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黒い炎と氷の刃  作者: 雪華
ユグドラシル
33/56

32話 三年後のキミ

 「良かったのですか? 彼らをユグドラシルの樹へ向かわせてしまって」


 白銀と泉の乗った馬車が小さくなっていくのを、ファロは自室の窓から苦々しい気持ちで見送っていた。その背中に向かって、獅凰は納得がいかないように声をかける。


「そのうち、どちらが正しかったか気づくじゃろう。すぐに戻ってくる」


 無害そうな好々爺の雰囲気を装って、はっはと笑ったが、内心は穏やかではなかった。

 ルージュを捕らえ、それを餌にレンを手中に収める算段だったのにと、ファロは拳を握る。

 しかし、無理は出来なかった。

 魔物を呼ぶのに魔力を使ってしまった身で、全力のカンファーと戦えば、無傷では済まなかっただろう。それにカンファーをねじ伏せても、まだ白銀と泉もいる。彼らを捕らえてここに留め置くためには、もう闇の力を使わなくては不可能だった。


「しかし、カンファー殿を操るとは、闇は相当な力を持っていますな」

「そうじゃな。こんな老いぼれでは、全く歯が立たんよ」


 ファロは無意識に、自分の首にかかる赤い水晶を握りしめていた。

 闇の水晶(よぎり)で貯めた魔力は、少しずつ、こちらに送られてくるのだ。今でこそ供給は途絶えたが、それでも相当な魔力が貯め込まれている。この水晶を使えば、あの場にいた者達全員を消し去ることなど造作もなかった。しかし、それをしてしまえば、若返るために必要な魔力を、また集め直さなくてはならない。

 それは何としても避けたかった。

 あともう少し辛抱すれば、若返りの夢が叶うのだ。

 そんな事情をカンファーは知る由もないのだが、何か不吉なものを察して、あの場で戦闘はせず、いったん退いたのだろう。白銀と泉も、獅凰を説得しようとしたが、早々に諦め宮殿を出た。

 だが、今はこれで良い。

 準備は着々と進んでいるのだから。


「しかし、ユグドラシルの樹は闇を退けると聞きましたが、闇に染まった者達がそこへ上陸できるのですかね」

「もし、上陸できた時は、ユグドラシルの樹全土が既に汚染されているということじゃな。そうなれば……島ごと消し去るしかないじゃろう」


 獅凰は目を見開いて、ファロの言葉に躊躇いがちにうなずく。ふいに、ファロの水晶が通信を知らせる音を発した。


「どうした? アーク」

『少々困ったことが。中庭の空間の歪みから、今度は人間界から迷い込んだ人々が現れました。数は十人ほどです』

「今度は人間界からか。まだ歪みは消えておらぬな? ならば、そこを再び通って戻ってもらえ。急がぬと、帰れなくなる」

『承知しました』


 通信を切ったアークは、ため息をつくと再び顔を上げ、中庭を見渡した。

 突然やってきてしまった異世界に、オロオロするばかりの人々。

 歪みを通り抜ければ戻れると告げると、安堵の表情を浮かべて次々と歪みの中へ消えて行った。

 ただ一人の男を除いては。


「早く戻らねば、歪みが消えてしまいますよ?」

「人を探しているんです。ここに来ているのかもしれない!」


 アークが戻るよう勧めても、男は首を振るばかりで応じなかった。

 年齢は三十代前半と言ったところか。眼鏡をかけていて、スラリとした真面目そうで誠実そうなその男の、風になびく栗毛色の髪はどこかで見たような気もした。

 そうこうするうちに、空間の揺らぎがどんどんと薄れて行く。


「戻れなくなってしまう! さあ、早く!」

「いいんです!」


 アークはその男の腕を掴み、強引に押し込めようと揺らぎの方を振り返ると、煙が消えて行くように、揺らいだ空気が周りの景色に吸い込まれて、後にはいつもと変わらない中庭の風景だけが残った。


「ああ……」


 悲壮のこもったアークの声を聞いても、男はこれで良かったのだと言うように、決意のこもった目で、歪みのあった場所を見つめた。アークは意識を切り替えて、男に向き直る。


「さて、これであなたは人間界にしばらく戻れなくなりましたが、衣食住の保証はしましょう。ところで、人を探しているとおっしゃいましたが、それは今ここではぐれてしまったのですか?」

「衣食住? す、すみません。頭に血が上っていて、御迷惑をおかけすると言う事が抜け落ちておりました。探している者は、ここではぐれた訳ではありません。何日か前から行方不明になっている姪がいるのです」


 男はガクッと肩を落とすと、うつむいたまま小さな声で続ける。


「こちらに来たと言う確証はないのですが……もしお心当たりがあれば、教えて頂きたい。十六歳の少女です。天野香澄という名前の」


 天野香澄。アークは脳内でその名前を反復した。


「香澄……!」

「知っていますか!」


 男はアークにすがりつく。


「存じております。しかし香澄殿は今、ここにはいないのです。話せば長くなりますが……」

「いえ、いいのです。無事なら。どこにいるのかがわかっているならば。ああ、良かった」


 心の底から安堵したように、男が大きく息を吐いた。

「私は炎の長を務めます、アークと申します。とにかく、宮殿へご案内しましょう。そこで詳しくお話します」

「ありがとうございます。私は天野玄伍(けんご)と申します」


 そうして、静けさを取り戻した中庭を後にし、二人は宮殿へと向かった。



 ルージュはただひたすら、ユグドラシルの樹を見上げていた。

 大きいという形容では足りないほど、その幹は太く、広く伸ばした枝の隙間から空が見える。森全体が、キラキラと輝いているようだった。


「あら、もうお化粧は落としてしまったの? 残念」


 声のする方を振り返ると、長い髪をサラサラと風になびかせたカンファーがほほ笑んでいた。ルージュは薄荷色の着物だけを脱ぎ、薄い緑の長襦袢と紺色の袴という出で立ちで、小さく笑う。


