第3話 カプル村に舞い降りる災厄
今回は展開の都合上、三人称視点となります。
あらかじめご了承ください。
村人たちは、わずかばかりの荷物を持って避難を開始した。
どこか明確な避難場所があるわけでもなく、ただひたすら竜から遠ざかるという避難だ。
村人たちの、不安と住処を失う悲しみに満ちた声が、村中に満ち満ちている。
ほとんどの村人がたった一つの村の出入り口へと殺到する中、村中を右往左往して避難を呼びかけているのは、『寄合』役員の男衆である。
『寄合』とは簡単に言えば自治会のようなもので、役員はこのような有事の際にも駆り出されることになっている。
「避難はすすんどるか?」
村長は近くを通りかかった若い役員の男に急くような口調で尋ねた。
「おおかた順調ですが、高齢者の多い村の北側で少し遅れてますね」
「そうか。なら、手が空いとるモンはそっちに回るように言ってくれ」
「わかりました。
……ところで、騎士団は間に合うのでしょうか?」
「それは、ワシにもわからん。
ちょうどウェガーニュに連絡がついた頃じゃろう。
あまり期待してはならん。
自分たちの身は、自分たちで守らんとな。
……すまんが、もう少しがんばってくれ」
若い役員は「はい」と頷いて駆け出した。
その背中を見送ったあと、村長は村の出口で村人を誘導しているエレナに目をやった。
「押さないでください!村から出たら直進してください!」
エレナは声を張り上げているが、村人たちの慌ただしい足音と、ざわめきとに掻き消されて、ほとんど届いていない。
ざわめきの中には、すすり泣く声も少なからず混じっている。
なにせ、家を捨て、生活を捨て、故郷を捨てて逃げるのだ。
避難をうながすエレナ自身、村長である父親が必死に守ってきたこのカプル村を見捨てる悲しみと罪悪感が、今にも胸の内から溢れ出しそうになっていた。
それでも、エレナは決して涙を見せることなく声をかけ続ける。
誰一人傷つけることなくこの非常事態を乗り切ることが、置き去りにされる村へのせめてもの償いだと、そう考えたからだ。
そんな娘の様子を見届けたのち、村長は村の北側、避難の遅れている地域へと向かった。
村長がいなくなってすぐ、村を出ていく人波の中から怒鳴り声が飛び出した。
エレナは何事かと耳をすますが、雑踏にかき消されて、はっきりとは聞き取れない。
かろうじて、男2人が言い争っているのだとわかる程度だ。
エレナは人込みをかき分けて、声のする方を目指す。
近づくにつれて、話し声が明瞭になってくる。
「おい、お前、ケンカ売ってんのか!?」
「ふざけんな!先に押してきたのはそっちだろうが!」
どうやら、押した、押されたの問答らしい。
普段であれば、騒ぎを起こすような若者はこの村にはいないのだが、先の見えない不安と恐怖で気が立っているのだろう。
互いの胸倉をつかみあい、一触即発の様相である。
「2人とも、やめてください!」
エレナが近づきながら訴えるが、興奮している2人の耳には入らないようだ。
「ヤんのか、ああ!?」
「上等だぁ!」
2人はますますヒートアップしていく。
もうどちらが先に手を出してもおかしくない。
いくら避難中で余裕がないとはいえ、さすがに他の村人たちも彼らのにらみ合いに気付いたようだ。
2人の剣幕に気圧されるように、村人たちが足を止める。
そうして生まれたスペースの中で、2人はなおもにらみ合いを続けている。
いよいよ、一方が殴りかかろうとして拳を構えたそのとき、エレナが2人の間に割って入った。
突然の事態に、激高していた彼らも驚いて動きを止めた。
だが、すぐに調子を取り戻す。
「どけよ!ここはオンナの出る幕じゃねえんだよ!」
しかし、エレナも怯まない。
「どきません!」
「ああ!?どけって言ってんだよ!
オマエには関係ねえだろうが!」
若者はエレナに詰め寄りながら、すごんでみせる。
自分を睨みつけている男の目を、エレナは強い決意をもってキッと睨み返す。
――そして、大きく息を吸い込んでから、言った。
「『関係ない』だなんて、馬鹿なことを言わないでください!!!」
これにはさすがの若者2人も面食らって、一歩退いた。
「ここで喧嘩をしていて、逃げ遅れてしまったらどうするんですか!
