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勝者は、敗者を見下ろしている。その時に考えてることは何もない。
ただ、敗者は。敗北の時をずっと覚えている。
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「ねえ、運動神経良い人探してるんでしょ? アタシがやってあげようか?」
灰沼愛鳥の第一印象は、あまり良くなかった。殺陣やアクションを盛り込んだ舞台をやるためにバク転が出来る女子がいないかなぁと。当時付き合いたてだった、血ヶ平ひなと話したことがキッカケで、運動部に声をかけていた頃。
「ん? アタシのこと知らないの? 灰沼愛鳥よ、あの」
僕と血ヶ平が女子サッカー部の練習を見学してる時、彼女はさも当然のように自分をスカウトしにきたのだと誤解した。いや、勿論噂は聞いていた。1年のスーパースター灰沼愛鳥のことは何処の部活動にいっても聞き齧った名前と、評判だった。
「知らないわよ、マネージャーかしら?」
「・・・・・・はぁ? 本気で言ってるのアンタ」
血ヶ平が堂に入った声で灰沼へと、
「口の聞き方がなってないわね、こんなところで油売ってないで留学生と一緒に日本語の授業を受けた方がいいんじゃない? どうやら小学校低学年レベルの敬語も使えないようだし。ああ、ごめんなさいね。少し早口で喋り過ぎたかしら? 聞き取れないかしらね? ねえ、幌萌君? 貴方もそう思うでしょう?」
「血ヶ平・・・・・・」
血ヶ平ひなと灰沼愛鳥のファーストコンタクトは最悪だった。まさかそんな返しをされると思っていなかった灰沼は、ピクリと眉目をつり上げ、
「・・・・・・何だって?」
「あ、いや。灰沼さん、血ヶ平はね・・・・・・」
「大丈夫、貴方の言葉は私が代弁してあげましょう。
私たちは言語と肉体を魅せる競技をしているの、灰沼愛鳥さん。貴女じゃ役不足なの、わざわざ声かけてきてくれたのにごめんなさいね。私たちは幼稚園児のお遊戯会をする訳じゃないから、貴女に出来る役なんて無いのよ、演技を教えてあげるほど可愛げもないしね。ねえ、幌萌君」
「・・・・・・」
見事に尻に敷かれていた当時の僕は、口を閉じたまま下を向いた。
「沈黙は肯定ね、ありがとう幌萌君。流石、私のことを良くわかっているじゃない? じゃあ、他の部活動を見に行こうかしら。ここはギーギーと喧しい"蝉の声で鬱陶しいからね"」
透き通る耳馴染み良い声で、血ヶ平ひなは"優しさ溢れるアドバイス"を"実にわかりやすい言葉"で灰沼に言いはなった。
こう表現するのは、僕が当時付き合いたてで血ヶ平補正がかかっていたからだと思っていただきたい。同じことを言われたら誰だって癇癪を起こす。きっと血ヶ平はそれを狙っていたのだろう。彼女は本当に無駄なことをしない。灰沼に煽るような言葉を浴びせたのも、彼女の事を試してみたかったからであろう。
見事に釣り針にかかった、当時の灰沼愛鳥は顔を真っ赤にして
「面白い・・・・・・その競技とやらも。アタシが制覇してやる・・・・・・!」
血ヶ平の薄い笑みを今でも忘れない。純粋にお見事と思った、相手に望んでいた台詞を言わせたのだ______
その当時の話をすると、灰沼自身も苦虫を潰した顔をし、
『子供だったのよ、あの頃のアタシは______』
そう言い"マウンテンデュー"をゴクゴクと飲む灰沼は大人の落ち着きを持ったものだ・・・・・・と。その時の話の続きはまた今度話すとしよう。
短くまとめると。クルリと前方宙返り等をし、流石の運動神経を魅せた灰沼だったが。演技面で血ヶ平にコテンパンにされた。天は二物を与えぬ、灰沼はドがつく演技音痴なのであった______
「なあ、聞いたか幌萌。灰沼愛鳥の話。ゴリ崎を投げて、絞め落としたって」
稽古場にしている旧校舎を訪れると、入って早々に弾んだ声が話しかけてきた。
ゴリ崎とは柔道部主将、氷崎剛。90キロ級個人戦で都大会ベスト8に入る実力者で、我が大学きってのスポーツエリートであるが。ソイツを絞め落とした? 灰沼が?
