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近くに寄るほど偉人も普通の人だとわかる。
従者から偉人が立派に見えるのは稀だ。
___ブリュイエールより。
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鏡を見ると未だに思い出す。
映る顔に見慣れてはいるが、果たして目の前に映る僕の顔は本物なのだろうか?
生まれてから死ぬまで、どんな動植物も自分の姿を肉眼で捉えることなどできない。
鏡像に頼ったり、カメラを通したり、他人からの伝聞を頼ったり。
"普通"に見ることなど出来ないのだ。
幌萌創の"普通"は壊された。
鏡に映るもう一人の自分と、それを壊してくれた一人の女性のお陰で。
"普通"の反対は"特別"。
"特別"な日々を僕は、生きていると実感している______
「普通ってなんですかね」
用をたしてトイレを出ると。上鬼柳瑠花は、1リットルの100%オレンジジュースのパックの口から直接中身を飲み、ソファに腰かけていた。
僕の分にと黄色い液体の注がれたコップと、パーティー空けしたポテトチップスがテーブルに置かれている。
僕はポテチを1つつまみ上げ、彼女の座るソファの隣へと腰を下ろし、そんな突拍子もないことをたずねていた。
「知らねえ」
「瑠花さんにも知らないことがあるんですか?」
「何でもかんでも、答えられるかよ。私は聖徳太子じゃねえ。
まあ、その質問は無理だな答えようがねぇな」
髪をかきあげてポテチを一塊つまみ上げ、頬張る瑠花さんは、オレンジジュースで流し込みながら、言葉を続ける。
「創。お前にとって普通ってなんだ?」
「わかりません、それで聞いてるんですけど」
「適当な答えくらい用意しとけよ。そういうことが無責任なんだよ」
「・・・・・・善処します」
「政治家みてえに答えやがって。
お前の身は守ってやるが、私はお前の母ちゃんじゃねえんだぞ」
「そこまでいいますか。
うーん、普通・・・・・・例えば3食ちゃんと食べれることとか?」
「週に三回、悪魔を叩き殺すこととか?」
「それは絶対普通じゃないです!」
僕の健康的な生活リズムと貴女のワークを一緒にしないでほしい。
それは、貴女にとって普通でも。僕にとっては普通じゃない。
「いや、普通だよ。私にとってな」
「・・・・・・あ」
そうだよ、答えはそれだ。
普通じゃないのは、"僕にとって"のことだ。
『昨日、悪かった』と、勇気を出して送ったLINEに、『いや、全然平気っすよー\(^^)/』と返してきた後輩に、頭を抱えたが。あの後輩にとっては、もしかしたらそれが"普通の"礼儀なのかもしれない。
ふと気になったことだが、自分の基準と他人の基準には齟齬が確かにある。
それは当たり前のことなのだが、忘れがちなことでもある。
「私は普通に生きてる。
普通に普通のことをして。普通に普通の行動をとる。
私とお前の育った世界が違うだけだ。
お前にとって私の世界が異常だというのなら、私にとってお前の生きる世界は異常だ。
男は狼なのよ気を付けなさいなんて柔なことは言わねえ。男でも女でも、内側には真っ黒な獣が住み着いてるもんだ。それが猫だったり、虎だったり。蛇だったりするけどよ。悪魔は誰にでも住み着くし、何処にでも現れる」
再開した野球ゲームの画面を横目で見ながら、ポテトチップスを咀嚼する瑠花さんの横顔を見る。
「お前の中にも悪魔が棲んでる。
昨日のお前にも、今日のお前にも。それが退治すべきもので、私が手を下さなきゃいけないものではない。
今のところはな。
"悪魔"ってのは、観念だ。その観念が行動や理想に結びついたときに、実在として現れる。
同時に"天使"ってのもいるがよ。どちらにせよ人間の迷いに手を出してくるウザったい者たちだ。
ただ、人間の心が迷いに迷い。弱ってない限りソイツらは表だって介入なんて出来ないのさ。そういう決まりになってるからな。
教唆はいいが、操作はダメ。
グレーゾーンだが、神々とそのしもべであるソイツらには、そういった規律があるから力なき人間には自由意思が確立されているんだよ」
「エクソシストらしい言葉ですね」
「茶化すんじゃねえよ」
肘鉄を僕の脇腹に入れながら、瑠花さんは外を眺める。
「私の内面は変わらねえよ。
覗きたきゃ勝手にしろ。勝手に影響受けて喧嘩した仲間と、仲直りの連絡を取るのも重畳だ。
ただ、私から見えたモノが、お前にとって異常なモノであっても。私に問うなよ? 私を非難するなよ?
