第7話 止めてくれるな、男の去り際
俺が野望に胸を膨らませていると、唐突に部屋のドアが開いた。
激しい音を立てて、ドアが壁に叩きつけられる。
「いつまで寝てんのよ!
さっさと起きて、片付け手伝って!!」
その衝突音にも負けないほどの声が、轟いた。
「ちょっと、リーシャ!
ツナグさんはケガをしてるんですから、静かにしてください!」
リーシャが、勢い余って跳ね返ってきたドアを止め、立っていた。
走ってきたのだろうか、赤いショートヘア―が、乱れている。
何より顔が怖い。
そんな顔をしてさえいなければ、さぞや可愛かろうに。
ああ、勿体ない、勿体ない。
「なに甘いこと言ってんのよ!
アタシの家が壊れたのも、コイツがヘマやったからじゃない。
それで片付け手伝わないなんて、許さないんだから!」
「ですが――」
「分かった、分かった。
行けばいいんだろう?」
リーシャをなだめようとするエレナを遮って、言った。
……アレは、エレナの手におえる代物ではない。
まだ体は痛むが、あの形相から察するに、手伝わなければ殺されるだろう。
多少痛くても、命あっての物種である。
「ほんとうに大丈夫なんですか、ツナグさん?」
エレナが心配そうに聞いてくる。
「大丈夫に決まってるじゃない!」
なぜお前が答える?
「それなら、私も行きます。
お父様もいますし」
エレナが立ち上がった。
俺も布団から出て、シャツに袖を通す。
エプロンは、さすがに必要ないだろう。
リーシャに続いて、ぞろぞろと家を出る。
「何軒くらい壊れてしまったのでしょうか?」
道すがら、エレナが尋ねた。
「たしか……ウチを入れて10軒くらい?」
その程度で済んだのか。
竜がかなり派手に暴れたから、もっと被害がひどいかと思っていたが。
「10軒なら、そんなに時間は掛かりませんね。
安心しました!」
エレナも嬉しそうだ。
まあ、被害が最小限で済んだようで、何よりである。
「ま、そういうこと。
こういうこと言うのは癪だけど、これも誰かさんのおかげってわけね」
リーシャは心もち悔しそうに言った。
一体、何がそんなに悔しいのだろうか?
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トントンと、小気味よい金槌の音が聞こえてきた。
現場が近づいて来たらしい。
男衆の威勢のいい声も混じっていて、中々の活況である。
途中、瓦礫を運ぶ何人かの男とすれ違いながら、修繕作業の現場に到着した。
辺りには、まだ少し焦げ臭いにおいが残っている。
作業する人たちは、掛け声とともに、解体しては運び、解体しては運びを黙々と繰り返している。
男性だけかと思っていたが、老若男女問わず作業に参加しているようだ。
「おーい!」
突然、リーシャが手を振り始めた。
何事かと思ってその視線の先を見ると、夫婦とその息子らしき3人が手を振り返している。
「アタシの家族よ。
ちっこいのは弟のラック」
紹介されたそばから、リーシャの弟、ラックが姉のもとへ走り寄ってくる。
リーシャは弟を軽々と抱き上げ、高い高いをした。
弟の髪は、姉と同じ赤毛である。
今気づいたが、両親もそろって赤毛のようだ。
「お久しぶりです!」
エレナが進み出て、夫婦に挨拶をした。
あら、エレナちゃん。久しぶりねえ、とリーシャの母がにこやかに返し、父は穏やかに微笑んだ。
「父さん、母さん。
この人がツナグさんよ」
リーシャは弟を抱きかかえたまま、顎で俺を指した。
「キミがツナグくんか。
思ってたより細身なんだね」
リーシャの父が、落ち着いた口調で話しかけてきた。
「ほんと、竜を倒したって言うから、もっとガッシリした感じの人かと思ってたけど、案外いい男じゃない」
リーシャの母も加わる。
「この節は、村を救ってくれて本当にありがとう。
村民全員、言葉では言い表せないくらい感謝してるんだ」
そう言って、リーシャの父は俺の手を取った。
だが、俺はその手を簡単には握り返せない。
「感謝だなんて……大事な家が壊れてしまったのは、俺の責任じゃないですか」
俺が視線を落としたとき、横から肩を思いっきり小突かれた。
驚いて横を見ると、リーシャが不愉快そうな顔をしている。
「まだそんなこと言ってんの?
