ベルリンが陥落してナチスドイツが崩壊し枢軸国は消滅したか
さて、イタリアの降伏を足がかりとしてイギリス・アメリカ・カナダ・自由フランスなどの連合軍はノルマンディー上陸作戦を開始、ナチスドイツによる頑強な抵抗はあったが連合軍が勝利し、フランスに上陸してパリは解放され、フランス南部からの上陸作戦も成功してヴィシー政権は倒れた。
一方バルカン半島ではイタリアでの戦線膠着を尻目、俺たちも協力したクレタ島の戦いで勝利を収めて英軍がクレタ島を占領し、続いてギリシャのアテネも開放された。
しかしイギリスがギリシャの庇護者を自任し、戦前よりイギリスの特殊作戦執行部はギリシャが枢軸国に占領された後も活動が行えるよう組織作りを進めていたが、ギリシャパルチザンの中で最も勢力が強かったのはギリシャ共産党の後援を受けた共産系ゲリラの民族解放戦線であったことが話を面倒にした。
その他には反共共和主義の民族協和ギリシャ連盟や王党派の国民社会解放運動が組織されていたが、ドイツ軍が撤退すると民族人民解放軍と民族協和ギリシャ連盟・国民社会解放運動はお互いに攻撃しあう内戦に入っており攻撃、撃破した。
これはドイツ軍と反共系パルチザンがお互いを攻撃しないことに同意しており、民族協和ギリシャ連盟が民族解放戦線を攻撃することを可能にしたが、ドイツ軍の支援を受けたギリシャ傀儡政権の援助を受けていると主張したことで泥沼になった。
更にギリス首相ウィンストン・チャーチルはギリシャ元国王ゲオルギオスを信頼できる同盟者とみなしていたが、共産系ゲリラ民族解放戦線、民族人民解放軍も非共産系ゲリラ民族協和ギリシャ連盟の双方ともゲオルギスの復帰を願っておらずそれを支持していたのは国民社会解放運動だけであった。
これはギリシャの国民の多くは苦難の原因を国王にあるとみなしていたからであって、ギリシャ元国王ゲオルギオスと亡命政府は抵抗運動を正当化しないという立場を取っていたこともあって、国王ゲオルギオスの復帰は、ギリシャ国内ではそれを望む声がほとんど見られなかった。
王政復古を望まないギリシャ国民と傀儡に近い同盟者として国王を復帰させたいイギリスの思惑もあって、ギリシャは内戦が続くことになる。
「結局ソ連もスターリンが専制君主になったことを考えれば共産主義も王政もそう変わらないのだが……」
俺がそう言うと美月くんは神妙な顔で答えた。
「そう言っても共産主義は素晴らしいと考えるものは日本でもいましたしね」
「ああ、統制派の連中はそうだな」
ギリシャは開放されたもののむしろ泥沼の内戦に突入してしまったことについては元国王の問題もあるだろうが、共産制に夢を見過でもあると思うがこればかりは彼らの選んだ事であってどうしようもない。
それはともかくデンマーク・オランダ・ベルギーなどが次々に開放されてベルリンが陥落しナチスドイツはヒトラーが自殺し降伏。
ハンガリー王国、ルーマニア王国、ブルガリア王国も降伏してそれぞれは共和国となり、枢軸国は壊滅した。
残るはソビエト帝国とそれに従属する大日本帝国正統政府だが、ソ連は”史実”のようなアメリカのレンドリース法による航空機、戦車、ジープ、トラック、オートバイなどの乗り物や銃や弾丸、食糧、非鉄金属などの支援が行われず、中国での泥沼のゲリラ的な焦土戦術に加えて中国南方における疫病の多発に悩まされているので、この戦争はそう長くは続かないようにも思える。




