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黒い炎と氷の刃  作者: 雪華
ユグドラシル
35/56

34話 決裂

「こちらの部屋をお使いください」


 そう案内された部屋は玄伍が住むマンションよりも随分広く、調度品も質の良さそうな物ばかりで部屋に入るのを思わず躊躇ってしまった。


「いえ、あの、もっと狭い部屋でいいんですけど」

「困りましたね、ゲストルームは他もこのような作りでして……香澄殿も、隣の部屋を使っていたんですよ」

「香澄が隣の部屋を? すみません、本当に本人なのか、持ち物を確認してもいいですか?」


 そう言われたアークは、少し困ったようにうーん、と口を結んだ。

 いくら親族とはいえ、留守中勝手に部屋に入れていいものかと考えてしまう。その思考を見抜いたのか、玄伍も申し訳なさそうに「ここに来た時の服装だけでも確認できれば」と遠慮がちに頼んだ。

 香澄は既に闇側の人間と思われている。ここで玄伍を部屋に入れなくても、遅かれ早かれ部屋を改められるだろう。それならば、赤の他人が入る前に玄伍を入れてしまった方がいいかもしれない。そんなことを考えて、アークはマスターキーを使って香澄の部屋の扉を開くと、玄伍に中に入るよう促した。玄伍は真っ先にクローゼットに向かって進み、戸を開ける。


「ああ、間違いありません。これは香澄の通っていた高校の制服だ」

「さぞ心配だったでしょう。半月も行方不明では」


 アークの言葉に、きょとんとした顔で玄伍が振り返った。


「半月? いえ、香澄が姿を消したのは三日ほどですよ?」

「たった三日? こちらと人間界は、時間の進む速度が違うのでしょうか……。そうなると、急いで人間界に戻れば、玄伍殿の奥様もそれほど心配せずに済むかもしれませんね」

「えっ?」


 穏やかだった玄伍の表情が、一瞬で曇った。何か余計な事を言ってしまったのかと、アークは内心冷や汗をかく。


「いや、左手の薬指に指輪をされていたので。精霊界では婚儀の後、夫婦は揃いの指輪をするんです。すみません、人間界のしきたりはまた違いますよね」


 慌てて説明をしたアークに、「あぁ」と玄伍は低い声でため息の様な声をもらし、その左手の指輪を大切そうにさすった。


「人間界も同じです。私は結婚していました。しかし、妻と子を亡くしてしまいましてね。今は、独りなんです」

「そうでしたか、それは……申し訳ない。辛いことを言わせてしまいましたね」

「いえ」


 うつむいていた玄伍が顔を上げると、先ほどの様な穏やかな笑顔に戻っていた。


「もう、乗り越えましたから。どうぞ、お気になさらずに」


 乗り越えたと言ったが、まだ引きずっているのだろうと察したアークは、切なそうな顔をしたまま頷いた。


「どなたです! 勝手に入ったのは。ここは香澄様のお部屋ですよ!」


 突然廊下から女性の大きな声が聞こえ、次の瞬間、ゆっくりと扉が開かれた。驚いたアークと玄伍は、同時に扉に視線を移す。そーっと、中の様子を伺うように、雪乃が顔の半分だけを覗かせた。雪乃を認識したアークは、吹き出すように小さく笑うと、片手を挙げる。


