることが出来なくなった狂人か。それともティベリスの誅殺か。
理由は幾らでもあるが、唯一許されない点がある。
「この私の利益に喰い込むような事をしてやがる」
別段、ティベリスが善人だとは思っていない。貴族なのだから利益の為に他人を貶める事など数えきれないほどあるのだろう。しかし、しかし。
私の。
この私の邪魔をしているのだ。
消えて貰わねば。
私は私に不利益を齎す人間を許したことは無い。そう在るべきとも考えている。
私の考えが変わらない以上、私の行動は変わらないのだ。
ティベリスの部屋に着くと軽くノックをし、中から返事を待つ。
入室の許可を貰い中に入るとティベリスとトラヤヌス夫人が座っていた。他の従者が居ない以上、機密性の高い会話になるのだろう。
「失礼する。して、ティベリス。詳細を」
挨拶など早々に席に着く。配膳し終えたホットワインを1口飲み込み、ティベリスに会話を促した。
ティベリスは神妙な顔で髭を擦り、ため息と共に言葉を吐き出した。
「先ず、トラヤヌス。私の娘。このティベリスはお前に何も言わずにいるつもりであった。世界には知らない方が良い事も在り、知った所でお前の心を蝕むだけであるならば、お前がこの会話に混ざる必要はない。私はお前が幼少の頃から正しい貴族で在ろうと努力している事を知っている。だが、今からする話はお前の理想を消し去ってしまうだろう。之が最後の機会である。席を立ち、晩餐での話は忘れるが良い」
トラヤヌス夫人は晩餐から焦燥している様に感じていたが、この会話までに落ち着きを取り戻したのか平然としていた。
「では、何故。この旅人にだけ話そうとするのですか?彼は貴族でも、屋敷の人間でも、ましてや家族でも無いではありませんか。お父様と気が合うのは知っています。たった2,3日程度の交流で貴族の傘下に入れるなど、余程気に入ったと謂う理由が無ければあり得ません。しかし、気に入ったと言うだけで、家族にさえ話そうとしなかった事を、何故話そうとするのですか」
「ヒロシは私の状態と帝国の人選、先の晩餐での会話から確定的に察して居ただろう。この国の人間でも貴族でも無いのにだ。それがどれ程難しいかお前には解っているのか。貴族の生まれであるお前が察する事が出来ずに旅人の、この屋敷にたった2,3日しか居なかった人間が私の考えを言い当てたのだぞ。一言も話していないのだ。話せる筈が無い事をだ。トラヤヌス、お前はヒロシの能力を見縊っている。それが、旅人と言う身分からか此奴の性格を理由にしているのかは判らないが、身近に居たお前が察する事が出来なかったのだのだぞ」
悲痛な叫びのような声はティベリスからの評価である。アクィタニア帝国よりも高い文明力で脅して来たかいがあるという物だ。
恐怖とは未知から来るものである。自分で頭が良いと思っている人間ほど、単純な物を複雑に捉え必要以上に恐怖する。
相手よりも精神的に上位に立つのは基本中の基本。貴族に対して不遜とも取れる態度が幸いした瞬間である。無言の説得力と言うものがあるのだった。
ある程度、経験や歴史からこういった理由だろうと言う予測は立てられる。見当違いの可能性も高いが鎌掛けは成功であった。
「簡単な推測だ。何処の国にでもある事だから恥じずとも良い。それとご婦人、お聞きにならない方が良いと思いますよ、貴女は素直な方だ。この話を聞けば貴女は精神を病んでしまうかもしれません」
忠告しておく。
人間はたとえ其れが自分の為の忠告でも抵抗があり、僅かに嫌悪を示す。つまりは忠告の逆の行動をとりやすいのだ。私の場合は特に先程の無礼がある。気に入らない人間の言葉に耳を塞ぐのは身分関係なく誰しも同じである。
現状を鑑みるに、貴族騒動に巻き込まれる可能性がある。余計な頼みをされた場合に夫人を利用して私の介入を否定させる事が出来るかもしれない。
「いいえ、お父様。私とて覚悟を決めて貴族として生きているのです」
「そうか」
恐らく、夫人は【綺麗な貴族】なのだろう。
高位の貴族で在るから、周囲に悪意から守られ育って来たのだと想像できる。
だからこそ、困難に対して真正面から立ち向かおうとしているのだ。
私とは違う育ち方にある種の妬ましさを覚えた。自分の生まれを嘆いている訳では無いが、誇らしいと思った事は無い。
ティベリスは続けて話し始めた。
「このティベリスが若かりし頃に親友とも呼べる男が居た。名はアリウス・クライス。共に征服の戦場を駆けた男であった・・・。」
ティベリスの話を纏めると戦場で友人を見捨てて殺し、友人が考え出した兵士の訓練方法を皇帝に提出した事で帝国の軍部指導者になったと言う話だった。
長年、その兵士を壊さない手法を指導者として振るって来たが為に兵士からの信頼は厚く、本来であればクライス家として皇帝に献上する筈だった手法を盗まれたが為に、ティベリスを憎む派閥が誕生した。
ティベリス自身、その事について負い目を感じているので大人しくしていたと思っていたと言うのが彼の吐露した心情だった。
事実だけを連ねるならばティベリス自身の心の弱さ故の過ちだと思うが、戦時下で友人が自身の命の代わりに救った民兵の話や平民を潰さない訓練方法を考案する辺りその男の性格は判る。
長い付き合いの内でその男の性格をよく知っているティベリスが、男の遺産とも言うべき訓練法の話を聞いていて、それを広めたのは不自然ではない。
私には何故負い目を感じているのか理解できない考え方だった。
アリウス・クライスが家族にその方法を伝えていたのなら、何故親族が皇帝に真っ先にその方法を献上しなかったのかが問題になるし、ティベリスのみに伝えていたのならば自身が死亡した場合、ティベリスが皇帝に献上するのはアリウス・クライスの望む部分である筈。
ティベリスの敵対派閥になったと言う事は家族はその訓練方法を知っていたからに違いない。では何故真っ先に献上しなかったのか。
私が想像するに御家問題。
ティベリスは相手方の問題を擦り付けられた可能性が高い訳だ。
または、従来と違う訓練法に正当な評価が出来ず、後に之が評価されるに至った事による嫉妬か。
ティベリスが私にこの話をしたのは、彼なりの誠意だろう。私が想像する以上に貴族社会は複雑であった。
利益に準ずる私が立ち入るのには損失と利益の天秤が損失に傾いている様に思える程に。
ティベリスを隠れ蓑にするにも、隠れ蓑に火の粉が付いていたのならば何時発火するのか判らない。
彼は今、私に覚悟を問うているに違いない。『それだけの厄介事が在る』と。
いざとなったら逃げる心算でいるが、商売の基本は積み上げる事。
長期運用前提の商売が出来なくなるが、これはかなりの痛手だった。
ティベリス傘下と言う事はクライス家と明確に敵対する事になるのだから、その対応も必要。
しかし、
この国で商いをするのであれば、権力者の介入が邪魔になる。
要は、帝国の首都である所に館を構えるのは貴族にとってのステータス。その貴族連中の庭で商売をするのであれば大々的な事は出来ない。貴族の庭を踏み荒らす事になるからだ。
始めは良いが、中期的に考えるなら気にしなければならない問題だった。ティベリスと言う渡りを付けられたのだ。私の商いを金持ち相手に出来る可能性を捨てるには余りにも惜しい。
面倒が嫌い。名声は要らない。が、現金は欲しいと言う人間は現代にも多い。
逆なのだ。
人は利便性に金を払い、名声に寄ってくるのだから、金を稼ぎたいならその両方が必要になる。
私は小金を稼ぎたい訳では無い。
少額で事業を始めるのなら名声で人を集め、集まった人間に利便性を売りつける。
商いだけではなく、投資や起業の基本だった。
「面倒を擦り付けられたな?」
「私の贖罪だよ。親友を見捨てた私のな・・・。私は誠実であろうとし続けた。かつての親友の様に」
負い目からの行動か。
「まだ、死ぬなよ?死ぬなら何かを遺して逝け」
こういった手合いは自分の感情を優先する。
だからこそ、自分の思っている事を素直に伝える事にした。
感情を吐露している弱った人間に対しては、さり気無く目標や励ましの言葉を与えるのが良い。
人間は自分に都合の良い部分しか聞こうとしない。
知識人の場合、明らかに励ます言動をするよりも、さり気無い気遣いの言葉の方が良く響くのだ。
『死ぬなら何かを遺して逝け』つまりは『未だ、何も遺していない』。
死ぬ事を否定し、行動を促す言葉だった。
今後の付き合いに積極性を持たせたいが故の発言。ティベリスの目標は何か知らないが私の【目標】にすり替える事が出来るかもしれないのだ。
ティベリスが目を見開く。こう言った言葉を言われたことが無いのだろう。
「友の訓練法だろ?お前も何か生きた証を遺せ。人は死ぬが偉業は消えぬ」
ティベリスの心に火が灯るのを感じる。私を見つめるその眼が、まるで懺悔をするかのような弱者のそれでは無く、さかんな精力に燃え立つ人間の眼になったからである。
私はその為に存在する。
何も遺せず、路傍の石の様な人生を歩む人間が居る中で,荒野の中の1塊の黄金の様に光り輝く偉業が確かに存在する。
歴史に名を刻むのだ。
人類史は戦争で死んだ雑兵や何もしていない民草を記さない。
語られ、紡がれるのは何処の国でも偉人の人生だ。
未来永劫語り続かれるであろう偉業を遺す。私の生来の目標であった。
目標の無い人生は絵の描かれていないキャンバスの様に無価値だと知っているのだった。
「ヒロシ、私はお前が成す事を見てみたい。お前は技術の優れた国から来たに違いなく、的確で均整の取れた精神を持つその心性が、私に利するに違いないからだ。もう、やる事は決まっている。私も、お前も」
力ある目で私を睨む。少なくとも出会って僅かの人間に向けるような目では無いが、信念のある人間にしかできない眼差しであった。
私は笑い彼を見つめ返す。
「違いない。見物料は頂くが・・・特等席で見せてやろう。私の偉業を」
◇
さて、啖呵を切ったは良いが投資をして貰う以上は後々返却する金は少ない方が良い。
しかし、当然の事ではあるが大規模に事業を起こした方が大金に繋がるのは事実。ティベリスの伝手で貴族相手に商売が出来るにしても、高潔な客に物を売るのには実績が不可欠である為に私はフランチャイズ形式の商売を考えている。
先ずは市井に名を売る事が先決であった。
翌日、ティベリスに連れられ人頭税を支払った後、商人ギルドと宗教ギルド、医療ギルドで登録を行う。
貴族の権威は通じたようで何処のギルド入会にも費用は掛からなかった。
面白かったのは国がギルド内部で知識を独占させない為であろうか、帝国の優れた部分として特許の前進となるような法的な届け出が存在したのであった。
【知的財産の届け出をした帝国民は帝国が支配する領域内に於いて、その知的財産を3年の間独占し自由に使用して良い。知的財産はその届け出をした帝国民が使用許可を出した際に、それをギルドに報告する事で補償金の3割以上5割以下の使用料を支払い都度、使用できる。3年を経過した時点で届け出に元付く知的財産を帝国に献上する事で補償金及び使用料の総計を届け出を行った帝国民に返却する】
知的財産は補償金の金額を自由に決めることが出来る。補償金に大金を払えば、使用される都度に3割以上、上乗せされて後に支払われる。これは明らかな貴族優位の考え方であったが、平民でも有用な知識は繰り返し使用料が支払われるので最終的には何十倍にもなって返却される。
逆に、無価値な知識については3年間動かす事が出来ない金が生まれるだけであるが、補償金は帝国が預かる事になっているので、金利の無い銀行の代わりとしても使われているらしかった。
預けられた金は帝国が新しい事業の立ち上げに使用しているらしく、銀行の役割を国が負っているのであった。
ギルド登録を全て済ませると奴隷市に向かう。
帝国は奴隷を公的な産業として認識しているらしく、大通りにぼろ布を着て首輪を付けている奴隷が自分の得意な事を公言していた。
奴隷通りを散策する内に私は疑問に思った事をティベリスに聞いた。
「ティベリス、奴隷を縛るものはあるのか?」
「首輪と帝国法だ。奴隷は主人に服従する事を法で求められている」
「反逆は無いのか?」
「ある。そもそもが戦場から連れてこられた兵士や征服された村の人間だ。恨み辛みがあるに決まっている。故に、奴隷の主人はその奴隷よりも強くなくてはならない。如何に奴隷の心を折るかが奴隷商の腕の見せ所だな」
奴隷の反逆は帝国法で死刑と決められている。しかし、それを承知で誇り高い兵士や高貴な血の人間は反乱を起こす。その大体が大規模な物であるので、そういった奴隷を扱うのは貴族にしかできない。
そう考えると、私が扱えるのは1人2人が限界で、それも強靭な肉体を持つ兵士や死よりも自身の誇りを優先する人間以外になる。
「・・・私が買えそうな奴隷は少なそうだな」
ティベリスは朗らかに笑いを上げ、私の背を叩いた。
「はっはっは。奴隷を扱う者は大店の商人や貴族だ。自身を守る兵を持ち、その下に奴隷を置く。鉱山掘りや道を作る際には役に立つし、偶にではあるが大工や彫刻家が自分の弟子に買うのがこの国の常識よ」
「うーむ。体力の多い者が欲しかったのだが・・・。」
「逃げられた時に追えるのなら其れでも良かろう。逃亡中に帝国兵に捕まった奴隷は主人によって懲罰を受ける。大抵は・・・鞭打ちだが、懲罰の後の奴隷は使い物にならない場合が多いぞ」
事業に不全を起こしたくないので人手は欲しいが、如何にも私に扱える奴隷は少ないのであろう。
魔導書が貴族の書斎に在る世界なので服従の魔法でもあるのでは無いのかと期待していたが、そんなものは無いらしい。
まぁ、あったらあったで怖いのだが。
何人かの奴隷商の前を通り過ぎ、奴隷の声を聞き流していると黒いフードを被った長身の人物が話しかけてきた。
「奴隷、探しているか?」
「ん?ああ。」
余りにも意識を向けていなかった為に思わず返事を返してしまった。
骨格からして、男であろう。肩幅は広く、足首は外側を大きく向いていた。骨盤の形が横長な証拠である。女性の骨盤は出産をしやすい構造になっているのだから間違えようが無い。女でなければ男なのだ。
「これ、買うか?」
長身の男は左手に持つ鎖を私に見せつける。やや訛りが有るのが特徴的だ。
鎖の先には奴隷。肌は日に焼けて黄色人種の様で青銀糸の様な長髪に紫色の眼窩。年齢としては10歳に満たないであろう体の細さ。
今まで通りで見てきた奴隷と違い、ぼろ布では無く服を着ていた。
ティベリスは黙している。明らかな不審者であるが、奴隷の購入は私に決めさせるのであろう。
「こいつは何が出来る?」
これは確認しなければいけないだろう。
黒いフードの男は素早く真っすぐな声で答えた。
「動ける」
「???・・・そうか」
働けるでは無く、動ける。
服を着ている時点で他の奴隷とは明らかに違う。
だが、私の扱えるであろう奴隷の条件には合っていた。
「幾らだ?」
「金貨1枚」
成人男性の奴隷と同じ値段だった。
比べるまでも無く成人男性の奴隷を買った方が良い。
「何故そんなにも高い?」
長身の男は頭を横に振る。
「高くない。コルシカの子供」
これは・・・。面倒な手合いか?
私は奴隷の少女に話しかけた。
「おい、お前。何が出来る?」
少女は俯いていた顔を上げる。
少女の顔をはっきりと認識した時に私は驚きの余り声を上げた。
「なにっ!」
近くで見なければ判らないが、少女の紫色の眼窩の中に白の幾何学模様が見えた。
明らかな異常。この世界は髪色以外にも奇妙で、非科学的な人体の変化がある。
やはり、人類史の進化の中ではありえない何かがある。
「すこし、まほう使える。冷たくなる」
魔法?
