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黒い炎と氷の刃  作者: 雪華
最終決戦
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48話 根を齧る者

 カンファーの屋敷で、空間の裂け目から汐音と香澄が飛び出してきたのと、水の長である泉から中央都市に魔物が現れたと知らせが届いたのは、ほぼ同時だった。


「香澄! 良かった、間に合った」


 ルージュは、通信を切った水晶をコートの下にしまいながら安堵する。その隣で涙を浮かべながら優しく微笑むレンの姿を見ても、もう以前のように香澄の心がざわつくことはなかった。

 ただ、どんな形であれ、この人たちを裏切ってしまったんだと思うと、申し訳なさと後悔の念で押しつぶされそうになる。


 そんな気配を察したのか、それとも無意識か。

 香澄の手を引いていた汐音は、繋いでいた手にグッと力を込めた。その力は香澄にも当然伝わり、泣き崩れそうな香澄の心を支えてくれる。


「本当に……すみませんでした。私のわがままでみなさんに迷惑をかけてしまって。取り返しがつかない事を。謝って済むことではないけど、でも……本当にごめんなさい!」


 夜霧やカンファーの顔を見るのは怖かったが、香澄は目を逸らさずに、その場にいた者達全員の顔を見ながら謝罪の言葉を口にした。

 レンがそれに応えるように香澄の前に進み出て、その両肩に手を置くと、グッと唇を噛んで香澄の目を見返す。意を決したように、レンは大きく息を吸った。


「いくら玄伍さんにそそのかされたとは言え、香澄のした事、一歩間違えたらみんなが悲しむ結果になってたんだよ。ルーを危険な目に遭わせて、霊鳥を傷つけて。ファロは力を付けて、今まさに中央都市で戦闘が始まった。そして何より、香澄自身の身も危なかった」

「レン……ごめん、本当にごめんなさい」


 ポタポタと落ちる涙を拭うように、レンは香澄の頬を包み込む。レンの目からも涙があふれ、声は震えていた。


「でも、もう、そんな事、香澄が一番わかってるよね。今までごめん。一人にしてごめん。心細い思いをさせてごめん」

「レン……!」


 包み込むように香澄を抱きしめたレンに、すがりつくように香澄もレンの背中に手を回した。大声で泣きたいのをこらえる香澄の背中をトントンと叩きながら、レンは「おかえり」と優しく微笑む。


 カンファーはホッとして小さく息を吐いたが、ルージュは新たにアークからの報告を聞き、眉間にしわを寄せた。


「炎の里にも魔物が出現しました。ギーブルに続いて、こちらはヘルハウンドです」

「なんですって? まるで恐ろしい絵本の世界が現実になったみたい」


 カンファーは頭が痛いというように、こめかみに手を当て首を振る。


「ファロに魔力が戻ったのだろう。しかし、それ程の大物を同時に離れた場所に出現させるとはな」


 夜霧は冷めてしまった紅茶に手を伸ばすと、ゆったりとした優雅な仕草でカップに口を付ける。困ったような顔をしたカンファーは、向かいの席から身を乗り出した。


「夜霧。ファロはこの島にも魔物を放つでしょうか」

「ファロは自分自身が一度訪れ、『扉』を作った所から魔物を出し入れする。あやつはこの島に上陸できないはずじゃ、突然空間から魔物が現れることはないだろう」


 一瞬緩んだ表情のカンファーを見て、夜霧は意地悪くニッと口角を上げる。


「油断するでないぞ、ファロ自身が上陸する可能性もある。今こうしている間にも、忍び寄っているかもしれぬ」

「そ、そうですわね。気を引き締めねば……」


 夜霧とカンファーのやり取りを聞きながら、ルージュは一点を見つめたまま深刻そうな顔をしていた。


「どうしたルージュ。今度は何に思いを巡らせておる」

「いや……ギーブルにヘルハウンド。絵本の中から出てきたようだと思ったが、もしかしたら過去にも現れたことがあったんじゃないか? 絵本が空想の物語ではなく、事実を伝承していたとしたら……」


