砂漠エルフの巫女
砂漠エルフの巫女
風が心地よく、木の葉がすれる音がする。いつの間にか横になっていた赤色の少女は、上半身を起こした。膝の上に湿った布が落ちてくる。まだ冷たさが残る額をなでながら、少女はそれを手に立ち上がった。
狭い三角のテントは少女にとっては狭く、不用意に動こうものなら頭をぶつけてしまいそうだ。周囲に気を配りながら布一枚で隔たれている入り口を捲り上げると、その眼前には大きなオアシスが広がっていた。オアシスでは水浴びをする子供たちに、洗濯をする女たち、そして遠くのほうにはカヌーのようなボートに乗った男たちが魚を獲っていた。
「おや、よかった。まだ寝ててもいいんだよ?」
老婆と幼い女の子が少女の前に姿を現す。その手には釣竿が握られており、空いた手には小さな瓶を持っていた。
「まさかそんな恰好で砂漠にいるなんてねぇ。倒れるのは当然だよ。ソルが見つけなかったら、どうなっていたことか……」
「ごめんなさい。そしてありがとうございます」
「お礼ならこの子に言ってあげて。本当に無事でよかった」
少女はしゃがむと、老婆の背後で隠れるようにしている女の子を見る。全身を隙間なく覆う白い布は厚く、ほんの僅かに見える目元からは青色の瞳が見返していた。
「ありがとう。君のおかげで助かったよ」
女の子は陽に焼けた小さな手のひらを、少女に向かって突き出す。少女はその小さな手に、自身の白い手を重ね合わせた。
「それはね。友愛の印だよ。このキャラバンに代々伝わる、まぁ一種のおまじないさ。これからも何か困ったらお互いさま、ってねぇ」
女の子と同じように、老婆も手のひらを差し出す。少女は先ほどと同様に、その皺だらけの手に合わせた。
「ババ様、それだれ?」
先ほどまで泳いでいた男の子たちが上がり、服をまとわず少女の元へとよって来る。その時だった。地鳴りが響き大地が揺れ始める。遠くのほうでは砂が舞い上がり、木々が次々となぎ倒されていた。
「タンガ様……」
女の子は呟く。平和だった水辺は騒々しくなり、人々は慌ただしく走り回っている。こちらへと向かってくる騒動の主を見た老婆は、少女に女の子の手を握らせた。
「いいかい。私はタンガ様を鎮めてくるから、あんたはソルと一緒にいるんだよ。いいね」
「ばぁちゃん!」
ソルは脅威へと向かっていく老婆へ走り出そうとした。少女は慌てて女の子の手をつかむと、自分の元へと引き寄せる。
「ばあちゃん!」
老婆は振り返り、女の子に微笑みかける。
「大丈夫、ちょっとお話してくるだけだからね。すぐ戻るよ」
近くにいた男の子が少女の腕を引っ張る。少女は女の子の腕を強引に引きながら、脅威から逃げ出した。
陽が完全に沈み、空には星々が煌いている。老婆がお話しに行くといってからしばらく後、すぐ近くまで来ていた脅威は停止した。その後脅威はやってきた方向、すなわち歪な塔の方向へと戻っていったのだった。
一つのたき火をキャラバン全員で静かに囲んでいる。舞い上がる火の粉を見ながら、だれもが老婆の帰りを心待ちにしていた。女の子は少女に体を寄せて座っている。夜の砂漠は昼とは打って変わり、風は冷たく強く吹いていた。
密着した女の子の体の震えが、少女に伝わる。少女がそっと女の子の肩に手をまわした時だった。遠くのほうで先ほどの弱々しい老婆と、もう一つ巨大な存在を感じる。それらの二つの存在は、細々とした数多い存在に敵意を持っているようだった。
「ばぁちゃん!」
女の子は立ち上がる。
「まって!」
走り出した女の子を慌てて追いかけ、腕をつかんだ。再び感じた老婆の存在は先ほどよりも小さく、弱くなってきている。老婆の命が危ない。そう感じての行動だったのだろう。女の子の目は赤く、涙の跡が残っている。それを見た少女は、今もなお弱くなっている老婆の存在を案じた。
