13話 envy
寒い朝だった。
レンはバルコニーに立ち、遠くそびえる山を眺める。みんなで森に行った時は、まさかこんな事になるなんて思いもよらなかったのにと、深くため息をついた。冷たい外気に触れ白くなった吐息を見て、レンは更に憂鬱な気分になる。
「ため息が目で確認できちゃうって、ちょっと嫌だな」
手すりに頬杖をついて、再び大きなため息をついた。
「まぁ、姫様! 寝巻のままで……こんな時にお風邪を召されたら困りますよ」
開け放った窓の外のレンに驚いて、雪乃が声をかける。
「司令官殿が、後ほどお部屋におみえになるそうです。早くお支度してくださいな」
「司令官が?」
あからさまに嫌そうに、レンは顔を歪めた。
また煌牙の事を言われるのだろうか。そう思うと気が重く、何もする気になれなかったが、雪乃に急かされのそのそと着替え始める。
身支度が終わり、雪乃が用意してくれたお茶に口をつける頃、計ったかのようにコンコンと、扉をノックする音がした。
「どうぞ」
レンの許しを得て部屋に入ってきたのは、予想通り司令官だった。
「おはようございます、巫女姫様。本日は世界会議についての相談で参りました」
「世界会議? どうぞ、お掛け下さい」
レンが自分の対面のソファをすすめる。司令官は腰を落とすと、深くうなずいた。
「ここ何百年も開かれていない会議ですが、姫様はご存じですかな」
「……確か、はじまりの島に各一族の長が集まるという」
「その通り。はじまりの島には、世界樹『ユグドラシルの樹』がございます。その樹の元で各地に散らばる長たちが一堂に会し、精霊世界の重要な案件について話し合うのです」
そこまで話すと、司令官は運ばれてきたお茶に口をつける。レンはティーカップを持つ手に力を込め、身を乗り出した。
「何百年ぶりに開かれる世界会議の議題は……『闇』ですか」
「闇と、煌牙についてですな。氷の長には気の毒ですが、煌牙は既に脅威となりました」
レンは反論しようと息を吸い込んだが、上手く言葉に表せない。
うつむくレンに、司令官は優しく告げる
「世界会議には、巫女姫様もぜひ出席してほしいのです」
煌牙を裁く会議になど出たくない。そう思いつつも、煌牙の父上でもある氷の長も出席するのなら、あるいは何か救いの道があるかもしれないと、レンは少しの間考え込んだ。
「そこへは、ルージュを供に付ける事はできますか」
「ルージュには宮殿に残り、香澄殿とともに中央都市の守りを固めもらいます。香澄殿の能力は高めれば強力な結界となるでしょう。あの二人は戦闘時、息も合っているようでしたから、ルージュも心強いはずです。それに、昨日のように姫様を守りながらでは、ルージュも戦いにくいでしょう」
その言葉に、レンの胸がチリチリと痛んだ。
「そう……ですね」
「日程を調節せねばなりませんが、なるべく早くの開催を目指します。姫様もそのおつもりで」
そう言うと司令官は立ちあがり、部屋を後にした。
部屋の扉が閉じると、レンはため息とともにソファに倒れ込んだ。会議に出席してほしいという言い方だが、出席しないという選択肢はきっとないのだろうなと考えながら、近くにあったクッションをたぐり寄せ、思いきり抱きしめる。
煌牙から闇を引き剥がせないだろうか。
髪や目の色など変わってしまったが、煌牙はけして正気を失っていたわけではない。闇の力が暴走気味ではあったが、司令官の攻撃から守ってくれた。
「そう言えば、中庭はもう片付いたのかな……」
「渡り通路の屋根は落ちたままですが、それ以外は綺麗になっていましたよ。芝生も元通りでした」
独り言のようなレンのつぶやきに、雪乃が答える。
「ちょっと、ルーの部屋に行ってきます」
「いってらっしゃいませ」と雪乃に見送られ、ルージュの部屋に来たものの、ノックをしても一向に誰も部屋から出てくる気配はなかった。少し考えてから、今度は香澄の部屋へ向かう。ノックすると、応対に出てきたのはルージュだった。