家なんて直せばいいじゃない!!」
リーシャの父が、俺の手を取ったまま、その言葉の後を引き取った。
「そうだよ。村のみんなが手伝ってくれてるから、すぐに元通りになるさ。
それもこれも、キミが被害を最小限に抑えてくれたからじゃないか」
そう言われて、俺はようやくその手の暖かさに気付いた。
そうこうしていると、
「おう、お前ら!
来とったのか!」
背後から、聞き覚えのある声がした。
そっと手を放して、振り返る。
村長が俺たちに気付いて、歩み寄ってくるところだった。
「ケガはもうええのか、ツナグ?」
最初に会ったときの、低い威圧的な声ではなく、どちらかと言うとエレナに使うような優しい声だ。
ただ、その声は少しばかり大き過ぎたようで、それまで一心不乱に作業に没頭していた人々の視線が、一斉に俺に集まった。
「ツナグって、あの竜殺しのか!?」
「救世主様でねぇか!?」
周囲に喧騒が乱立し、俺の元へと収束していく。
「おい、ちょっ……」
俺は後ずさりしようとするが、四方八方から迫られて逃げようがない。
救世主様ぁ!
有り難や、有り難や!
などなど、うっかりすると自分が新興宗教の教祖になったかと錯覚しかねない言葉が飛び交う。
「これ、少ないけど、お礼だぁ!」
そう言って、誰かが何かの詰まった巾着袋を投げてよこした。
それを皮切りに、節分に豆でも撒くように、大量のコインが投げつけられる。
俺は顔を守ったまま、嵐が去るまで呆然と立ち尽くしていた。
「まあまあ、ツナグも病み上がりじゃし、そんくらいで勘弁してやってくれんかの」
と言う村長の言葉で、人だかりは潮が引くように散っていく。
俺の足元には、『お礼』のコインが積もっていた。
頭にも何枚か乗っていて、俺はそれを犬のように身震いして振り落とす。
「大丈夫ですか!?」
エレナが駆け寄ってきた。
「うわっ!すごい量……」
俺の足元のコインを見て、リーシャは絶句している。
「こんなに貰ったら悪いよなぁ……」
というのが、俺の正直な感想である。
被害が小さかったとはいえ、復興には少なからず金がかかるだろう。
このコインだって、今の彼らには大事なものであるはずだ。
ここに来たことを、少しだけ後悔した。
俺が来たことで、彼らはかなり気を遣っただろう。
俺がこの村に留まり続けるかぎり、村人たちはこの先ずっと俺に気を遣わなければならないのか……。
「どうかしましたか?」
エレナの声で、我に返った。
「滅多に見ない大金だから、アタマ真っ白になったんでしょ」
と言うリーシャの言葉も、あながち間違いではない。
「村長としても、お前さんにそれを受け取ってもらいたいんじゃが」
「だが……」
やはり、そう簡単には受け取れない。
「まあ、返すと言うても無駄じゃろうから、どのみちお前さんが受け取らんわけにはいかんがの」
村長は、この話はこれで終い、とでもいうように、言った。
それで俺も折れてしまう。
エレナに手伝ってもらって、コインをかき集める。
「それにしても、本当にすごい量ですね……」
エレナがしみじみと呟いた。
「これ、10万ベルはあるんじゃない?」
リーシャが傍から覗き込んでくる。
「10万ベルって、大金なのか?」
「これだけあれば、4人家族がひと月は不自由なく暮らせますね」
……なるほど。
3人家族の松野家のひと月の生活費が、だいたい10万円くらいだったから、ざっと1ベル=1.5円というレートだろうか。
まあ、電気代なんかが掛からないことを考慮すれば、この世界の生活費はもっと安いかもしれないが。
ともかく、4人家族がひと月生活できるなら、俺一人であれば、単純計算で4ヶ月食いつないでいけるはずだ。
ならば――。
リーシャに袋をもらって、コインを詰めて帰路につく。