「ほんとかよ、牛山」
「ああ、柔道部のマネに聞いたぜ。」
「・・・・・・新しい"フレンド"情報か」
僕と同期の男子部員、牛山清葛は茶髪のパーマ毛を弄りながら僕の肩を抱き寄せてきた。馴れ馴れしく軽薄な見た目ではあるが、"男友達"には義理堅い男である。"男友達"には・・・・・・
「お前ほどじゃねえよ幌萌、灰沼愛鳥とはいい感じなのか? 班蛇口有栖と例のスポットで二人で居るのを見たって話もあるぜ」
「僕は誰とも"寝て"ないぞ、お前と違ってな」
女友達=そういう関係と考える典型的な男なのであるコイツは。
「うそー、お前本当に"ついて"んのかよー。班蛇口有栖と灰沼愛鳥、あと蒔苗。三人を自宅に呼んだって聞いたぞ」
「一緒に花見してた」
「誰の花をみたんだ?」
「お前はいい加減、下ネタ禁止だ!」
賑やかな奴である、この明るさ"だけ"は見習っても良いかと思うこともある・・・・・・疲れてるのかな、僕は。
「右手に薔薇、左手に向日葵。足元には蕾」
「蒔苗だけ扱い悪いな、苗からの蕾か?」
「わかってんじゃん、お前にとってどっちが薔薇なんだ?」
「・・・・・・どちらかと言えば灰沼かな」
「俺は逆だと思うけどな」
「綺麗な薔薇には刺がある」
「薔薇はゴリラを刺さないだろ?」
「んだよ、牛山。ずいぶんな言い方じゃないか」
「いやだって、90キロの筋肉ダルマをだぜ? 俺なんて片足でも投げれねぇよ」
「・・・・・・まあ、そうだろうな」
本当に絶好調のようだ。灰沼・・・・・・
お前に、何が起きているんだ? 僕の怪訝そうな顔を気にしてか牛山はそれ以上、灰沼に関しての話はやめた。こういう気配りや機微を掴みとる上手さが憎めないのであるが、
「それに、伊予山ちゃんだろ」
「伊予山は妹の友達だ、それ以上はないよ」
「写真プリーズ、可愛いらしいじゃんお前のシスターも」
「ダメ、絶対」
「お前の従弟になるかもしれないんだぜ」
「弟にするなら、岸田の方がいいよ」
「ええー、何でだよ。」
「絶対、岸田がいい。岸田以外の男とは結婚なんてさせてなるものか」
「じゃあ"フレンド"でいいから」
「余計ダメじゃ! 人の身内で邪なこと考えるんじゃない!」
「大きな声出すなよ、元気だなぁ」
「お前に岸田の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ、それから灰沼に絞め殺してもらってから・・・・・・」
「死んでんじゃねえかよ!」
「来世へ期待」
「今世を諦めんなよ!」
「幌萌君、牛山君。おはよう・・・・・・」
稽古場の端でギャーギャー騒ぐ先輩方に後輩たちは遠目でみているのだが。一人、落ち着いた声が僕たちの輪に入ってくる。
「ちょっと感動してたよ、幌萌君」
「・・・・・・岸田、おはよう。聞いてたのか?」
「うん。最初からね・・・・・・ねえ、幌萌君。何か悩みごと? 僕で良ければ聞くよ」
「ほら、これだ。牛山。岸田の魅力はな______」
雪国出身の僕もだいぶ色白ではあるが、岸田巳蓮は僕の妹や、伊予山篝よりも白い肌に憂いを帯びた瞳で優しく頬笑みを浮かべる。僕イチオシの、いやおそらく演劇部イチオシの優男である。男子にモテる男子といえば、誤解を招きそうだが。いやどちらかと言えば中性的な綺麗さと、幼げがのこり長い睫毛をパチパチと動かしてみせる岸田。そんな顔立ちをしているのだから、それもあるか・・・・・・春先で少し暑いくらいの日であるのに、長袖のシャツをユルく着る岸田。その岸田の肩をも抱き寄せて牛山は、
「ぶっちゃけ、羨ましいと思わねえ? 幌萌の交遊関係をよ」
「仲良くていいんじゃないかな」
「いやそういうことじゃなくてよ、岸田」
「おい、聖人に妄言をふき込むなよ牛山」
「妄言じゃねえし、虚言でもねえ」
「盛ってはいるがな」
「そうだね」
「味方なしかよ・・・・・・ん?」
僕と岸田の肩を抱いたまま、何かに気づいた牛山が振り返ると、僕たちも自然とそちらを向く。
「なにしてんだ、蒔苗」
「いや、もっと寄ってください3人とも。ギューッと・・・・・・パシャッパシャッ! もっとサービスしましょうか。牛山先輩、はだけて。
岸田先輩は幌萌先輩の腰を抱いて!」
手をカメラの形にしてこちらに向ける、蒔苗結那がいた。それをクスクスと笑っている他の部員たち。
「・・・・・・いいですよー、売れますよ」
「「売らせねえよ」」
綺麗にハモった僕と牛山の突っ込みに、どっと笑いが起きたところで僕は牛山の手から解放された。
上手くヲチをつけた蒔苗はこちらへとそそくさと寄ってきて、こんな耳打ちをしてきた。
「灰沼先輩のことですか?」
「ああ、そうなんだけど・・・・・・」
「それなら! 篝ちゃんが詳しいかもしれないですね!」
「伊予山が?」
「ええ! 篝ちゃんは情報通ですから。身近なことからサブカルまで色々聞き齧ってると思いますよ」
妙に圧しが強く、言い切った蒔苗にコクりと頷く。今は取り合えず身近な人たちに話を聞いてみるしかないのか、それくらいしか出来ることがない・・・・・・
伊予山か。そう言えば日曜以来会ってなかったかな。
明日辺り、いつものカフェに訪れてみようかな。
そろそろ部活動を始めようと、周囲に声をかけると。端にチラリと岸田の顔が目についた。何か僕に言いたそうにしたが、そっと口を閉じて。柔らかな笑みを浮かべていた______
「はっは・・・・・・アタシスゴいじゃん」
スゴいじゃん、アタシ。
勝てる、勝てるよ。
誰にも負ける気がしない______
体育館の女子更衣室。
練習も終わり、誰もいなくなった更衣室の鏡の前に灰沼愛鳥は柔道着のままの自分を見つめていた。
道着をはだけて、自らの身体を眺めながら。
ふと、灰沼は自分の肘から血が出ていることに気がつき、
ベロリと舌を這わせて血を舐めとった。
「オイシイ・・・・・・」
木霊した声は誰にも聞こえることなく消えていった______