私が唸っているとティベリスがフォローしてきた。
「偶に、世界の公式と呼ばれる神秘を感覚で扱う事が出来る者がいる。それが魔法使いだ。50人いたら20人に満たない程度は魔法が使えるものだ。大抵は星読みや燃焼、風を起こす程度で生活が少し楽になる程度の認識で構わない。そもそも、戦略級の大規模な魔法を扱えるなら兵士として何不自由なく暮らしていける」
「なるほど?」
超常現象の類を任意で起こせるのは、超能力者では?
当たり前の様に言っているが、この世界は私が知る人類史とは別方向に進化している様だった。
「ヒロシ、お前が言う程、高くはないと思うぞ。距離を考えるのなら魔法が使える分安いとも言える」
「問題は何故、服を着ているのかなのだが」
「旅をさせるのに、ぼろ布では途中で死ぬからだろう。ぼろを着ているのは近場の奴隷か元兵士だ。近場から拾って来た奴隷は土地勘があるので逃げられやすいし、元兵士だとお前では扱えない。と、なると魔法が使える子供の奴隷と言うのは悪くない選択だと思うぞ」
ティベリス曰く、おすすめらしい。
「わかった。こいつを貰う」
金貨を1枚、奴隷商に差し出す。
訛りの入った男は満足そうに首を縦に振り、鎖と首輪の鍵を渡して来た。
「焼き印、押す?」
流石に今後の扱いを考えると焼き印は良くないだろう。
「不要」
短い問答で返す。
思ったよりも早く買い物が終わったので食事の買い物をする事にした。
ギルドの顔見せに必要であったティベリスと別れ、奴隷と一緒に食料品と鉄鍋を買う。
宿は引き払っているが、ティベリスの伝手で居住型の屋台を手配して貰っている。
家族4人程度が住める部屋数とダイニングがあり、店舗は商店街の八百屋の様に開けている。夜は蝶番を閉めて戸締りを行う防犯に優れたタイプだった。
竈は使用歴が短いのであろうか使用感が無く、問題なく炊事が出来るだろう。
薪については備え付けの物があった。
始めの商売は市井に対しての宣伝を兼ねて食料品関係になる。これは毎日消費されている事と、昼食に関しては屋台などで買う事が多い帝国民の気質を視野に入れての事であった。
朝方から夕方まで肉体労働を行っている人間に対して売り込みを行う。客先として石工や土木関係の人間や冒険者ギルド関係の人間になると予想される。
売り物は簡単に安く、早く作れることからピザにした。
チーズと酵母入りのパンは今の所私にしか作ることが出来ないので他店と比べて差別化も図っている。
チーズとパンの作り方に関しては明日にでも、特許を申請する事にした。
今後の展開として経営形態はある程度の名声を得た後にフランチャイズ形式に移行し、10店舗を目標として契約を行う。
ある程度の資金が出来たら薬品関係を買い漁り、知識にある医療・薬品関係を製造し特許申請。
宗教は信者を増やすために広場で大道芸を1週間に1度行う。
信者は必要ないが、毎週同じ場所で演説を打っている男がいると言う認識が不特定多数の人間に認識されれば良い。
宗教を認識させる目的は他の宗教の信者共に不用意な問題を起こさせない為である。
以前、施しを与える若い修道女と問題を起こした。
時間の無駄であるのに加えて他宗教の信者と知れれば絡まれ難くなるのだ。
さて、店舗の準備に1日と考えると今日から酵母とチーズを作成した方が良い。
チーズはモッツァレラ。フレッシュタイプだが、ホエイに浮かべて涼しい処にでも置いておけば3日は持つだろう。パン酵母についても大瓶で6本分の仕込みを行い、これを使いまわす。
酵母菌はブドウでの培養を行った。これは、日常的にワインを飲むアクィタニア帝国人を考えての事である。
東方のマギは以前買ったものがまだ残っているので、必要な食材は殆どない。
材料の準備を済ませて、夕食の準備をする。
パンを2kg程度捏ねて2次発酵までを済ませて、大きな丸型に成形し濡れた布をかぶせる。酵母はティベリスの館で使った物の余りだ。
窯の中に薪を格子状に組み上げて、火を付けて格子が崩れるまで待っている間に、野菜を適当に切り鉄のスキレットに乗せた後、岩塩を削って下準備は終了。
果物はブドウが1房だけ余っていたのでそのまま食卓に乗せる。
「いや、そういえば・・・。」
奴隷を買う時に物を冷たく出来る魔法が使えると言っていた事を思い出し、奴隷に水を冷たくするように命令する。
「んっ!んー」
一種の掛け声だろうか桶を両手で持った後、強く目をつぶり、息を止めている様に見えた。
暫くすると、奴隷が水桶を私に渡す。手を入れて確認すると、キンキンと音が鳴る程に冷たくなった水が入っていた。
「よくやった」
頭をなでて奴隷を褒める。煽てるのは相手のやる気を出す方法の1つであった。奴隷は不思議そうに撫でられた所を擦っている。
私が確認する限り奴隷に疲労の色は見えない。
目の前で起こる超能力の分析は後に回す。私は水桶にブドウを入れて冷やす事にした。
暫くして窯が熱せられたら、成形した大き目のパン生地を6つ窯の中に入れる。窯でもオーブンでも均等に熱を入れたいのであれば初めに熱しておくのは料理の基本的な事である。
窯の熱気を閉じ込める蓋をして1時間程度放置。時間はスマートフォンで測る。
その間にやる事は・・・。
「お前、名前は?」
「ない」
奴隷との交流である。
労働環境をある程度保証しなければ、やる気に関わってくる。折角労働力を買ったのに怠惰に過ごされては此方の丸損になる。
「何故無いのだ?親はどうした」
「成人するまで名前は付けられない」
自我が確立するまで名付けないのは風習なのだろうと察する事が出来る。
「では、これからお前をコロと呼ぶ。以後、応える様に」
「うん、わかった。ご主人」
コロとは昔、実家で買っていたゴールデンレトリーバー犬の名前であった。
穏やかで優しい犬で、学生時代は朝方10km程の長距離の散歩が日課になった為、運動と勉強の均衡が良い状態に取れたのか、学業の成績にも良い影響を及ぼしていた。
私はコロを家族の様に思っていたが、私との散歩中、車に轢かれそうなネコを助けるために犠牲になったのであった。彼の凹んだ腹は今になっても鮮烈に覚えている。
コロは私との将来よりも、目の前の猫を救うために命を投げ出した。
私は口汚く運転手を罵倒し法的なケジメを付けさせたが、今でも思い出すたびに怒りが蘇る。
そして当時の私は裁判中に思い知ったのだった。
私がどれほど大切に思っていようとも相手が同じように思ってくれているとは限らない。
弁護士に事故の相談した結果、社会的な犬の立ち位置は家畜だった。社会的に家族では無いと証明されたのである。家族を殺されたと思っていた私にとって、その事実は胸を激しく打ったのだった。
それと同じで、目の前にいる奴隷も、アクィタニア帝国の法では人権の無い家畜と言うことになるのであった。
「魔法はどの様に使う?」
「全身に力込めると冷たくなる」
「ふむ」
私も試してみるが、如何にも使えない。
才能が無いと言う事なのだろうか。
分子を整列するイメージで脳内を満たしても水は氷にならなかった。
やはり、私の知る人類とは別の進化を遂げている。
「魔法はどの程度?」
「このくらいなら後、5,6回使える。それ以上は疲れる」
私が、魔法をいかに使うかの練習をしているとアラームが鳴った。
「焼き上がりか」
一度パンを焼き窯から出して串を刺す。残念ながら生地が付いているので生焼けであった。
アラームを20分後に設定しなおして窯の蓋を閉じる。
「コロ、お前の居た国はどの様な所だった?」
コロは顔を上げると私の隣に座り、答えた。
「砂が拡がる国。大きなオアシスの周りに町があった。お父さんもお母さんも病気になって死んだから税金が払えなくなって奴隷になった」
「病気?」
「うん。風砂熱。脚に赤い斑点が出来て熱が出る」
砂漠が有る程の乾燥地域に風邪に似たような症状。赤い斑点に死者まで出るとなると、コクシジオイデス症だろうか。
・・・・・・不味いのでは?
「コロ。お前を運ぶ奴隷商の中に同じ症状で苦しんでいた者は居たか?」
「1人居た」
コロが安い理由が判明した。
こいつはコクシジオイデス症の媒介者の可能性がある。
・・・吐きそう。
「お前は・・・何年生きたい?」
コクシジオイデス症は半乾燥地域の風土病で、病原性はペストに相当し、極めて強い。
当然ながら患者は隔離されなければならないし、コロが媒介者だった場合は接触した時点で私にも感染しているだろう。
宗教を作っておいて自分で祈るのはある種の皮肉に違いなく、運命の悪戯にはつくづく笑わせられる。
なんせ、現代医療においても播種性のコクシジオイデス症の治療は困難であるのだから。
風砂熱と呼ばれているのは、半乾燥地帯の限られた地域の土壌中に生息する原因真菌が強風や土木工事などで空中に舞い上がり、これらの分生子を吸入することにより肺に感染を起こす事を経験から知っているのだろう。『強い風が吹くと、砂と共に飛来し患うから風砂熱』と。
なお、0.5%で死ぬ模様。
コロは俯き、少し考えた後に答えた。
「わからない。けど、死ぬまで生きる」
「そうか」
私が労働力としてコロを購入した以上、元を取らなければならない。私が居た時代では人に値段を付けるのは非道徳的とされていたが、馬鹿と天才の値段の何方が高値なのかは誰でも知っていた。
言うまでも無いがコロには金貨1枚以上の働きをして貰わなければならない。
要はコクシジオイデス症の症状を発症した場合にコロの為に薬を作るか否かの問題になった訳だ。
なんせ、アクィタニア帝国では奴隷を殺処分できる。
ティベリスとの会話からこの時代には『未来』や『将来』という概念が無い事は予想出来ていた。
これは不可思議な事では無く、時間と言う現象の経過と順序を記述する一次元の連続変数の存在の認識は哲学思想から生まれたものであるので、時代によって認識が違う。
例に、どの時代でも人間は息を吸わなければ生きてられない事は知られているが、何を吸っているのかは解明されていない時代があった。これは目に見える物体以外の認知が出来ず、空間が『無』であると考えられていた為だ。
つまり、一般認識として『目に見えないものは空想上でしか証明できない』と言う事である。
医療・宗教・哲学に呪いの類が紛れているのはこの為だろう。私は宗教ギルドで正式な書類を用いて『もちゃめちゃ教』をティベリスを交え登録した。
当然ながら自身を守る盾にするつもりである。布教活動を行うに当たり多数の思想において道徳的で善良性を持った宗教でなければ帝国からの処罰があるが、『目に見えない現象についての解釈を宗教的な観点で行うことが出来る』。
現在の帝国の文明の程度を見るに、大変重要な部分であった。
「よく食べていた物はあるか?」
食べている物を聞くのは、その国の社会性や環境を判断するためである。
食べ物に関心が無い国の人間は他人が作るからと言う理由付けが出来る。また、食べている物から土地は乾燥しているのか、風が強いのか等の風土をある程度予想を付ける事が出来る。
「薄いパン、塩のスープ、たまに羊肉。貧乏だった」
アクィタニア帝国は大規模な征服事業の関係で移民が多い。
様々な人種が入り乱れる中で商売の相手になるのは勿論、この国に多い人種になる。
特に食べ物と言うのは地域性が根深く反映されるものだった。移民の国の特徴として、多文化の融合が起こり各地域の特徴に根ざした文化が生まれる。
巨大な大陸において北は凍える程に寒く、南は照り付ける様に熱い。その中で育まれる文化は多種多様であり、別種族の生活が入り乱れている以上、それぞれの種族を尊重するか或いは個人主義的な思想が有るのを実感していた。
この国については現在、産業革命以前の形態を取る成長期であり技術、特に絵画や彫刻、音楽と言った生活に必ずしも必要でないものの発展が目覚ましい事を考えるに安定期ともいえる時代であり、かのローマ人の様な実利的な思考から政策の寛容さが伺える以上は娯楽を求めている気質が有るに違いないが、その優雅な娯楽の為に健全な政治原則を曲げる民族では無く、奴隷の値段からも征服事業の際に出る大量の奴隷が安い値段で買い取られているわけでも無い以上、異国からの奴隷供給は少なくなっており、奴隷の値打ちが高騰して言っている最中であると言える。主人が持つ生殺与奪の権利が個人から取り上げられていない以上、その権利は乱用される傾向にあると考えられるが、今後長期的に見ると奴隷の値段は上がり続けるだろう。
「そうか、いつか作ってやろう」
生殺与奪の権利が主人にあるとはいえ、折角買った奴隷を簡単に潰す気はない
従業員の心の安定が作業効率に影響するので、ある程度の融通をしてやるのは雇い主の義務だ。
羊肉については家畜に向いている事からこのアクィタニア帝国の畜産の半分程度を占めており、残りは、豚、鶏、牛、馬。の順で多い。畜産は盛んであるがその品種・遺伝子改良が加えられていない事もあり味はお察しだったが先日の家庭教師ごっこで買った肉串の味を考えるに料理の基本的な考えは市井に伝わっては居ない。血抜きの処理に関しては現代と変わらずとも保存している環境は温暖な気候にも拘わらず保冷の考えが無く、塊肉を机か地面に敷いた藁の敷物に直置き販売で衛生的では無かった。
私がする事業のライバルはそれらと言う事になる。商売に関して事業を1つに絞り込むのはリスクが高い。その1つの事業に負債が出た時点で事業の負債が確定するからだ。
事業は複数行う事で一か所に負債が出ても、他の利益で補う事で平均的な損失を抑える事が出来るので別ジャンルの事業を複数起こす。
最終目的は宗教及び医療関係の従事による高給取りになる事で、食品のサービスに関してはある程度のブランド化が出来た時点でティベリスに権利を売り渡す算段だ。
スマートフォンのアラームが鳴る。
奴隷とのコミュニケーションはあまり良い物では無かったが初めて会う人間同士なのだ。今後に期待する他ない。
私は窯を確認して、パンに串を刺す。
「よし、完成だ。食事にしよう」
外を見れば夜の帳が落ちている。
チーズを作り、パン生地の作成と焼成をするには意外と時間が掛るのであった。如何に効率化するかが今後の課題だ。
コロと対面して食卓に着く。
コロに焼きたてのパンを半分に千切ってチーズをのせた後に渡した。
パンを口に含むとパンの熱で半液状化したチーズが柔らかく口の中に溶けた。うまい。
「おいしい」
コロも気に入った様子だった。
私はブドウに手を伸ばす。冷えたブドウは僅かに甘く、酸味の方が強い。味が全体的に薄く現代の品種改良の素晴らしさを強く感じた。好みの味ではないがパンだけでは栄養価が足りていない。栄養学は近年の研究で明かされてきたものだ。この時代で考えると平民の多くに腹に溜まる炭水化物が好まれ、栄養不足を原因とする平均寿命の短さが顕著に表れる。
食事を食べ進めているとコロの手が止まる。
「もう、お腹いっぱい」
「ブドウも食べなさい」
2kgのパン生地を6つに分け、それを半分。約160gの重量のパンと少しのチーズでコロの食事が終わる。この食事量は明らかに少ない。コロの見た目は10に満たないが・・・。
「コロお前、年齢は?」
「11歳」
栄養不足が原因だろうか、現代で言うと5歳の食事量よりも少ない。
明らかに危険だ。先の貧しかったと言う発言から胃が縮まったと言う事は察する事が出来る。
「そうか・・・。ブドウをもう少し食べなさい。病気になる」
免疫力が高ければ病気になりにくい。現代では当たり前の事だが現代でも発展途上国の平均年齢は低い。
これは、空腹だからでは無く、栄養バランスの教養が無い為に腹に溜まる炭水化物を好むからである。
言うまでも無く免疫の低下から風邪を引きやすく、病気になりやすく、怪我が治りにくい。
「もうお腹いっぱい」
「わかった。ジュースにする」
私は手に残ったパンを口に含みブドウの房を半分ほど分解し皮ごとすり鉢で磨り潰す。
木製のコップの半分程度のジュースが出来上がり、砂糖と水を少量加えて調味した。
「ほら、これを飲んだら歯を磨いて寝とけ」
コロは木製のコップを受け取るとジュースを一口、口に含んだ。
私はこの時、始めてコロの笑顔を見た。
「甘い。ありがとう」
「ああ、どういたしまして」
軽く頭を撫でてやる。ジュースにした時に出た、ブドウの屑は残りのブドウと共に私の腹に入った。
ティベリスとの話を終え今後を考える。明日に館を出る事になっているのだ。
ティベリスから投資を受ける事が出来たが、投資額については都度都合してもらう事にした。
少量の投資額を複利で増やしていく雪だるま方式をするのが投資の基本である。失敗しても最初の掛け金を失うだけで済むからで被害額を抑えることが出来る。法人や個人事業主が採用している方式で時間が経つにつれて利益幅が大きくなるが、膨張と拡大の違いを判断する事が重要だ。
「懐かしの・・・か」
結局、人間社会で生きるのであればこういった事が必要なのだ。残念だが、何処に逃げても人間と関わる以上は。まぁ、死人の顔写真が載った紙片を集めるよりも金で出来た硬貨を集めた方がやる気が出る。
金の重さで潰れて死ぬ位稼いで後は隠居生活が理想的だろう。
時間的な期限が有るが私は何が必要とされ、何が売れるのかを知っているのだ。これはかなりのアドバンテージになるに違いない。
今必要なのは商売に関する知識。詰まりは明文化されている法律。スマートデバイスがあるので写真を撮るだけで良いが写真を撮る手間があるので早めに資料室に向かう。
資料室に着くと直ぐに本棚から法律関係の書物を漁る。机に持っていく手間が惜しいので本棚の前で写真を撮っていると資料室の管理人だろうか、緑髪の若い男が私に声をかけた。
「初めまして、何をなさっているのでしょうか?」
面識の無い人間だ。使用人と言う雰囲気は無く目の鋭さから私を不審者扱いしていることは自明であるが、私の行動を阻害していない所を考えると、私の事を不審に思いつつもリスクを考えて暴力的な行動に移していない理性的な男である。
私自身こういう男を山ほど見てきたので最小限の言葉で足りる事を知っていた。
「ええ初めまして、ティベリスに資料の閲覧を許可されていますヒロシと申します。本から知識を蓄えている所です」
真面目さが取り柄で仕事を熱心に熟す人間だ。社会の中で自ら商売をするというよりも安定した会社に入り真面目に勤務する事に価値を見出し、誰かに従う事を好む人間に対してはこれで伝わるだろう。
私の口からティベリスの名前が出たという事は私の行動自体がティベリスに許可されているという事である。大貴族の名前を出すリスクを分かっている人間にしか使えないが。
私の予想通り緑髪の男に正しく意味が伝わった様で男は頭を下げて下がった。
無音カメラのアプリを入れているので音はしないのだがこの部屋には影が差し、所々暗いのでシャッターを切っていたのが不審に繋がったのだろう。
私は20分ほど掛けて法律関係の全ての本を撮り終えた。法律関係の書類は煩雑で無駄が多い文面が多かったが、後で見返し単純化した物を清書すれば良いだろう。
この資料室には様々な文学の専門書が並んでいた。気になる学問も確かにあるが魔術書という現実的でない、ある種の妄想めいた書物を見た際に莫迦らしくなった。
幾つか目ぼしい書物でも見つけようと思っていたが如何にも良さそうな物を見つける事が出来なかった。
「いや、まてよ」
思えば、カラフルな髪色がある時点で非現実的だ。人の髪の色はユーメラニンとフェオメラニンの着色の結果から決まる。赤髪やストロベリーブロンドまでは劣性遺伝の特徴として目にすることはあるが、ティベリスの孫にあたるユーリ嬢の水色や先程の男の緑髪は科学的にあり得ない。
詰る所、科学的でない何らかの作用があるという事に他ならない訳だ。
……そう考えると、案外莫迦らしいと思っている魔術書や占星術書等は価値があるものになるのか?
