5話 巫女姫の騎士 〖挿絵アリ〗
「甘やかすなよ、ルー」
他に言いたい、どの言葉も飲みこんで、煌牙は強い口調でルージュを責めた。
「この先、もっと大きな闇と対峙するかもしれない。この程度で音をあげていたら話にならん」
「煌牙だって、これ以上は無理だってわかってるんだろ? 何を苛立っているのか知らんが、八当たりはよせ」
間髪入れずに反論したルージュは、レンを抱えたままワイバーンを待たせてある広場の方へと歩き出した。煌牙は舌打ちをすると、レオパルドと美兎に向き直る。
「今のところ、この山以外に空間の歪みは報告されていない。引き続き森の警戒を頼む」
「承知いたしました」
「行くぞ、香澄」
煌牙は香澄に声をかけると、さっさと歩きだした。
よかった、置いていかれたらどうしようかと思った……と、緊張しつつも香澄は急いで煌牙の後を追う。
煌牙はレン以外には無茶な事をしないのだろうな。と、香澄は確信していた。
昨日この世界に来たばかりの、十六歳の女子高生の目にも、「レンが可愛くて仕方ない」という煌牙の空気は察する事が出来た。もとより、煌牙はその気持ちを隠そうともしていない様だったが。
それにしても。と、香澄は腕にあるアザを服の上から押さえた。先ほどからアザがズキズキと痛むのだ。こんなことは、人間界では一度もなかったのだが、その痛みは宮殿に戻るまで続いた。
それから三日間、ルージュはずっと部屋にこもり資料をまとめていた。ここ最近の出来事を、そろそろ司令官に報告しなければならない。
ふいに、夜の静まり返った部屋に、鈴を鳴らしたような透き通った音が響いた。
水晶が、誰かからの通信を知らせたのだ。
「……はい」
『わしじゃ』
水晶の向こうから、司令官の声が聞こえた。
『すぐに会議室に来てくれるか? 巫女姫の騎士について、他の者たちとの意見がまとまった』
『巫女姫の騎士』と聞いて、ルージュはすぐさま椅子から立ち上がった。
「すぐに参ります」
同様の連絡は、煌牙の方にも入る。
宮殿の離れにある煌牙の住まいで、縁側で胡坐をかき、庭の池を見ながら、森での出来事を思い返していた時だった。「すぐに向かう」と告げ急に立ち上がると、煌牙にもたれかかっていた氷鯉は、バランスを崩して倒れかけた。
「あれ、煌牙様。急にどうなんした」
「出かける」
「お供いたしんす」
「宮殿に行くだけだ。供はいらん」
立ち上がろうとした氷鯉に視線を向けることもなく、煌牙は足早に部屋を後にした。
「またあの小娘の事でありんすかね……」
一人部屋に残された氷鯉は、煙管の煙をふーっと空にむかって吐き出した。
煌牙は歩きながら、初めてレンに会った時の事を思い出していた。
まだレンがやっと歩き出した頃だ。
見たこともない綺麗な黒髪に、幼い煌牙は心魅かれた。
レンが走り回れるようになった頃には、その印象は、『見た目は本当に人形のように愛らしいのに、ずいぶんと生意気で、気の強い子』だった。当時煌牙もまだ子供だったが、宮殿のある中央都市でも戦闘技術は一、二を争うほどで、大人からも一目置かれる存在だった。
そんな煌牙に「自分に剣を教えろ」と、六歳になりたての女の子が言いだすのだ。
怪我をさせてはけないと適当にあしらえば、「本気をだせ」と泣きながら怒り、それならばと、圧倒的な力の差を見せつければ、「ちゃんと教えろ」と、やっぱり泣く。
「どうしろって言うんだ」
お手上げ状態で、煌牙はレンになぜ剣を教わりたいのか尋ねた。
答えは単純だった。
「煌牙を助けたい」
単純だったが、予想もしない答えだった。
この頃の精霊騎士団は、平和な時代が長かったおかげで、かなり組織としては弱体化していた。そのため、たまに魔物が出現したり、ゴブリンが異常繁殖したり、そんな事があるたびに、まだ子供の煌牙が「腕が立つ」という理由で駆り出される。煌牙一人にかかる負担は大きかった。そんな様子を、レンは幼いながらもしっかり見ていた。そして、自分も戦えるようになれば、煌牙の助けになると考えたのだ。
気づくと煌牙はレンを抱きしめていた。
「ありがとう」
震えるほど感動していた。
レンにそう言ってもらえて、騎士団の自分への期待の重さや、魔物と対峙した時の恐怖心など、ずっと自分でも気付かないふりをしていた感情に、やっと気付いた。
誰も気にしてくれなかった煌牙の内面を、幼い姫が理解してくれたのだ。
そんな事くらいで。と、笑われるかもしれない。
けれど、煌牙にとって「一生をレンに捧げ、守り抜こう」と誓いをたてるには、充分な理由になった。
だから煌牙は『巫女姫の騎士』という称号を知った時、絶対に他の誰にも渡してはいけないと、固く心に誓ったのだ。
