第2話 お義父さんと呼ばせてくだ――グハアッッ!?
俺が差し伸べた手をにぎって、女性は立ち上がった。
「あ、あ、ありがとうございました!
なんとお礼を言ってよいやら……」
俺は込み上げてくるニヤけを噛み殺しながら
「いいんだぞ、別にお礼なんて。無事だったならそれで十分だ」
「いいえ、そういう訳には……。なにせ貴方様は私の命の恩人なのですから」
「だから、いいんだって」
「ですからそういう訳には――」
「はいはい、そこまで。
困ってる人を見たら助けてあげるのが普通なんだから、そんなにかしこまらなくていいって言ってるじゃないか」
俺はなるだけ紳士的な発言をする。
無論、私はあなたに対して下心を抱いてませんよ、とアピールするためだ。
まあ、実際、助けるところまではなんの下心も無かったワケだし、嘘はついていない(はず)。
その言葉を聞いて、彼女は目をまん丸に見開いて、何かを解したような表情を浮かべた。
「ああ!そう言われてみればそうかもしれませんね」
「え?な、何が?」
一体さっきの言葉から何を悟ったというのか。
「いえ、あなたのおっしゃる通り、困ってる人を見たら助けてあげるのが普通なんだから、私、そんなに感謝しなくてもいいんだなぁって……?」
そう言う彼女の顔にクエスチョンマークが浮かび上がる。
え?ちょっと待て。何かおかしくないか?
俺は感謝しなくていいとは言っていないのだが。
違和感に首をかしげていると
「……はっ!」
彼女は突然我に返ったような声をあげた。
そして、何か悪い考えでも振り払うように、首をフルフルと振り始める。
それにしたがって、肩より20センチくらい長い黒髪が左右に激しく揺れる。
「いけません、いけません。やっぱり助けていただいたからには、礼節を尽くすべきです」
……だよな?普通そうだよな?
「なので、そうですね。えーっと」
顎に手をあてて考え込んだのち、俺の目をその青みがかった瞳でしかと見つめて
「とりあえず私の家に案内しますね。家ならいろいろとおもてなしもできますし」
……ふう。
一瞬どうなるかと思ったが、どうにかお宅訪問ゲット!
小さくガッツポーズをする。
「では、ついてきてください」
そう言って俺の前に立ってすたすたと歩き始めた。
俺たちが今いるところからは二本の獣道が延びているが、彼女の足取りに迷いはないようだ。
手に持った武器をエプロンの前ポケットにしまい込んでから、後を追う。
その華奢な後ろ姿をみていて、まだ彼女の名前を聞いていないことを思い出した。
「そういえば、名前聞いてなかったな」
「あ、申し遅れました。私、エレナといいます。貴方は?」
「俺は松野 継だ」
「マツノツナグ……なんだかヘン――じゃなくて、聞きなれない響きですね」
「長いから『ツナグ』でいいぞ」
「はい、『ツナグ』さんですね。わかりました。
そういえば、ツナグさんはどこからいらっしゃったんですか?
この辺りではあまり見かけない顔立ちですから、その……」
む。どう答えたものか。「異世界から来た」なんて言っても信じてもらえないだろうし。
「あ、人に言えない事情があるのであればこれ以上は詮索しませんけど……」
エレナは黙り込んだ俺を気遣ってくれたようだ。
ここはとりあえず
「俺は遠く離れた国から来たんだ」
としておく。
「遠く離れた国……というと、ナヴァルディアやロズネルあたりでしょうか?」
当然ながら、初めて聞く地名だ。
「ナヴァルディアとかロズネルとかって、どこのことだ?」
「ご存じないのですか?