つまりは科学を越えた奇跡的な変化を生命に与える事があるのであろうか?
魔術書の1つを手に取る。パラパラとめくると私には意味があるとは思えない様な難解で規則立った図と
暗号化されたであろう文字が書いてあった。恐らく秘匿性を求めた結果だろう。
魔術書の全てのページを写真に撮っておく。この世界には何かがあると少しだけ期待するには十分な資料であった。
用事も済み、資料室を後にする。
考えてわからない事は聞くか、解るまで放置するかが私の問題への取り組み方であった。
知識が増えれば何かが起こるに違いないのだ。
先程撮った法律関係の書類の画像を眺めてみると目につく悪法は無かった。今回の場合は短期間で儲けを得たいので法のグレーな部分を探す。法は元老院を含めた王が執行するもので、執行官は居ないという事と人頭税を納めていない人間は法の適用外になる事が印象に残る。
これは税を払っていない人間が盗みなどが出来るようになるという訳では無い。むしろその逆で税を納めない人間を法的に守らないと言う宣言である。当然ながら私は人頭税を支払っていない。人頭税を払っていない時点で最も弱い存在と言う事になるしこの国では奴隷制がある事は知っているので、私自身人狩りの対象になる事を察していた。
ある程度の法関係の書類を見終わると館を出た後の事を脳内でシミュレートする。
真っ先にやる事は人頭税の支払い。これには家族または保護者等の身元保証人が必要らしい。恐らく他国の諜報員を国内に入れないことを目的としているのだろう。それでも完全には防ぐことはできないが、手引きした人間が居なければ人頭税を払えない以上、1人炙り出せば纏めて尋問できるのだから効率的だ。このアクィタニア帝国は人種のサラダボウルとも言える程多数の人種が集まっている。基本的には中立国と言うよりも征服事業の結果とも言える領地の拡大がこの事態を引き起こしているのだが支配された国が従順であると言う保証は無く、むしろ強大な敵に対して爪を研いでいる時期であろう事は誰にでも予想が付く。戦争による恨みは根深く世代を交代した程度で晴れるものではない。
つまり、人狩りに会った際に売られるのは他国である可能性が高い。言うまでも無いが扱いは最悪であろう事は予想できるし法関係を調べた限り奴隷に対しての特別な取り決めが無いのだから、どのように使っても罰則が無い。売られた時点で将来が消える事が確定しているのだった。
次いで、商人ギルドへの顔見せ。全ての屋台の管理は此処で行うらしい。商会を展開させる規模によって国へ払う税が決まるらしい。店舗に関しても年間で土地税を支払うし商品に対しては持ち込み税や持ち出し税、場合によっては職人の斡旋及び商人からの買取りを行っている。商人ギルドはそれらを管理しているギルドであり、国や国民からの希望を商人たちに伝える事で何が足りていないか。何が過剰かを判断し物価の安定を図っている。つまりは帝国の金の殆どがこのギルドを通るのであった。
他に冒険者ギルドや宗教ギルド医療ギルド等といった商工業者の排他的な同業者組合は多い。ギルドとはつまり、身内で技術を独占し他者への参入を許さない事で利益を出す組合のようなものである。一応仲が良い悪いはあるらしいが基本的に互いに不干渉である事が大前提であるらしい。
こういった組合は年功序列が前提で腐敗が進んでいるのが定番なのだが、そこは多種族国家らしく国が雇っている監視用のの人間がかなり多い割合で各組合に居るのである程度は風通しが良いらしい。国としても技術の独占がどれだけの損害を齎すのかを理解しているのだろう。ここから考えられる事は貴族の権威がある程度通じるという事である。折角ティベリスとの縁を紡いだのだから有用に使わなければならないだろう。
さて、今後を考えながら厨房に着く。食事が妙に美味かったという理由で今日はティベリスとトラヤヌス夫人、ユーリ嬢の晩餐を任されているのだ。私もその席に呼ばれているのだが、時間の関係上、昼食は作る事が出来ないのでこの館の使用人に作らせることになった。恐らく毒味役とマナーを見られるのであろう。トラヤヌス夫人としては父が変な男に騙されていないかを試す機会になると考えられる。ティベリス自身領主の任から身を引いているのだから領主の名を使うのなら当然トラヤヌス夫人の許可が必要になる。領主の前であれだけの大口を叩いたのだから、試すのは当然だった。
ティベリスはもう完治と言っていいレベルにまで回復したし、態々晩餐と言う言葉を使ったのだから貴族用の食事を出しても良いだろう。
市内に買い出しに行くまでも無く大抵のものは揃っているのは流石貴族と言ったところか。
出す料理は決まっているがどれも時間が掛るので早めに準備する事にした。
冷たい井戸水にオレンジとグレープフルーツ、トマトを入れて冷やしておく。
大き目の鍋で牛乳1Lを45度程まで温めレモン液100mlをゆっくり掻き混ぜて温度を保ちながら15分間放置。固まった乳脂肪からカードを取り除き伸ばし丸める。これを熱湯の中で繰り返すことでモッツァレラチーズが出来上がる。チーズは冷めたカードの中で保存。
牛乳を小瓶に入れてとにかく振る。乳脂肪が固まりバターを作った。
鴨肉に似た味の肉を見つけたので肉料理として使う事にした。そうすると自ずとメニューは決まってくる。
鴨を絞め殺し肝臓を取り出す。肝臓と砂肝、肝に心臓を良く洗い塩をして2時間放置。その間に内蔵を抜き取った鴨を熱湯に通し羽を抜き取り仕上げに直火に潜らせ残った毛を焼く。肉を部位ごとに分け塩をしてこれも放置。抜き取った骨はオーブンで香ばしく焼いた後にセロリ、人参とで出汁を取る。アクだけ掬えば良い。これも1時間30分程沸騰させずに静かに煮詰める。
フランスパンを作る為、強力粉を酵母と水と塩で軽く混ぜ、2倍に膨れるまで水で軽く濡らした布をかけて放置。成型後2次発酵を済ませて後は焼くだけの状態にした。
玉ねぎを6つ程薄切りにしてカラメル色になるまでバターで炒め、4つ分を鍋に取り分け鴨の出汁を入れた後に10分程弱火で煮込む。これでオニオンスープの出来上がりだ。
この時点で塩を馴染ませた鴨の内蔵の水分を拭きニンニクとローズマリーと共に小鍋に入れる、内臓をオリーブオイルで浸した後、湯を張った大鍋に小鍋ごと入れる。これは弱火で1時間程でコンフィが出来る。後は仕上げに強火で香ばしく焼き上げるだけだ。
オレンジの果汁を果肉が入らない様に120ml程絞る。
砂糖を15gカラメルにして白ワインのビネガー23mlで色を止める。中火でビネガーの酸味を飛ばしてオレンジ果汁を入れ、先程取った鴨の出汁を120ml。粘度が上がってきたらオレンジの皮の油と白ワインを入れアルコールを飛ばした後バターを入れて乳化させ塩で味を調整する事でビラガードソース。味見するとオレンジのさわやかな酸味にキャラメルの苦みが深みのある味わい。本来はフォンドボーを使うのだが時間が無さ過ぎた。そも、香辛料が無さすぎる。基本の胡椒が無いので香草類で何とかごまかしている状態だった。
さて、ここからが大変だ。
卵3つを卵黄と卵白に分け、卵黄に砂糖を20g入れて混ぜる。牛乳35mlとオリーブオイル35mlを合わせ白っぽくなるまで混ぜ薄力粉60gをふるい入れさらに混ぜる。
卵白に40gの砂糖を分けて入れ8分立てのメレンゲにし卵黄の混合液を少しずつ入れボールの底から混ぜる。白く丸い陶器製の深皿に油を塗り付け生地を入れた後に200度に予熱したオーブンに10分入れる。表面のみ香ばしく焼き上がった生地にナイフで切り込みを入れオーブンの温度を180度まで下げてさらに20分焼く。焼き上がりは串で確認。生焼けの部分が無かったら冷まして常温になったら串で丁寧に型から外して完成シフォンケーキ。中央に穴が開いていないのでケーキ型で焼いたようになった。
このままフランスパンを焼き上げる。250度にオーブンを熱しオーブン内に水を入れ水蒸気で満たす。210度程度になったら20分間焼き上げて完成。冷めたら斜めに輪切りにして籠にいれておく。
オーブンに熱が残っているうちにオレンジの輪切りとオレンジピールを入れる。1時間ほどで乾燥し切り、オレンジチップとピールパウダーが出来る。オレンジを乾燥している間に生クリームを8分立てにする。
この時点で晩餐の時間前に近くなっていた。
私は小さめのトマトを分厚く輪切りにし塩を振る、その上にモッツァレラチーズをトマトの半分程度の重量になるように乗せる。チーズの上にはバジルを1枚。上からオリーブオイルと赤ワインビネガーで線を描く。それを1皿に2枚乗せアミューズのカプレーゼ。
鴨の内臓を油漬けし、ゆっくりと火を通したものを強火で焼き上げて、肝臓は1mm程に輪切り。白い皿の中央に3枚扇状に並べ、端にトマトの種の部分を除いて粗みじん切りにし上にセロリの若葉を乗せた物と前に作ったオレンジのマーマレードジャムの余りをティースプーンの半分ほどずつ散らしてオードブルのフォアグラのコンフィ。
オニオンスープは温めるだけだ。小さい深めの小皿に取り分け仕上げにバターを一欠け入れる。
スープを温めている間にグレープフルーツとオレンジの外皮と内皮を纏めて削ぎ切り粒にし、皿に風車の様に飾る。グレープフルーツには砂糖をそのままかけて、ソルベに当たる物にした。本来は氷菓だが氷が無いのでどうしようもない。色合いも黄色とオレンジの2色のみで単調になった。ルビーグレープフルーツがあればもう少し違っただろうが妥協。
フォアグラを焼き上げた油の残る鉄鍋で鴨胸肉の皮を格子状に切った塊をアロゼで肉の内部がロゼになるまで焼き上げる。ガルニチュールは6分の1にカットしたカブを葉を取らずにオリーブオイルでソテーしたもの。
鴨胸肉は6cm程に切り分け肉の断面が見えるように3切れ皿に盛りつける。皿の下部に弧を描くようにビラガードソースを流し、オレンジパウダーを鴨胸肉の断面にかけ、オレンジチップをビラガードソースの弧の終わりに添える。ソテーしたカブは鴨胸肉の反対側に添えて、アントレである鴨肉のロティ。
皿の中央に8分の1にカットしたシフォンケーキを乗せ垂れる様に生クリームを。デゼールのシフォンケーキ。
厨房にコーヒーが無かったので代わりに紅茶で締める。焼き菓子は焼いていないのでシフォンケーキと紅茶を同時に出す事にした。
本来はテーブルセッティングとして出される献立に合わせてナイフとフォークをセッティングした状態で食べ始めるが今回は皿と共に出す。輪切りにしたパンは籠に入っているのでテーブルにセッティングして貰う事にした。
調理段階で腕がパンパンに腫れあがている。なにもしなくても痙攣しているのでフルーツを冷やしていた井戸水で顔を軽く洗った後に腕を冷やした。自動機が無いので単調作業がかなり辛い。
しかし、これはトラヤヌス夫人を説得するための晩餐。態々ティベリスが晩餐と言う形で私の持つ知識を発揮する機会を与えたのは少なくともトラヤヌス夫人が投資に納得するだけのものを見せつけなければならないと謂う事だし、私にかなり大規模な資料室の閲覧許可まで渡したのは詰まりはこの国に対応して見せろと言うティベリスからの挑戦だろう。
当然の事ながら投資に値するものを披露しなくてはいけないし、ティベリスが求める未知を知らしめ旅人の持つ異文化をも感じさせなければならない。
異文化を感じさせながらもこの国の貴族に合う食事を作る。ティベリスとしてはエンジェル投資になるのだろう。人柄、性格、知識を見てファーストペンギンの利点を狙う事。投資家は数字で動くのだが、新しい技術については社会に受け入れられない可能性があるのだ。医療と言う国に無くてはならない物であっても既存の物を否定するのであれば相応の時間と人脈、金が必要であるので失敗する可能性の方が高い。だが、成功したらどうだろう?技術は独占。他社よりも時間的な有利を取ることが出来る。これはブランディングをする上でかなり重要な事だ。エンジェル投資はハイリスクハイリターンなのだからこの見極めが今後、私自身が受ける貴族からの印象につながるだろう。
トラヤヌス夫人の晩餐の為の着付けが終わったのであろう。メアリ嬢とギボンが厨房に戻ってくる。
「ヒロシ様。晩餐の準備はよろしいでしょうか?」
「ああ、準備は整った。料理に関しては全員が食べ終わり次第次の皿を都度運んでくれ。配膳はワゴンで空の食器は次の皿を運ぶ前に回収。順番はこうで・・・食器は皿と同時に出して欲しい」
食事中は席を立てないのでメアリ嬢とギボンに配膳を頼んだ。地頭が良い事は知っているので直ぐに覚えられるだろう。
「はい、解りました。紅茶はデゼールの直前に淹れますので」
「頼む」
緊張しているのだろう。自身でも口数が少なくなっている事が解る。ティベリスとの会話は出会い頭がアレだったので気の合う友人を演じた。トラヤヌス夫人については貴族との会話になるだろう。
この緊張も仕方ないとは思うが、今後を考えると万全で商売を始めなければならない。緊張は胸を張り姿勢を正して飲み下す。ギボンの案内でダイニングルームに向かう。ギボンがダイニングルームに入る前に扉をノックすると中からティベリスの入室を促す声が聞こえた。
案内されたダイニングルームは大人数でパーティーをするような大きさでは無く、貴族が使う長机に豪華な椅子と言うものでもなかった。
白を基調とした部屋にはクリーム色に白色の花を模したような壁紙。暖炉は白い石で彫刻柱が彫られ上には金の額縁にティベリスの姿絵。両端には桃、紅、黄、白、青の花が美術性の高い花壺に生けられている。グレーに近い緑のカーテンの近くには深いウィスキー色の飾り棚。中には金の聖杯のようなものに複雑な模様が描かれた花瓶。黒い8人用のテーブルの中央には生け花が飾られ、上を見れば豪華すぎないクリスタルのシャンデリアに火が灯っていた。
察するに家族用のダイニングルームであろう。席の上座にはティベリス。ティベリスからみて右隣にトラヤヌス夫人。トラヤヌス夫人の左隣にユーリ嬢。恐らく入り婿が居ると考えられる。
私はティベリスとの対面。下座に座る前に椅子の横で一礼して挨拶する。
「お招きに預かり・・・と言った方が良いかな?」
ティベリスは随分嬉しそうに笑う。
「お前にアクィタニア帝国貴族の礼をせよとは言えんよ」
私はニヤリと笑い言った。
「では、お前には之で」
次にトラヤヌス夫人に向かい右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す、ボウアンドスクレ―プで挨拶する。
「ご婦人。末席に失礼いたします。改めましてナイハラ・ヒロシです。本日は私の故郷で貴族に当たる方々の為の食事をご用意いたしました。是非ともご堪能ください」
