30話 潜入 〖挿絵アリ〗
アイスケーヴに立つ前は、まさかこの様な状況で戻ってくるとは思いもよらなかった。ルージュは宮殿の入り口を目の前にして、複雑な思いを抱く。門兵は顔見知りだったが、白銀の後に続き、お辞儀をするように顔を伏せると、長い髪がカーテンのように顔を隠してくれた。うっとおしいと思っていたが、なかなか便利だなと、ルージュは門を通り過ぎ自分の長い髪の毛先をつまんだ。
「会議まではまだ時間がありますので、こちらでお寛ぎください」
大きなアーチ型の窓から陽の光が差し込む客間へと通された。この部屋は角部屋で、部屋の両側に窓があり、宮殿の入り口と中庭、どちらも見渡すことができた。
「他の方々はどちらへ?」
白銀がお茶を運んできたメイドに問いかける。
「長の皆様には、それぞれのお部屋でお時間までお休み頂いております」
「カンファー殿は、もうお見えになりましたか?」
「いえ、まだいらっしゃってはおりません」
「そうですか。ありがとう」
メイドは深々とお辞儀をすると、部屋を後にする。
「カンファー殿はまだか……」
少し苛立ったような口調の白銀は、紅茶の注がれたカップに手を伸ばした。
ルージュは窓の外を伺う。
「会議を行うのは大会議室でしょうから、あの渡り廊下を必ず通るはずです。なるべく人目のない状態でカンファー様と話したいですが、その機会が得られなかった場合は、廊下でお声をかけてみます。その時は白銀様、ファロの注意を逸らしてくださいますか?」
「ああ、わかった。任せておきなさい」
「僕は何をすればいーの?」
汐音は生徒が教師に質問するように、右手を挙げる。
「俺は声を出したら男だと気づかれるから、誰かに話しかけられた時は、代わりに汐音が答えてくれ。お前の声なら、まだごまかせるだろう」
「りょうかーい!」
ルージュが部屋の反対側の、宮殿の入り口が見える窓へ移動しようと体の向きを変えた時、部屋に荒々しいノックの音が響いた。扉を開けようと近づくと、返事も待たずにその扉が勢いよく開かれ、危うくぶつかりそうになったルージュが体をのけぞらせる。
「これは失礼」
頭上から低い声がする。
見上げると、そこには大地の長である、獅凰が立っていた。獅凰は大きな体で扉をくぐるようにして部屋に入ると、遠慮もなしにずかずかと部屋の中央まで進み、白銀の対面のソファへ乱暴に腰掛けた。ミシッと音がして、ソファが壊れてしまうのではないかと心配になる。
「これはこれは、獅凰殿。いかがされました」
落ち着いた白銀とは対照的に、苛立ちを隠そうともしない獅凰が白銀を睨みつけた。
「闇に囚われたご子息の行方が掴めぬまま、今度は騎士団の精鋭までもが姿を消したそうではないですか。聞けば、参謀総長も闇に憑りつかれたとか。まったく、どうなっているんだ」
ルージュは「今は俺も闇に憑りつかれていることになっているのか」と、気づかれないようにそっとため息をついた。やはりファロは周到で、根回しに抜かりない。
真っ直ぐな性格の獅凰が、ファロの言葉を疑うことはないだろう。カンファーも同じような事を聞かされている可能性が高いが、こちらの言葉に聞く耳を持ってくれるだろうか……。
「ルージュが姿を消したのは事実ですが、まだ闇に憑りつかれたと決まった訳ではないでしょう」
白銀の言葉に獅凰は首を振る。
「甘いのです。あなたも、そして泉殿も。闇はセイレーンや参謀長を仲間にして力を増しているというのに! 何よりも、巫女姫と三日月の痣を持つ人間が向こうの手のあると言うのは、本当に恐ろしい事ですぞ!」
闇の正体を知らない者から見れば、獅凰の言い分はこの上なく正しい。
