8話 特別な存在 〖挿絵アリ〗
時計の針が午後一時を回る頃、大会議室では会議が始まろうとしていた。議題は、当然のことながら「闇の復活」について。来ないだろうと思っていた煌牙が出席していた事にルージュは内心驚く。
「森での偵察結果は? 騎士団長」
「自分と参謀、巫女姫と人間の娘の四名で宮殿を立ち、現地で先行していた団員二名と合流。ゴブリンを四十匹ほど駆除した」
煌牙は長老からの質問に、腕を組んだまま答える。相変わらずな態度に眉をしかめながら、別の長老が今度はルージュに質問した。
「空間の歪みはどうなった?」
「全部で十三ありましたが、巫女姫の黒炎でその内の九つを焼却。残り四つは森の精霊が封印済みです」
ルージュは淀みなく報告を続ける。
「その後、新たな空間の歪み、魔物の出現は確認されておりません」
「順調なようじゃな」
「はい。ですが……」
ルージュが美兎からもたらされた情報を告げると、司令官は眉間に皺を寄せた。
「ふむ。残り四つの揺らぎは自然に消えたと。闇の存在が消滅したという可能性は?」
「そこまで楽観は出来ないかと。目に見えないところで動きがあるかもしれません」
ルージュの言葉に煌牙はクックと笑う。
「心配性だな。それならレオと美兎に引き続き森を見張らせよう」
「……あぁ。頼む」
何かが引っかかった。
煌牙も美兎から報告を受け既に知っていたとしても、その反応は余りにも薄く、まるで大した事のないような言い方に思える。ルージュはこの小さな違和感を「気のせい」で片づけていいものか考えながら、煌牙をじっと見つめた。
「今は経過を見守るしかない様だな。煌牙、ルージュ、引き続きよろしく頼むぞ」
司令官の一言で会議は終了となる。
わらわらと会議室を出る長老たちに紛れて、かったるそうに歩く煌牙にルージュは声をかけた。
「この前どこに行ったんだよ。氷鯉がお前の事を探していたぞ」
はぁ。と、煌牙は短く息を吐く。
「勝手に探させておけ。何だってアイツは俺にまとわりつくんだか」
「お前、冷たくしてばっかりで、いつか氷鯉に刺されるんじゃないか」
「――――それもいいな。いっそ清々する」
煌牙は聞きとれない程の独り言をつぶやいた。そんな煌牙をルージュは怪訝そうな顔で見る。
「煌牙、この後の予定は?」
「いつからお前は俺の行動まで管理するようになった? 出しゃばるなよ」
「レンの所へ行くのか?」
煌牙は歩みを止めて、うんざりした顔でため息をついた。
「いちいちお前の許可が必要か? 取って食いやしねえよ」
俺も行くと言いかけた時、ルージュの水晶に司令官から通信が入った。
「お勤めご苦労さん」
煌牙は片手をあげて歩き出す。
『ルージュ、すまんが去年の収穫祭の出店名簿を持ってきてくれるか?』
「出店名簿ですか……。すぐにお持ちいたします」
通信を終えて顔を上げると、とっくに煌牙の姿はなかった。ルージュは軽く舌打ちをすると、資料室へと歩き出す。
煌牙にとってレンが特別なように、ルージュにとってもレンは特別な存在だった。
ルージュの母親は人間だ。
人間界と精霊界の波長が合うと、入口が現れてお互いの世界を行き来できるようになってしまう事がある。それでも、迷い込んだ人の多くは元居た世界に戻るのだが、母親は父親と出逢った事で精霊界にとどまる事を決めた。
人間は恐ろしく魔力が弱い。
幼いころのルージュは、母親の影響を濃く受け継いでいたのか、魔力は他の精霊の半分ほどしかなかった。
『別に、母親が人間だからといって、不自由も、不満もない。虐げられた事や、差別を受けた事もない』
それでも、ルージュは自分が『異端』である事は理解していた。
黒い髪も黒い瞳も、自分では気に入っていたが、母親は多少なりとも責任を感じていたようだった。もちろん露骨に「ごめんね」などと言われることはなかったが、幼くても聡いルージュはそれを感じ取ってしまう。そうなれば、母の憂いを晴らすべき行動はただ一つ。
魔力を高める事だった。
子供ながらに思いつく事は全てやった。氷の里にある魔術に関する書物は片っ端から読んだし、真夜中にコッソリぬけだして、満月の光を浴びて瞑想したりもした。開花しにくく、扱いづらいだけで、もともと人間にも魔力はあるのだ。そこをクリアしたルージュは、あっという間に人並みの魔力に追いつき、追い越した。
そうすると、今度は欲が出る。
――――どこまで強くなれるだろう?