「やあ、雪乃。勝手に入ってすまなかったね。香澄の叔父上様が精霊界にいらしたので、香澄の持ち物を確認してもらったんだ」


 雪乃もアークだとわかると、ホッとして扉を全て開け、少し顔を赤らめながら深々と頭を下げた。


「も、申し訳ありません。誰かが勝手に入ったのかと……!」

「いや、仕事熱心で助かるよ。玄伍殿、こちらはメイドの雪乃です。何かあれば申し付けてください」

「今はレン様も香澄様もいらっしゃらないので、手が空いているんです。玄伍様の身の回りの事は、私に任せてください!」


 胸を叩いて大きくうなずいた雪乃に、玄伍は恐縮しながら頭を下げた。


「ありがとうございます……。ところで、香澄がここにいないと言うのは、何か用事で出かけているのですか?」


 悲しそうな顔をした雪乃と、どこから説明しようかと悩むアークは、互いに顔を見合わせた。


「部屋に戻ってからご説明しましょう。雪乃、何か温かい飲み物を頼む」

「はい。すぐにお持ち致します」


 それからアークは時間をかけて、三千年前に封印した闇の復活、香澄の力を借りるために呼び寄せた事、そして、精霊界を二分する事になりかねない今の状況を丁寧に話した。

 話し始めた頃には空高くあった太陽もいつの間にか沈みかけ、部屋にはオレンジ色の光が差し込んでいた。そんな長い話も、玄伍は一語一句聞き漏らすまいと、真剣な表情で聞き入った。


「つまり、香澄は今、闇の勢力と行動を共にしていると。なるほど……小さい頃から、あの三日月の痣には何かと苦しめられてきましたが、まさかこんな事になるとは」


 全ての説明が終わった後、長く息を吐いて、ソファの背もたれにのけ反るように体を伸ばし、玄伍はすっかり冷めてしまった紅茶を一気に飲み干した。


「苦しめられた……?」


 玄伍がサラッと口にした一言に、アークは眉を寄せた。


「ああ。いえ、あんなにくっきりとした痣ですからね。人に見られて、嫌な思いを何度もしたんですよ」


 人間界では、あのような痣は珍しく、迫害される対象なのだろうかとアークはさらに顔をしかめた。それでも玄伍は「気にしないでください」とにっこり笑う。


「香澄が闇と行動を共にしているのは、確実なのでしょうか?」

「いえ、馬を使用せずに忽然と姿を消したので、闇の能力で連れ去られたのではないかと、あくまで推測なのです」

「アークさんはどう思われますか? このまま戦争になってしまうのでしょうか」


 アークは腕を組むと低く唸った。


「さすがに祖父も先制攻撃はしないでしょう。あちらの出方次第です。ただ、香澄殿と行動を共にしている者達が、闇に飲まれたとはどうしても思えないのです。だとすると、何か考えがあって今のこの状況なのか……」

「香澄に会いに行くことは叶いませんか?」

「それは……」


 アークは言葉を濁す。

 できればアーク自身もユグドラシルの樹へ向かい、実際に自分の目で確かめてみたいと思った。しかし、この状況でそんなことが許されるとは思えない。かといって、精霊界に来たばかりの玄伍を、一人でユグドラシルの樹に向かわせることも不可能だ。


「今の状況では、厳しいです」


 玄伍も今までの話の流れを理解しているので、アークの言葉に頷くと、それ以上無理は言わなかった。

 窓の外に目をやると、太陽はすっかり沈み白い月が夜空に浮かんでいた。



 一夜明けた中央都市の宮殿は、まだ日も登り切らないうちから騒々しかった。

 その声や物音で目を覚ましたアークは、急いで身支度を済ませ部屋を出る。まるでお祭りのような賑やかさに面食らいながら、騒ぎの元に駆けつけると、宮殿の玄関ホールから正面の広場に人だかりができていた。


「何事です?」


 近くにいた者を捕まえて、アークは尋ねる。魔法学院の制服を着た少年は、興奮したように拳を握ってキラキラした目でアークを見上げた。


「アーク様! 今日は早朝授業のある日だったので、僕たち学校に向かっていたのですが、突然正面広場にゴブリンが現れて! でも、司令官殿があっという間に退治してくださったんです! 今、最後のゴブリンを消し去るところですよ」


 周りを見渡すと、なるほど、制服を着た子供たちばかりだった。どうやら寮から校舎に向かう途中、ゴブリンの大群に囲まれたところをファロに助けられたらしい。宮殿に避難してきた生徒たちの歓声が、玄関ホールに響き渡っていた。その声に驚いた大人たちが、アークのように「何だ、何だ」と集まりだして、このお祭り騒ぎになっていたようだった。

