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黒い炎と氷の刃  作者: 雪華
最終決戦
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54話 黒い炎と氷の刃

 紅い龍の姿をしたファロは、大きな体を揺するようにして起き上がった。しかし、すぐにバランスを崩して前のめりに倒れこむ。


「本来、夜霧の蓄えていた魔力を使って完成するはずだったものを、寄せ集めの魔力で補おうとしたツケだな」


 煌牙が銀色の髪を揺らしながら、静かな声で呟いた。納得したように、ルージュが頷く。


「終わらせよう」

「ああ」


 よろよろと起き上がったファロに向かって、ルージュと煌牙が走り出す。向かってくる二人に対し、ファロは口を大きく開け炎を吐いた。先ほどよりも数段威力の落ちた炎を氷の盾で防ぎながら、ルージュと煌牙は二手に分かれる。


「炎は俺が食い止めてやる。お前はファロの心臓を貫け!」


 言うと同時に氷の障壁をいくつも繰り出し、檻のようにファロを囲う。ルージュの手にある大太刀の纏った黒い炎が、呼応するように、ひと際高く燃え上がった。


 不思議と熱さは感じなかった。

 むしろ自分を守ってくれているような安堵感がある。

 氷の壁を爪で、牙で、破壊しながらもがくファロの心臓の位置に狙いを定め、大きく息を吸い込んでルージュは駆けた。

 意識を研ぎ澄ませたルージュの周りから音が消えていく。


 守りたいものは何だ。

 失いたくないものは何だ。


 全て守りたいし、全て失いたくないと言ったら、まだ青いと貴方は笑うだろうか。


 ここまで戦ってきた仲間のために。命を賭して、自分達の命をつないでくれた友のために。何よりも愛しい者のために。明日が来ると信じて疑わない、一度も会ったことのない、名も知らぬ誰かのためでさえも。


 今、最後の一振りを。


「さようなら。司令官」


 煌牙の出した障壁を利用し、ファロの頭上高く舞ったルージュは、体をのけ反らせて腹を見せたファロに、黒い炎と氷の刃を振り下ろした。


 渾身の力で心臓に刃を突き立てられたファロは、一切の動きを停止して固まる。ガラスが粉々に砕けるように、龍の鱗が弾け、真っ黒い瘴気の塊に戻っていった。黒い風が吹きすさび視界を奪う。


「ルー!」


 風に乗ってレンの声が聞こえたが、その中心部にいるルージュは、返事をすることもままならず、暴風に耐えるしかできない。黒い渦に飲み込まれ、突き上げられそうになったルージュの腕を煌牙が掴んで、荒れ狂う風の中から引きずり出した。


「とどめは刺せたのか?」

「間違いなく心臓は貫いた。だが、その後はわからない……」


 風が徐々に弱まり、黒い霧が晴れていく。

 そこには龍の姿はなく、ボロ雑巾のように擦り切れた黒い法衣を纏うファロがうずくまっているだけだった。その法衣から覗く手足は、炭のように真っ黒でひび割れている。ルージュがゆっくりとファロに近づいた。その足音に気付いたファロが、自嘲気味に嗤う。


「龍の姿まで借りてこのザマだ。可笑しいだろう?」

「いいえ」


 肩で息をするファロは、ルージュが即答したことに意外そうな顔をした。ルージュ自身も何故そんな返答をしたのかわからずに、困惑気味に目を逸らす。


「お前は、まだまだ……青いな」

「……承知しております」

「敵にそんな物の言い方はよせ」


 言いながらファロはふっと笑ったが、自分の体重を支えることも出来なくなり、砂浜に倒れた。足から徐々に石化している様で、すでに肩のあたりまで黒く硬化している。


「今、解った。巫女姫は記憶と引き換えに、自分と同じ時代にルージュおまえも生まれ変わるよう呪術を施したのだな。……わしを倒すために」


 ルージュのすぐ後ろに控えていたレンが、小さく息をのんだ。


「安心しろ。もう……わしは蘇ることはない。体も意識も、もうすぐ霧のように掻き消える。永い年月をかけた旅の終わりがこれとは……呆気ないものだ」


 石化が首にまで迫り、ファロは笑いながら、一筋涙を流した。


「何度も……何度も死を経験して生きることにうんざりしていたが、本当にこれで最後と解ると、名残惜しいものだな。ただ消えるだけでは……あまりにも寂しい。わしも、遺そう。記憶だけではなく、体も心も捧げて……せめてもの……罪滅ぼしに……」