村長はもう少し作業するということで、エレナと2人で帰った。
オレンジ色の陽が、山の彼方に沈もうとしている。
砂利道に、家々が細長い影を落としていた。
「みなさんのお家、早く元どおりになるといいですね」
俺の先を歩くエレナは、手を後ろで組んでいる。
振り向きざまの夕陽と黒髪のコントラストに、思わずハッとしてしまった。
「そ、そうだな」
したがって、ついつい気のない返事になる。
そして、気づいた。
――まずい。
早くこの村を出なければ、俺はここから離れられなくなってしまう。
何時までもこの村にいるわけには、いかない。
「ツナグさん……?」
エレナと、目が合った。
それで、決心した。
「決めた。明日、この村を発つ」
「……え?」
「長居すると、ずっと居たくなりそうだからな。
俺がいると、他の村人も気を遣うだろうし、
何よりお前や村長に迷惑を掛けたくない」
「ですが、まだケガも治っていないでしょうし……」
「それならもう大丈夫だ。心配いらない」
俺は、視線を落として自分の身体を見る。
この程度の痛みなら、一晩寝れば引くだろう。
視線を戻すと、エレナが拳を握って伏し目がちに立っていた。
それから、ブルーの瞳が、キッと俺を見据える。
「――ダメですっ!」
そう言って、詰め寄ってきた。
「村を出て、どうするつもりですか!?
お金だって、すぐになくなってしまうんですよ!」
「……そんなに心配しなくていい。どうにかなる」
「どうにか、って……」
エレナは、自分で自分の身体を抱いた。
夕日を浴びて、俯いた顔に影がさす。
「……そんな顔するな」
「村を出て、どこに行くつもりですか?」
エレナが顔を上げて聞いた。
「とりあえず、塩の村だな」
塩が手に入れば、漬物を作って生活していけるかもしれない。
幸い、パンにも合う漬物には心当たりがある。
「でしたら、せめてそこまで案内します」
「……は?」
「ツナグさんはこの国の地理に疎いでしょうから、私がソドムまで道案内します」
「いや、村長に心配掛けるだろうから……」
「父はなんとかしますっ!」
エレナは再び詰め寄ってきて、俺の胸元からずい、と見上げてくる。
「わかった、わかった。
まずは村長に話してみて、それからだ」
とは言ったものの、やはり村の復興で忙しい村長にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
夜中のうちに、黙って出発するとでもしよう。
「はい!帰ってきたら、頼んでみます!」
と、エレナの表情が晴れやかになったのが、胸に痛かった。
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村長が帰って来る頃には、辺りはすでに闇に包まれていた。
風呂に入って(井戸水を沸かした五右衛門風呂)、ロウソクの灯りが細々と揺れる土間で夕飯を囲む。
献立は、昼のパンとスープに何かの干し肉だった。
この世界でも、日干しが食品の日持ちを良くすることは認知されているようだ。
食事中、エレナが例の話を切り出した。
「お父様、お願いがあります」
「なんじゃ?」
村長は箸を止めてエレナを見る。
「ツナグさんをソドムまで案内したいんです」
「どういうことじゃ?」
……それでは明らかに説明不足だろうが。
「実は俺、明日この村を発つつもりでして」
「そうか……。
じゃが、なんだってソドムなんぞに?」
俺は、保存食やら漬物やらについて村長に説明する。
村長もエレナと同じように、塩の保存料としての性質に驚きの色を示した。
「――それで、お前がツナグをソドムまで送り届ける、というんじゃな」
「はい」
「それが良いじゃろう。
道案内もそうじゃが、なによりこの国の者が付いとった方が、ウェガーニュを抜けやすいはずじゃ」