「わかったよ。おばあちゃんのところに行くんでしょ? なら私も一緒に行くよ。これなら約束も破ったわけじゃないし、あんたへの恩返しにもなるしね」
「おい、待てよ。俺も行く」
先ほどまで全裸だった男の子は厚手の白い衣服を身に纏い、女の子と同じ格好をしている。もっさりとしていた髪の毛は白いフードの下になっていた。
「でも、あんたは……」
「俺のステイタスは風だ。とても小さいけどそれなりに役に立つはずだ」
「風? あ、待って危ないから」
少女がつかんでいた腕を振りほどき、女の子は走り出す。少女と男の子は塔に向かう女の子を追いかけた。オアシスを抜け、泥だらけの湿地帯を進んでいく。塔への道中は多くの木々が生えているが、そのほとんどが巨大な何かによって押し倒されたようだった。
離れた倒木の陰に多くの人影が見える。彼らは少女たちに気付くと、腰に差していた剣を構えた。
「とまれ。これは警告だ。さもなくば切る」
構えていた剣が徐々に赤く発光しはじめる。その輝きが、彼らの甲冑に刻印された六芒星を映しだしていた。少女が一度女の子を止めようと手を伸ばしたとき、耳のそばを空気の塊が飛んでいく。その塊は敵の一人にあたり、大きく吹き飛ばした。
「あいつらは俺が何とかする。このままいくぞ」
空気の塊は次々と敵をなぎ倒していく。敵が起き上がるより早く、少女達は湿地帯を駆け抜けた。
地面に水気がなくなり、砂漠の砂が積もり始めた頃。目指した歪な塔は、すぐ目の前にあった。とても自然的で脆く、すぐにでも崩れそうな外見をしている。基本的な材料は砂のようで、砂漠の砂と同じ色をしていた。
「何とか逃げ切れたかな。どうしてルーザン議国の兵がこんなところに……」
肩で息をしながら、少女は女の子の頭に手を置く。塔の中に感じる気配は二つに減り、老婆の気配は完全に消え失せていた。
暗く口を開ける塔の中へと入っていく。月夜の下、星などの光は入ってきているようで、予想よりもはるかに明るい。そんな広大な円状のフロアには、先ほど襲ってきた者達と同じ格好をした者が剣を構えていた。
「魔獣タンカンよ。人を殺した罪、この雷のクレイムが許さない。覚悟!」
剣を向けた先の薄暗がりから、重厚な鎧を身に纏った巨大な蠍が姿を現す。人ひとり遥かに上回る巨大な鋏には、白色の何かが挟まっていた。
「ばぁちゃん!」
「行っちゃだめ!」
少女は女の子を両手で引き留める。クレイムと名乗る剣士はバチバチと火花を散らす剣を持ち、蠍へと切りかかる。だが蠍はまるで羽虫でも払うかのように、尾で軽く吹き飛ばした。強大な生命力と存在が三人の目前にまで迫ってくる。
「タンガ様、ばぁちゃんを返してください」
鋏はもちろん、牙ですら届きそうなほどに近づいた蠍に、女の子は話しかける。いつ殺されてもおかしくないほどの距離にいるにもかかわらず、少女は全く恐怖しなかった。蠍はそっと女の子の前に老婆を降ろす。
女の子はすぐさま駆け寄り、老婆へと抱き着いた。少女は老婆の手首を軽く握る。案の定、すでに脈は止まっており、もうそれは魂を宿してはいなかった。
「ババ様、そんな……」
男の子が膝から崩れ落ち、袖で顔を覆う。少女はそっと老婆の腕を腹部に乗せると、ちょうど左胸の服が黒く焦げていることに気が付いた。
「素晴らしい。これが巫女の力か」
クレイムはふらつきながら立ち上がり、女の子に剣先を向けた。
「さぁ、巫女様の大切なお方を殺した魔物を使役し、罪を償わせるのです。それが亡くなられたお方を慰めることになるのです」
「待って。この傷、どう考えてもこの蠍につけられた物じゃない。傷が出血しないほどに焦げるなんて、よほどのことがない限りありえない。例えば、雷に撃たれた。とかね」