嘘だが。こんなもの誰でも食べる事が出来る。が、物は言いようだ。対して価値のないものでも如何にも大事そうに抱えている人間が居れば何となく価値がある物に見えてしまうのと同じである。
長い行列が出来ている店が如何にも素晴らしい名店の様に感じる人間の心理であった。
トラヤヌス夫人は扇子で口元を隠し笑いかける様に言った。
「ええ、お茶会ではあまりお話出来なかったから。貴方とお話するのを楽しみにしていたのよ」
笑顔とは本来・・・。さて、貴族様の内心は解らない。晩餐の席で話せと言う事に違いないがティベリスの館を離れ、別の土地で行動を許されている時点で優秀な人間である事は確定的だ。投資させるには彼女に納得してもらう他ないが、女性には恐ろしい事に感情論と言う手段がある。
大前提が彼女に気に入られる事。この場はそういう席だ。
次にユーリ嬢に対して礼をする。親の警戒を無くすには攻略しやすい子にも注意が必要だ。
「恐縮です。・・・お嬢様2日ぶりですね」
子供にはなるべく笑顔で。
「・・・うん。また遊んで」
電子ゲームに関して、特にアクションゲームには中毒性がある。激しく光る画面と音は俗にいうパチンコ依存症と同じで聞けば聞く程中毒になりやすい。なぜなら短く単純な音を繰り返し聞くことになるので無意識化にその短い音が刷り込まれるのだ。これが続くと音の聞こえない空間に居ても刷り込まれた音が聞こえるようになる。寝る前に特徴的な音楽が脳内で流れるイヤーワームと呼ばれる現象もこの刷り込みからくるのだ。更に人の興奮を促す電子発光はより強く刷り込みを行う。子供が何時間もゲームにのめり込むのはこの依存性が重たる原因である事は誰もが知る常識であった。
「ええ、機会があれば勿論。本日のデゼールは甘いものが好きなお嬢様の為に作った物です。お気に召しましたらご購入の検討をよろしくお願いいたします」
私は頭を下げる。
「・・・くるしゅうない?」
ユーリ嬢は7歳。自我が芽生え、アイデンティティの確立で、中間反抗期とも言われている7歳反抗期は子どもの口が達者になり、親に対しての口答えが激しく、言葉で親に対抗してくるのが特徴だ。丁度、自立を目指す時期で親の世話を嫌がる時期である。
一人でできるという自信や、親の手を離れ自由にしたい等の気持ちの表れが出てくる時期でもある。
私は今回其処を突く。
要は領主の真似事をさせてやれば良いのだ。それがごっこであれども。しかし、この行動は親の不信を買いかねない。親としては子供を利用する為に近づいた様に見える事も多いのだ。そう考えると次の行動も決まってくる。
私はティベリスに向かってウィンクをし、それをトラヤヌス夫人にも見えるようにした。
これを見た人間は明らかに何かを伝えたのではないかと思い込む事だろう。トラヤヌス夫人からして見ればティベリスに何かしら命令され、ユーリ嬢が喜ぶように配慮したのでは無いか、と考えて欲しかった。
親は子供が絡むと途端に考えが左右される。子の為ならば、ある程度の損害は視野に入れずに助けるし、子を任せるというのは親としてその人間を信用していると言う証であった。
ティベリスが私にユーリ嬢のご機嫌取りを指示したという事を勘違いさせる事でティベリスからの信頼を勝ち取っていると言外に伝える。
その為の行動である。幸いトラヤヌス夫人は私を見極める為に私に対して観察の目を向けている。細かい行動に対しても機敏に察知するのは貴族としての技能に関わる所であると私は考えているので十分伝わったのではないだろうかと思う。
今日の晩餐で行わなければならない事はトラヤヌス夫人へのプレゼンだ。彼女を納得させなければ私の今日の努力が全て水の泡になる。
私は自分の机に配置していたベルを鳴らし、メアリ嬢とギボンへ最初の配膳の合図をした。
彼女たちが配膳し終えると私は料理の説明をする。
「アミューズのカプレーゼです。上に乗った白い塊と下の果実の組み合わせを楽しむ皿です。白い塊はチーズと言って牛の乳脂を固めたもので、発酵させれば9カ月程保存が可能ですので私の国では冬の間の保存食として食されてきました。地域毎の種類も豊富ですが今回は最も癖のない物を選びました。机に出ているパンはお好きなタイミングでお試しください。無くなり次第補充するように指示してありますので」
一応毒味をアピールする為に先に食べる。国ごとに味が違うトマトを楽しむ為には之が良いだろう。
ティベリスとトラヤヌス夫人の反応は良い。どのように利用されているかを説明に含め、食べて貰う事で領内での発展に如何に貢献できるかを示す。察するに貴族は食事の間は話さないのだろう。
私は態とこの国に存在していない言葉を使っている。アミューズ等の専門用語の事であるが、これは異国感を出す為にやっていることで、要は雰囲気作りである。
全員が食べるのを見た後に次の皿が運ばれてくる。メアリ嬢とギボンは良くやってくれていた。
「オードブルのフォアグラのコンフィです。周りのソースをお好みの量付けてお食べください。コンフィは食材を油漬けにする料理でこちらも作り方にも依りますが、長いものだと丸1年程の保存が可能です。野菜や肉、魚等を何処でも食べる事が出来る様になります。特に魚は鮮度の問題が付き纏いますので私の国では海の無い内陸で魚を食べる為の技術の1つでした」
私は周りのマーマレードと共にフォアグラを口に運ぶ。味見で解っていた事だが油の乗りは悪い。しかし、野生の鴨の健康的な肝臓は無理やり肥大させた脂肪肝とは別の旨さがあるのだ。バターを使っても良かったが油物が続くとティベリスの体調が悪くなる可能性があるので、オリーブオイルでソテーしてある。
これはユーリ嬢が主だった反応を見せた。解り易い旨味だったのだろう。
「スープのオニオンスープです。卓上のパンと合わせて食べる物に仕上げています。浮いている油は乳脂を分離したバターと云う物です。用途の多い油でパンやソテーに使用する事で旨味を加える事が出来ます」
私はパンを1口に収まる程に千切り、口に入れた。そのままスープを流し入れる。
ハードタイプののパンを薄く切ったのだが、外側の皮の部分と内側の食感の差が塩味を引き立てて良く出来ていると思う。この館で食べたのは丸く、噛んだ瞬間に加熱し切っていない小麦粉が口に纏わり付く物であった。この技術は評価されると確信している。単純で素朴な味はどこの国でも歓迎されやすいのだ。
「ソルベのフルーツです。口直しの為の皿になります」
本来、魚料理のポワソンの後の口直しで冷たいシャーベット等を出すものだが魚も氷も無かったので仕方ない。なるべく目新しさを出すために砂糖を掛けたグレープフルーツを出したがオレンジに加工の手間を掛けていないので正直不満が残る。
食事の間に甘いものを食べる変わった習慣があるという事を示す事で食文化の違いを示す事を目的にしている。
「次の皿はアントレの鴨肉のロティになります。ビラガードソースと言うオレンジで作ったソースを合わせてお召し上がりください」
異国で自国の文化を披露するのは存外の不安感があるが、貴族のマナーとして不味くても如何にも美味そうに食べなければいけないという演技をされていない限りは大丈夫だろう。
と、言うよりも正直な所、美味い不味いは現在関係無い。食材を長期保存する事が出来ると言う事を伝えるのが最重要である。
長期保存の技術は人類が誇るべき偉業の1つである。手法や優劣は有れども、生きる為の手段の一つである事に違いなく、この世で生を紡ぐ手段を評価しない愚鈍さを持つ貴族が居るならば無能の極みである。
貴族として評価せざる負えない物を出す。当たり前だ、私は満点を狙っているのだから。
万人がその利益を享受できるものでなければならないし、そもそも異国の食文化は忌避され易い。
誰にでも好きな食物がある。そして、自分が好きな物が他人も好きだとは限らない。勿論、晩餐では自分が美味いと思っている物を出しているが、その点を考慮すると如何してもこの様な形に落ち着くのだった。
全員が食べ終わると最後の皿がティーセットと共に運ばれてくる。
「最後の皿、デゼールのシフォンケーキになります。白いクリームと共に生地を食べる茶菓子の1種です」
全員がシフォンケーキを1口食べた所で私は更に続けた。
私の演説が始まるのだ。緊張から来る唇の渇きを誤魔化す為に紅茶を1口だけ口に運んだ。
「この国は、農畜が共に盛んで羨ましいです。私の国では国土の関係で畜産物の規模が小さかったので、本日、多く使用した乳製品は畜産を行う関係者か貴族しか食べる事が出来なかったのですが、アクィタニア帝国では多くの市民が畜産物の恩恵に預かっている。私の国で貴重と尊ばれてきた食材達が当たり前に消費されている様はある種の爽快感を覚えました」
言外に市民でもこの食事を摂る事が出来ると伝える。
自国では贅沢品だったこの食事がアクィタニア帝国では安価に手に入ると言ったのだ。
「正直、この様な食事が出てきた事に驚いたぞ。私が臥せている時は滋味溢れる味であったと記憶しているが」
位が上の人間から話すのだろうか。それともティベリスのが気を利かせたのか。
「暑い時に飲む冷たい水が、寒い時に飲む温かいスープが身に染みる様に、病に臥せている時はああ言った薄味で素材が生きている料理が良い。消化するのに体力を使わない、病人食という物だ。今回は晩餐と言われたので味が濃厚な物を用意したのだ。全て保存食で作った物だから味は濃い」
「成程、アクィタニア帝国では塩漬けや砂糖漬けが一般的だが、確かに新しい手法だ。それに、保存食とは思えぬ程味が完成している。お前の国の貴族が食べる晩餐と言うのも納得できるが……何故お前が作れる?お前が旅人であるとはお前自身から聞いている。しかし、お前を見ていると、とても旅人とは思えん。食事中の礼儀はこの国でも通用するものであったし、トラヤヌスへの礼も旅人がする物真似ではない。アクィタニア帝国の礼とは違うが、動きが洗練されている。一日二日で出来るものでは無いな。この問いには正しく答えよ、ヒロシ。お前は貴族であったのか?」
他国の貴族が居るとそれ相応の対応をしなければ為らないからこその問いだろう。国家間での衝突は戦争に繋がる。アクィタニア帝国は大陸を征服した強大な国であるという事はメアリ嬢との会話から聞いていた。そう考えるとアクィタニア帝国が知らない技術は大陸内にないという事になる。つまり、ティベリスは私が海の外からやって来たと考えているのではないだろうか?
私は、食事最後の説明で畜産物が少ないという事を話した。そこから海を連想したのではないだろうか。畑を耕すのも移動するのにも畜産動物は必須なのだ。全ての国民に農耕の義務を負わせているアクィタニア帝国からしたら、そう考えても仕方ない。
未開の土地の未知なる技術。征服事業を行うアクィタニア帝国にとっての脅威に他ならない。
私がするべきは……。
「否。餓えの無い国から来た旅人である。抑々貴族が料理を行う事は無いだろう?」
誤魔化している振りをする。
別段、自身の事について隠す物など無いが、相手の勘違いを誘う為だ。人間は理論的な話を信用したがるが、それと同様に奇跡や偶然を信じたがる生き物でもある。
今後の私の目標を速やかに達成するためにはそういった神秘性も必要なのである。
「無い。が、その服は貴族が着る服よりも1等優れている。絹だな?銀糸で服を作った方が安く付く。ネックレスも腕輪も金。腕輪に至っては時間を刻んでいる。この部屋に飾られている小型の時計塔を見たな?アクィタニア帝国ではあの時計が最新だ。貴族の威光を示し、他国を圧倒する技術の結晶だ。何が言いたいか解るか?お前がアクィタニア帝国大貴族であるこのティベリスに見せている物が何であるのか解っているのか?」
ティベリスは興奮していた。顔が赤くなり必要以上の言及。明らかに未知への興味ではない。ティベリスと初めに茶会をした時の反応と明らかに異なっている。最初に会った時の余裕が完全に消え失せているのであった。
恐怖から物を知ろうとするのは人間の本能だ。火を有用に使い夜の恐怖を打ち払い、星を支配するにまで至ったのは未知を払う為に得た恐怖に対抗する知識である。
本能を剥き出しにしたティベリスがそれでも対面的に理性的で居られるのは貴族であるが故だろう。
「物が優れていても人が優れているとは限らんよ。お前が何に怯えているのかは分からないが、敵なら縁を繋ぐ意味が無いだろう?」
老化すると感情が制御できなくなってくるのは何処の国でも同じらしい。
「なっ!」
トラヤヌス夫人の声が響く。貴族に対しては余りにも無礼だったのだろう。しかし、言わなければならない事もある。ティベリスとは対等な協力関係にあるのだ。トラヤヌス夫人は未だ意識的にでも無意識的にでも私を下に考えている。貴族としては当たり前ではあるがティベリスと対等である事を彼女に言外にでも伝えなければ詰まらない事で行動を制限されかねない。
「怖がるな。この国で路銀を稼ぐ為に支援を貰うのだ。お前に危害は加える気はないよ。私は、人々が喜ぶものが金貨を呼ぶことを知っているのだ」
優しく、言う。
私が金を稼ぐ事を前提とした行為を今後行っていくと言う方針も示した。
貴族に対してこの物言いは失礼だろう。解っているが、ティベリスの様な生涯知識を求め、理論的な考え方をする人間の思考パターンは知っている。私はこの晩餐である程度の知識を見せ、それが有用である事を示した。アクィタニア帝国に無い技術を見せつけ、それが明らかに高度な技術を伴う物であった。
ティベリスは私を手放せない。医療改革の約束をした後に技術の違いを見せつけアクィタニア帝国との文明の差を確信させた。今後を考え、国の発展を望む貴族で理論的な思考を持つ人間が私を手放す時は、私から全ての知識を奪った後になるだろう。
そして、その時に私は殺される。
私がティベリスと同じ立場なら絶対にそうする。利益の前に大抵の人間関係は無視されるからだ。
私はそれに対する対抗策を練らなければいかない。
もう思いついてはいるのだが、時間が掛る上に人材と金とコネクションが必要だ。そも、この国に根を張る気なら貴族に無礼を働く事など出来ない。
どうせ、いなくなる。と言う前提在っての余裕だ。逃げ道があった方が精神的に大胆に活動できる。
「ヒロシ。貴方は知らないでしょうけど、お父様は未だ帝国軍部に影響のある指導者なのよ。だからこそ帝国が医療貴族を呼んでまで助けようとしていたの。帝国が呼んだのよ?貴方は帝国軍部の指導者に怯えていると言ってしまったのよ。不敬罪になる可能性だってあるの。それを分かっているの?」
トラヤヌス夫人からの叱咤である。
つまりティベリスは、帝国が恩を売る程に気を使う人間であるという事。軍部出身だからこそ自身の生死にあれ程執着が見られなかったのだろうか?
