綾音のお掃除大作戦 その3
お金があれば物は買える。物が買えれば心は充たされる……。確かにそうだ。事実、僕は今ちょっとリッチだ。確か昨日、眠りにつく前、妹の綾音とお話をした。綾音は僕に30000円をくれた。生活費と口止め料がどうたらこうたら、って言ってたっけ。よくよく考えてみたらあり得ない話なんだ。綾音が3年前に家出した理由は、紛れもなく僕の醜態なんだ。綾音のことなんか何も考えていなかった。年頃の女の子は扱いが難しいっていうことを知ったのは、綾音がいなくなって暫くしてからのことだった。いい年して一緒に風呂に入ったり、プライベートを無視して部屋に入り込んだり……。何やってたんだろう。
30000円はきっと、神様が恵んで下さったんだろう。こんな僕でも、というより、僕だからこそ、神様ってものを信じている。世の中甘くないと人は言う。しかしながら、どんな薬よりも苦い人生を送っていると、些細なことでも甘く感じることがある。例えば、見知らぬおじいさんが食糧を恵んでくれた時。元気でもつけなさい、と励ましてくれた。僕は、ありがとう、としか言えない。強いて言えば、おじいさんの平安を神様に祈ることくらいだろうか……。
今日は何をしようか。とりあえず歩くか。浜辺に足跡を刻みつける。誰もいないプライベートビーチ。僕の心は常に天気とともにある。つまり今は心ハレバレと言ったところ。今なら何でもできる気がする。いっそのこと、宝くじでも買って、3億円くらいにできるんじゃないか、と馬鹿みたいにはしゃぐ。気にする必要はない。独りぼっちの僕を、大きな海は決して見放さない……。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
正にとって聞き覚えのある声であったが、それは気のせいだろうと思った。
なぜ僕に?
カモメの群れにでも投げかけられたのだろう……。
少なくとも僕ではない。
僕がお兄ちゃんと呼ばれる所以は、もうないのだから……。
「ねえ、お兄ちゃん?」
少女は正に追いついた。それが綾音であることに薄々気が付いていた。昨日会ったわけだから、分かるに決まっている。
綾音の装いは、白のワンピースに麦わら帽子といった、典型的な浜辺の少女だった。しかしながら、どれほど日差しが彼女の肌を傷めつけようと試みても、それは意味のないことである。綾音の、その恐ろしいほどに白い肌は時として人を魅了する。そう、よく考えたら綾音ができることはたくさんある。男を漁るだけなら可愛いものだ。簡単に金を稼ぐことができる。あまり想像したくないことだけど……。
「似合ってる?」
別に首をかしげなくたって……。どのように説明すればいいんだろう。人形のように、とでも言った方がいいだろうか。
「……真っ白なワンピースなんて随分と久しぶりじゃないか」
「気が付いた?これ、お兄ちゃんのお気に入りでしょ!」
「まあ、可愛いけど……」
「本当に?可愛いって思う?ねえ、ほんとに?」
「可愛いよ」
正はそれ以上説明できなかった。それでも綾音は大いに喜んでいるようだった。
「嬉しいな……。大好きな人に可愛いって言われて……。私ね、お兄ちゃんに対してはいつも正直でいたいの。隠し事なんていや。だからね……」
綾音は正の掌をそっとつかんだ。
「お兄ちゃんの目が黒いうちに決着をつけないといけないから……。私、夜だけは真っ黒になるの。月が輝くためにはね、お空が真っ黒じゃなきゃいけないでしょう?」
何を言っているのかさっぱり……。
綾音は時に詩的なことを言う。何かの隠喩なのだろうけれど……。
僕は軽く受け流すことにした。