16話 「行ってきます」
「北の門まで見送りたいな。ダメ?」
「街まで行くつもり? 絶対ダメでしょ」
荷物を取りに一度部屋に戻ったため、時間を気にしながらルージュとレンは早足で馬小屋へと向かう。
ここ中央都市は、街全体が高い壁に囲まれた、大きな要塞となっていた。ワイバーン以外で街に入るためには、東西南北に配置された四つの門のいずれかを通る。さらに街から宮殿に入るには、堀にかかる一か所しかない橋を渡らねばならない。
橋の先には、宮殿に仕える者達の住居や、王立図書館、上級魔法学院、学生寮に訓練場や獣舎などがあり、宮殿の敷地内だけでも一つの街のようなものだった。
闇が空間を裂いて移動できる以上、宮殿内も安全ではないのだが、だからと言ってレンを街へ出す気にもなれなかった。
「宮殿から出るなよ。あと、どこに行く時も一人きりにはならないようにね」
「うーん。わかった」
不服そうではあったが、レンは素直に従う。
馬小屋まで続く道を、二人は腰の高さほどの垣根に沿って進んだ。
馬用の広い運動場が見えてきた頃、前方から歩いてくる赤い髪の男性が手を振っている事に気がついた。懐かしい顔だ。
「やあ、お二人さん! 久し振り。相変わらずいつも一緒にいるんだね」
「アークさん! いつこちらへ?」
アークと呼ばれた赤髪の男性は、かつてルージュの通った上級魔法学院の先輩で、寮長を務めていた人物だ。少しウェーブのかかった髪に、優しそうな笑顔は昔のままだ。
「さっき着いたばかりだよ。馬を預けてきたところ。世界会議のために祖父に呼ばれてね」
「司令官の言っていた『魔法に長けた者』ってアークさんの事だったんですね」
「えっ、じいさんそんな事言ったの? 責任重大だなぁ」
照れながら、アークは頭に手をやった。
アークの父は、先代の炎の長で、祖父にあたるのが司令官だった。つい最近、代替わりをして、現在はアークが炎の一族の長に就いている。
「ルージュ君はどこかお出かけ? 僕も姫と一緒に見送りしようかな」
「ホントは街まで行きたかったのに、馬小屋までしかダメって言うんですよ」
ぷーっとふくれるレンを、アークはまあまあとたしなめる。
「あっ、来た来た。参謀長殿!」
小屋から馬を出しながら、いつもの重たい金属製の鎧ではなく、寒冷地仕様のレザーアーマーに身を包んだレオパルドが、こちらに向かって手を振ってみせた。
「馬は五頭でいいのですか?」
馬に荷を載せながら、美兎が尋ねる。
「ああ、香澄はマルベリーの馬に乗せてもらうから。香澄の荷物は、美兎の馬に積んでもらっていいかな」
「なるほど。承知いたしました」
ルージュは自分の馬に小さく「よろしくね」と声をかけると、アークに向かって改まった。
「ユグドラシルの樹まで、レンをよろしくお願いします」
「うんうん。任せて。君も気をつけてね」
深くうなずいた後、マルベリーとレンに助けられ、ようやく香澄が馬に乗った事を確認すると、ルージュも自分の馬に跨った。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
風になびいて、髪がサラサラと揺れる。
手を振るレンを残して、六人はアイスケーヴへと旅立った。
「意外と馬って遅いんですね」
馬に揺られながら香澄がぽつりとつぶやいた。
「長距離を移動するには、これくらいの速さでないと。それに、遅いなんて言わないでね、馬が傷ついちゃう」
マルベリーは振り返ると、口元に人差し指をあてた。
「あっ、ごめんなさい! もっとこう、全力で走って行くのかと思って、つい」
「そんな駆け足させたら、半刻ももたずに馬が疲れちゃうわ」
「そうなんですね。すみません」
ゆっくり漕いだ自転車くらいのスピードだろうか……
歩くよりは確かに断然速い。でも、映画やドラマのような『駆け抜ける』と言う感じではなかった。
石畳で舗装された、どこまでも続く平坦な一本道。幅の広い道の両側を、針葉樹の森が囲んでいた。
たまに、馬のための休憩所があったり、宿泊施設も兼ねた教会があったりする以外は、ほとんど景色も変わらない。それでも、都会で育った香澄の目には、とても新鮮に映った。耐寒魔法のかかったコートのおかげで寒さも感じず、頬をなでる冷たい風もむしろ気持ちいいくらいだ。
宮殿を出発してから二時間ほど経過した頃、道と平行するように流れる小川が木々の隙間から見えた。そのまましばらく進むと、その小川沿いに建つ、レンガ造りの建物が現れる。
「あそこで馬を休ませよう」
ルージュの指示に従い、他の馬たちもその後に付いていく。建物に近づいてみると案外大きく、一階はオープンカフェのような作りになっていた。二階部分を支える柱や梁はむき出しで、天井も高く、壁は取り払われていて開放的だ。建物を囲むように馬をつなぐための杭が何本も並び、旅人達は自分の馬が見える位置で食事をしたり談笑したりしている。
小学生の時に遠足で行った、牧場の半屋内バーベキュー場みたいだな。
と、香澄はきょろきょろと店内を見渡す。少し離れた場所でルージュが店員らしき男と話をしている。すぐにその店員は、杭に繋いだそれぞれの馬に、水と餌を運んできた。
「あー、腹減った。なんか食っていいっすか?」
レオパルドが、うーんっとのびをする。
「うん、俺たちも休憩しよう」
空いている席をみつけ腰をかけると、思わず「ふー」っとため息がもれた。
「香澄、疲れた?」
