旧駅舎時計台にて
待ち合わせの緊張って慣れないですよね。未だにもどかしいです。
ご評価お願い致します。
Twitter:@kiriitishizuka
私はキッチンに入ると、食器棚の下をごそごそと漁り、その戸棚に隠してあった小倉デニッシュの菓子パンを引っ張り出した。
賞味期限は1日過ぎていたが、特に気にする素振りもなく封を開けると、それをむしゃりと頬張った。
デニッシュの茶色い欠片が口につき、それを舌なめずりしながら取っていく。
行儀を気にすることもなく、食べ歩きをしながらリビングにおいてあるテレビリモコンを手に取る。
刷り込まれた無意識行動のように、私はテレビの電源をつけた。
テレビでは夕方のニュースの始める前、ちょうどテレビショッピングの時間帯であった。
最新式の掃除機を今だけ特価と連呼する男性販売士の溌溂とした声が耳に飛び込んできたが、あまりにも耳障りであったためにすぐさまその電源を落とし、自室へと向かっていった。
自室のドアを開けると、暗がりの部屋の中に一点、白い光が灯っている。
照明をつけると、布団の上に放り投げた携帯に通知が一件表示されていた。
携帯を手に取り、横にスライドするとアプリには30分前に送ったメッセージに返信が返ってきていた。
『ありがとうございます!僕は三澄海斗です!宜しくお願いします(絵文字)』
淡白なメッセージのあとに、可愛らしいマシュマロのようなキャラクターの小さな手を挙げるスタンプが送られてきていた。
これは会話を続けてもいいんだろうかと、私の頭に疑問符が湧いてきた。
空欄のメッセージの上に指を置いたまま、少しの間黙り込んだ。
考えても仕方ないと思い、とりあえずプロフィールで目についたサーフィンの話題を振る。
『サーフィンやられてるんですか?』
可愛げな文章を作ろうとするも、どんな顔文字を使えばいいのかが見当つかない。
そうして打ち込まれた言葉に、なぜか落ち込みを覚えてしまった。
「はぁ」とため息交じりにもう一度布団へとごろごろと横に転がる。
普段とは違う誰かの言葉を待つという行動が、脇腹をくすぐるようにして体にむず痒さを走らせる。
意味もなく携帯の画面をじっと眺めながら、ポチポチと意味もなくアプリを巡回し始めた。
ピコン
それは思っているよりも早く、メッセージが届いていた。
恐る恐る通知をタップすると、『そうだよ!』という短い文章の後に、1枚の写真が添付されていた。
海パン姿の2人の男性が肩を組み合ってこちらにピースを向けている写真だった。
真ん中に写るのは三澄君、左隣には白髪交じりで短髪の彼に似たおじさんがいる。
多分、彼のお父さんなのだろう。
私は思った通り、『隣はお父さん?』と文字を打つとそのまま送信ボタンを押した。
たった少しの会話でも面として話さなければ、どうも文字を打つ気力が湧いてこない。
彼とは話を続けたいのだが、文字だけは少しだけ肩を凝る。
ベッドの隅にある充電器に携帯を接続すると、吸い込まれるようにしてまたベッドへと横になった。
一階のキッチンからは、ガシャガシャと食器を取り出す音と、冷蔵庫を開ける音が聞こえる。
母が夕飯の支度をし始める時間かとふと、携帯を見るともう時間は18:00になろうとしていた。
夕食が出来上がったら、起きればいい。
そんなことを頭で考えながら、私はゆっくりと瞼を閉じた。
◆
彼と出会った日から一週間が経った。
私は鎌倉駅西口の旧駅舎時計台で一人、彼の到着を待っていた。
時刻は10時50分を指し、あと10分で顔を合わせると思うと、その気がなくても体がソワソワし始める。
結局あれからチャットでの会話は進み、鎌倉の案内をすることとなってしまい、私は今ここにいる。
いくつになっても待ち合わせの出会う寸前の緊張は苦手だ。
胸が妙に高鳴り、手からは汗がべとりと滲み出す。
私はそれを一生懸命ハンカチを握りしめ抑えてつけながら、彼がくるのを待っていた。
この時計台で誰かを最後に待ったのは、高校生の時以来だ。
地元の高校に進学し、初めての彼氏も同じクラスの男の子だった。
進学した高校は古く歴史のある高校で、男子は学ラン、女子は飾り気のない紺のブレザーであり、色恋に興味が出てくる年頃なだけあって、悶々とした日々を過ごしたのを覚えている。
あの待ち合わせは、7月の初夏であった。
ニイニイゼミがジージーと鳴き声を聞こえ始め、首筋を撫でる爽やかな夏風が、私の服の袖を吹き抜けていったのを覚えている。
今と同じく、手から汗が滲みだし、それをぎゅっと握るようにしてハンカチを手にしていた。
いつもは学ラン姿な彼氏が、休日のその日は白い半袖シャツにベージュのチノパン姿で現れた。
高校生らしいというか、特別おしゃれでもなかったけれども、初めて見た彼の私服姿は輝いていた。
夏の暑さと恋の熱情にやられていたのか、お互いが握ったその手には、緊張の震えともどかしさの感触が今も手に残っている。
あと5分。
時計台が指す長針を見ては、そわそわと体の芯が身震いする。
ふと、ふわりと夏風が首筋を撫でた。
「待った?」
時計台を向いていた私を覆うようにして、人影が差しこむ。
潮の香りと、男の子の独特な本能をくすぐる匂いが鼻孔をついた。
私は緊張した面持ちで、その影に振り向く。
そこには優しく微笑む三澄君が30センチの距離に立っていた。
あぁ、こんなにも近い。
少し顔を赤らめながらも、そんな素振りなどないようにして私は三澄君を見上げた。
「待ってないよ」
ちょっとだけ嘘をついてみる。
あんなにそわそわしながら待っていたのに、まるで何もなかったように平気な顔をした。
「ごめん、待たせてちゃってたね」
三澄君は、そっと私の手に水の入った冷たいペットボトルを渡した。
まるで私のことをわかっているような、そのさりげない優しさが私の奥に隠れた恥じらいが顔を出そうとしている。
「ありがとう」
一言呟いたあとに、ぷいっと照れが見られないように下を向く。
ペットボトルの蓋を開けようとその蓋を捻ると、もうすでにそれは開封されていた。
「よし、行こうか」
彼の右手が差し伸べられる。
私はその差し伸べられた右手の指先をちょこんと握るようにして、後を惹かれるように彼に着いていった。