いや、待て。
あの貴族を差し置いて私に処置させたのは帝国からの恩を受けたくなかったからか?それともあの貴族がティベリスを殺そうとしていることを察していたのだろうか。
何方ともあり得る話だ。指導者の命を救ったとなればアクィタニア帝国が今後防衛のための戦争をする場合に指導者であるティベリスを戦場に引き出せるし、
例えばティベリスが指導した軍部。所謂ティベリス派閥が帝国軍部で力を振るっていた場合、敵対派閥から医師を派遣して殺す事も十分有り得る。
トラヤヌス夫人は医師を帝国が呼んだと言った。あの医師が敵対派閥からの刺客であった場合でも皇帝が派遣したという事実がありさえすれば責任に問われる事が無いのだろう。何せ、皇帝が派遣したのだから、責任の所在は皇帝にある。
私が敵対派閥ならティベリスの屋敷に向かうティベリス派の医師を殺し、代わりに偽物の医師を使う事で医療ミスによる殺人を成立させる事も有るだろう。先程の、ティベリスの興奮具合が如何にも引っかかる。鎌掛けてみるか。
「トラヤヌス夫人。お言葉ですがティベリスとは対等な関係を結んでいます。ご理解ください」
申し訳なさそうな顔を作る。
正直、多少トラヤヌス夫人からの好感度を多少下げてでも確認しなければならない事が出来たのでこれで黙らせる。緊急性の高い問題が浮上したのだから仕方ない。
「ティベリス。どちらだ?」
「ん?何を言っている」
「私も隠していることはある。全てを曝け出すほどお前を信用している訳では無いし、お前もそれは同じであろう。言えない事ならそれで良い。だからこそ聞くが、あの医療貴族はお前の派閥か?」
ティベリスは考えるそぶりを見せる。この時点である程度確定したようなものだ。
「…………。」
ティベリスは無言で答えた。
「トラヤヌス夫人にはもう話したのか?」
「まだだ。そも誰にも話す気などなかった」
ティベリスは諦めたような表情。
トラヤヌス夫人が目に見えて動揺している。今起きていることが解っていない様子であった。
大分きな臭い話になって来た。ある程度ドロドロした貴族社会は想像していたが、早速その沼に片足を突っ込んでしまったのだ。自分の運の無さにはびっくりする。
私は笑顔でユーリ嬢の方を向き話しかける。
シフォンケーキは全て食べられていた。話をしていた大人陣とは違うのであった。
「ユーリ嬢。デゼールのお味はいかがでしたか?少々大人の味であったと思うのですが」
自立を求める年齢だ。大人っぽい事に憧れて行動する年齢であるが故にこう言った。
自尊心を刺激する事で今後の取引をしやすくする。
「おいしかった。また作ってくれる?」
満足したらしい。万人受けする味なだけあった。
「ええ、勿論。ご注文いただければお作り致しますよ。ご婦人もお気に召したら是非ご注文ください」
先程の空気を霧散させるように明るく振舞う。全員がデゼールを食べ終え今回の晩餐はお開きになった。
私はユーリ嬢が部屋に帰ったのを確認した後、席を立とうとするティベリスとトラヤヌス夫人を呼び止める。
「失礼、ディジェスティフのホットワインが残っていますが如何いたしますか」
あの話の後だ。お前たちの話し合いに私は必要かと言外に尋ねた。
「……そうだな。此処で話す事では無いだろう。私の部屋に持ってきてくれ」
私の質問は正しく伝わったのだろう。少ない時間で思考し真意を汲み取る技術は流石、大貴族と言えた。
私は厨房に戻るとワインを小鍋で温め砂糖とオレンジピールを入れる。
彫刻が美しい金属で出来たワインゴブレットの7文目まで温めたワインを入れた。
「ティベリスの部屋だったな」
私は3つの杯を持ち、ティベリスの部屋に向かう。
敵について考えてみよう。
一般的に征伐後の人の倫理観は薄い。戦後は犯罪が多くなる傾向にあるのは、壮絶な戦中に於いて人間の倫理観が邪魔になるからであり、それらを捨てられない人間は須らく死ぬ傾向にあるからである。
言うまでも無しに現在、このアクィタニア帝国は征伐を完了し支配した国の技術を享受している状態であるが、人間の狂った感性は長い期間を以って修正していくものであり、詰りは征伐を指揮していた貴族でさえ、その倫理観と言う理性が薄れている状態であるという事が解る。
利益を目の前に吊るされ暗殺を企てた豚か、征伐による倫理観の喪失で損得でしか物事を考えることが出来なくなった狂人か。それともティベリスの誅殺か。
理由は幾らでもあるが、唯一許されない点がある。
「この私の利益に喰い込むような事をしてやがる」
別段、ティベリスが善人だとは思っていない。貴族なのだから利益の為に他人を貶める事など数えきれないほどあるのだろう。しかし、しかし。
私の。
この私の邪魔をしているのだ。
消えて貰わねば。
私は私に不利益を齎す人間を許したことは無い。そう在るべきとも考えている。
私の考えが変わらない以上、私の行動は変わらないのだ。
ティベリスの部屋に着くと軽くノックをし、中から返事を待つ。
入室の許可を貰い中に入るとティベリスとトラヤヌス夫人が座っていた。他の従者が居ない以上、機密性の高い会話になるのだろう。
「失礼する。して、ティベリス。詳細を」
挨拶など早々に席に着く。配膳し終えたホットワインを1口飲み込み、ティベリスに会話を促した。
ティベリスは神妙な顔で髭を擦り、ため息と共に言葉を吐き出した。
「先ず、トラヤヌス。私の娘。このティベリスはお前に何も言わずにいるつもりであった。世界には知らない方が良い事も在り、知った所でお前の心を蝕むだけであるならば、お前がこの会話に混ざる必要はない。私はお前が幼少の頃から正しい貴族で在ろうと努力している事を知っている。だが、今からする話はお前の理想を消し去ってしまうだろう。之が最後の機会である。席を立ち、晩餐での話は忘れるが良い」
トラヤヌス夫人は晩餐から焦燥している様に感じていたが、この会話までに落ち着きを取り戻したのか平然としていた。
「では、何故。この旅人にだけ話そうとするのですか?彼は貴族でも、屋敷の人間でも、ましてや家族でも無いではありませんか。お父様と気が合うのは知っています。たった2,3日程度の交流で貴族の傘下に入れるなど、余程気に入ったと謂う理由が無ければあり得ません。しかし、気に入ったと言うだけで、家族にさえ話そうとしなかった事を、何故話そうとするのですか」
「ヒロシは私の状態と帝国の人選、先の晩餐での会話から確定的に察して居ただろう。この国の人間でも貴族でも無いのにだ。それがどれ程難しいかお前には解っているのか。貴族の生まれであるお前が察する事が出来ずに旅人の、この屋敷にたった2,3日しか居なかった人間が私の考えを言い当てたのだぞ。一言も話していないのだ。話せる筈が無い事をだ。トラヤヌス、お前はヒロシの能力を見縊っている。それが、旅人と言う身分からか此奴の性格を理由にしているのかは判らないが、身近に居たお前が察する事が出来なかったのだのだぞ」
悲痛な叫びのような声はティベリスからの評価である。アクィタニア帝国よりも高い文明力で脅して来たかいがあるという物だ。
恐怖とは未知から来るものである。自分で頭が良いと思っている人間ほど、単純な物を複雑に捉え必要以上に恐怖する。
相手よりも精神的に上位に立つのは基本中の基本。貴族に対して不遜とも取れる態度が幸いした瞬間である。無言の説得力と言うものがあるのだった。
ある程度、経験や歴史からこういった理由だろうと言う予測は立てられる。見当違いの可能性も高いが鎌掛けは成功であった。
「簡単な推測だ。何処の国にでもある事だから恥じずとも良い。それとご婦人、お聞きにならない方が良いと思いますよ、貴女は素直な方だ。この話を聞けば貴女は精神を病んでしまうかもしれません」
忠告しておく。
人間はたとえ其れが自分の為の忠告でも抵抗があり、僅かに嫌悪を示す。つまりは忠告の逆の行動をとりやすいのだ。私の場合は特に先程の無礼がある。気に入らない人間の言葉に耳を塞ぐのは身分関係なく誰しも同じである。
現状を鑑みるに、貴族騒動に巻き込まれる可能性がある。余計な頼みをされた場合に夫人を利用して私の介入を否定させる事が出来るかもしれない。
「いいえ、お父様。私とて覚悟を決めて貴族として生きているのです」
「そうか」
恐らく、夫人は【綺麗な貴族】なのだろう。
高位の貴族で在るから、周囲に悪意から守られ育って来たのだと想像できる。
だからこそ、困難に対して真正面から立ち向かおうとしているのだ。
私とは違う育ち方にある種の妬ましさを覚えた。自分の生まれを嘆いている訳では無いが、誇らしいと思った事は無い。
ティベリスは続けて話し始めた。
「このティベリスが若かりし頃に親友とも呼べる男が居た。名はアリウス・クライス。共に征服の戦場を駆けた男であった・・・。」
ティベリスの話を纏めると戦場で友人を見捨てて殺し、友人が考え出した兵士の訓練方法を皇帝に提出した事で帝国の軍部指導者になったと言う話だった。
長年、その兵士を壊さない手法を指導者として振るって来たが為に兵士からの信頼は厚く、本来であればクライス家として皇帝に献上する筈だった手法を盗まれたが為に、ティベリスを憎む派閥が誕生した。
ティベリス自身、その事について負い目を感じているので大人しくしていたと思っていたと言うのが彼の吐露した心情だった。
事実だけを連ねるならばティベリス自身の心の弱さ故の過ちだと思うが、戦時下で友人が自身の命の代わりに救った民兵の話や平民を潰さない訓練方法を考案する辺りその男の性格は判る。
長い付き合いの内でその男の性格をよく知っているティベリスが、男の遺産とも言うべき訓練法の話を聞いていて、それを広めたのは不自然ではない。
私には何故負い目を感じているのか理解できない考え方だった。
アリウス・クライスが家族にその方法を伝えていたのなら、何故親族が皇帝に真っ先にその方法を献上しなかったのかが問題になるし、ティベリスのみに伝えていたのならば自身が死亡した場合、ティベリスが皇帝に献上するのはアリウス・クライスの望む部分である筈。
ティベリスの敵対派閥になったと言う事は家族はその訓練方法を知っていたからに違いない。では何故真っ先に献上しなかったのか。
私が想像するに御家問題。
ティベリスは相手方の問題を擦り付けられた可能性が高い訳だ。
または、従来と違う訓練法に正当な評価が出来ず、後に之が評価されるに至った事による嫉妬か。
ティベリスが私にこの話をしたのは、彼なりの誠意だろう。私が想像する以上に貴族社会は複雑であった。
利益に準ずる私が立ち入るのには損失と利益の天秤が損失に傾いている様に思える程に。
ティベリスを隠れ蓑にするにも、隠れ蓑に火の粉が付いていたのならば何時発火するのか判らない。
彼は今、私に覚悟を問うているに違いない。『それだけの厄介事が在る』と。
いざとなったら逃げる心算でいるが、商売の基本は積み上げる事。
長期運用前提の商売が出来なくなるが、これはかなりの痛手だった。
ティベリス傘下と言う事はクライス家と明確に敵対する事になるのだから、その対応も必要。
しかし、
この国で商いをするのであれば、権力者の介入が邪魔になる。
要は、帝国の首都である所に館を構えるのは貴族にとってのステータス。その貴族連中の庭で商売をするのであれば大々的な事は出来ない。貴族の庭を踏み荒らす事になるからだ。
始めは良いが、中期的に考えるなら気にしなければならない問題だった。ティベリスと言う渡りを付けられたのだ。私の商いを金持ち相手に出来る可能性を捨てるには余りにも惜しい。
面倒が嫌い。名声は要らない。が、現金は欲しいと言う人間は現代にも多い。
逆なのだ。
人は利便性に金を払い、名声に寄ってくるのだから、金を稼ぎたいならその両方が必要になる。
私は小金を稼ぎたい訳では無い。
少額で事業を始めるのなら名声で人を集め、集まった人間に利便性を売りつける。
商いだけではなく、投資や起業の基本だった。
「面倒を擦り付けられたな?」
「私の贖罪だよ。親友を見捨てた私のな・・・。私は誠実であろうとし続けた。かつての親友の様に」
負い目からの行動か。
「まだ、死ぬなよ?死ぬなら何かを遺して逝け」
こういった手合いは自分の感情を優先する。
だからこそ、自分の思っている事を素直に伝える事にした。
感情を吐露している弱った人間に対しては、さり気無く目標や励ましの言葉を与えるのが良い。
人間は自分に都合の良い部分しか聞こうとしない。
知識人の場合、明らかに励ます言動をするよりも、さり気無い気遣いの言葉の方が良く響くのだ。
『死ぬなら何かを遺して逝け』つまりは『未だ、何も遺していない』。
死ぬ事を否定し、行動を促す言葉だった。
今後の付き合いに積極性を持たせたいが故の発言。ティベリスの目標は何か知らないが私の【目標】にすり替える事が出来るかもしれないのだ。
ティベリスが目を見開く。こう言った言葉を言われたことが無いのだろう。
「友の訓練法だろ?お前も何か生きた証を遺せ。人は死ぬが偉業は消えぬ」
ティベリスの心に火が灯るのを感じる。私を見つめるその眼が、まるで懺悔をするかのような弱者のそれでは無く、さかんな精力に燃え立つ人間の眼になったからである。
私はその為に存在する。
何も遺せず、路傍の石の様な人生を歩む人間が居る中で,荒野の中の1塊の黄金の様に光り輝く偉業が確かに存在する。
歴史に名を刻むのだ。
人類史は戦争で死んだ雑兵や何もしていない民草を記さない。
語られ、紡がれるのは何処の国でも偉人の人生だ。
未来永劫語り続かれるであろう偉業を遺す。私の生来の目標であった。
目標の無い人生は絵の描かれていないキャンバスの様に無価値だと知っているのだった。
「ヒロシ、私はお前が成す事を見てみたい。お前は技術の優れた国から来たに違いなく、的確で均整の取れた精神を持つその心性が、私に利するに違いないからだ。もう、やる事は決まっている。私も、お前も」