「巫女姫の乗った船は、もうじき到着するようです。念のため、霊鳥を迎えに出しました」

「それは心強い。ありがとうございます」


 ルージュは礼を述べながらも、伏し目がちなままため息をついた。


「随分と気落ちしているようですね。どうされました?」


 カンファーは落ち葉を踏みしめルージュのもとへ歩み寄ると、じっと顔を覗き込む。何でも見透かしてしまいそうな透き通る深緑の瞳に、思わずルージュは目を逸らした。それでも相変わらずじっと見つめる視線を感じ、観念したように口を開く。


「わかりました。白状します。……ここに来るまでに、自分は随分と選択肢を誤ってきました。『巫女姫の騎士』の称号に目がくらんで、幼馴染の痛みも気づかず、闇へと落としてしまった。そして本当の闇を見抜けず、大切な仲間を危険な目に合わせた。もっと上手い方法はいくらでもあったはずなのに。自分の間違った判断のせいで、今のこの状態を招いてしまった……もう、自信がないのです。皆をまとめることも、先頭に立つことも出来ない」


 語尾は消え入りそうだった。

 静かにうなずきながら聞いていたカンファーは、優しい眼差しのままルージュの肩に手を添える。


「無数に枝分かれした選択肢を、一つも間違えずに正しい道を選び続けるなんて、そんな事誰にもできません。それに、選んだ道が間違っているとは限りませんよ。その判断が出来るのは、もっと先の未来にいるあなたです」


 ようやく顔を上げたルージュは、唇を噛んだまま、カンファーを見つめ返す。


「今はただ、自分の選んだ道を信じて、ひたすら前に進みなさい。あなたには仲間がいる。仲間が行く先を照らしてくれることもあるでしょう」


 ゆっくりとうなずいたルージュに、カンファーの言葉が染み渡った。

 それでもやはり、自責の念は完全には拭えず、ルージュは再び視線を足元へ落とす。


「霊鳥の気が近づいてきたわ。そろそろ到着するのかしら。さあ、一緒に出迎えに行きましょう?」

「いえ……自分は……」

「いいから、行きますよ!」


 動き出そうとしないルージュの手を取り、カンファーがずんずんと歩き出した。意地を張ってその場にとどまるのも気が引けたので、そのまま大人しくカンファーに従う。

 やがて海が見える場所まで到着すると、ちょうど船が接岸するところだった。手を引かれたまま、ルージュ達も桟橋へと向かう。

 タラップを降りる夜霧とレンも、ルージュの姿を見つけた。その顔色を見た夜霧が、やれやれとため息をもらす。


「あやつは、また何か抱え込んでおるな」

「――なんで手をつないでるのかな?」


 憂鬱そうなルージュの表情も気にはなったが、それよりもカンファーとつないだ手に視線が行ってしまったレンが、眉間にしわを寄せて口をとがらせる。それを横目で見た夜霧は、面白そうにニヤリと笑った。


「さあて? しかし、物凄い美人だな。お前が逆立ちしたって出せない色香だ。あんな美女としばらく一緒にいれば、いかにルージュといえども心が傾くのかもしれぬな?」


 妬きもちでどんな顔をしているか、面白がって振り返ろうとした夜霧を、レンは両手で思い切り突き飛ばす。驚いてバランスを崩した夜霧にはお構いなしで、レンはタラップを一気に駆け下りた。


「あら。ごめんなさいね。あなたの可愛いお姫様を誤解させてしまったかもしれない」


 カンファーは少し楽しそうに笑うと、パッとルージュの手を離す。


「え?」


 ルージュは不思議そうに聞き返したが、カンファーはにこにこ笑うばかりだ。

 黒い髪を揺らしながらレンが駆け寄り、ルージュの腕に飛び込むように抱きついた。驚きながら、ルージュが受け止める。


「ルー、あと五年、ううん。三年! 三年待って! もっと美人になるからっ!」


 腕の中でパッと顔を上げたレンは、真剣な面持ちでルージュに懇願した。

 ぽかんと、目を丸くしたルージュは、クスクスと笑うカンファーを見て、ああ、なるほどと、状況を理解する。そうすると、今度は幸せな笑いがこみ上げてきた。


「これ以上レンが美人になると、もっとライバル増えちゃうよ。心臓に悪いから、勘弁して」


 ぎゅっとレンを抱きしめる。レンも、ルージュの背中に回した腕に力を込めた。


「ルー、何か悩んでた?」

「うん。ちょっとね。でも、もう大丈夫。三年後のレンが楽しみだよ」


 レンの思い描く未来に、俺がいる。

 キミが『三年後』と言うのなら、その未来を叶えよう。

 闇に染まった明日ではなく、キミの望む未来を守ろう。



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