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黒い炎と氷の刃  作者: 雪華
ユグドラシル
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33話 火種

 香澄はタラップから見下ろすように、ルージュとレンを色のない瞳でぼんやりと見つめていた。一足先に飛び出したレンの後に続き、夜霧たちもユグドラシルの樹へと上陸する。香澄も早く降りなければと思いつつ、足が重くて歩き出せなかった。

 自分の身も危ない。

 この世がどうなるかもわからない。

 そんな時でさえレンが純粋に笑えるのは、ルージュの胸に飛び込むことが許されているからだ。どんな嵐が来たって、あの人の腕の中にいられるのなら、少しも怖くないのだろう。きっと、一瞬でも不安になんてならない。

 私が望んだって、けして手に入れることは出来ない、安息。

 ルージュが宮殿へ向かう朝、香澄に向かって言った言葉が脳裏に蘇る。


『レンをよろしくね』


 まるで、『身を挺してレンを守れ』と言われたような気がした。もちろん、そんなつもりは毛頭ないのだろう。全く、被害妄想もいいところだ。こんな事をルージュに打ち明けたら、きっと土下座する勢いで必死に謝られるに違いない。一方的な、ただのヤキモチなのだ。

 ……だけど。

 涙ぐんだ香澄は、気づかれないように、袖で目元を押さえた。とっくにタラップを降りたマルベリーが、まだ残っている香澄に気づいて大きく手を振る。


「何してるのー? 早くおいで!」

「……うん。今行く!」


 慌てた香澄は、みんなの輪の中に入ろうと、勢いよく駆け寄る。しかし、地面にむき出しになっているゴツゴツとした木の根に足を取られ、躓いた香澄の体が宙に浮いた。突然の事に、声も出せない。


「おっと。危ない」


 その体を受け止めたのは、ルージュだった。地面に投げ出されるはずだった香澄の体は、しっかりとルージュの腕に納まっている。


「大丈夫?」


 いつもの笑顔で、香澄の顔を覗き込んだ。さっきまでレンを抱きしめていた腕。

 香澄は、思わずルージュを突き飛ばすように、その腕から離れた。驚いたようなルージュの顔が、一瞬目の端に映ったが、顔を上げられないままうつむくしか出来ない。


「香澄、白銀様の別宅から出るときも思ったんだけど……辛い? 疲れた? ここで、少し休めればいいんだけど」


 辛い? ……うん、今、凄く辛い。

 もちろんそんな事、声には出さない。

 宮殿を立つ前、自分の小さな変化に気づいてくれていたのかと、恥ずかしい気持ちと、どこか嬉しい気持ちに、ただ戸惑った。

 そんなうつむいたままの香澄を励ますように、ルージュの大きな手が香澄の頭を優しく撫でる。


「アイスケーヴでは無理させちゃってごめん。怖かったよね。……ごめん」

「謝らないでください。私こそ、肝心な時に役に立てなくて、ごめんなさい」


 ルージュが身をかがめ、うつむく香澄を下から覗き込む。


「本当に大丈夫? 元気ないよ。役に立たないなんて言わないで。香澄がいてくれて、どれだけ助かったことか」


 ふわりと笑うルージュから香澄は目を逸らし、泣きそうになるのをやっとこらえて、なんとか声を絞り出す。


「大丈夫。大丈夫です。元気です……」


 だからお願い。

 優しくしないで。



 細かい彫刻が施された宮殿の柱を見て、玄伍(けんご)はため息をもらした。廊下には赤絨毯がひかれ、天井までも丁寧に細工が施されている。それはただ豪華と言うだけではなく、歴史や重厚さが感じられ、厳かな雰囲気が漂っていた。

 前を歩くアークは、先ほどからペンダントをつまんで口元にあて、何かを話している。

 大きなエボニーの扉の前でアークが立ち止まり、ノックをした。


「ここには司令官と大地の長である獅凰殿がいらっしゃいます。報告もかねて、紹介させてください」


 そう言うと、アークは手に力を込めて扉を開く。ぎぃと重たそうな音がした。

 ファロと獅凰は向かい合って机に地図を広げ、何か相談しているようだった。アークがその机の側によると、眉をしかめる。


「ユグドラシルの地図ではないですか。どうされるおつもりです」

「万が一、ここが闇に染まった時のためにな。今、話をしておったのだ」

「まさか、攻め込むおつもりですか」


 アークは驚いてファロと獅凰の顔を交互に見る。ファロは当然だろうと言うように、涼しい顔をしていたが、獅凰は気まずそうに目を逸らした。アークは玄伍を連れてきたことも忘れ、ファロに食い掛かる。


「そもそも、なぜ今回こんな事態になったのです? ルージュ君をかばってユグドラシルへ向かうために、カンファー殿は霊鳥まで呼び出した。白銀殿や泉殿の口ぶりでは、まるであなたが闇と言うようだった!」

「お前は血のつながった祖父と、闇に操られた魔物ども、どちらを信じるのか? 悪魔は上手に嘘をつくぞ」

「それにしたって、ユグドラシルを攻撃するのは早計すぎます。あの神聖な土地が簡単に闇に染まるとは思えない」


 暫らく二人のやり取りをじっと聞いていた獅凰も、アークの言葉には深くうなずいた。


「私も、アーク殿と同意見です。あの島が、そうそう簡単に闇の手に落ちるとは思えない。カンファー殿は確かに、霊鳥に乗っているときは正気なようにも見えました。……もう少し、様子を見てみませんか?」