あなた方を安全に避難させるために、『寄合』の方々が必死に汗を流しているんです!」
2人は押し黙っている。
エレナは、静かな口調であとを続けた。
「……不安なのはわかります。
ですが、もっと命を大事にしてください。
私は、『寄合』の方々、そして、父の努力を無駄にしたくはありません」
エレナは失礼します、と短く言って、もとの位置に戻って行った。
遮られていた人波が、再び村の外へと流れ始める。
5分ほどで、村人たちの列は途切れた。
大方避難が完了したようだ。
エレナがそのまま待っていると、『寄合』の役員たちが老人たちの手を引いて戻ってきた。
村長の姿も見える。
「……よし。ワシらも逃げるとするか」
村長は、努めてほがらかに言った。
だが、その声には、悲しみと名残惜しさがうっすらとにじんでいる。
それを敏感に感じ取って、他の役員たちは足を止めた。
一人残らず表情に影が差している。
「なぁに、心配いらん!
生きとれば、村は立て直せる」
村長は力強く声をかける。
それに背中を押されたように、立ち止まっていた役員たちは再び歩き始めた。
彼らがある程度先に進んだのを見届けてから、村長はエレナの労をねぎらった。
「ご苦労じゃったな。
どれ、そろそろワシらも逃げんと、もうすぐ竜が来る」
そう言って、村長は先を行く村人たちに追いつこうと、歩き始める。
そのとき。
「待って!」
エレナがその腕を掴んで制止した。
「どうした!?」
村長は、困惑しつつ娘を振り返る。
「……もうすこし、ここに残りたいんです」
「何を言っとるんだ?急がんと、時間がないんじゃ」
反対にエレナの腕を掴んで、なかば引きずるように強引に歩き出そうとする。
エレナは、その手を乱暴に振りほどいた。
「……リーシャが、リーシャがまだ来てないの!!」
村長は驚いて目を見開く。
「……なんじゃと?先に逃げたんじゃないのか?」
エレナは、ううん、と首を振った。
「避難指示が出てすぐに、身一つでここに来たんです。
用意を済ませてから逃げるリーシャが、私より早いはずがありません。
もしかしたら、どこかで困っているのかも……」
不安そうにうつむくエレナに、村長は落ち着いた口調で諭す。
「とりあえず、リーシャの家じゃ。
何か事情があって、家から出られんのかもしれん」
とはいえ、口調とは裏腹に、村長の内心には焦りが沸き起こっていた。
隣り村が竜に襲われたのが3時間前。
高い知能をもち、人の気配に敏感な竜は、おそらくすでにこの村を嗅ぎつけているだろう。
もう、いつここに現れてもおかしくない。
「ありがとうございます、お父さん」
エレナは深々と頭を下げてから、駆け出した。
村長も急いで後を追う。
リーシャの家まではここから数分。
家にいるのであればどうにか間に合うかもしれない。
走りながら、村長は不安に駆られて空を見上げた。
遠く、なだらかな山々の稜線と、南中を過ぎて少し経った太陽との間。
そこに、黒いはっきりとした影が浮かんでいる。
大きさからして、明らかに鳥ではない。
だとすると、あれは……。
一方、先を行くエレナは、無我夢中で走っている。
当然、空の異変には気付いていない。
そうこうするうちに、リーシャの家に到着した。
エレナが外からリーシャを呼ぶ。
「リーシャ!ここにいるんですか?」
木戸を叩いてみるが、反応はない。
やむを得ず、木戸に手を掛ける。
かんぬきは下りていないようで、村長が力をこめると抵抗なく開いた。
エレナは靴も脱がずに家に駆けこむ。
廊下をわたり、居間を覗くが、部屋はしんとして静まり返っている。
2人は、リーシャの名前を呼びながら、家じゅうを探し回ったが、どこにもいない。
「おらんみたいじゃな」
「外を探してきます!」
そう言うや否や、エレナは屋外へと飛び出した。