力ある目で私を睨む。少なくとも出会って僅かの人間に向けるような目では無いが、信念のある人間にしかできない眼差しであった。
私は笑い彼を見つめ返す。
「違いない。見物料は頂くが・・・特等席で見せてやろう。私の偉業を」
◇
さて、啖呵を切ったは良いが投資をして貰う以上は後々返却する金は少ない方が良い。
しかし、当然の事ではあるが大規模に事業を起こした方が大金に繋がるのは事実。ティベリスの伝手で貴族相手に商売が出来るにしても、高潔な客に物を売るのには実績が不可欠である為に私はフランチャイズ形式の商売を考えている。
先ずは市井に名を売る事が先決であった。
翌日、ティベリスに連れられ人頭税を支払った後、商人ギルドと宗教ギルド、医療ギルドで登録を行う。
貴族の権威は通じたようで何処のギルド入会にも費用は掛からなかった。
面白かったのは国がギルド内部で知識を独占させない為であろうか、帝国の優れた部分として特許の前進となるような法的な届け出が存在したのであった。
【知的財産の届け出をした帝国民は帝国が支配する領域内に於いて、その知的財産を3年の間独占し自由に使用して良い。知的財産はその届け出をした帝国民が使用許可を出した際に、それをギルドに報告する事で補償金の3割以上5割以下の使用料を支払い都度、使用できる。3年を経過した時点で届け出に元付く知的財産を帝国に献上する事で補償金及び使用料の総計を届け出を行った帝国民に返却する】
知的財産は補償金の金額を自由に決めることが出来る。補償金に大金を払えば、使用される都度に3割以上、上乗せされて後に支払われる。これは明らかな貴族優位の考え方であったが、平民でも有用な知識は繰り返し使用料が支払われるので最終的には何十倍にもなって返却される。
逆に、無価値な知識については3年間動かす事が出来ない金が生まれるだけであるが、補償金は帝国が預かる事になっているので、金利の無い銀行の代わりとしても使われているらしかった。
預けられた金は帝国が新しい事業の立ち上げに使用しているらしく、銀行の役割を国が負っているのであった。
ギルド登録を全て済ませると奴隷市に向かう。
帝国は奴隷を公的な産業として認識しているらしく、大通りにぼろ布を着て首輪を付けている奴隷が自分の得意な事を公言していた。
奴隷通りを散策する内に私は疑問に思った事をティベリスに聞いた。
「ティベリス、奴隷を縛るものはあるのか?」
「首輪と帝国法だ。奴隷は主人に服従する事を法で求められている」
「反逆は無いのか?」
「ある。そもそもが戦場から連れてこられた兵士や征服された村の人間だ。恨み辛みがあるに決まっている。故に、奴隷の主人はその奴隷よりも強くなくてはならない。如何に奴隷の心を折るかが奴隷商の腕の見せ所だな」
奴隷の反逆は帝国法で死刑と決められている。しかし、それを承知で誇り高い兵士や高貴な血の人間は反乱を起こす。その大体が大規模な物であるので、そういった奴隷を扱うのは貴族にしかできない。
そう考えると、私が扱えるのは1人2人が限界で、それも強靭な肉体を持つ兵士や死よりも自身の誇りを優先する人間以外になる。
「・・・私が買えそうな奴隷は少なそうだな」
ティベリスは朗らかに笑いを上げ、私の背を叩いた。
「はっはっは。奴隷を扱う者は大店の商人や貴族だ。自身を守る兵を持ち、その下に奴隷を置く。鉱山掘りや道を作る際には役に立つし、偶にではあるが大工や彫刻家が自分の弟子に買うのがこの国の常識よ」
「うーむ。体力の多い者が欲しかったのだが・・・。」
「逃げられた時に追えるのなら其れでも良かろう。逃亡中に帝国兵に捕まった奴隷は主人によって懲罰を受ける。大抵は・・・鞭打ちだが、懲罰の後の奴隷は使い物にならない場合が多いぞ」
事業に不全を起こしたくないので人手は欲しいが、如何にも私に扱える奴隷は少ないのであろう。
魔導書が貴族の書斎に在る世界なので服従の魔法でもあるのでは無いのかと期待していたが、そんなものは無いらしい。
まぁ、あったらあったで怖いのだが。
何人かの奴隷商の前を通り過ぎ、奴隷の声を聞き流していると黒いフードを被った長身の人物が話しかけてきた。
「奴隷、探しているか?」
「ん?ああ。」
余りにも意識を向けていなかった為に思わず返事を返してしまった。
骨格からして、男であろう。肩幅は広く、足首は外側を大きく向いていた。骨盤の形が横長な証拠である。女性の骨盤は出産をしやすい構造になっているのだから間違えようが無い。女でなければ男なのだ。
「これ、買うか?」
長身の男は左手に持つ鎖を私に見せつける。やや訛りが有るのが特徴的だ。
鎖の先には奴隷。肌は日に焼けて黄色人種の様で青銀糸の様な長髪に紫色の眼窩。年齢としては10歳に満たないであろう体の細さ。
今まで通りで見てきた奴隷と違い、ぼろ布では無く服を着ていた。
ティベリスは黙している。明らかな不審者であるが、奴隷の購入は私に決めさせるのであろう。
「こいつは何が出来る?」
これは確認しなければいけないだろう。
黒いフードの男は素早く真っすぐな声で答えた。
「動ける」
「???・・・そうか」
働けるでは無く、動ける。
服を着ている時点で他の奴隷とは明らかに違う。
だが、私の扱えるであろう奴隷の条件には合っていた。
「幾らだ?」
「金貨1枚」
成人男性の奴隷と同じ値段だった。
比べるまでも無く成人男性の奴隷を買った方が良い。
「何故そんなにも高い?」
長身の男は頭を横に振る。
「高くない。コルシカの子供」
これは・・・。面倒な手合いか?
私は奴隷の少女に話しかけた。
「おい、お前。何が出来る?」
少女は俯いていた顔を上げる。
少女の顔をはっきりと認識した時に私は驚きの余り声を上げた。
「なにっ!」
近くで見なければ判らないが、少女の紫色の眼窩の中に白の幾何学模様が見えた。
明らかな異常。この世界は髪色以外にも奇妙で、非科学的な人体の変化がある。
やはり、人類史の進化の中ではありえない何かがある。
「すこし、まほう使える。冷たくなる」
魔法?
私が唸っているとティベリスがフォローしてきた。
「偶に、世界の公式と呼ばれる神秘を感覚で扱う事が出来る者がいる。それが魔法使いだ。50人いたら20人に満たない程度は魔法が使えるものだ。大抵は星読みや燃焼、風を起こす程度で生活が少し楽になる程度の認識で構わない。そもそも、戦略級の大規模な魔法を扱えるなら兵士として何不自由なく暮らしていける」
「なるほど?」
超常現象の類を任意で起こせるのは、超能力者では?
当たり前の様に言っているが、この世界は私が知る人類史とは別方向に進化している様だった。
「ヒロシ、お前が言う程、高くはないと思うぞ。距離を考えるのなら魔法が使える分安いとも言える」
「問題は何故、服を着ているのかなのだが」
「旅をさせるのに、ぼろ布では途中で死ぬからだろう。ぼろを着ているのは近場の奴隷か元兵士だ。近場から拾って来た奴隷は土地勘があるので逃げられやすいし、元兵士だとお前では扱えない。と、なると魔法が使える子供の奴隷と言うのは悪くない選択だと思うぞ」
ティベリス曰く、おすすめらしい。
「わかった。こいつを貰う」
金貨を1枚、奴隷商に差し出す。
訛りの入った男は満足そうに首を縦に振り、鎖と首輪の鍵を渡して来た。
「焼き印、押す?」
流石に今後の扱いを考えると焼き印は良くないだろう。
「不要」
短い問答で返す。
思ったよりも早く買い物が終わったので食事の買い物をする事にした。
ギルドの顔見せに必要であったティベリスと別れ、奴隷と一緒に食料品と鉄鍋を買う。
宿は引き払っているが、ティベリスの伝手で居住型の屋台を手配して貰っている。
家族4人程度が住める部屋数とダイニングがあり、店舗は商店街の八百屋の様に開けている。夜は蝶番を閉めて戸締りを行う防犯に優れたタイプだった。
竈は使用歴が短いのであろうか使用感が無く、問題なく炊事が出来るだろう。
薪については備え付けの物があった。
始めの商売は市井に対しての宣伝を兼ねて食料品関係になる。これは毎日消費されている事と、昼食に関しては屋台などで買う事が多い帝国民の気質を視野に入れての事であった。
朝方から夕方まで肉体労働を行っている人間に対して売り込みを行う。客先として石工や土木関係の人間や冒険者ギルド関係の人間になると予想される。
売り物は簡単に安く、早く作れることからピザにした。
チーズと酵母入りのパンは今の所私にしか作ることが出来ないので他店と比べて差別化も図っている。
チーズとパンの作り方に関しては明日にでも、特許を申請する事にした。
今後の展開として経営形態はある程度の名声を得た後にフランチャイズ形式に移行し、10店舗を目標として契約を行う。
ある程度の資金が出来たら薬品関係を買い漁り、知識にある医療・薬品関係を製造し特許申請。
宗教は信者を増やすために広場で大道芸を1週間に1度行う。
信者は必要ないが、毎週同じ場所で演説を打っている男がいると言う認識が不特定多数の人間に認識されれば良い。
宗教を認識させる目的は他の宗教の信者共に不用意な問題を起こさせない為である。
以前、施しを与える若い修道女と問題を起こした。
時間の無駄であるのに加えて他宗教の信者と知れれば絡まれ難くなるのだ。
さて、店舗の準備に1日と考えると今日から酵母とチーズを作成した方が良い。
チーズはモッツァレラ。フレッシュタイプだが、ホエイに浮かべて涼しい処にでも置いておけば3日は持つだろう。パン酵母についても大瓶で6本分の仕込みを行い、これを使いまわす。
酵母菌はブドウでの培養を行った。これは、日常的にワインを飲むアクィタニア帝国人を考えての事である。
東方のマギは以前買ったものがまだ残っているので、必要な食材は殆どない。
材料の準備を済ませて、夕食の準備をする。
パンを2kg程度捏ねて2次発酵までを済ませて、大きな丸型に成形し濡れた布をかぶせる。酵母はティベリスの館で使った物の余りだ。
窯の中に薪を格子状に組み上げて、火を付けて格子が崩れるまで待っている間に、野菜を適当に切り鉄のスキレットに乗せた後、岩塩を削って下準備は終了。
果物はブドウが1房だけ余っていたのでそのまま食卓に乗せる。
「いや、そういえば・・・。」
奴隷を買う時に物を冷たく出来る魔法が使えると言っていた事を思い出し、奴隷に水を冷たくするように命令する。
「んっ!んー」
一種の掛け声だろうか桶を両手で持った後、強く目をつぶり、息を止めている様に見えた。
暫くすると、奴隷が水桶を私に渡す。手を入れて確認すると、キンキンと音が鳴る程に冷たくなった水が入っていた。
「よくやった」
頭をなでて奴隷を褒める。煽てるのは相手のやる気を出す方法の1つであった。奴隷は不思議そうに撫でられた所を擦っている。
私が確認する限り奴隷に疲労の色は見えない。
目の前で起こる超能力の分析は後に回す。私は水桶にブドウを入れて冷やす事にした。
暫くして窯が熱せられたら、成形した大き目のパン生地を6つ窯の中に入れる。窯でもオーブンでも均等に熱を入れたいのであれば初めに熱しておくのは料理の基本的な事である。
窯の熱気を閉じ込める蓋をして1時間程度放置。時間はスマートフォンで測る。
その間にやる事は・・・。
「お前、名前は?」
「ない」
奴隷との交流である。
労働環境をある程度保証しなければ、やる気に関わってくる。折角労働力を買ったのに怠惰に過ごされては此方の丸損になる。
「何故無いのだ?親はどうした」
「成人するまで名前は付けられない」
自我が確立するまで名付けないのは風習なのだろうと察する事が出来る。
「では、これからお前をコロと呼ぶ。以後、応える様に」
「うん、わかった。ご主人」
コロとは昔、実家で買っていたゴールデンレトリーバー犬の名前であった。
穏やかで優しい犬で、学生時代は朝方10km程の長距離の散歩が日課になった為、運動と勉強の均衡が良い状態に取れたのか、学業の成績にも良い影響を及ぼしていた。
私はコロを家族の様に思っていたが、私との散歩中、車に轢かれそうなネコを助けるために犠牲になったのであった。彼の凹んだ腹は今になっても鮮烈に覚えている。
コロは私との将来よりも、目の前の猫を救うために命を投げ出した。
私は口汚く運転手を罵倒し法的なケジメを付けさせたが、今でも思い出すたびに怒りが蘇る。
そして当時の私は裁判中に思い知ったのだった。
私がどれほど大切に思っていようとも相手が同じように思ってくれているとは限らない。
弁護士に事故の相談した結果、社会的な犬の立ち位置は家畜だった。社会的に家族では無いと証明されたのである。家族を殺されたと思っていた私にとって、その事実は胸を激しく打ったのだった。
それと同じで、目の前にいる奴隷も、アクィタニア帝国の法では人権の無い家畜と言うことになるのであった。
「魔法はどの様に使う?」
「全身に力込めると冷たくなる」
「ふむ」
私も試してみるが、如何にも使えない。
才能が無いと言う事なのだろうか。
分子を整列するイメージで脳内を満たしても水は氷にならなかった。
やはり、私の知る人類とは別の進化を遂げている。
「魔法はどの程度?」
「このくらいなら後、5,6回使える。それ以上は疲れる」
私が、魔法をいかに使うかの練習をしているとアラームが鳴った。
「焼き上がりか」
一度パンを焼き窯から出して串を刺す。残念ながら生地が付いているので生焼けであった。
アラームを20分後に設定しなおして窯の蓋を閉じる。
「コロ、お前の居た国はどの様な所だった?」
コロは顔を上げると私の隣に座り、答えた。
「砂が拡がる国。大きなオアシスの周りに町があった。お父さんもお母さんも病気になって死んだから税金が払えなくなって奴隷になった」
「病気?」
「うん。風砂熱。脚に赤い斑点が出来て熱が出る」
砂漠が有る程の乾燥地域に風邪に似たような症状。赤い斑点に死者まで出るとなると、コクシジオイデス症だろうか。
・・・・・・不味いのでは?