レンと香澄がいない宮殿は、闇に対して抵抗する術が全くないのだ。その上騎士団をまとめていた煌牙やルージュまでも闇の下にいるとなれば、この世の終わりが近づいていると恐怖を感じても、それは大袈裟な事ではないだろう。
今、獅凰を説得する事は出来ないか。
自分が正気だとわかってもらうだけでも、ファロの言い分に疑いを持つきっかけになるのではないかと、ルージュは考えを巡らせた。しかし、相手は興奮している獅凰だ。下手をすれば、「悪魔が上手く化けて、たぶらかしに来た」と、この場で剣を抜きそうな勢いがある。ルージュは白銀の横にひざまずき、耳打ちをする。
「獅凰様は、ファロに上手く言いくるめられてはいますが、闇側の者ではなさそうです。ここで事実を打ち明けましょう」
白銀は目を伏せて数秒の間、深く考え込んだようだったが「私から話そう」と、目の前の獅凰を真っすぐ見据えた。
「なんですか。コソコソと」
不愉快そうな獅凰に、白銀が口を開こうとした時だった。
「大変です、獅凰様! 宮殿の中庭に、突然魔物が!」
扉を蹴破りそうな勢いで、獅凰の従者が部屋に飛び込んできた。その言葉に素早く反応したルージュが、窓の外を確認する。
「何てことだ……」
ゴブリンの大群が、空間の歪みから次々と沸いている。見慣れた低級の魔物だ。だが問題なのは、その指揮をとっているのが鎧を身にまとい、剣を手にしたスケルトンという事だ。アイスケーヴに現れたものも、武器や盾は手にしていたが、鎧までは身に着けていなかった。もう一段レベルの高い魔物かもしれない。
「魔物の総大将を名乗る者が、はっきりと口にしたのです。『ルージュ様のご命令により、宮殿を討ちに来た』と!」
「魔物が口をきいたのか!」
獅凰は驚いて立ち上がると、腰に下げた剣に手を伸ばした。
「ルージュの命令だと? おのれ……やはり寝返ったか」
違う! と叫びそうになるのを、ルージュはこらえた。
「ともかく、魔物を駆除しなければ。中庭へ向かいましょう」
「宮殿を討ちに来たなど、魔物ごときが! 蹴散らしてくれるわ!」
獅凰が吠えると、白銀と共に中庭を目指し部屋を飛び出した。その後をルージュと汐音も追う。
「汐音、お前は魔法を使うな。氷の里の者でないことに気づかれる」
「うん」
このタイミングで宮殿に魔物を出現させた意図を、ルージュは走りながら考えていた。長が集まるこの機会に、ルージュ達が闇側に付いたと印象付け、孤立させるため?
それとも……
ルージュは汐音の腕を掴み、白銀たちが駆け下りて行った階段を、下へ向かわず上へと昇った。
「どこ行くの?」
「ファロが俺たちが潜入したことを察して魔物を呼んだとしたら、このまま中庭へ行ったら思う壺だ。この先に俺の部屋がある。お前はそこで身を隠し、氷の里にいる美兎に連絡を入れてくれ!」
「ルージュさんはどうするの」
「俺は、この隙にカンファー様を探して事情を話す。今を逃せば、もう機会がない!」
階段を一気に登り、廊下に出たところで二人は急に足を止めた。
「くっそ……」
丁度ルージュの部屋の前に、ファロとカンファーが並んでいる。まるで待ち構えていたように。
「おやおや。お嬢様方どうされました? この先に出口はありませんぞ。それともこの部屋に御用がおありかな?」
勝ち誇ったように、ファロがにやりと笑った。どうやら向こうの方が一枚上手だったようだ。
「すみません、私たち迷ってしまって。行きましょう、お姉様」
汐音がか弱い少女のような声を出し、ルージュの着物の袖をぎゅっと握りしめた。
ルージュはカンファーを凝視する。
彼女は獅凰のように、ただ言いくるめられているだけなのか。
それとも、全て知った上で闇側についているのだろうか……