答えようも釈明のしようもねえからな」
またしても、ぐうの音も出ない。
僕が後輩に連絡を取っていたのも気づいていたようだ。
弱さが浮き彫りにされる。
強さとは何だろうか。
「弱い人間が嫌いですか?」
「人間が嫌い?
ちげえよ、創。私ほど人間好きはいねえぞ。
私は人間が本気を出したら、神や悪魔と対等に戦えると証明しているだけだ」
壮大な事だ。
ロマンあることだ。きっと、過去の偉人たちもそんな尊大な事を考えていたに違いない。
僕みたいに目の前や、過去に躓かずに。
前を、天を向いていたのだろうか。
「まあ、私以外の人間はそんなに好きじゃねえがな。
卑屈で汚ねえし、道端に落ちてる金貨ばかり探してフラフラしてる連中ばかりだしよ。
人間が見栄や欲を張らなきゃ、悪魔なんて匂いを嗅ぎ付けて、地獄の門の外に出られねえんだがな。
まあ、それで私のおまんまが食べれてるんだから、皮肉なもんだがなっ! と!」
ゲームセット。
初めてみた、瑠花さんの表情リストが増えていく。
ばつの悪い表情だった瑠花さんは、コントローラーを置き、隣に腰かける僕の肩を抱きよせてくる。
気づけば、ゲームは3対1で試合は僕の敗けであった。
まあ、でも。
今日も敗けでいいか。
1位以外は全て敗けだと言ったものだが、敗けからしか得られないものも確かにある。
瑠花さんには、僕に諭そうという意識がないのかもしれないが。
僕は、彼女から前を向くキッカケを得た。
「はい、私の勝ち。面白いだろ? 弱い奴等が勝つこと」
「知っててやってたんですね」
僕の姑息なチーム選びもバレていたようだ。
「策を弄そうが私には勝てねえよ。わかったか、創・・・・・・ああ、腹へったなぁ・・・・・・石窯焼きのピッツァが食いてえなぁ」
猫撫声で、そんな要求をしてきた。
「わざとらしい・・・・・・今度、買っときますよ。ピザの材料」
「じゃあ、釜は作ってやるか」
よし、と気合いを入れるように立ちあがり大きく背伸びをする。
本当にこの人といると、刺激的だ。カラフルだ。
何でもやれる気がする、何にでもなれる気すらしてきた。
それでいいのか、それがいいのか。
「お前も吸うか?」
勝利の一服と、タバコを加えてみせる瑠花さん。
「・・・・・・それは遠慮します」
僕は貴女の様に誰かを諭せる人間になりたい______
夕方。
あのあと、デリバリーピザで昼食をとった瑠花さんは再び眠りについた。
本当に何の準備もせずに。
陽が傾き出してようやく、ムクリと起きた彼女は、そのまま外へ出ていき、愛車であるバイクのエンジンをふかす。
タバコを加えて、ハーレーダビッドソンのバイクに股がり、僕に向かってヘルメットを放り投げるライダージャケットを羽織った瑠花さんは、チョッパー乗りのピーター・グリーンよりハードで、クールで、美しかった。
「いちいち格好いいですね」
「好きな様に生きれなくなったら私は死んだも同然だよ」
「惚れそうです、姐御」
ヘルメットを被り、彼女が股がるバイクの後部座席にバランスをどうにか保ちながら股がる僕。
「構わねえが! 」
エンジン音に負けじと声を張り上げた彼女は、腰にしがみつく僕へと振り返り、
「私の愛の抱擁は背骨まで丸々へし折るぞ、鍛えて出直してきな、若人」
けたたましい音をたてて、走り出すバイク。
ゴツいライトが、暮れなずむ夕焼けを切り裂くように照らし出す。
そうだ、この音で。
あの日の僕も目を覚ましたのだった。
聞き慣れぬエンジン音に耳を刺激され______
刺激的な彼女との出会いはそれこそ劇的なモノであった______