「あれ、レン。もう司令官との話は終わったの?」
「あ……うん。ル―が部屋にいなかったから、ここかと思って、遊びに来ちゃった」
「香澄の部屋、暖炉の火が入ってなくてさ。使い方がわからないって言うから、教えてたんだ」
「そうなんだ」
動揺を隠すために、にっこり笑って部屋に入る。
ルージュがいるかもしれないと思って香澄の部屋を訪れたのに、実際にルージュがいたことに、なぜか傷ついている自分がいた。
「レン、ちょうど良かった! 今、お茶を淹れてたの」
香澄に声をかけられ、そんな感情をごまかすように「ありがとう」と言ってレンは部屋を見渡した。鮮やかなライトドグリーンに、控えめな白いダマスク模様の壁紙。その壁に作りつけられた、大理石に花の彫刻をほどこした白い暖炉。
「司令官がレンの部屋に出向くって珍しいよね。どんな話だった?」
ルージュは暖炉の火を世話しながら、レンに背を向けたままで尋ねた。
「世界会議を開催するって」
「えっ」
驚いたルージュが振り返る。
「レンも行くの?」
「多分。行く事になると思う」
ルージュは考え込むように、あごに手をやった。
「それ、俺も一緒に行けるかな」
「ル―と香澄は宮殿に残って守りを固めてほしいって言ってたから、無理だと思うよ。二人は息がぴったりだから、ル―も香澄と一緒なら心強いだろうってさ」
我ながらトゲのある言い方だと思いつつ、レンは目を伏せると、「どうぞ」と香澄にすすめられたお茶を口に含む。
「まぁ、確かに助かったけどね、あの時。香澄がいなかったら危なかったかも。俺にも迷いがあったから」
「迷い……ですか?」
「うん。情けない話だけど、煌牙を殺す覚悟で戦えなかった」
首をかしげた香澄に答えながら、ルージュは小さくため息をついた。
レンの頭の中に、先ほどの司令官の言葉がチラつく。
「違う」とわかっていても、二人の会話に、まるで自分が責められているような気持ちになってしまう。
「このお茶、香澄がいれたの?」
逃げ出したいような気持を紛らわそうと、レンが手にしたカップを見つめて香澄に問いかけた。
「ゴメン、美味しくなかった? 雪乃さんみたいに上手くできなくて……」
「ううん、美味しい! 凄いね、香澄ってお茶も淹れられるんだね」
「レンも見習って、お茶くらい自分で淹れられるようになりなよ」
ルージュがクスクスと笑う。
普段と変わらない会話のはずだった。
『だよねー』と笑い飛ばすような、そんな他愛もない会話のはずだったのに。なぜだかいつもより、酷く胸に突き刺さった。自分が役立たずな存在に思えて仕方ない。
「あれ、ごめん。レン……怒った?」
黙りこんでしまったレンに、ルージュが慌てて頭を撫でた。気を抜くと泣いてしまいそうな自分が恨めしい。
「え、今ので怒るわけないじゃん! 私もお茶の入れ方、習おうかな」
いつも通りの笑顔で、レンはカップの紅茶を飲みほした。
◆
「参謀長殿が印を付けたのは、この辺りっすね」
レオパルドが地図を片手に森の中をズンズンと進む。
「レオ……すみません、もう少し、ゆっくり歩いてもらってもいいですか」
枝をかき分けながら、雫が息を切らす。
レオパルドが振り返ると、雫との距離がかなり開いている事に気がついた。
美兎と一緒に森を回っていた時のクセで、随分と早いペースで歩いていたらしい。尾ひれを足に変化させている水の一族にとっては、酷だったかもしれない。
「ゴメン! 陸じゃ動きにくいっすよね」
「いえいえ、すみません。でも、目的地にたどり着けてよかった」
パン! と、勢いよくレオパルドが顔の前で両手を合わせると、額に汗をにじませた雫がほほ笑んだ。
「歪みの跡には木に目印を付けといたんで、間違いないっす。でも、ここに来て参謀長殿の言っていた意味がわかったかも。ここ、散らばった歪みの中心っすね」
「なるほど。しかし、一見なにもないようですが……」
雫は辺りを見回した。
