イギリスの頑強な抵抗により、ついに独ソ戦が始まった
さて、ナチスドイツの切り札の一つであろう超巨大氷山空母ハボクックの撃沈と搭載されていた1000機の航空機の大部分の喪失はドイツにとって大きな痛手となり、その後は制空権の確保もままならなくなったようでドイツ空軍によるイギリスに対しての空襲は散発的なものになり、ドイツ軍によるイギリス上陸作戦である海驢作戦が無期延期となったようだ。
ドイツ空軍は制空権の獲得とその維持、イギリス沿岸の防衛施設の破壊に失敗し、ドイツ海軍はそもそもイギリス海軍に比べて貧弱で、大西洋と地中海においてイギリス海軍の水上艦艇はドイツ海軍の水上艦艇に対して優越を確立していた。
制空権も制海権も確保できないドイツがイギリスを屈服させるのはもはや不可能であり、イギリスを支援しているアメリカをどうにかするのはもっと不可能であった。
ただし正統大日本帝国政府は、フランス領インドシナへ進出を避難し、日米関係の決定的な決裂をもたらしたことで日本とアメリカの交戦ももはや避けられない状況になりつつあった。
無論イギリスへ亡命している我が国や自由フランス、その他ヨーロッパ各国の亡命政府軍への軍事支援を武器貸与という形でアメリカは行っているので、俺たちとは有効的な関係ではあるが。
今まではソ連帝国とナチスドイツは軍事的な協力関係にあったが、バトル・オブ・ブリテンの失敗によって戦争の前途に行き詰まりを感じていた。
敗北寸前と思われたイギリスがしぶとく戦い続けアメリカや亡命政府などの支援によりイギリス上陸作戦はほぼ不可能となったことで、ソ連が粉砕されれば、英国の最後の望みも打破されると考えた。
ソ連からのドイツへの物資が滞りなく流入していたにもかかわらず、ドイツの支払いは不自然なほどに引き延ばされたり、工作機械のソ連への引き渡しが当局によって妨害されたりもした。
ヒトラーは対ソ侵攻作戦バルバロッサ作戦の作戦準備を軍部に指示し、雪解けが終わった5月にドイツ・ソ連国境で一斉にドイツ軍の侵攻が開始された。
ここに泥沼の独ソ戦がついに始まったのである。
一方でドイツ海軍はUボート建造の拡大からくる、水上艦艇の不足を一隻の超兵器戦艦でひっくり返そうとしていた。
これはハボクックをもう一度建造するのはもはや不可能であり、空母を建造するとしても空母の運用上必要な海上での戦闘を得意とする日本やアメリカの航空機のような巡航性能に優れた単発戦闘機を今更用意するのは難しいという判断でもあったようで、ソ連が日本へ行ったように最終的には超兵器による砲撃などでイギリスを制圧すればいいという考えでもあったようだ。




