第15話
その日いつものように悪魔は湖の近くにある大きな岩の陰にひっそりと腰を下ろし静止画のような風景を眺めていました。
ただ過ぎていくだけの日々、目的も無く此処にいる毎日。
一体どの位時間が過ぎたのかもわかりません。
ましてや自分が何故存在しているのかなど知るはずもありませんでした。
薄暗く湿った森は悪魔にとってとても落ち着く場所ではありましたが、何故落ち着くのかは気にかけた事も無くふと入り口の方から風に乗り人間の匂いがこちらへやって来ると空腹を満たす為、姿を変え捕まえた人間の魂を取るのです。
欲深な人間達の魂はどれも悪魔の胃に入ると後味の悪さだけを残し消えていきます。
ですが悪魔は何も感じる事は無くただ食事を終えると何となくまた混沌としたこの場所で一日を過ごすのです。
しかし、この時風に乗りやって来た匂いは今までとは違い鼻に抜ける薄荷のように爽やかでそれでいて果肉を真っ赤に熟した柑橘の情熱的な香を漂わせていました。
悪魔はたちまち匂いに魅了され思わず生唾を飲み込むと急いで匂いのする方へ向かいました。
苔が生えた大きな樹は鮮やかな緑と若草色の織り成す波模様が僅かな太陽の光を吸いやって来る男の姿を薄っすら映しています。
悪魔は樹の陰に隠れ遠くから眼光鋭くじっと狙いを定めると男の様子を伺っていました。
向こうから来る男はやがて歩くのを止め樹の幹に腰を下ろすと大きく肩を揺らし吐く息は悪魔にも男の疲労が一目でわかるほどです。
悪魔は男の外見に合わせ若く美しい女に変わると後はいつもの様にするだけだと悠長に考えていました。
すると少し離れた所から同じ様に男を狙っていた梟が真っ先に褐色の見事な羽を広げ音も無く飛んで行くのに気付き獲物を取られてはいけないと梟の後を急いで追うのでした。
梟は咄嗟に身を屈めた男を取り逃がすと次の機会をうかがうように静かにこちらを見つめるのでした。
ガサガサと枯葉を踏み鳴らし梟を睨みつけ威嚇すると悪魔は恐怖で気を失っている男をちょうど良いと自分の棲家へと連れ帰りました。