25話 氷の里
「ゴメンね、ルー。ちょっと離して」
空間の裂け目を見つけた氷鯉に呼ばれ、レンはするりとルージュの腕から抜ける。
「行ってくる!」
「あっ、俺も一緒に……」
軽やかに走り去るレンを追いかけようとしたが、予想以上に蓄積された疲労に、思うように足が動かない。おもわず前のめりに倒れそうになったルージュを、汐音が支えた。
「傷だらけじゃないですか。ルージュさんはそこで休んでてくださいよ」
一度ホッとしてしまったせいか、再び立ち上がれずに、汐音の手から離れたルージュはその場に膝をついた。汐音は視線をルージュから戦場へ戻す。手をかざすと水泡が手裏剣のように飛び、スケルトン達に次々とダメージを与えていった。ある程度弱ったのを確認すると、今度は大波を呼び、スケルトン達を一掃する。
「凄いな、キミ」
座り込んだまま驚くルージュの言葉に、汐音はふふん。と鼻を鳴らした。
「僕、騎士団に入れそうです? 見込みありますかね」
「即戦力だ」
「へーぇ。超優秀な参謀長殿のお墨付きもらっちゃった。嬉しいな」
言葉とは裏腹に、トゲを感じたルージュは眉間にしわを寄せる。
「なんか、さっきからチクチクと敵意を感じるんだけど」
「そんな訳ないですよぉ。僕、ルージュさんの事、尊敬してますし? でもまぁ、隙あらば姫様は僕がもらっちゃおうかなーなんて、狙ってますけどね」
「レンにちょっかい出してないだろうな」
「あー。もうちょっとって感じでした。せっかく押し倒したんですけど」
「てめぇ!」
瞬時に立ち上がったルージュが、汐音の襟首をつかむ。ルージュより背の低い汐音は、つま先立ちのような格好になった。
「ちょっと、そんな元気あるなら、骨やっつけちゃってくださいよ」
ぷうっとふくれっ面をしてみせた汐音は、襟首をつかまれながらも、片手で相変わらずガンガンと水の攻撃をスケルトンに浴びせる。
「押し倒しただと?」
「僕のモノにしたかったんで」
ルージュの目を見て、しれっと言ってのけた。襟首をつかむ手に、さらに力がこもる。さすがに苦しくなった汐音は、両手をあげて降参のポーズをとった。
「なんてね。僕のモノになんて嘘ですよ。いや、半分本気ですけど。でも、さっきの姫様見たら戦意喪失かな。あなたに敵いそうもないや」
ルージュは深くため息をつくと、ぽいっと汐音を放りだした。
「ルージュさんて、超クールな切れ者だって聞いてたんだけど、もしかして姫様が絡むと我を忘れちゃうタイプですか?」
若干呆れ気味の汐音の言葉に、痛いところを突かれたルージュは
「自覚は、あるよ」
と、側に落ちていた剣を拾いながらつぶやいた。
「うっそ、まだ戦う気ですか。休んでていいのに」
「レンと香澄で空間の切れ目を封じてくれたから、魔物の数が減りだした。一気に片付けて早くこの場から離れよう」
「死んじゃいますよ?」
「――――俺が死んだら、キミがレンを貰っちゃうんだろ? だから、絶対死なない」
「それは、残念」
フラフラで今にも倒れそうなくせに強気だなと、汐音はクスリと笑った。
洞窟内の封印を終えて、いつの間にか戻ってきていた香澄の白い光が、広範囲のスケルトンを一瞬で灰にする。
「なかなか筋がよいの。余の言う通りにすれば、簡単な事であろう? お前は気ばかり急いて、空回りしておったのじゃ」
満足気にうなずいた夜霧に、香澄も上手く能力を使いこなせるのが嬉しくて笑顔を見せた。
「『体をめぐる白い光を手のひらから放出させるイメージ』ですね。まだちょっと難しいですけど……あと、これ凄く疲れますね」
「疲れるのか。それは心もとないのう。しばらくは様子を見ながら使うとよい。さて……綺麗に片付いたようじゃな。早う参ろう」
空間の裂け目さえ閉じてしまえば、あとは早かった。
レンの黒炎と香澄の白い光であっという間に片付き、先ほどまでの喧騒が嘘のように、氷の大地は静寂に包まれていた。安堵した美兎の体から力が抜け、地面に両膝をつけそうになるのを、レオパルドが片手で抱きよせて支える。真っ白で血の気のない顔色のマルベリーは、汐音におぶさり、雫は氷鯉に肩を借りてやっと立っている状態だった。
「みんなごめん。今回は俺のミスだ……本当に……」
目を閉じ青白い顔をしたルージュが、謝罪の言葉を続けようとしたのを、背後から夜霧が手のひらで口をふさいで止めた。
「早うこの場を離れるぞ。神妙な話など後じゃ」
まるで後ろから抱きしめられているような態勢になったルージュが、顔を赤くして夜霧を振り払う。距離を取られた夜霧は、「つれないのう」と小さく笑うと、指先で空を切った。
「さあ、参るぞ」
「まさか、自分もここを通ることになるとはね」
傷口のように鋭く切り取られた宙に浮かぶ入り口を見て、ルージュがゴクリと唾を飲み込んだ。
夜霧が出口に選んだ先は、雪深い丘の上だった。
眼下に街が見下ろせる。木造家屋が立ち並んでいると思えば、とんがり屋根をしたレンガ造りの洋館もあった。道はタイルで舗装され、行きかう人々や馬車も見える。
「氷の里か……」
見覚えのある風景に、ルージュが小さくつぶやいた。
街の反対側に目をやれば、枝に雪を積もらせた針葉樹の森が広がり、その森を突き抜けるように、舗装され雪かきも済んだきれいな道が続いていた。その道の先に、大きな洋館が見える。