「コロ。お前を運ぶ奴隷商の中に同じ症状で苦しんでいた者は居たか?」
「1人居た」
コロが安い理由が判明した。
こいつはコクシジオイデス症の媒介者の可能性がある。
・・・吐きそう。
「お前は・・・何年まで生きたい?」
コクシジオイデス症は半乾燥地域の風土病で、病原性はペストに相当し、極めて強い。
当然ながら患者は隔離されなければならないし、コロが媒介者だった場合は接触した時点で私にも感染しているだろう。
宗教を作っておいて自分で祈るのはある種の皮肉に違いなく、運命の悪戯にはつくづく笑わせられる。
なんせ、現代医療においても播種性のコクシジオイデス症の治療は困難であるのだから。
風砂熱と呼ばれているのは、半乾燥地帯の限られた地域の土壌中に生息する原因真菌が強風や土木工事などで空中に舞い上がり、これらの分生子を吸入することにより肺に感染を起こす事を経験から知っているのだろう。『強い風が吹くと、砂と共に飛来し患うから風砂熱』と。
なお、0.5%で死ぬ模様。
コロは俯き、少し考えた後に答えた。
「わからない。けど、死ぬまで生きる」
「そうか」
私が労働力としてコロを購入した以上、元を取らなければならない。私が居た時代では人に値段を付けるのは非道徳的とされていたが、馬鹿と天才の値段の何方が高値なのかは誰でも知っていた。
言うまでも無いがコロには金貨1枚以上の働きをして貰わなければならない。
要はコクシジオイデス症の症状を発症した場合にコロの為に薬を作るか否かの問題になった訳だ。
なんせ、アクィタニア帝国では奴隷を殺処分できる。
ティベリスとの会話からこの時代には『未来』や『将来』という概念が無い事は予想出来ていた。
これは不可思議な事では無く、時間と言う現象の経過と順序を記述する一次元の連続変数の存在の認識は哲学思想から生まれたものであるので、時代によって認識が違う。
例に、どの時代でも人間は息を吸わなければ生きてられない事は知られているが、何を吸っているのかは解明されていない時代があった。これは目に見える物体以外の認知が出来ず、空間が『無』であると考えられていた為だ。
つまり、一般認識として『目に見えないものは空想上でしか証明できない』と言う事である。
医療・宗教・哲学に呪いの類が紛れているのはこの為だろう。私は宗教ギルドで正式な書類を用いて『もちゃめちゃ教』をティベリスを交え登録した。
当然ながら自身を守る盾にするつもりである。布教活動を行うに当たり多数の思想において道徳的で善良性を持った宗教でなければ帝国からの処罰があるが、『目に見えない現象についての解釈を宗教的な観点で行うことが出来る』。
現在の帝国の文明の程度を見るに、大変重要な部分であった。
「よく食べていた物はあるか?」
食べている物を聞くのは、その国の社会性や環境を判断するためである。
食べ物に関心が無い国の人間は他人が作るからと言う理由付けが出来る。また、食べている物から土地は乾燥しているのか、風が強いのか等の風土をある程度予想を付ける事が出来る。
「薄いパン、塩のスープ、たまに羊肉。貧乏だった」
アクィタニア帝国は大規模な征服事業の関係で移民が多い。
様々な人種が入り乱れる中で商売の相手になるのは勿論、この国に多い人種になる。
特に食べ物と言うのは地域性が根深く反映されるものだった。移民の国の特徴として、多文化の融合が起こり各地域の特徴に根ざした文化が生まれる。
巨大な大陸において北は凍える程に寒く、南は照り付ける様に熱い。その中で育まれる文化は多種多様であり、別種族の生活が入り乱れている以上、それぞれの種族を尊重するか或いは個人主義的な思想が有るのを実感していた。
この国については現在、産業革命以前の形態を取る成長期であり技術、特に絵画や彫刻、音楽と言った生活に必ずしも必要でないものの発展が目覚ましい事を考えるに安定期ともいえる時代であり、かのローマ人の様な実利的な思考から政策の寛容さが伺える以上は娯楽を求めている気質が有るに違いないが、その優雅な娯楽の為に健全な政治原則を曲げる民族では無く、奴隷の値段からも征服事業の際に出る大量の奴隷が安い値段で買い取られているわけでも無い以上、異国からの奴隷供給は少なくなっており、奴隷の値打ちが高騰して言っている最中であると言える。主人が持つ生殺与奪の権利が個人から取り上げられていない以上、その権利は乱用される傾向にあると考えられるが、今後長期的に見ると奴隷の値段は上がり続けるだろう。
「そうか、いつか作ってやろう」
生殺与奪の権利が主人にあるとはいえ、折角買った奴隷を簡単に潰す気はない
従業員の心の安定が作業効率に影響するので、ある程度の融通をしてやるのは雇い主の義務だ。
羊肉については家畜に向いている事からこのアクィタニア帝国の畜産の半分程度を占めており、残りは、豚、鶏、牛、馬。の順で多い。畜産は盛んであるがその品種・遺伝子改良が加えられていない事もあり味はお察しだったが先日の家庭教師ごっこで買った肉串の味を考えるに料理の基本的な考えは市井に伝わっては居ない。血抜きの処理に関しては現代と変わらずとも保存している環境は温暖な気候にも拘わらず保冷の考えが無く、塊肉を机か地面に敷いた藁の敷物に直置き販売で衛生的では無かった。
私がする事業のライバルはそれらと言う事になる。商売に関して事業を1つに絞り込むのはリスクが高い。その1つの事業に負債が出た時点で事業の負債が確定するからだ。
事業は複数行う事で一か所に負債が出ても、他の利益で補う事で平均的な損失を抑える事が出来るので別ジャンルの事業を複数起こす。
最終目的は宗教及び医療関係の従事による高給取りになる事で、食品のサービスに関してはある程度のブランド化が出来た時点でティベリスに権利を売り渡す算段だ。
スマートフォンのアラームが鳴る。
奴隷とのコミュニケーションはあまり良い物では無かったが初めて会う人間同士なのだ。今後に期待する他ない。
私は窯を確認して、パンに串を刺す。
「よし、完成だ。食事にしよう」
外を見れば夜の帳が落ちている。
チーズを作り、パン生地の作成と焼成をするには意外と時間が掛るのであった。如何に効率化するかが今後の課題だ。
コロと対面して食卓に着く。
コロに焼きたてのパンを半分に千切ってチーズをのせた後に渡した。
パンを口に含むとパンの熱で半液状化したチーズが柔らかく口の中に溶けた。うまい。
「おいしい」
コロも気に入った様子だった。
私はブドウに手を伸ばす。冷えたブドウは僅かに甘く、酸味の方が強い。味が全体的に薄く現代の品種改良の素晴らしさを強く感じた。好みの味ではないがパンだけでは栄養価が足りていない。栄養学は近年の研究で明かされてきたものだ。この時代で考えると平民の多くに腹に溜まる炭水化物が好まれ、栄養不足を原因とする平均寿命の短さが顕著に表れる。
食事を食べ進めているとコロの手が止まる。
「もう、お腹いっぱい」
「ブドウも食べなさい」
2kgのパン生地を6つに分け、それを半分。約160gの重量のパンと少しのチーズでコロの食事が終わる。この食事量は明らかに少ない。コロの見た目は10に満たないが・・・。
「コロお前、年齢は?」
「11歳」
栄養不足が原因だろうか、現代で言うと5歳の食事量よりも少ない。
明らかに危険だ。先の貧しかったと言う発言から胃が縮まったと言う事は察する事が出来る。
「そうか・・・。ブドウをもう少し食べなさい。病気になる」
免疫力が高ければ病気になりにくい。現代では当たり前の事だが現代でも発展途上国の平均年齢は低い。
これは、空腹だからでは無く、栄養バランスの教養が無い為に腹に溜まる炭水化物を好むからである。
言うまでも無く免疫の低下から風邪を引きやすく、病気になりやすく、怪我が治りにくい。
「もうお腹いっぱい」
「わかった。ジュースにする」
私は手に残ったパンを口に含みブドウの房を半分ほど分解し皮ごとすり鉢で磨り潰す。
木製のコップの半分程度のジュースが出来上がり、砂糖と水を少量加えて調味した。
「ほら、これを飲んだら歯を磨いて寝とけ」
コロは木製のコップを受け取るとジュースを一口、口に含んだ。
私はこの時、始めてコロの笑顔を見た。
「甘い。ありがとう」
「ああ、どういたしまして」
軽く頭を撫でてやる。ジュースにした時に出た、ブドウの屑は残りのブドウと共に私の腹に入った。
食事の後には件の薬草を口に含む。ここ数日の間、歯磨きの代わりになると言われたこの薬草の効果を感じる事が出来ずにいた。なぜなら歯の表面のざらつきは取れても歯間の汚れを取り切れていない気がしたからだ。これは、歯ブラシを日常的に使っていた私の習慣に関わる違和感であった。
そこで私は薬草を噛んだ後、歯間に粘り強く細い糸を通して歯間を磨き、歯の表面は布で磨く事で歯ブラシの代わりにしていた。
「何やってるの?」
コロは私の様子を見て不思議そうに声を掛けてくる。
「歯磨きだ。如何にも薬草のみと言うのは体に合わなくてね」
ティベリスの歯を見る限り薬草を噛むだけのアクィタニア帝国の歯磨きの仕方には問題が無いのだろう。
あの年齢まで歯を失っていない事が理由に挙げられる。歯磨きをしていなかった中世には40代には全ての歯が抜け落ちていたと言う話を知っていたからだ。
まあ、習慣に固執するのは仕方なく感じる。別段悪い習慣で無い事も考えれば特段、絶つべき習慣では無いだろう。
ろうそくの灯が薄暗く部屋を照らす。ティベリスの館とはまた違う光の色に多少満たされた腹の具合を確かめながら藁のベットで眠りの準備をする。
「コロは此処で寝なさい」
「うん」
コロを別部屋で寝かせる。
私はコクシジオイデス症の症状が出ない事を祈りながら明日の特許申請の事を入念に頭に描き、眠りに付いた。
◇
翌朝、日が昇るとともに目が覚める。
今日は朝から特許の申請をして、その後に露店を冷やかす予定だった。市井にある薬草の種類を見極める事が目的で序でに冒険者ギルドにも立ち寄る予定だ。
私はコロの部屋に向かい彼女を起こす。
「コロ、起きろ」
コロの寝起きは悪いようで目を擦りながら頭を下げている。
私はコロの手を握りながらダイニングルームへ移動し、食卓へ座らせるとキッチンに移動し、昨日焼いたパンをナイフで薄切りにすると上にトマトとキャベツの千切りを乗せて上からドレッシングをかける。
ドレッシングは玉ねぎを擦り降ろしオリーブオイルと塩と酢、東方のマギを調味し混ぜ合わせた物で、味わいは辛みが僅かにあるイタリアンドレッシングでオープンサンドをイメージして作ったものだ。
飲み物は水で飲料水は昨日パン生地を練る際に、井戸から汲み上げたもの。
「良く噛んで食べろよ」
「わかった」
野菜を基調としたオープンサンドの出来は良く、贅沢を言えばトーストしたかったが薪の値段なりを考えると店舗を開店させてからの方が良いと考える。
2人とも食事を摂った後は軽く運動をして共に家を出る。露店はかなり早くから営業していて、夕方日が落ちるまでは開店している所が多い。朝早く営業しているのは商人や冒険者たちが動き出す時間帯を狙っているのだろうと考えられる。彼らの忙しさから自分で食事を作る事は少なく、露店の食事を買う傾向にあるのだった。
商人ギルドへ向かう途中の露店の傾向を確かめながら進んでいると少し目に付く露店が有った。
その露店は食品では無く飲み物のみを販売しており、その販売形式が喫茶店のセルフサービスに近い物を感じたからだ。
私はその露店に近づき店主に声を掛ける。
「店主、何を売っている?」
「ああ、兄ちゃん。ご覧の通り飲み物さ。2種類のジュースから紅茶まで。水筒かコップさえ出して貰えばそこに注ぐよ!お代は1杯で4分の1銅貨。飲んでくかい?」
「ふむ。飲み物を淹れる容器が無いのだが」
「おや?水筒を持ち歩かないなんて変ってるね。まあ、容器を忘れてくるなんてよくある事さ。うちではコップも2分の1銅貨で売ってるけどどうする?」
「折角だし、貰おうか。コップは2つ2種類のジュースを1つずつ」
私が気になったのは値段設定。銅貨をさらに分割すると言う物がどのような物なのかが気になったのだ。
「あいよ!・・・銅貨2枚の受け取りだから2分の1銅貨のお返しね」
私が渡されたのは半分に分断された銅貨だった。一回り小さな銅貨が専用に存在するわけでは無かったので市井の特殊な文化なのだろう。
私は露店から少し離れてコロに片方のジュースを渡した。
「いいの?」
「構わん・・・。甘くないな」
ジュースは砂糖で調味されておらず、品種改良されていないのだろう。渋さと酸味があり、水っぽい。
水で薄めたワインの様であった。
「甘くないね」
コロはやや不満げだった。言うまでも無く昨日の調味した物と比べているのだろう。
「調味していないのだろうな。砂糖も高い物だから値も上がる。安いと客層が広がるから良く売れるのだろうな」
商売は純利益で判断するべきだと思うがそれも場合によるのだ。
ここに出入りしている人間もそういう人間が多いと言う事に違いない。貴族が態々露店で買い物をしない事も騎士との会話から察する事が出来た。
大抵の露店は労働者の物である。
私とコロがジュースを飲み終えるとコップをコロに持たせ、商人ギルドに入る。
信頼を大切にしなければいけないギルドであるだけあり、他のギルド内の雰囲気よりも清潔で受付も美しい人間を集めている事はティベリスと共に登録をした時点で感じていた印象である。
私はギルド所属を示すギルドカードを受付嬢に見せて特許の申請を行う。
「貴方は確か、アウグストゥス・ティベリス前領主様と一緒に来られた・・・」
「ナイハラと申します。さして縁が無いにも拘わらず覚えて頂いていたのは感服です」
受付嬢はにこりと笑い言葉を続けた。
「アウグストゥス・ティベリス前領主様が連れて来た異国人と言うだけでも注目されるものですよ。市井での有名人でもありますし富国強兵を進めた方でもあります」
「ああ、そうらしいね。ティベリスには世話になっている。して、この商人ギルドで知的財産の届け出をしたいのだが、よろしいかな?」
「ええ、勿論。掛け金は幾らになさいますか?」
「金貨10枚を2つ」
「え・・・。あ、確認ですが金貨10枚でよろしいですか?」
「ええ、処理を頼みます」
知的財産に関しては掛け金が多ければ多いほどその使用者に対して請求できる金額が高くなる。
帝国の考える知財は金を持っている貴族に有利に働くが、市井の人間が知識を提供するだけで金を得る事が出来ると言う事は、帝国はそれだけ知識を重要視していると考えられる。
兵力・財力・知力。あらゆる分野の力を欲している事を隠そうともしない帝国の野望は凄まじいの一言である。
「えっと、では知的財産に当たる内容を出来るだけ詳しくこの紙に書いてください。詳細であればある程知的財産として認められやすくなります」
「知財と認める人間は誰がするのかね?」
「ナイハラ様はアウグストゥス・ティベリス前領主様から直接ご紹介された方ですので、知財をギルドで1度預かり直接帝国の文官に渡されます。ギルド内には帝国所属の文官がいますので・・・」
「その文官に書類内容を説明する為に対面できますかな?出来ないのであればティベリスを連れてきますが」
「出来ますが・・・。あの、大変厳しい方ですので賄賂は通じませんよ」
受付嬢は最後の言葉を小声で話した。
知的財産と認められるには本来、ギルド受付での承認とギルドに派遣された文官の承認が必要で、その両方に承認された後に知財と認められるらしい。
ギルド受付での承認はこの受付嬢に不備が無いのかを確認され、その後に文官に書類が渡ると言う仕組みらしい。
「あー。大変有用な知財だと自負しておりますので考えの浅い方だと私が困るのです」
本来の目的は違う。権力者が知的財産を横取りしていないのかを確かめる為だ。
受付嬢は少し興味が出たのか少し早口で答えた。
「かしこまりました。では、書類の記入をお願いします。」
受付嬢から記入用の紙を貰い『パン生地の作成方法』と『チーズの作成方法』の記入をする。
『酵母の作成方法』で無いのは酵母はパン生地に使うだけで無く、ワインの質の向上やその他、発酵食品にも使用する事が出来るからだ。
酵母がどれだけの食品に使用できるかを明記しない以上、パン以外の使用方法が解らない。なぜなら、目に見えない生物の研究は帝国ではされていないからだ。
1時間かけて書類を書き上げ、受付嬢に渡す。
目に見えない物体の説明は難しく、証明するための顕微鏡についてもガラスの値段を考えると難しく、医療を出来るだけの段階に至っていない以上、呪いの様な宗教的な言い分も必要だった。