 最後のゴブリンが消し炭になって、ひと際大きい歓声が上がった。

 アークはため息をつきながら、事態の収拾に努めるため、手をパンパンと大きく鳴らす。


「魔法学院の生徒諸君! 僕が引率するから、君たちは敷地内の安全が確認されるまで、一度寮に戻るんだ。その後は先生からの指示を待ちなさい。さあ、行くよ!」


 生徒たちは行儀よく二列に並ぶと、アークの後に続く。昔、寮長をしていた頃を思い出し、周囲に気を配りながらアークは宮殿から寮を目指した。


「私も護衛しよう」


 そう言って獅凰が列の最後尾につく。

 里の長二人に付き添われた生徒たちは、非日常に興奮して、なんなら再びゴブリンが出ないかとさえ口にした。それにはアークも獅凰も眉をしかめ注意する。


「簡単に倒したように見えたかもしれないけどね、実戦経験のない君たちじゃ、とっさに動けないよ。それに、ゴブリンより強い魔物が出ないとも限らない。スケルトンが束になって襲ってきたら、僕と獅凰殿で戦っても危ないんだから」


『スケルトン』という単語に、生徒たちは急におとなしくなった。少し前まで実在しないと思っていた魔物が突然中庭に現れたのは、つい昨日の事だ。余程衝撃的だったのだろう。


「油断は命取りとなる。はしゃいでばかりいると、痛い目を見るぞ」


 駄目押しの獅凰の一言で、シュンとなった生徒たちをアークは優しい眼差しで見つめた。

 無邪気に笑ったり落ち込んだりする生徒の姿に、ルージュを重ねる。飛び級のせいでとっくに卒業してしまったが、ここにいる子たちとそう年は変わらないのに、彼は随分苦労しているな。と、小さくため息をついた。

 生徒たちを送り届け宮殿に戻ると、鬼のような形相のファロがアークを待ち構えていた。


「アーク、これでわかったであろう? やはり戦は避けられない! 獅凰殿、急いで準備しますぞ」


 そう言ったファロは、獅凰に武器庫から大量の剣や鎧を運び出し、手入れをするように指示する。慌ててアークは首を横に振った。


「ま、待ってください。確かに魔物は闇の仕業でしょうけれど、それとユグドラシルとは関係ないかもしれない!」

「まだそんなことを言っておるのか? まさか、お前まで闇に取り込まれたのではあるまいな。こちらに攻め込まれる前に、ユグドラシルへ先制攻撃を行わねば!」


 ファロの怒りに反応し、ゴオッと熱い風が玄関ホールを吹き抜けた。その風をやり過ごしながら、何といえばファロに理解してもらえるのかとアークは考える。


「闇と戦うために、武器の準備をするのは構わないでしょう。しかし、ユグドラシルに攻め込むのは反対です。一度カンファー殿に連絡を取り、話し合いの席を設けませんか?」

「お前は甘すぎる! 魔物に言葉が通じるものか! もうよい。お前は中央都市から出て行きなさい。炎の里に戻ることも許さん。ユグドラシルへ行くがいい!」


 ユグドラシルの様子を知りたいと思ったが、それはこんな形ではない。アークは必死にファロに訴えた。


「お待ちください! 無用な戦は避けるべきです。魔物が襲って来た時に……」

「それでは遅いのだ。もうよい。出ていけ!」


 これ以上は何を言っても無駄だと判断したアークは、深く息を吐くと、無言のまま階段を上り始めた。


「どこへ行く」

「荷物を取ったら、すぐにここを立ちます」


 ファロの問いかけに、目も合わせずに答えた。ふん、とファロは鼻を鳴らす。

 ユグドラシルからの帰り道に宮殿に寄っただけなので、そもそも荷物などそれほどない。部屋に戻りあっという間に荷物をまとめたアークは部屋を出ると、自分が乗ってきた馬車が停まる訓練場まで早足で向かった。

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