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黒い炎と氷の刃  作者: 雪華
旅立ち
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21話 触れた傷跡 其の二

 陽が傾き始め、深い森にある小さな教会の屋根は、夕日に染まっていた。部屋の丸い障子にも、オレンジ色の光が差し込む。

 汐音は天井をぼんやり眺めながら、ぽつりぽつりと静かな声で語りだした。


「一人で海に潜るのが好きだった僕は、ある日いつもよりも少しだけ沖の方まで潜ったんだ。嵐の後で、海底に流れ着いた珍しい物がやけに多くてさ、夢中で探険してた。でね、少し疲れて、海面に顔を出した時……見えるはずの陸がなくて、全く見覚えのない景色が広がってた」

「まさか……」


 口元を手で押さえて、レンは目を大きく見開く。


「うん。知らない間に、海の中にあった人間界の入り口を通り抜けちゃってたみたい。向こうじゃ魔力なんて使えないだろ? 尾ひれを化けさせることもできやしない。でもね、幸いな事に、人間界にも人魚はいたんだよ。僕はしばらく、その人魚の群れで世話になったんだ」


 レンは黙ってうなずいた。だんだん続きを聞くのが、怖くなってくる。


「でもさ。僕、まだ十一になったばかりのガキでね。人魚のお姉さんに『人間に見つかったら大変だから、船や陸に近づいてはいけない』って言われてたのに、好奇心に負けて……真夜中にコッソリ陸に近づいてみたんだ。だって、魔法灯よりキラキラした明かりが灯っていてさ、夜なのに凄く明るいんだ。何度かは何事もなく陸に近づけたんだよ。だから、油断して、調子に乗って、もっと陸に近づいたら……人間に捕まっちゃった」


 そこで言葉を区切った汐音に、レンはかける言葉が見つからなかった。ただ、震えるような吐息がもれる。


「それからのことは……正直、記憶から消したいな。僕はずっと、どこかの金持ちに水槽で飼われてた。左目を失ったのも、そこでだよ。死んじゃおうかなって何度も思ったけど、死んで剥製にして飾られるのも嫌だなって。意地でも生きてやった」


 ははっと汐音は声に出して笑った。それが泣いているよりも悲しそうに見えて、レンは胸が苦しくなる。


「ありがと。汐音。もう、いいよ」


 震える声を隠すため、レンは言葉を短く区切って伝える。

 汐音は今まで見せたことのない優しい顔で「大丈夫だよ」と笑いかけた。


「……捕まってから一年くらい経った頃に、どんな理由か知らないけど、僕を連れて飼い主が船で移動したんだ。その時、懐かしい海を見て……僕は何気なく歌を口ずさんだ。そうしたら……」

「セイレーン?」

「そう。魔力は弱まるけど、セイレーンの能力が使えたんだ。と、いうか、その時初めて自分の能力に気づいた。人間たちはバタバタ倒れて、船は流されてさ。僕は水槽に閉じ込められたままだし、どうしようかと思っていたら、人魚たちがその歌を聞きつけて、僕を助けに来てくれたんだよ。その後、偶然精霊界に続く入り口が見つかって、僕は……やっと帰ることができた」


 汐音は大きく息を吸い込むと、話を続ける。


「人魚たちとお別れして、精霊界の入り口を通った。そしたら、今まで抑えられてた魔力が急に戻って、それに体が追い付かなくて……泳いでるうちに気を失っちゃった。浜辺に打ち上げられた僕を助けてくれたのが、煌牙様だったんだよ」