先ほど歩いてきた山の中よりも、かなり傾斜はゆるく、多少の起伏はあるが、ほぼ平らな土地が広がっていた。木々はうっそうと茂っているが、日の光は差し込んでくる。足元は枯れ木や落ち葉の隙間から、ところどころゴツゴツした岩肌が見えた。
「この辺り一帯を調べてみましょうか」
レオパルドと雫は二手に分かれて捜索を開始した。『何かありそう』と言うだけで、探しているものが『何』なのかはわからない。途方もない作業に思えたが、探し物は意外にもすぐに見つかった。
「雫! ちょっと、来てほしいっす!」
声のする方へ急いで駆けつけると、そこにはぽっかり開いた洞窟の入口があった。
「倒木で隠されていたんすけど……これ、怪しいっすよね」
レオパルドが恐る恐る洞窟の中をのぞく。半月状の入り口は、石で組まれたような痕跡があり、大人がしゃがんでやっと入れるような高さだった。
「入ってみましょう」
雫は右手をかざすと、スーッと淡く光る青白い玉が現れた。その青い玉はふわふわ浮きながら、洞窟内へと入った雫の後を付いていく。
「えっ、ちょ、待って」
レオパルドが慌てて雫の後を追う。
洞窟の内部は入口よりも高さがあったが、それでも中腰でなければ進めなかった。
「自分、暗くて狭いトコ、苦手なんすよ」
「あはは、では照明を増やしましょうか」
猫のような耳が後ろ向きにぺったりと寝ているのを見て、雫がもう一つ青白い光の玉を出すと、それはレオパルドの周りをふわふわと漂った。
「あ、ありがとうゴザイマス」
猫目で暗闇もある程度見えるレオパルドには、本当は明かりは不要で、この青白い光も不気味さを演出して余計に怖くなるものだった。それでもやはり、雫がせっかく出してくれた光だしなと気を取り直す。美兎がいなくてよかった。こんな所を見られたら冷やかに笑われるに違いない。
洞窟内は湿った土のにおいがした。
「レオ、見て下さい。何か引きずったような跡が……」
急に立ち止まった雫が、地面を指さした。
確かに土に、何かを引きずった跡と、鋭く削られたような五本の線の跡がある。
「これ、這いつくばって移動したんじゃないですかね。五本の線は、爪痕のような……」
冷静に分析する雫に、レオパルドはぞわぞわぞわっと毛が逆立つ思いがした。
「も、もういんじゃないっすかね。出ましょうよ」
「いやいや、この先に何があるのかを確かめなければ、来た意味がないですよ」
「ですよね。スミマセン……」
涙目のレオパルドに困ったように雫は笑って、青白い光の先を見つめる。
少し歩いてから、雫が振り返った。
「ほら、もう最奥部みたいですよ」
大きな黒と白の水晶に囲まれた祭壇のある部屋を、二人は注意深く見回す。
「祭壇……ですかね」
「何か、今にも崩れ落ちそうなくらいボロボロっすね」
この場所だけは天井も高く、腰をかがめなくても立つ事ができた。
古びた祭壇を雫は丁寧に観察する。
「ここに、何か置いてあった跡が」
丸くぽっかり穴のあいたように、ホコリの積もってない部分を指さした。
「ホコリの積もり具合からして、そこにあった物がなくなったのは、最近ぽいっすね」
どこかに落ちていないかと、レオパルドは地面をキョロキョロと見まわした。
ふと白と黒の水晶の檻に閉じ込められているような祭壇が視界に入る。レオパルドの嗅覚は、そこに残るわずかな闇の気配を感じ取った。
「雫、闇の気配の残り香がするっす。ここはもしかしたら……」
「もしや闇を封印した洞窟? とにかく一度、参謀長殿に連絡しましょう」
雫とレオパルドはうなずき合う。レオパルドは言い訳がましく、「早くここを出たいと思ったのは、闇の気配があったからっすね、うん」と、一人納得したように腕を組んだ。
「洞窟で怖がっていた事は誰にも言いませんから、安心して下さい」
雫は満面の笑みでレオパルドの肩をたたいた。
しゅん、とレオパルドの猫耳が下がり尻尾がパタパタとゆっくり揺れる。
『猫を飼うのも悪くないかもしれないな』
ルージュに通信しようと水晶を取りだした雫は、緊迫した空気を和ますレオパルドを見て、そんな事を考えた。
 