 黙って言う通りに動けばいいものを。と、ファロは心の中で毒づいた。

 全盛期の魔力が戻ればこんな奴らに用もないが、今はまだ、少しでも戦力はあった方がいい。苛立った気配を悟られないように、一瞬目を閉じ、再び目を開いたときには、穏やかな笑みを浮かべていた。


「何もわしは、今すぐユグドラシルへ攻め入ろうなどとは思っておらんよ。それよりアーク、そちらの方は?」


 アークの後ろで気まずそうにうつむく玄伍に目をやった。アークも「ああ!」と、気持ちを切り替え慌てて玄伍の方に向き直る。


「人間界から迷い込んだ方ですが、香澄殿の叔父上様でした。彼女を探していたそうです」

「天野玄伍と申します」


 恐縮したまま、玄伍は名乗る。

 ファロは椅子から立ち上がると、玄伍の前まで進み出た。


「香澄殿の血縁者ですか。この時期にこちらに来たとは、これも何かの縁でしょうな。お力を借りることがあるかもしれない。その時はよろしく頼みますよ。さて、わしは少々疲れたので、休ませてもらうよ。獅凰殿、今後の事はまた改めて」

「ええ。私はこのまま宮殿に残るつもりでおります」

「それは心強い。頼りにしていますぞ。玄伍殿、何か困りごとがあれば、アークに申し付けてくだされ」

「は、はい。ありがとうございます」


 ファロを残し、三人は部屋を後にする。

 階段に差し掛かった所で下から何やら言い合っているような声が聞こえ、アークは手すりから顔を出し、下の様子を伺った。一階から最上階まで吹き抜けになっている中央広間は、アークのいる場所からでも良く見えた。

 獅凰とアークは顔を見合わせると、その声のする一階へと階段を下りて行く。玄伍もよくわからないまま後に続いた。

 やはり、こうなってしまうのだなと、アークは小さくため息をつく。


「止めるなよ! 俺たちは、白銀様の後に続く! お前たちは里の長についていかないのか」


 氷の一族の若者が、怒鳴るように同じ氷の一族に向かって詰め寄っていた。


「俺たちは騎士団に所属しているんだ。司令官に従う」

「司令官なんて、ただの飾りだったろう! 団長がまとめていたんだ。俺は団長を信じている!」


 また別の、今度は水の一族の者が声を上げる。大きな荷物を背負い、今すぐにでも旅立てる服装をしていた。


「お前たち、何を騒いでいる!」


 獅凰の一喝に、声を荒げていた者たちは息をのみ、騒がしかった広間はあっという間に静まった。言いたいことは山ほどありそうだったが、獅凰を相手に言葉を選んでいるようだ。


「ユグドラシルの樹へ向かうつもりですか?」


 アークが静かに問いかけると、荷を背負った者達は大きくうなずく。


「司令官殿は、カンファー様たちは闇に落ちたと言いました。ですが、我々は霊鳥が中庭を飛んでいくのを見ました。闇が霊鳥を操れるでしょうか。あんなに神々しい光を放つ霊鳥を……」


 たった今、アークがファロ本人にぶつけた感情を、若い騎士団員達も口にした。

 本来ならば、司令官(ファロ)を庇う役目なのだろうが、本心でない言葉を伝える気にもなれず、アークはうつむいてしまう。


「お前たちは、司令官殿を疑うのか。早速、闇に惑わされているのではないか? ユグドラシルの樹へ行ってどうするのだ。対立をして、我々と戦でもするつもりか」


 獅凰の低い声に気圧され、再び広間は静かになった。

 ファロを信じここに残ると言った騎士団員達は、力強い味方を得て、ほら見ろと言わんばかりに出て行くと言う者達を睨みつける。

 今はまだ騎士団員同士の揉め事だが、この問題はいずれ広まり国を二分するかもしれないと、アークは唇を噛んだ。それは以前、ルージュが危惧したことでもあった。

 それでも「一丸となって闇を討とう!」とは言い出せない。

 アーク自身も、ファロを疑ってしまっていたから。


「良いではないか。行かせてあげなさい」


 ふいに声がして、その場にいた者達は全員その声のする方を見た。ファロがゆっくりとした足取りで、階段を一段ずつ降りてくる。


「強い力を持つ里の長が、三人も一度に闇に落ちるなど、にわかには信じられぬのであろう? 無理もない。ユグドラシルへ行かせてやれ」

「しかし……!」

「納得いかぬまま無理にここに留めておいても、今のように争い事が増えるばかりじゃ」


 階段を降り切らずに、高いところから一同を見下ろしたファロは、悲しそうに首を横に振る。


「だが、ここを出て行く者達に馬も船も貸せぬ。自分たちで調達しなさい。あとは好きにすると良い」


 少し青ざめた若者は、それでも拳を強く握りしめ、深々と頭を下げた後に宮殿を飛び出した。他の者達もその後を続く。

 広間は空しさや寂しさ、悔しさと言った、なんとも言えない空気に包まれ、残された者達の表情を暗くする。


「そんな顔をするでない。心配はいらぬ。すぐにこの世界は、一つになるだろう」


 そう言ったファロの瞳の奥の炎がゆらりと揺れた。

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