「精霊騎士団に入りたい」
十歳になる少し前、ルージュは両親に懇願した。
「ルージュ、あなたはまだ子供なのよ? こんなに小さいうちから親元を離れるなんて……」
母親はまだ手元にルージュを置いておきたかったので、中央都市に行かせることを渋った。
「里の長の息子は子供だけど、一人で騎士団に入隊したじゃないか!」
幼い我が子をどう説得しようかと、父親が悩みながら言葉を選ぶ。
「煌牙は子供だが剣も魔術の才もあるし、ゆくゆくは巫女姫の騎士になるのだろう。特別な存在なんだよ。……だが……」
と、父親は更に考え込むと、目を閉じて唸った。
「ルージュもいずれは宮殿で仕える事になる。それなら今から中央都市で学ぶのも悪くないかもしれないな」
「あなた!」
「実は、長から話があったんだ。ルージュは里の学校よりも、もっと高度な知識を身につけられる中央都市へ行った方が良いと」
実際ルージュは初級クラスの教育課程は既にクリアし、中級クラスへ飛び級していた。そして、その中級クラスの授業すら、ルージュは既に退屈なものになっていたのだ。
それから何度も話し合ったが、ルージュの決心は揺らがなかった。
「ルージュ、本当に私たちから離れて暮らしていける? 家に帰りたくなっても、すぐには帰れないのよ?」
母親はルージュの手をぎゅっと握りしめる。
「大丈夫だよ。二度と会えないわけじゃないし……。もっと強くなるから、心配しないで」
諦めたように母親はルージュを抱きしめると、父親と顔を見合わせてうなずいた。母の憂いを晴らすために強くなりたいと願ったが、結局母親を悲しませてしまったことに、ルージュは少し胸が痛んだ。
「ごめんなさい」
ルージュの言葉に母親は静かに首を横に振る。
「まだ小さいと思っていたけど、随分と成長していたのね」
涙をこらえてほほ笑む母に、自分も泣いてはいけないとルージュは歯を食いしばった。
氷の里の長が推薦してくれたおかげで、ルージュの王立上級魔法学院への編入はあっという間に決まり、不安と期待を抱きながら氷の里を後にした。初めて中央都市に着いて華やかな街並みを見た時は、寂しさも忘れて正直、心が躍った。学生寮へ行くと、ルージュよりもずっと年上の、少年と言うよりは青年が、笑顔で出迎える。
「やあ、キミがルージュだね? すごいな、その年で高等魔術クラスの試験をパスするなんて」
赤い髪のその青年は寮長らしく、ルージュに一通りの説明をしてくれた後、
「他に何か聞きたい事はある?」
と、優しく問いかけた。
「あの……図書室の場所を知りたいです」
遠慮がちに尋ねたルージュの頭をなでて、寮長はうんうん、とうなずいた。
「学校にも図書室はあるけど、きっとキミには退屈だな。宮殿に、王立図書館があるんだ。宮殿の敷地内ではあるけど、学生は自由に出入りできるから行ってみるといいよ」
『王立図書館』
聞いただけで、わくわくする響きだった。
「ありがとうございます!」
顔を輝かせたルージュに、寮長も笑顔で答える。
「あの階段を上ったら、左に行けばすぐにわかるよ。僕はこの後、授業があるから案内できなくてごめんね」
寮長が学校の中に消えていくのを、ルージュは大きく手を振りながら見送った。
「よし、図書館に行ってみよう!」
まるでスキップをするような軽い足取りで、ルージュは階段へ向かう。
「見て、煌牙! あの子、黒い髪だよ!」
ふいに声がして、ルージュは階段を見上げた。
逆光で良く見えないが、階段の上に小さな子供がいる。
「レンの仲間、見つけた!」
子供は階段を勢いよく駆け下りたが、それすらももどかしかったのか、突然ルージュめがけ、階段の途中から飛び降りた。
「えっ? ええっ?」
空から降ってきたのは、黒い髪の女の子だった――――