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整骨院の人

作者: 村上カカオ

動画サイトで、マッサージをしている人とされている人とが身体を触れ合わせる物を見て

私はほぼ毎日性的快感を得る。ベッドに入り、喉の奥を開き、母に私が性的快感を得ていることがバレないように、息の音を出さないようにする。妄想によって、もしくは動画を見て、足を合わせ、性的快感を得る。その動画を思い出しながら腰痛の施術を受けた。気持ちというのは、やはりコントロールできるものかもしれない。なぜかというと、その体験を思い出した途端、整骨院の人に対する性的な感情が芽生えたからだ。「病は気から」というが、気持ちから自分の目に映る世界が変化していくと感じる。腿の付け根。動画と同じところを施術されている。このまま、性器まで手が伸び、気持ちよくさせてくれればいいのに。そう思った。意識すればするほど、そう感じ、なぜかいけないことだと、気持ちを抑えるほど、熱くなった。抑えられる方が、自分の自由がなくなり、それによって快感を増幅させる。要はドMだ。私は、性的な事柄の妄想に関しては、自分が恥ずかしいと感じること、嫌だと感じること、相手から蔑まれることが好きだ。その人は少しお腹が出ていた。そのおなかさえ愛しく思えた。完璧ではないから。その紺色の作業着を脱いだところを目の前に想像した。これが欲情というのだろうか。やはり、人間にもともと備わっている欲を満たすことを考えるのは心が満たされる。楽しい。

愛しているわけではない。愛というのは相手に何も見返りを求めずに、相手に何かしてあげることが苦にならない感情だと思う。何も知らないし、名前も知らない。目が合ふったこと、そこにいること、身体を触られたこと。それが事実だ。だからこそ想像で相手を自由に操ることのできる「妄想」はやはり楽しい。事実に飾りをつけ、自分が満足する物語を作る。家に帰ってきて長座椅子で寝ている今、触られていた感覚が残っている。やっぱり気持ちよくしてもらうことを想像する。指が優しく性器を撫でる。「気持ちいいですか」と、聞かれる。「もっとしてください」私はそうゆう時だけ、相手より下に出る。そして、相手がわたしの望んだことをしても、望んでないことをしても、ドMだから快感を得られる。その後は、ベッドの端に寄りかかり、足を開いてひざをたてる。非常に卑猥な格好をさせられることによって、恥ずかしいと感じている私を相手に見られることによって、熱くなる。相手はわたしより絶対に冷静でなければならない。なぜなら、わたしが引いてしまうから。相手がわたしより上で、わたしのことを下に見ている。そして私が性的快感を感じている姿に興味があることが前提である。そこからは、私はおそらく、直接的に刺激を与えられなくても、見られているだけで、自分の中で快感に達する直前までの準備ができる。最後の最後に相手からわたしの性器に対して物理的な刺激をうけることができれば、エクスタシィに私は達し、相手の目を見るだろう。相手に近づき、手を触り、キスをする。そして私は妄想から抜け出した。


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