「いえ、でもちょっと緊張しました。馬に乗るのは初めてなので」
隣に座ったルージュが心配そうにたずねるので、香澄は笑顔で返す。
ふと外に目をやると、ちょうど建物前の広場に、屋根の付いた馬車が入ってくるところが見えた。
「わぁ。大きな馬車」
「ああ、あれは乗り合い馬車だよ。ここで疲れた馬と元気な馬を交換して、乗客は馬の休憩を待たずに次の駅まで行けるんだ」
香澄の目線の先に気付いたルージュが、わかりやすく説明してくれた。
客車をけん引してきた四頭の馬は、旅人の馬が繋がれているのとは別の馬小屋へと連れて行かれ、代わりに四頭の休憩を終えた馬が小屋から出される。手際良く客車に繋がれると、馬車は颯爽と建物を後にした。
ガヤガヤと賑わう客席の間を、忙しそうに給仕して回るウェイトレスのお姉さんを捕まえて、レオパルドがあれこれ注文している。香澄も何か食べたい物はないかと聞かれたが、メニューもわからないので、全部レオパルドに任せしてしまった。
闇の封印方法を見つけるための旅。
世界はこんなに平和そうに見えるけれど、水面下では危機が迫っている。
だけど
と、香澄は隣で美兎と今後のルートについて話し合っているルージュに目をやった。不謹慎だとわかっていても、『旅』の高揚感を香澄は抑えられず、そわそわしてしまう。
やがてテーブルいっぱいに運ばれてきた料理に、美兎が呆れ顔でレオパルドに視線を送る。
「頼みすぎですよ、レオ」
「みんなだって食べるっしょ? ってか、自分腹ペコなんで、全然余裕でいけるっすよ」
レオパルドは美兎のお小言にも動じず、目の前に置かれたステーキにフォークを突き立てる。あーんと開けた口から、きらりと牙がのぞいた。
「うわぁ、ホンモノの肉食系だ」
思わず香澄の心の声が外に出てしまう。
「肉食系? うん、肉大好き」
美味しそうに肉をほおばるレオパルドに、香澄もつられて良いにおいのする、揚げたてのポテトを口にほうり込んだ。
「おいしい!」
うんうん、美味しいねえと言い合う香澄とレオパルドに、ルージュはクスクスと笑う。
「そうだね、この後何が起こるかわからないし、食べられるときに食べておこうか」
ルージュの言葉に美兎が眉をしかめた。
「確かにその通りですが、大切な使命を果たすための旅なのに、こんなに緊張感もなく……」
「ずっと緊張したままじゃ、疲れちゃうよ? ほら、レオはちゃんと美兎の好きな物も注文してるし」
ルージュはほうれん草のキッシュを指さす。
「はぁ。なんだか食べ物で懐柔されているようでイヤなのですが」
そう言いつつ、キッシュの横に添えられた葉がついたままのラディッシュを、美兎は一口かじって「ふう」と息をついた。
その様子をにこにこと笑いながら見つめていた雫が「楽しいですね」と言った後、しまったという顔で口元を押さえる。
「雫まで。浮かれていてはダメですよ」
美兎はまるで、引率の先生のようだなと、香澄は吹き出しそうになるのをこらえた。
「すみません。あまりこうして、大人数で外食をするという経験がなかったもので……」
「雫は水の長の息子さんでしょ? ご実家は来客が多そうだけど」
マルベリーが首をかしげると、雫は肩をすくめた。
「来客は多かったですが、こうして年の近い方たちと自由に食事を摂る機会は、なかったんです。騎士団に所属したのも最近なので、遠征に参加したこともなくて」
だから、今、すごく楽しいんです。と、雫は申し訳なさそうにしながら付け加えた。
「私も! 私も、凄く楽しいです! みんなとこうしてご飯を食べるの」
香澄は立ち上がりそうな勢いで、雫の意見に賛同した。美兎は「やれやれ」とため息をつく。
「まあ、道中ずっと悲壮感を漂わせる必要もないけど、気を緩め過ぎないようにね」
強い口調ではないけれど、たしなめるようなルージュの言葉に、全員がうなずいた。一瞬でピリッとした空気に変わる。そんな様子の団員達を見て、ルージュはいつものようにふわりと優しく笑った。
「そんなに緊張しなくてもいいんだけど。ほどほどにね」
馬も人も十分に休憩をとり、一行は再び次の目的地を目指す。
先ほどまで道の両側にあった針葉樹の森は、いつの間にか姿を消し、見渡す限り一面の草原が広がった。季節が夏ならば、きっと青々とした美しい芝の絨毯だったのだろうけれど、今はただ、枯れた草が寂しく風に揺れている。
道は相変わらずどこまでも真っすぐに伸びていた。
馬が歩みを進めるごとに、少しずつ空気が冷えていくような気がする。その後も一度、水辺を見つけて馬のために休憩をとり、日が沈み辺りが暗くなり始めた頃、ようやく初日の目的地でもある、大きな町にたどり着いた。手綱を握るマルベリーの背中に向かって、香澄はぽつりとつぶやく。
「マルベリーさん、私やっぱり、今、凄く楽しくて嬉しいです」
「それは良かったわ。折角ですものね、気を引き締めつつ、楽しみましょ」
オレンジ色の魔法灯が、街のあちこちに灯り、宿場町らしく夜でも活気にあふれていた。酒場からは陽気な歌声と笑い声が聞こえる。
今日の宿を決めた一行は、宿の近くにある食堂へと向かっていた。空気が澄んでいて、夜空の星がよく見えすぎて怖いくらいだ。仲間と夜に出歩くことも、外で食事をすることも、ましてや外泊するなんて本当に夢のようだと、香澄は一人、幸せを噛みしめる。
それは全て、人間界ではけして叶わない、ずっと憧れていた事だった。