一瞬、ファロの周りの空気が揺れたような気がして、とっさにルージュは、汐音を自分の後ろへ隠すようにかばった。まるで照準を合わせるかのように、ファロは人差し指でルージュを指す。目には見えないが、その指先に恐ろしいほどの力が宿っていくのが感じられた。ルージュがその力に対抗すべく、氷の障壁を張ろうとした瞬間だった。
今までずっと、大人しくファロの後ろに控えていたカンファーが、突然右手をかざすと、その手から無数に伸びた蔓が、ルージュと汐音をがんじがらめに捉えて、吊し上げた。
「なっ! 詠唱なしで魔法を」
蔓に巻きつかれて苦しそうにルージュが叫んだ。
「カンファー殿、こやつらの処分は私が行いますので、任せていただけませぬか」
その攻撃は、ファロにも想定外だったようだ。
「いいえ、ファロ殿。闇の手先ともなれば、どんな手を使うかもわかりません。この者達は、私の船にある牢に閉じ込めておきましょう」
ルージュたちから視線を外さないまま、カンファーが強い口調でそう言った。
「船までは距離が大分ありますな。牢ならば、この宮殿にもございます。ではこのまま、地下牢へと参りましょう」
ファロはカンファーを先導するように、階段を下りていく。カンファーも無言のまま、その後に続いた。
「カンファー様、お聞きください! 闇は……ッ!」
ルージュの必死の訴えも空しく、蔓に口まで塞がれ、それ以上話すことが出来なくなってしまった。蔓の先はカンファーが握っている。まるで風船のように、宙に浮かせたルージュと汐音を引いて、階段を下へ下へと降りて行く。
中庭では戦闘が続いているようで、爆音が宮殿内まで響いていた。
時をさかのぼること、一日前。
ルージュ達を見送った後、落ち着かないレンは、意味もなく屋敷内をウロウロとしていた。レオパルドが砥石で剣を研いでいるのを見つけると、近づいてただひたすらその作業を見つめる。
「ねえ。レオ」
「ダメっすよ」
まだレンが何も言わないうちに、かぶせるようにレオパルドは拒否する。
「姫様もやりたいって言うんでしょ? これはほんっとに危ないんでムリっす」
「私も何か、手伝いたいの! じっとしてられないんだもん」
口を尖らせ、上目遣いで睨むレンに、レオパルドはふぅとため息をつく。
「そんな可愛い顔してもダメっすよ。もうちょい色気が出たら、効き目アリかもっすけどね。それより、急にここを立つかもしれないし、すぐ出れるように荷物まとめたりしたんっすか?」
「もー、そんなのとっくにやったもん。三回ぐらい荷物の確認しちゃったもん。ねえねえ、ルー達今頃どのあたりかなぁ」
「んー。まだ氷の里から出てないんじゃないっすかね?」
今度は羊毛で剣を磨き出したレオパルドの手元を、興味深そうに間近で見る。
「姫様、やりにくいっすよ」
「ごめん!」
ハッとして素直に離れるレンを見て、レオパルドがクスクスと笑った。
「宮殿に戻れたら、ナイフの研ぎ方から、練習してみます?」
「うん! やってみたい。レオはエロいけど優しいよね」
「ちょ、ひどっ!」
あははと笑いながら、レンが立ち上がると、ちょうどそこへ夜霧がやってきた。
「ここにいたのか」
「うん。どうかした?」
おいで。と言うように、夜霧が手招きをして部屋を出たので、レンは首をかしげながらもその後をついていく。人気のない廊下に出てしばらく歩くと、急に夜霧は立ち止まって振り返った。レンも歩みを止める。
「巫女姫。本当の事を話してほしいのだが……」
そこで言葉を区切ると、レンの両肩を掴んで視線を合わせる。
「もしかして、昔の記憶が戻ってはいないか? 昨日から、様子がおかしいぞ」
レンは何も言わずに、じっと夜霧の瞳を見返した。