『生涯を巫女姫と共に歩み、その身を盾にして姫を守り抜く』
この世でたった一人だけが選ばれる騎士の称号。
――――巫女姫の伴侶。
自分よりもレンの近くで、レンを想う存在など、認めるわけにはいかない。
それなのに。と、煌牙は唇を噛む。
弟のように可愛がっていたルージュが、巫女姫の騎士に名乗りをあげたのだ。レンと同じように黒い髪を持って、「赤」を意味する名前まである。もういいじゃないか、充分だろう?レンまで奪わないでくれ。と、心の底から思った。
会議室の扉の前にたどり着いたのは、ルージュとほぼ同時だった。
「よお」
煌牙は内心の焦りを悟られないように、いつものように余裕ぶった表情を作る。
ルージュは煌牙をチラッと見ただけで、無言で会議室の扉をノックした。
「巫女姫の騎士だがな、満場一致でルージュに決定した。まだ暫くは公にはせん。くれぐれも内密にな」
部屋に入ると早々に司令官から告げられた。その言葉に、会議室のテーブルをぐるっと囲むように座っている長老や賢者たちが、うなずいたり、拍手をしたりする。
ルージュは一瞬息を飲んだ後、深々と頭を下げた。
「俺はルージュに劣ると言うのか」
表情を変えずに、煌牙は司令官に向かって静かに言った。会議室の空気が、しんと冷えるのを感じる。
「お前の実力は、誰もが認めておる。ルージュと比べて劣っている訳ではない。ただ、巫女姫様の伴侶として考えた場合、ルージュの方が相応しいと判断された。闇の復活の件もあるのじゃ、お前はこのまま騎士団長として姫とこの国を支えてくれ」
――――ルージュの方が相応しい? 煌牙は笑う。
「今まで弱体化していた騎士団を支えてきたのは誰だ? レンを守る力があるのは、俺しかいない! それでもルージュが相応しいと言うのか」
ルージュは聡明だ。煌牙ほどではないにしろ、戦闘能力も高い。そして、その丁寧な物腰から長老達の評判もいい。それでも、煌牙は衰退していた騎士団をまとめ、若い団員を増やしてきた功績がある。団長としての信頼も厚く、なにより圧倒的な力で、魔物をねじ伏せてきた強さがあった。
どこでルージュと差がついたと言うのだ。
「煌牙、お前は少々、素行が悪い」
「なるほどな。結局、あんた達の言いなりになりそうな、都合のいい奴を選ぶ訳か。騎士団長として姫とこの国を支えろって? 随分と勝手な事を」
「口を慎め、煌牙」
見かねたルージュが止めに入る。
「機嫌取りをしてきた甲斐があったな、ルー。一生飼いならされて、せいぜい利用されろよ」
煌牙は力任せに会議室の扉を開け放つと、そのままの勢いで部屋を飛び出した。
「待て、煌牙!」
自棄を起こさないかと危惧したルージュが、すぐさま会議室を出て後を追う。
「どこへ行く気だ? まさかレンの所じゃないだろうな」
その言葉に、こめかみに血管を浮かせた煌牙は足を止め、振り向きざまにルージュの襟首を掴む。
「俺に指図するなよ。まさか、もう亭主気取りか? 冗談じゃねぇ、俺は認めねえぞ!」
「離せ!」
予想以上に強い力でルージュが腕を振り払うと、油断していた煌牙はその衝撃で後ずさった。
襟元を直しながら煌牙を睨む、そのルージュの黒い瞳が余計に癪に障る。
「いつまでもガキ扱いすんなよ」
「口ばかりは一人前だな」
二人の怒りの感情に反応して、冷たい空気が廊下に漂い、ルージュのコートがふわりとなびく。
「やめんか、二人とも」
その冷たい空気をかき消すように、熱風が煌牙とルージュの横を駆け抜けた。
司令官だ。
「……すみません」
謝罪の言葉を口にはしたが、ルージュは煌牙を睨んだままだった。
「くれぐれも、問題を起こすでないぞ」
司令官はきつく念を押すと、再び会議室へと戻って行った。
「レンに余計な事は言わねえし、何もしねえよ」
煌牙がルージュを見下ろし、ニヤリと笑う。
「それに、まだ諦めてないしな」
「俺は巫女姫の騎士を譲る気は全くない。諦めないのは自由だが、レンを傷つけるなよ」
「だから、何もしねぇって言ってんだろ」
煌牙は吐き捨てるように言うと、訓練場へと歩き出した。背中にルージュの警戒したままの気配を感じる。
ふん。と煌牙は鼻で笑った。
巫女姫の騎士を公にするのは、きっと闇の討伐が済んだ後だ。婚姻の儀ともなれば、更にもっと先の話だろう。だったらそれまでに、司令官共を黙らせるほどの手柄を立てればいい。
あいつらが手のひらを返すほどの、力が欲しい。
煌牙はそう考えながらワイバーンに乗り込む。いろいろ考えながら、ひとつ浮かんだ言葉があったが、それはすぐに頭の隅に追いやった。
「俺とルージュ、どちらを選ぶ?」
レンに一番聞いてみたくて、一番聞きたくない質問だった。