 夜霧に声をかけられたルージュは、口元に手を当て、自分の頭の中を整理するように、ポツリポツリとつぶやいた。


「絵本には他にどんな魔物が出てくるの?」


 不安そうな顔をして、香澄はレンの手を握りながら尋ねる。絵本の内容を知っているレンは、青ざめた顔で答えた。


「ニーズヘッグ。世界樹ユグドラシルの根をかじり、世界の終末に現れる黒い龍……」

「根をかじる? そんな……」


 レンの言葉に、香澄も顔色を失った。


「この島は、網のように張り巡らされたユグドラシルの根の上に降り積もる、土や木の葉で出来ています。陸ではないので、根は無防備に海底まで伸びている。そこを狙われたら……」

「聖なる力も削がれるだろうな」


 夜霧はカンファーの語尾を補完するようにつぶやく。居てもたってもいられなくなったカンファーは、立ち上がると窓の外から海を見た。白銀の指示で結界を張っている船が見える。


「結界はこの島を完全に包み込んでいますか?」

「その予定ですが、まだ完全ではありません。隙間はあります」


 悔しそうにルージュが唇を噛む。


「ニーズヘッグが既に現れたかどうか、確認する術はあるでしょうか……」


 窓辺に立って海を見たまま、カンファーがため息をついた。


「僕が見てこようか」


 何でもない事のように、サラリと汐音が言い放つので、その場にいた者達の視線が汐音に集中した。


「海に潜るのか? 万が一、ニーズヘッグがいたらどうする? 汐音一人では危険すぎるだろう」

「そんな事言ったって、今もう既に現れていて、根っこを食べられちゃってたらどうすんのさ? 大丈夫、僕にはセイレーンの力がある。眠らせて、海面に引きずりだすよ」

「ニーズヘッグは、ワイバーンよりも大きな龍だ。汐音一人では、とても……」


 汐音の肩に手を置き、ルージュは心配そうに汐音の右目をじっと見つめる。汐音も力のこもった目で見つめ返し、一歩も引かなそうだ。


「わっちと雫も一緒に参りんしょう。他にも、この島にいる水の一族全員で行けば、寝ている魔物を根から離すことくらいは出来んしょう」

「氷鯉」


 いつの間にか部屋の入り口に立っていた氷鯉と雫が、汐音の前に進み出る。


「中央都市と炎の里に魔物が出たと聞きんした。他の者達も、戦闘の準備を始め待機していんす。指示を出してくれんしたら、すぐにでも参りんしょう」


 ルージュにそう伝えた氷鯉は、今度は汐音に向き直り、頭にそっと手を添えた。


「汐音、お前はわっちが守る故、何も心配せずに歌に集中しなんし」

「ありがと。姉さん」


 一瞬考え込むような仕草をしたルージュだったが、迷っている暇はないと判断し、すぐに顔を上げた。


「では、陸での補助は俺たちが努めよう。雫、レオ達にも声をかけてくれ」

「承知しました」

「汐音、もしニーズヘッグがいたとして、お前の歌でも眠らなかった場合は一度陸へ戻るんだ」

「うん。わかった」


 慌ただしく準備の始まったコテージで、ルージュはあちこちに指示を飛ばす。

 その様子を見守っていたレンは、悩みながらもルージュへと近づいた。


「ルー。私も行きたい」

「駄目だよ。レンと香澄は、ここで夜霧と一緒に待っていて」

「でも、ファロの狙いは私なんでしょう? 皆が居ない間に私が狙われたら? 離れた場所で同時に戦闘が始まるのは、戦力も分散されるし、良くないと思う」

「確かにそうだけど、夜霧と一緒なら空間を移動して遠くに逃げられる。そのために、今は夜霧も魔力を温存しているんだから」


 困ったように、ルージュは腰に手を当てため息をつく。レンの方も、納得いかない顔をして、側でやり取りを見ていた夜霧の方を見る。


「夜霧はどう思う? ルーの言う通りにした方がいい?」

「そうだな。大人しくアイツに従っておけ」

「……わかった」


 夜霧までに諭されて、レンは渋々頷いた。