「さぁ、行こう」
楽しそうに歩き出した夜霧の肩を、ルージュが掴む。
「おい、どういう事なんだ?」
「余もお前にはいろいろ話しておきたい事がある。少し時間が欲しいと思っての。しばらく身を隠すには、ここは丁度よいであろう?あれは煌牙の生まれた家なのだから」
「長に匿ってもらうつもりか」
「後ろ盾はあった方が良い。今頃あやつは、血眼になって探しておるぞ」
あやつとは、司令官を指しているのだろう。再び歩き出した夜霧と並ぶように、ルージュも歩き出した。
「探しているとは、俺達を?」
「いや」
夜霧はまっすぐ前を向いたまま、にやりと笑う。
「巫女姫を」
大きな洋館には入らずに、夜霧は建物から少し離れた、小さな木造建築の家へと向かった。『小さな』と言っても、それは氷の長の住居である洋館と比べてという事で、こちらの木造家屋も、先ほど見た街の一軒家よりずっと大きい。
「お前と煌牙は記憶を共有しているのか?」
慣れた手つきで玄関の格子戸を開けた夜霧に向かって、ルージュは不可解そうにたずねた。
「とりあえず、中へ入れ。あまり姿を見られとうない」
言われるままに、ルージュ達は建物内へと足を踏み入れる。
欅の美しい木目の柱に、濃い鶯色の漆喰の壁。すぐ目の前には、やはり欅を使った階段が二階へと続き、天井は吹き抜けになっていて、小さな行燈をいくつも寄せ集めたようなシャンデリアが釣り下がっていた。
派手さはないが、高級感が漂っている。
一体いくつ部屋があるのだろうと思わせる広さがあった。玄関の正面、一番奥にある部屋から、一人の男性が出迎えるように姿を現す。
「待っていたぞ。しかし、話を聞いたときは信じられなかったが……ルージュまで一緒という事は、やはり煌牙の言っていたことは本当なのだな。とにかく中に入りなさい。詳しく話を聞きたいところだが、随分と傷だらけじゃないか。まずは手当てが先だな」
煌牙の父親である白銀が、ルージュ達を部屋へ招き入れる。
「ご無沙汰しております。白銀様」
頭を下げたルージュに、白銀は目を細めた。
「立派になったな。中央でも活躍しているそうじゃないか。里の長として、鼻が高いよ」
「近いうちに、騎士団参謀の任は解かれるかもしれませんが」
そんなルージュの言葉に白銀が声を上げて笑うと、目の前のソファに座るようすすめた。
「そこの女性に肩を借りているのは、もしや水の長の御子息か? 泉殿には私から連絡をいれておく、心配いらない。お前たちは、ファロ司令官に居所を知られてはならん。彼からの水晶の通信は、遮断しておこう」
「お手数おかけいたします」
か細い声で、雫が答える。
ファロ司令官か……と、ルージュは疲れて痛む頭を押さえた。司令官の名前を呼ぶ者は、古くからの顔なじみに限られていたので、随分と久しぶりに聞いた。
「お前たちは少し休みなさい。必要な物は揃えておいた。着替えでも薬でも食料でも、好きに使うといい」
その言葉に素直に従い、レン達は二階へと上がっていった。残ったルージュはソファに座ったまま、白銀に問いかける。
「白銀様は、煌牙からの話はいつ聞かれたのですか?」
「あぁ、煌牙は『夜霧』と名乗ったがな。今は、体を貸している状態らしいな」
そういうと白銀は、ルージュの隣に腰を下ろした夜霧をチラッと見て言葉を続けた。
「世界会議からの帰りの船で、ファロ殿が何か良からぬことを企んでいると夜霧から聞いたよ。ファロ殿は体調が優れぬようで、会議には出席せずに先に中央へ戻られていた。うちのバカ息子のせいだと思っていたが、どうやらユグドラシルの聖なる力で上陸が叶わなかったらしいがな」
「司令官が企んでいる良からぬこととは?」
ルージュが夜霧に向かってたずねる。
「闇の復活と、巫女姫を再び手に入れる事じゃ」
「レンを?」
再び巫女姫を手に入れるなど、不穏な言葉を聞いたルージュは、ため息をついた。その言い方だと、巫女姫が元々は、まるで闇のモノだったようではないか。
「夜霧。順を追って話してくれないか? お前は何者で、司令官とどんな繋がりがあるのか。なぜ司令官のもとを離れて我々と行動を共にしているのかを」
「話してやるのは構わぬが、長くなる。お前、魔力もほとんど使い果たして、気を失っていてもおかしくない状態ではないか。一度休んで魔力を戻せ。この先、いつ何が起きるかもわからぬのだから」
諭すような夜霧の言葉に、ルージュはうつむいた。
「こんな時に寝てなんかいられないだろう。聞きたいことが山ほどあるんだ」
焦りをにじませた声。
夜霧はルージュに腕を回して自分の方に引き寄せ「よしよし」と、肩にのったルージュの頭を優しく撫でる。
「おい、何の真似だ。離せよ」
いい加減、気力も体力も限界のルージュは、先ほどのように振り払う事も出来ずに大人しく夜霧の腕の中に納まっている。
「休める時に、休んでおけ」
そう言いながら、相変わらず髪を撫で続けた。屈辱的なはずなのに、どこか守られているような安心感を覚え、急激に瞼が重くなる。
レンと煌牙がいる。
それが自分にとって、どれほど大切な事だったか。
そのままルージュは、久しぶりに深い眠りについた。