 最後の方は聞き取れないほど小さな声だった。思わずレンがひざまずき、ファロに触れる。


「……おやすみなさい」


 最期にレンの声を聞いたファロは、一瞬驚き目を見開いたが、涙の溢れるその目すらも遂に炭へと変わる。


 浜辺に聞こえるのは、打ち寄せる波の音だけだった。

 一陣の風が吹くと、ファロの体は灰のようにサラサラと崩れ去り、花が散るように舞い上がる。


「終わったのね」


 レンの呟きに、ルージュが頷いて抱き寄せる。


「私、戦いが終わったら、もっと晴れ晴れした気持ちになるんだと思ってたのに……違った」

「うん。俺もだ」


 ファロの最期を見届けた精霊たちも、闇の王を打ち滅ぼしたというのに、歓声を上げる気にはなれず、ただ、風にさらわれていく灰を見守り続けていた。



 ◆  ◆  ◆



 それからしばらくの間、精霊界は修繕作業に追われていた。

 特にギーブルやヘルハウンドが暴れまわった中央都市と炎の里は被害が酷く、建物の補修にはまだまだ時間がかかりそうだった。街のあちこちでトンカチの音が響く。


「おーい」


 木材を運び終えたレオパルドが、宮殿の外壁を水で洗っていた汐音に声をかける。


「休憩しようって。中庭にお茶が用意されてるっすよ」

「ふーん。じゃ、僕も一休みしよっかな」


 作業の手を止めた汐音は、レオパルドとともに中庭に向かって歩き出す。


「香澄は……元気に人間界で暮らしてるっすかね」

「さあね」


 遠慮がちに、汐音の反応を伺うようにレオパルドが言うので、汐音はわざと素っ気なく返答する。あの後、すぐに香澄は玄伍とともに、人間界に戻った。香澄自身の力で人間界との行き来が自由に出来ると解ったからなのだが、香澄は自分の問題も解決したいようだった。


『人間界で、やらなきゃいけないことがあるの』


 そう言い残して、人間界への扉をくぐった香澄の覚悟を決めた顔は美しかった。


「あんなさ、意地悪な子がいる人間界なんて戻んなくたっていいのにね」

「でも、香澄なら、きっと上手くいくっすよ」

「そんなの解ってるけどさ! それならそうと、報告にくればいいのに! 戻ってからもう、二ヵ月も経つんだからっ」


 言いながらだんだんと腹の立ってきた汐音は、中庭に着くなり、用意されていた茶を一気に飲み干した。空になったカップをテーブルに叩きつけるように置く。

 レオパルドが気まずそうにパタパタと尻尾を揺らした。


「あれ、汐音。どうなんした、そんなに腹を立てて」


 追加の茶を運んできた氷鯉が、可笑しそうにクスクスと笑いながら、中庭に設置されたテーブルに盆を置く。


「別に。それよりさ、姉さん顔色悪いよ? 無理してない?」

「ありがとう汐音。何だか最近、体がだるいんでありんすぇ。今頃になって、疲れが出てきたんでありんしょうか」

「ええっ、ちょっと、ホントに無理しないで休みなよ!」


 慌てた汐音は氷鯉の背を押して椅子に座らせると、氷鯉もホッしたように深く息を吐いた。


「それじゃ、ちょっと休ませてもらいんしょう。香澄も手伝に来てくれんしたし」

「え。香澄?!」

「あれ、汐音は知らんかったでありんすか? 今、厨房で湯を沸かしていんす」


 聞き終わらないうちに、汐音は駆け出していた。


「香澄!」


 厨房にいたメイドたちの視線が、一斉に汐音に向いた。急に呼ばれた香澄も驚いたように顔を上げる。香澄は半袖のブラウスを着ていた。


「汐音、久しぶり。元気だった?」

「何のんきな事言ってんの? ってか、あっちではどーだったのさ。その……大丈夫なの?」

「うん。私ね、自分で言うのも何だけど、頑張ったよ! 頑張って、みんなの誤解を解いて、信じてもらえた。逃げないで、ちゃんと説明した。精霊界のことはもちろん伏せたけど。生まれつきの痣だって、みんなに認めてもらえたの」