村長は、考える間もなく言った。
ウェガーニュ、というとウェゲニアの王都だ。
確かに、一目で余所者と分かる俺が1人でうろついていれば、何かしらのトラブルに巻き込まれる可能性は十分にある。
「それでは、行ってもいいのですか?」
「もちろんじゃ。
ワシらからも、お礼をせにゃいかんしな」
「じゃあ、決まりですね!」
エレナが俺を見る。
「……わかったよ。よろしく頼むぞ」
と答えながら、俺は、食べ終わったらお金をまとめておかねば、などと考えるのだった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
夜も更け、村長とエレナがそれぞれの寝室で寝静まった頃、俺はごそごそと出支度を始める。
こまごました額のコインは、晩のうちに紙幣に両替してもらった。
金は小袋に入れ、村長の着古しともども、エレナにもらった麻の袋に詰め込む。
麻袋には紐がついていて、リュックのようにからうことが出来る。
物音を立てぬよう、そろそろと部屋を出る。
玄関の鍵は掛かっていなかった。
不用心な気もするが、開けるのに音を立てずに済むのは助かる。
扉を開け、玄関から外に出る。
街灯のない夜の月明かりがこんなにも明るいということを、俺は初めて知った。
ホーホーと、フクロウのような鳴き声が聞こえてくる。
村の唯一の出口を目指して、ひんやりした暗闇を進む。
出口がどこにあるかは、昨日の竜との戦いの前に確かめていた。
歩くたびに、カプル村の土を踏みしめる。
もう2度と、帰ることはあるまい。
エレナが、遠くなっていく。
たった1日の出来事だのに、どうしてこんなにも足取りが重たいのだろうか。
抱きしめられた感触が、ぼんやりと蘇る。
思い出せば、ことさら前に進めなくなることぐらい、わかっている。
だけど、一度思い出したぬくもりと柔らかさは、そう簡単に消えはしない。
一人歩く闇が、冷たかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
しばらく歩いて、目的地に到着した。
木製の門の前で、知らず知らず立ち尽くす。
これでエレナやリーシャともお別れかと思うと、つい踏み出すのを躊躇ってしまう。
なんだかひどく感傷的になって、振り返ってみた。
エレナの家は、もう見えない。
煌々と輝く満月に、薄く雲がかかっている。
たった1日の思い出が、グルグルと脳内を巡っていく。
短い時間ではあったが、刻み残していく印象は何よりも鮮烈だ。
別れは悲しいけれど、出会ったことを悔いたりはしない。
この世界に来て最初に出会ったのが、エレナたちでよかった。
「ありがとな」
俺は、そう呟いてみる。
すると、不思議と村を去る覚悟が固まった。
これでやっと、歩き出せる。
いよいよ門の外へと足を踏み出そうとしたとき――
――どこへ行くつもりですか?
門の陰から、聞き覚えのある声がした。
人影が、にゅっと姿を現す。
薄雲が途切れ、月明かりが強まる。
月光が、その輪郭を闇夜に浮かび上がらせた。
「勝手に出ていこうだなんて、ひどいです!」
エレナが両手を腰に当て、ほっぺたを膨らませていた。
「どうして……」
「父に言われて、こっそり先回りしたんです。
ツナグはお礼のお金もなかなか受け取らないようなヤツだから、黙って出て行くかも知れない、って」
それで玄関の鍵が開いていたのか。
コワモテ村長、侮るべからず。
「そうか……。すまん、悪かった」
はぁ、とため息を一つ吐く。
そして、両手をあげて降参の意を表した。
東の空が、ほんのりと白んでいく。
次回より、塩の村を目指すツナグたちの道中を描いていきます。
出だしから予想外の事態に巻き込まれる2人。
そして、何やら新キャラも!?
第8話は来週土曜更新予定です。