「汐音達の準備が整ったそうだ。行ってくる」


 ルージュは泣きそうな顔をするレンの頭を優しく撫でると小さく笑った。


「大丈夫だよ。心配しないで」

「うん。心配してないよ。だってルーだもん。ちゃんと全部上手くやって、必ず全員無事で戻ってね」

「うん、レンも何かあったらすぐ連絡して」

「わかった。……いってらっしゃい」


 レンの頭に触れていたルージュの手が、そっと離れる。


「行ってきます」


 レンはその離れた手にすがりついて『行かないで』と叫びたい衝動を抑え、部屋から出ていく背中を見送った。


「大丈夫。みんな、無事に戻るよ」


 両手で顔を覆ったレンの肩に、香澄は手を添える。


「あのね、レン。私、少しだけ過去の記憶が戻ったの」

「えっ」


 赤い目をしたレンが、顔を上げて香澄を見つめた。


「私たち、双子の姉妹だったんだよ。レンがお姉ちゃんで、私は妹。私は人間の血を色濃く受け継いで、人間を守るように人間界で暮らしていた。でも、闇が人間界も精霊界も飲み込もうとしたから、三千年前も今と同じように、私は精霊界に呼ばれたんだ」

「双子の姉妹? そう……そうだったんだ。私には、断片的な記憶しかなくて。三千年前、どうやって戦いが終わったか覚えてる?」

「ごめん、そこまでは……」

「そっか。私も記憶が戻るといいんだけど。――今は、祈るしか出来ないね」

「うん」


 身を寄せ合うように二人はソファに座り、お互いの頭をくっつけもたれ合うと、目を閉じた。


 ◆


 ルージュが海岸線にたどり着いた頃には、結界を張るため沖に出ていた船もかなり島に接近し、ニーズヘッグが浮上した場合に備え待機していた。

 海を眺めていた汐音は、ルージュに気づいて振り返ると、いつものように気の強い眼差しでふふんと笑う。


「じゃあ、ちょっと見てくる。もしもニーズヘッグがいたら歌うから、みんなは聴かないように耳を塞いでね。でも、あんまり長くは歌えないから、陸に上げるまでかな」

「ああ、承知した。気を抜くなよ」

「わかってるよ。任せといて」


 白い歯を覗かせて、汐音はニッと笑うと海へ飛び込んだ。あっという間に汐音の両足は尾ひれに変わり、海の底目指して潜っていく。氷鯉と雫を先頭に、二十人ほどの水の一族が汐音の後に続いた。


「中央都市も炎の里も、苦戦しているようだよ」


 海面を見つめていたルージュの背後から、船を降りた白銀が声をかける。


「中央都市へは森の一族と大地の一族が、炎の里へは氷の一族が向かっていて、そろそろ到着するはずです。援軍が加われば、勝てます」

「お前の判断は早かったな。正直、一族総出の大移動には不安を覚えていたが、今のところこちらの行動力がファロを上回っているようだ。里の中心部から離れた辺境の地に住む者達の移動も間に合ってよかったよ」


 白銀の言葉に、ルージュはアイスケーヴへ行く途中に立ち寄った、宿屋を思い浮かべる。


「ええ。船の移動で襲われても対応できる水の一族は、現在こちらに向かっています。一時とはいえ、里を捨てさせた事は申し訳なく思いますが……戦場を分散させたくなかったので」

「ああ。その点はみんな解ってくれるさ」


 視線は海面に向けたまま、白銀がうなずく。


「参謀長!」


 後ろで控えていた美兎が、慌てて長い耳を押さえてうずくまった。


「海の底から汐音の歌が聴こえます……!」

「やはりいたか!」


 徐々に歌声が大きくなり、ルージュの耳にも届いてハッとする。


「全員歌を聴かないよう耳を塞げ! ニーズヘッグが陸に上がったら、戦闘開始だ!」


 海面が激しく揺れ、水泡がゴボゴボと湧き上がる。

 ルージュは唇を噛みしめ、汐音達が浮上するのを見守った。



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