「そうだったの……」

「傷だらけの僕は、行方不明の間の事を詮索されたり、左目の事にも触れられたくなかったからね。人目につかないこの教会は、僕にピッタリだった」


 そう言って、汐音はぐるっと部屋を見回した。


「……こんな話、誰かにしたの初めてだ。煌牙様に助けてもらった時の話は、今度またゆっくり聞いてくれる? 僕、キミに聞いてもらうの嫌じゃないみたい」


 汐音の傷に触れたレンは、少しでもその傷を癒したいと「私でよければ、いつでも」と答える。そして初めて、汐音は年相応の無邪気な笑顔を見せた。


「ああ、もう日も暮れる。夕食の用意が出来たら、また運んでくるよ」


 丸椅子から立ち上がると、汐音はベッドに腰かけているレンにそう告げた。部屋に来たばかりの時の、とげとげしさはすっかり消えている。


「ありがとう」


 そう答えたレンの笑顔を見届けて、汐音も笑顔を返すと静かに部屋の扉を閉めた。

 独りきりの部屋に、静寂が訪れる。

 レンの目には、我慢していた涙が一気にあふれ出していた。

 今触れたのは、汐音の痛みのほんの一部分でしかないことは重々承知していたし、自分が涙を流したところで何にもならないこともわかっていたが、それでも泣かずにはいられなかった。

 浴衣の袖で涙をぬぐうと、レンは息を大きく吸い込む。次に汐音が来た時に、泣いていたと気づかれたら心配させてしまう。気を紛らわせるために、レンは改めて部屋のあちこちを見回した。広さは六畳ほどだろうか。部屋にある三つの扉が気になったので、順に開けてみることにした。

 一つ目は、脱衣所もない狭いバスタブのあるシャワールーム。

 二つ目は、トイレ。

 三つめは、クローゼット。

 それ程広い部屋でもないが、どうやらここに閉じ込められていても不自由のない生活が送れる、最低限の設備は整っているようだ。それに、清潔感があって古さは感じられない。

ふむふむと一人うなずきながら、慣れない浴衣で少し疲れたレンは、再びベッドの上に腰を下ろすと湯呑を手に取り、一口飲んだ。すっかり冷めてしまった緑茶は、渋みが強く感じられ「にがっ」と少し顔をゆがめる。


「アークさん達は大丈夫だったのかな」


 ベッドの上に行儀悪くゴロンと寝ころんだレンは、天井に向かって独り言をつぶやいた。

 世界会議はどうなったのだろう。ルージュ達は無事にアイスケーヴへ到着できただろうか。

 ひとしきり考えた後、はぁーっと深く息を吐く。

 精霊界を守るために行動している誰よりも、自分は闇の近くにいる。闇だけ焼くなら、今が絶好のチャンスだ。だけど、汐音は闇の力のおかげで煌牙は生きながらえていると言う。


『助けられたのはキミの方だよ』


 汐音の言葉がひっかかった。私が助けられた? 一体何から?

 ふと障子に目をやれば、夕日はすっかり沈んでしまったようで、オレンジ色の光はもうそこにはなく、部屋も薄暗くなっていた。

 何だか、急に心細くなってくる。汐音が早く戻ってくればいいのに。

 そう思って扉に目をやった瞬間、その扉が開いたので、レンは驚いてベッドから起き上がる。しかし姿を見せたのは、汐音ではなく夜霧だった。


「なんだ、寝ていたのか? お前に聞きたいことがあって来た」


 言いながら夜霧は、薄暗い部屋に魔法で青白い明かりを灯す。煌牙の体を借りているからか、それは氷魔法だった。


「聞きたい事?」


 ベッドの上で座り直したレンは、首をかしげながら目の前の夜霧を見上げた。髪をおろしているせいだろうか、それとも中身が夜霧だからか。見慣れたはずの姿なのに、どこか妖艶な雰囲気を漂わせていてドキドキしてしまう。

 最後に中庭で見たときは、髪も瞳も黒くなっていたが、今の夜霧は以前の煌牙のように、輝くような銀色の髪と、瑠璃色の瞳に戻っていた。観察するようなレンの視線は気にも留めずに、夜霧はベッドの手前まで歩み寄り、腕を組んでレンを見下ろした。