受付嬢の確認が終了し別室でコロと共に文官の元に通される。知的財産は個人財産と言う認識からだろう。扉が厚く誰も聞き耳を立てる事が出来ないであろう部屋だ。
「失礼します」
部屋に入室し、席に通される。
テーブルを挟んでソファーの対面に腰掛けた。相対するは青髪を短髪にした男性文官。細身ながら筋肉質を感じさせる体格に、白く緩やかなローブの様なものを着ている。
「ナイハラさんでしたね。アエサルと申します。話は伺っております。この面談の意図は?」
「ナイハラと申します。知的財産の登録は初めてでしたので、どの様な人間が作業をして居るのかを確認する事です。ギルド内で握りつぶされたく無いものですので。ティベリスが悲しみます」
首を傾げてとぼけた様にジェスチャーをする。
ティベリスと共にギルドに登録したことは周知であるが、縁の深さをアピールする事で相手を牽制する。
頭の早い人間と話すのは疲れるのだ。
「我々をお疑いで?」
「顔も知らない人種と取引は出来ません。商人なら当然考える事かと」
「確かに。して、この知的財産の価値は?私が知る限り、パンは市井に溢れている。別種の作成方法が有れども貴方の掛け金はあまりにも多い。支払いをしてまで使いたい人間が居るとは思いませんが」
「認識の違いの訂正を。【パン】では無く【パン生地】です。このパン生地には発酵過程と言う他種と違う作業が複数入ります。目に見えない菌と呼ばれる生物を使用する方法です。市井に存在する物はこの工程を入れていない為に保存期間が短い。作り方によっては2カ月は保存が利くものですので保存食としてのパンを提案している形になります」
アエサルは少し考えた後に知的財産と認めた。
「結構。目に見えない物の使い方の一例として知的財産と認めます。」
「チーズの方は如何様にお思いで?」
「新種の保存食としての価値を認めます。幸いにもアクィタニア帝国は畜産が盛んで冬季の寒さは厳しい。干す・塩漬け・砂糖漬け・燻製以外であれば、家畜を冬に解体する位しか保存方法が無かったのが実情である以上は保護するべき知的財産と認めます。掛け金を少なくして頂けばより市井に広まるかと思いますが?」
文官のアエサルが勧めているのは知的財産で稼ぐ方法だが、私が目指す商売の形ではない。たった3年で帝国に献上と言う形で知識を徴収される以上はそもそも知的財産で稼ぐと言う選択肢は無くなる。
なぜなら、新しい知識を確立させても3年しか商売が出来ないのだ。働かなくても金が入り続けると言うのはメリットであろうが、3年間の期間設定がされている以上は労力に見合わない場合の方が多い様に感じる。
「否。両共に掛け金は其の侭で」
「そうですか。では面談は終了としましょう。アウトゥグス様によろしくお願いします」
「ええ、有意義でした。ありがとうございました、失礼します」
私は一礼し早々と部屋から退出する。
ティベリスの小間使いと勘違いされていたきらいはあるが、今後の活動に影響しない事を考えるに訂正の必要はないだろう。
コロを連れてギルドを出る。
特許の申請が予想以上に早く終わった為に薬草を探しながら露店を冷やかす。
幾つか目ぼしい露店から薬草と呼ばれている物を種類を優先して買い、使用方法を聞き取る。
「これはどの様に使う?」
「へい、旦那。こいつは擦り降ろして傷薬に・・・。」
ある程度の使用方法を聴き取り、脳内にある薬草の効能と比べるに原産地特有の薬草を何本か見つけたが基本的に科学的な物ばかりで、例えば飲んだら腕が生えてくる様な不思議な薬や薬草は無かった。
「ん?主人。これはなんだ?」
其処には布に巻かれ、米の様に小さく灰色をした小動物の爪の様な形をした実があった。
他の薬草に比べて若干、高値だ。
「これは『麦の爪』ですぜ。ライ麦が実を付けた時に稀にこんな形になるんでさぁ。貴族様が偶に買うんでこうやって纏めて袋に突っ込んでるって訳です」
麦角菌という物が有る。
小麦、大麦、エンバクなど多くの穀物に寄生する菌類で麦角アルカロイドという物質を含み、麦角中毒を引き起こすが歴史を見るに、宗教的に使用されてきた有用な毒物だった。
「店主、これを貰おう。2袋だ」
「あいよ。お買い上げ!」
店主は機嫌が良さそうに銀貨を受け取ると2袋の麻薬の原料を渡してくる。
折角、宗教を作ったのだ。儲けを得る為には良い薬も、悪い薬も必要だった。なんせ、法で禁止されていない事に加えて、この国の人間は高純度の成分を抽出する事も出来ない。
・・・勝ったな。
コロは私が気分が良い事を察した様で私の顔を下から覗き込んで来た。
「ご主人。これ、何に使うの?」
「私の宗教さ。法で禁止されていないから良い金になるだろう」
「ふうん?」
コロは興味が無いのだろう。帝国の法ではクスリは薬だ。禁止されず罰則も無い。そして宗教ギルドが存在する。私でなくとも悪い考えをするだろう。
敵対する同業者を亡ぼせるだけの力が必要だ。
「悪い顔してる」
コロは私のスーツの袖を引っ張り他の露店に向かおうとしている。
私は探す薬草を確定させた。此方は依存性が無いので儀式に使う。依存性が高い方も欲しい。
「あはははは。未だ悪くない。何れ悪くなる薬を作ろうと思ってね。料理の売れ行きも良くなるだろう」
国で禁止されていない以上は使用を躊躇う必要はない。効果についても患者が多くなければ公に取り締まる事は出来ないし、薬としては売らない。思わずに笑い声が出てしまう。
結果とは準備が8割を占める。
水面下での準備はとても重要だ。
私は良い笑顔で露店をめぐる。目当ての薬草は見つける事が出来なかったが温暖で乾燥地帯もある以上は近くに存在するのは確定的で、その効果を知っている人間が居るに違いない。
知っている人間が独占しているのかその効果を知らないのかは解らないがこの状態は大変良い。
「うーあー」
「コロ。今は気分が良いから好きな物を買ってやろう」
「じゃあ、お肉と甘いジュースとご主人のパン」
「良いとも」
隣を歩くコロの頭を撫でながら昼食用の素材と黒く厚手の布に蒸留酒と石油を買い込む。
コロに荷物を持たせているのは筋力の増加を期待しての事だ。役立たなければ売り払わなければならなくなるのだから。
私は気分が良いまま昼食を作る。
パンは薪を使ってトーストに。上からチーズを掛けて薪の熱で溶かせば1日経ってやや乾燥したパンも美味くなる。
ブドウも砂糖を加えて調味してジュースに。肉は薄く切り塩を掛けて薪で焼き葉物野菜と別で合わせて野菜炒めにした。
分量は昨日の倍。年齢に対して胃袋が小さいコロには満腹する分量だろうがある程度食べてくれなければ健康に関わる。食べない人間の寿命は短い。無理にでも食べなければ死ぬのだ。
私の見立てではこの国の食事について典型的な肉食文化であり、ビタミン類を家畜の血や僅かな穀物から補っている。ティベリス宅のあの料理については未完成であるが栄養を考えるに人々は日常生活の上で必要な食事を理解しているのであろう。
ライ麦だけでなく様々な穀物類を販売しているのはそういった多種族の知識から得られた知識なのだろう。畜産は盛んだが農業は十分でないことを帝国は知っており、国民に支配した土地を耕させる政策については此れに対応するための物だと考えられる。
肉体労働者については帝国の8割以上を占めているのが現状で娯楽が少ない。この『麦の爪』を元に民間への娯楽を提供できる。
私の昼食は終了しコロが満腹しながらも少しずつ昼食を食べているのを傍目に見ながら早速、有効成分の抽出準備に取り掛かる。
これからの作業は石油の蒸留分離を室外の庭で済ませ、蒸留酒を2回蒸留分離。高アルコール液を作り出す頃には夕方になるだろう。石油の不純物除去に使用する水素発生装置は電気が無いので作成する事が出来ないので石油には硫黄やタールが含まれる事になるに違いない。
「・・・まぁ自分で使わないし、良いか」
被検体は路地裏の貧民等。危険性ゆえに自分で使用する予定は無い。先に石油の蒸留分離作業を行いながら販売経路について考える。
呪術や儀式を行う宗教組織への販売を主に行う予定だが直接の取引は武力の関係上出来ない。間接的な、それも複数の企業を巻き込んでの取引を行う。出来れば5社から6社。機密性を高めるために販売用の奴隷を用立てなければならないだろうか。それでも聡い人間には気付かれるだろう。不特定多数を雇い入れる方が良いだろうか。
「うぷぃ。ご主人。食べ終わった」
コロが完食した皿を前に膨れた腹を擦っている。昼食からこの時間まで2時間程度。胃袋は伸縮しやすい臓器だ。数日で拡張される事だろう。
「よし、休憩したら皿を洗っておいてくれ。夕食は軽くする。それと、火は絶対に使うな」
「わかった。少し休むね」
コロは食卓のベンチの様な椅子で横になる。吐かれても困るし直ぐには動かせないのは明らかだった。
私は作業着に着替え、原材料の作成作業を続ける。
手軽に買うことが出来る赤ワインのアルコールの蒸留には連続式蒸留器と同じ効果を得るために2回行う事にしたが今後、自身でもアルコールの醸造をしたいと考えているので1度目の蒸留の程度を見る必要もあるだろう。
作業時間は短いがどちらの蒸留も見張る時間がかかる。同時に進行しているが予想以上に石油の蒸留分離の匂いが拡がる。これはガスだっただろうか、石油は少量の為に誘爆の確立は低いと思うが次回の精製は別の場所を考えなければならないだろう。
蒸留したアルコールの方に匂いが付いたら販売できなくなる。
ふと空を見上げながら肺の空気を出し切る。
周りに拡がるガスの匂いに包まれながら蒸留器を熱する薪の燃える音がパチパチと響いた。
夕方になる前には原材料の精製が終了した。
ガラス瓶に石油の上澄み、中層、低層部をそれぞれ梱包しアルコールは1度目の蒸留液をワインの瓶に戻す。ワイン3本が1本分以下になったので体積で言うなら度数は50°程だろうか。瓶を振って確認すると気泡は直ぐに消える。アルコール度数の高い液体は瓶を振った後の空気の分離速度が水よりも速いのだ。これは水よりもアルコールの方が軽い事を示している。
「よし、十分だ」
このアルコールには蒸留時にヘッドと呼ばれる最初の100mlのメチルアルコールも含まれているので有毒で飲料には向かない。
味見は出来ないが、今回は精製用の薬品として扱うので問題は無いだろう。
蒸留結果を棚に整理する。
火気注意の薬品が並んでいるのでリビングうから最も遠い部屋の更に暗がりを示す棚の中に黒い布を被せた。気化した液体は危険物に分類されているのだ。
リビングに出るとコロが汲み上げた水で洗いものをしていた。
「コロ、奥の部屋の棚の物には絶対に手を出すなよ」
「わかった」
コロに簡単な注意を促しキッチンに向かい湯を沸かす。
その間に1人の大人が入る事が出来る大きな木桶を庭に出して水を少し入れた。
蒸留の過程で出た蒸気での匂いが体に纏わり付き、酷い匂いだ。作業着は洗わなければならないだろう。
キッチンの水流し場で皿洗いを終えたコロが皿を重ねて収納していた。
確認するに湯も沸いた様だった。
「コロ、裸になれ」
「えーと。まだ、相手出来ない」
「何を言っている?風呂に入るぞ」
「・・・・・・うん」
私は大き目のタオルを2枚に手ぬぐいを2枚出す。
石鹸は質が低い物が1つ手に入っている。アクィタニア帝国は香水文化が発展しているせいで石鹸の質が悪いのだ。
湧いた湯を庭の木桶に入れて水温を手で確認する。やや熱いが2人で入るので直ぐに冷めるだろう。
「ご主人。来たよ」
コロが庭に来たので木桶で入浴する。深さは無いが大きな円状で、今の時期は温暖な気候であるので肌寒さも無い。
石油の蒸留分離でべた付いた肌を湯に入れた手ぬぐいで擦る。石油を洗い流すには足りないが、ある程度全身が温まってからでないと折角の湯が勿体ない。
帝国では湯や水を使用するには労働が必要なのだ。日頃の疲れをゆっくりと湯に溶かしたいのが心情だった。
「おー。入っておけ。水浴びは如何にも入浴した気にならん」
コロが木桶で胡坐を掻く私の脚の間に入る。
私は脚の間のコロの背中を湯に浸した手ぬぐいで拭ってやる。全身が湯に入らないので上半身は湯に入れた手ぬぐいを通して湯の熱を感じる他ないのだった。
「あったかいね」
コロも気に入った様子である。
「いずれはもう少し真面な浴槽を手に入れたいが今は此れで我慢だな」
「十分じゃないの?」
「冬場に対応できない。繋ぎでサウナでも作るか」
そう、帝国の冬は厳しいらしい。先の知的財産の申請時にギルド長が言っていた事であるので確定的だと考えられる。冬場の準備は各家で行うので私も数週間を掛けて準備する気でいるがどの程度の貯蓄が必要なのかは現地民の経験に寄るし私が商人ならその時期の食料や燃料は高値で売るだろう。
結果、薪や油などの燃料はその使用頻度が減り勝ちになり、値が下がるであろう温暖な時期から準備する事が大切な事に違いないのだが、何分場所を取る。部屋の空間が減るとその分他の商品の在庫を持つことが出来なくなるので収入が減る可能性が出てくる。こういった物は経験が物を言うのだ。私には重要な経験が無い状態だった。
「冬は仕事が無くなるだろうから小さいサウナ室を作って小金を稼ぐか?」
食事から環境を特定し環境から不足しがちな物を想像しそれを補う事業を立てる。
人間は欲しい物が出来た時にその欲を刺激する販売形式を取れば金を払うのだ。趣味に置き換えれば解り易い。他人から見たらさして価値の感じない絵画でも趣味を持つ者からしたら千金の価値がある可能性もあるのだ。
コロの体を手ぬぐいで拭いながら考える。帝国には足りないものが多い。市井にも貴族にも不足を感じるのは私が元々恵まれた社会に居たからこそ感じる事が出来るのだろう。
「ご主人?また考えてる」
「ああ、石鹸を使うか」
コロの頭を濡らして石鹸を手ぬぐいで泡立てる・・・。泡立たない。
「この品質だと自分で作った方が良いな、ティベリス宅の石鹸は泡立ったのだが。コロ、これを使え」
浴槽から出てから泡立たない石鹸を使った手ぬぐいをコロに渡す。
コロは自分の体を手ぬぐいで洗いだした。私も石鹸を使ってみるが使用後に肌にツッパリ感がある。
石鹸に使用した油分の配分が少ないのだろう。帝国では油はやや高価だ。ケチったに違いない。
「背中洗って」
身体の前面を洗い終えたコロが手ぬぐいを私に渡した。
「ああ、後で私のも頼む」
コロと背中を洗い合いながら今後必要な物を洗いだす。
風呂の時間は瞑想するのが日課であったが、現状は足りないものが多すぎる。考えなければ。
身体を湯で洗い流し頭皮をマッサージするように髪を洗う。石鹸を使うと髪のキューティクルが消失しそうだと考えてしまったのだった。
香水文化の弊害を感じる。
「ん?石鹸に香水を混ぜてみるか」
悪くない気がする。1度試作品をティベリスに売りつけて反応を見る事にしようか。
私はコロの髪を湯で洗いながら事業になりそうな物を洗い出して行った。
◇
翌朝。
昨晩から『麦の爪』の有効成分を石油の上澄みで抽出した。数日後に次の工程に入る事が出来るだろう。
日課となった酵母の空気混ぜと新しく瓶に酵母を作り始める。明日の開店準備をする為に今日は忙しくなる。
牛乳からチーズを作成し大きなボール状に丸めて上から重りを置き水分を抜く。
先日作成した酵母菌の出来を確認してから薪の在庫の確認。コロがベッドから起き上がって来たので朝食を取り、昼までにピザに塗るトマトソースを作る為に買い出しを行った。材料は温かい露店に其の侭放置されるのを防ぐ為にコロの魔法で保存。
後は夜にトマトソースを作り翌朝からパン生地を作れば販売できるだろう。
昼を過ぎた頃に客寄せの作戦を立てていなかった事に気付き慌てる。万全を期して準備したと思っていたらコレだ。
なろうでは短編として公開させていただいていますが、カクヨム様では連載として公開しています。
徒然なるままに書いていたので文字数以内にまとめる事が出来ませんでした。
その3で主人公の過去編をやると思います。
作品をサイト様で分けて公開しているのは別の機能で書く為です。
この作品は脳トレの一環として物語を考える為に書いていますので、覚える事が多い方が作者として都合が良いと考えております。
連載版は下記からどうぞ。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054921222218
こんな作品でも貴方のご感想を頂けたら幸いです。
どうぞ、御指南をよろしくお願いします。