「なるほど、なかなか鋭いお嬢さんだ。雷のステイタスはそう多くはいないのだがね」
肩で笑い、彼は少女たちに近づいてくる。蠍は、彼女らを守るように覆いかぶさる。鋏の間から見える彼は、圧倒的に不利であるにもかかわらず、どこか余裕があるようだ。
「その婆さんは連れて帰れと言われていたんだが、うっかり殺してしまったよ。さて、代わりになんだが、お嬢ちゃんが一緒に来てくれないかな?」
涙の跡がまだ頬に残る女の子に向かって、彼は手を差し出す。少女はへたり込んだままの女の子を渡すわけにはいかないと、強く抱きしめた。彼が歩み寄ろうとしたそのとき、男の子の放った風が強く吹き飛ばした。
「てめぇ、よくもババ様を!」
男の子は一度の跳躍で飛びかかり馬乗りになる。そしてクレイムが腰に差していた短剣を引き抜くと、首元に突き付けた。
「おぉっと、待て待て焦るなよ。殺しても別にかまわないが、それでいいのか?」
「この人殺しが!」
「だーから、待てって言ってるだろ。俺一人殺すだけじゃ済まなくなるぞ。いいのか?」
クレイムは短剣を持つ男の子の腕をつかみ、起き上がる。彼はそのまま腕をつかみ上げ、片腕で宙づりにした。
「俺が時間までに戻らなかったら、お前たち砂漠エルフを襲撃する手筈になっている。大人には時間がないんだ、寝てろ」
男の子の体に電撃が走る。小さな体に対しては過剰な電力が、一瞬のうちに彼の意識を奪い去った。
「放出できるタイプのステイタスは珍しいんだけどな。残念だよ、まったく。んで、そこのちびっこ、来るよな?」
女の子は少女の腕を優しく外し、彼のほうへと歩き出す。少女はつい先ほどまで泣いていた女の子を思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになった。
「待って」
少女はクレイムの傍に来た女の子に歩み寄る。
「私もいっしょに連れてって」
クレイムは一瞬目を大きくしたものの、男の子を手放した手で頭を掻き毟った。
「俺たちの任務は主に二つ。一つ目が戦力として魔獣を生け捕りにすること。二つ目がそれを制御できるとされる、巫女を手に入れることだ。つまり、お前に用はないんだよ。もっとも、俺の女になるのなら話は別だがなぁ」
クレイムは笑いながら、女の子を連れだそうとする。自分を助けてくれた老婆と交わした約束。変わり果てた姿。怒りに染まった男の子。まだ幼い女の子の見せた涙。少女はそれらを思い、手を強く握った。
「わかった。あなたの女となりましょう」
クレイムは立ち止まり、少女を見る。
「正気か? 見たところお前は砂漠エルフとは何の関係もないんだろ? なぜそこまでする?」
「それが約束だから」
クレイムは大きくため息をつき、首を回しながら髪を掻き毟る。少女は傍に落ちていたクレイムの剣の刃を両手で持ち、片膝をついて柄を彼に向けた。
「私はこの世界を少ししか知らない。でも、私の知識はこの世界そのものを大きく変える。武器のあり方は変化し、知識そのものが戦力を強化する。私自身が一の戦力にはならないが、すでにある百の戦力を二倍、三倍と膨らませられる。どう?」
彼は差し出された剣と、少女を見る。落ち着いた様子と、見たことがない服装が彼女が言っていることの真実味を彼に感じさせた。
「あぁ、わかった。お前も一緒に連れて行ってやる。ただしこのちびっこと、魔獣も一緒に連れていくからな」
クレイムは剣を取り鞘に納めた。彼は少女に背を向けると、ついて来いと歩き出す。少女は彼から遅れて歩く女の子の手を優しく握ると、その手から女の子の震えが伝わってきた。大丈夫、と少女は強く女の子の手を握る。彼女らに次いで蠍も、その後を追う。
塔に残された少年は、倒れたままただ見送ることしかできなかった。