「中央都市の状況はどうなっておる」

「……それを知ってどうするの?」


 闇にそう易々と情報を渡すわけにはいかないと、レンは夜霧を睨むように見上げる。

 やれやれと、夜霧は軽く頭を振って呆れた顔でレンを見返した。


「問うておるのは余の方じゃ、お前は黙って余に従え」

「敵の指図は受けないわ」


 ツンとそっぽを向いたレンに、夜霧は腹を立てるどころか、声を上げて笑い出した。


「そうであった。お前の認識では、余は闇であって、敵なのだな。ふむ……ではお前に一つ教えてやろう。余は闇ではない。闇が闇と呼ばれる前から存在した『王の水晶』の化身だ」

「王の水晶? 初めて聞いたわ。では、なぜ今まで闇として封印されていたのよ」


 夜霧の言葉を全く信用していないレンは、さらに疑いの目を向ける。


「お前では話にならんな。あの、人と精霊の血を引いた男はどこへ行った? あれはなかなか賢そうであったな」

「何よ! それじゃ私は賢くないみたいじゃないっ」


 ベッドから勢いよく立ち上がったレンは、腰に手を当てて頬を膨らませながら夜霧を睨んだ。一瞬、面食らったように体をのけぞらせた夜霧が、ふっと優しく笑うと、目の前に来たレンの体を両手でふわりと抱きしめた。


「ちょ、ちょっと」


 先ほどの汐音の件を思い出し、レンは慌てて引き離そうと暴れたが、そうすると夜霧はさらに強く抱きしめる。


「すまぬな。お前を見ていたら、急にこうしたくなった。余の中の煌牙が影響しているのかもしれぬな」


 煌牙の名を聞いて、レンは暴れるのを止めた。夜霧がレンを諭すように、耳元で静かにささやく。


「煌牙は余を信じてその身を預けたのだ。お前も余を信じてみろ」

「あなたは信用できないけど、あなたを信じた煌牙は信じるよ」


 いい子だと、夜霧がレンの耳に口づける。同時にレンが、顔を真っ赤にさせて「ひゃぁっ」と悲鳴を上げた。


「ちょっと! なに勝手なことしてんの! 煌牙だってこんなことしないよ?」

「はっはっは! そのようだな。煌牙の動揺が伝わってきたわ」


 レンから手を放した夜霧が、可笑しそうに腹を抱えて笑った。


「やっぱりあなたは信用できないっ!」


 レンはベッドを振り返り、枕を掴むと夜霧に向かって思い切り投げつけた。それをあっさりと受け止めた夜霧は、枕をゆっくりとレンに投げ返す。


「悪かった。もう少し話を聞いておくれ。……余と闇は別なものだ。闇は他の場所にいる。どういう意味かわかるな? もう一度聞くぞ。あの男はどこへ行った?」


「闇は他の場所にいる」その言葉に衝撃を受けたレンは、投げ返された枕をぎゅっと抱きしめる。もしそれが本当なら、『闇復活の阻止』など、根本から覆される。


「あなたは……味方なの?」


 小さな声で、レンがたずねる。青白い魔法灯に照らされた夜霧が、少しだけ悲しそうな顔をしたように見えた。


「今は。とだけ言っておこう」


 レンの瞳に映る夜霧の姿に、煌牙の気配が重なる。信じてみようと、レンは小さく息を吸い込んだ。


「ルージュは、氷の里にあるアイスケーヴに向かったよ。きっと、もう着くころ」


 夜霧はその答えが意外だったのか、首をかしげる。


「アイスケーヴへ? なぜ?」

「なぜって……闇に関する古文書が洞窟に隠されているから、それを見つけに」


 そう話しながら、レンはどんどん不安になる。夜霧は古文書の存在を知らないのだろうか?


「恐らく、アイスケーヴに古文書などないぞ」

「そんな! だって、古文書を封印した人の伝記が見つかって、それは本物だって……」


 夜霧が嘘をついているようには見えなかった。それが、余計に恐ろしいことのように感じる。

 ――――本物の闇は、すでに動き出しているのだ。


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