 香澄は微笑んでから、少し前までは同じ高さだった目線が、いつの間にか汐音を見上げていることに気が付いて、「あれっ?」と声を上げる。


「汐音は背が伸びたね」

「そりゃね。人間界よりこっちの世界は時間が経つのが早いからね。二ヶ月だよ。二ヶ月!」

「あ、そっかぁ。人間界では二週間くらいだったから……」

「あんまり香澄がこっちに来ないと、僕が先に大人になっちゃうよ」

「でも、闇の力が消えたから、人間界との時間のズレも徐々になくなるって、カンファー様が言ってたよ?」

「そ、そうだけどさ。でもさ……」


 もごもごと口ごもる汐音を、不思議そうに香澄は見つめた。不意に、汐音の水晶が鳴り響き、通信を知らせる。


『汐音? 今どこにいるっすか! 氷鯉が倒れて、大変っす! 今、氷鯉の部屋に運んで、カンファー様に診てもらってるっす!』


 水晶から聞こえたレオパルドの声に、汐音は顔色を変えた。その様子を間近で見た香澄も、ただ事ではないことを悟り、汐音の袖にすがった。


「汐音? 何があったの?」

「姉さんが……倒れた」


 そう言ったきり、呆然と立ち尽くし動けなくなった汐音を香澄は叱咤する。


「氷鯉さんはどこにいるの? 早く行かなきゃ!」


 香澄に手を引かれて走り出した汐音は、「二階の……右端の部屋」とだけ言うと、グッと唇をかんで黙り込んでしまった。香澄は汐音を励ましながら、階段を駆け上がり、氷鯉の部屋の扉をノックも忘れて開け放った。


「まあ! 香澄に汐音……」


 ベッドで横たわる氷鯉の傍に控えていたカンファーが、驚いたように振り返える。


「姉さん……」


 恐る恐るベッドに近づく汐音に、氷鯉は青白い顔でも精一杯安心させようと笑顔を作った。


「汐音、心配かけてお許しなんし。そんな、大層なことでは――」

「氷鯉が倒れたって本当!?」


 氷鯉の言葉が言い終わらないうちに、レンとルージュが血相を変えて部屋に飛び込んできて、氷鯉に駆け寄る。カンファーと氷鯉は困ったように顔を見合わせた。


「倒れた氷鯉をレオがここまで運んでくれたのですが、レオったら……心配してみんなに知らせてくれたのね。煌牙を呼んでってお願いしただけなのに」

「煌牙を? 煌牙は今、街の修繕に出ているから、戻るのに少し時間がかかっているのかも」


 そう言って心配そうに眉を曇らせたレンは、開け放たれたままの扉に目をやる。遠くから、誰かの走る足音が聞こえてきた。


「氷鯉!」


 ようやく姿を見せた煌牙は、余程急いで走って来たのか、髪は乱れ、着物は着崩れていたが、そんなことはお構いなしで、肩で息をしながら氷鯉の枕元にひざまずいた。


「煌牙様、お呼びだてしまって、ほんに申し訳ないでありんす……」

「そんなこと、どうだっていい。お前、どこが悪いんだ? すぐに治るんだろう?」


 救いを求めるように、煌牙はカンファーを見上げる。カンファーは、目を閉じうーん、と唸ると言いにくそうに口を開いた。


「氷鯉……どうしますか? 人払いしましょうか?」


 その言葉に、氷鯉も眉間にしわをよせ、少し考え込むような仕草をしたが、


「いえ……皆様も……聞いてくんなまし。カンファー様から、伝えてもらっていいでありんしょうか」


 と告げると、布団で顔を隠してしまった。

 イライラしたように、煌牙がカンファーに詰め寄る。


「どういうことだ?」

「そうね……おめでとう、煌牙。あなた、お父さんになるのよ」

「――は? えっ? え?!」


 カンファーの言葉に理解が追い付かず、煌牙は狼狽えたまま、布団を頭からかぶる氷鯉にすがった。


「おい! 氷鯉、そんな大事なこと真っ先に俺に言えよ!」

「わっちも先ほど知ったでありんす……」


 申し訳なさそうに小さく呟く氷鯉に、もどかしくなった煌牙は布団を引きはがす。

 氷鯉は手で顔を覆い、泣いていた。


「何で泣くんだ」

「だって、煌牙様……どうしんしょう」

「どうするって、産む以外に何があるっていうんだ」

「産んでも……良いでありんすか……?」

「当たり前だ、何言ってんだ馬鹿」


 煌牙は氷鯉を抱き寄せると、氷鯉もその胸にすがって泣いた。汐音や香澄達も、その怒涛の展開に驚きながら、二人の間に宿った新しい命を祝福する。

 温かい空気に包まれた部屋で、レンとルージュも驚きながら目を合わせると、自然と笑みをこぼした。


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