村長も続いて外に出て、それと同時に、先ほどと同じ方向を見上げる。
――影は、それが竜であるとはっきりわかるほどに接近していた。
村長は、慌ててエレナを呼び止める。
「竜じゃ!もうそこまで来とる!」
その声に気付き、エレナは振り返った。
「……え?」
「早く家に入れ!見つかったら助からんぞ!!」
村長は、エレナの腕を掴み、リーシャの家へと引き戻す。
家に入るとすぐに、2人はリーシャの家の納戸に身を隠した。
息を殺し、暗闇の中で静かに耐える。
リーシャの心配でいっぱいだったエレナの脳裏に、ここにきてようやく竜に対する恐怖が首をもたげた。
――竜。
どこからともなく現れては、その圧倒的な力で目についたモノ全てを本能のままに蹂躙する、凶悪な怪物。
ひとたび襲来すれば、王国の守護者である騎士団によって討伐されるまで破壊の限りを尽くすため、王国全土で恐れられている。
見つかったら最後、なすすべもなく、あっさりと殺されてしまうだろう。
納戸の中はひんやりしていて、時折どこかからすきま風が吹き込んでくる。
音といえばそれくらいで、あとは水をうったような静けさが延々と続く。
潜むものに緊迫感と圧迫感を与える、不気味なほどの静寂。
2人は、恐怖に耐えながら、ひたすらにじっとしていた。
――そして、無限にも等しい時間が過ぎた後で、その静寂は終わりを告げた。
轟音が、すべてを飲み込んだのだ。
同時に、凄まじい振動が納戸の床越しに伝わってくる。
バリバリと、屋根が引きはがされる音。
ドオンドオンという、ずっしりとした地響き。
――ついに、災厄が村に舞い降りたのだ。
父娘は、たがいに身を寄せ合いながら、より一層息をひそめる。
恐怖に声を上げそうになりながら、それでも懸命に声を押し殺す。
破壊音と、おそらく竜の足音であろう地響きが、2人の死をカウントダウンするかのように、容赦なく確実に近づいてくる。
エレナは、耳をふさぎ、顔を膝にうずめて堪えていた。
足音はもう、すぐそこまで来ている。
ズウン、ズウンという足音に2人が気が狂わんばかりにおびえていると、あれほどまでに轟轟と響いていた足音が、糸が切れたように、はたと止まった。
エレナが何事かと顔をあげた、そのときだった。
――バリバリバリ!!!――
これまでを遥かに凌ぐ凄まじい音がして、一面の暗闇であった納戸が、一瞬にして昼下がりの陽光のもとにさらされた。
エレナは、まぶしさに目を細めながら、頭上を見る。
エレナの目に飛び込んできたのは、こちらを覗き込む、漆黒のうろこに覆われた竜の顔だった。
細い黄色の目の、切れ込みのような黒い瞳を見たとき、エレナは自分の死が避けようのないものであることを知った。
竜が大きく息を吸い込む。
鋭い牙が所狭しと並んだ口の周りで、火の粉が巻き起こる。
エレナが無意識のうちに手で顔を覆ったとき、村長が一歩前に出て、エレナをかばうように抱きしめた。
死を覚悟したエレナは、父の腕の中で目を見開いて、せめてもの抵抗とばかりに竜を見据えた。
ゴウ、という音とともに、竜の口から炎が噴き出す。
飲み込まれる。
――そう思ったエレナの前に、ひらり、と黒い影が立ちはだかった。
白い糸状の光が、直線的に向かってくる炎柱に絡みつき、跡形もなく消し去っていく。
残ったのは、一陣の風。
瓦礫の山をくすぐって、ひゅるりと音を立ててから去っていく。
影は、エレナたちに背を向けたまま、凛として身じろぎ一つしない。
そして、振り返ることもなく言う。
「……スマン。遅くなった」
見覚えのある背中。
見覚えのある声。
――エレナは、ただただ茫然として松野 継の後ろ姿を見つめていた。
第3話、お読みいただきありがとうございました!
間一髪で間に合ったツナグですが、果たして凶悪な竜を退けることができるのでしょうか?
次回は、竜とタクアンの前代未聞の戦いです!