我が国ウェゲニアを取り囲む4か国のうちで主要な2か国なのですが……」
「すまんな。ウェゲニアには最近入国したばかりだから、情報収集が不十分なんだ。
ついでで悪いんだが、他にもこの国について教えてもらえないか?」
「ええ、いいですよ。どのみち私の家までまだ時間がかかりますから。
そうですね。まず、ウェゲニアは代々、王家カロネイア家によって統治されてきた、由緒正しき王国です。
人口は大体10万人くらいでしょうか」
「王都はどこにあるんだ?」
「ウェガーニュの街ですね。それなら私たちの住むカプル村から馬で半日、といったところでしょうか」
馬の移動速度に関する予備知識はないが、おおよそ100キロといったところだろうか。
「そういえば、エレナの家まであとどれくらいかかるんだ?」
時計がないので全くの推測だが、かれこれ1時間近く歩いた気がする。
「もう少しで道標のある分かれ道に出るはずです。そこを曲がれば村に入ったも同然ですよ」
そう言いながら、エレナはカーブにはみ出すように生えた大木の幹を、丁寧に回り込んで避ける。
俺はそんな彼女を横目に、カーブを斜めに突っ切ってショートカットした。
「そう言えば、ツナグさんの住んでいた国の話を聞いていませんでした。きっと魔法使いがたくさんいるのでしょうね」
「魔法使い?どうして?」
「普通、国は貴重な魔法使いを長旅に送り出したりしないじゃありませんか。
ですから、ツナグさんのような魔法使いに旅をさせるくらいだから、多くの魔法使いを抱えているのでは、と考えたのです」
異世界というくらいだから、住人の多くが魔法くらい使えるのだろうと思っていたが、どうもそうではないらしい。
「魔法使いって、そんなに貴重なのか?」
「それはもう。ウェゲニアにも本当の魔法使いは一人しかいません。
ごくごくわずかな天才にしか魔法は使えないのです」
そうなのか。
ところで、エレナは俺のことを魔法使いだと思っているようだが、果たしてそうなのだろうか。
というのも、実はあの武器の力の正体に心当たりがあるような気がするのだ。
敵の剣や≪魔水晶≫が消滅したあの瞬間、武器が行ったのは恐らく対象の『分解』だ。
そして、『分解』で得たエネルギーを利用して光の弾を生成したのだろう。
この反応が何かに似ている気がして、さっきから引っかかっているのだ。
「あ、あれ?おかしいですね……?」
エレナが不意に不安げな声を出したので、俺の思考はそこで中断されてしまった。
右を見たかと思ったら今度は左を、それからまた右を、という風にせわしなく周囲を見回している。
明らかに挙動がおかしい。
そして、口に手をあてて息をのみ、ただでさえ大きいブルーの瞳をぐん、と見開いた。
「おい、どうしたんだ?」
「ど、どうしましょう……」
「だから、どうしたんだってーー」
「道に……迷ってしまいました……」
木々がざわめく。
どこに潜んでいたのか、数多の鳥たちがガアガアという不気味な鳴き声を吐き捨てて、羽音けたたましく一斉に飛び立った。
姿は見ていないが、きっとカラスのような黒一色の鳥だろうと想像する。
「す、すみません!すみません!!」
エレナはロックバンドのヘッドバンキングみたいに、くりかえし何度も頭を下げた。
「そんなに謝らなくてもいいが……」
と言う俺も、動揺から紳士になり切れていない。
自分が右も左も分からない森の中で遭難したと知った途端、不安感とともに、なぜだか空腹感がせり上がってきた。
そんな俺の思考に共鳴したかのように、エレナの胃がグーッという空腹時に特有の音を発した。
エレナはお腹を押さえて、伏し目がちにポッと顔を赤らめる。
「すみません……道に迷っておきながら、のん気にお腹なんか鳴らしてしまって……」
「気にするな。
腹が減るから生き物なんだ」
俺は訳の分からないフォローを入れつつ、エプロンの前ポケットからタクアンの入ったタッパーを取り出す。
「ほれ、食べるか?」
タッパーを縛っている輪ゴムを外し、エレナの前に差し出す。
「これは何という食べ物でしょうか?」
「知らないのか?
『タクアン』って言うんだ。
大根を干して、塩とか米ぬかとかクチナシの実とかが入った漬け汁に付け込んだ漬物だよ」
「ツケモノ……?」
俺は絶句した。
この世界にはあの素晴らしき伝統的保存食が存在しないというのか!?
「知らないのか……。
俺の祖国では老若男女知らない者はいないんだが」
「そんなに有名なんですね」
「で、食べないのか?おいしいのに」
そう言って俺はタッパーから鮮やかな黄色に染まったタクアンを一切れつまみ上げ、口に放り込んだ。
タクアンが舌に着地した瞬間、絶妙な塩味とともに表面ににじみ出た漬け汁の旨味が、ふんわりと拡散する。
そのまま一息に噛み砕く。
ポリポリという心地よい噛みごたえに呼応して、閉じ込められていた旨味と、天日干しによって凝縮された大根の甘味が口いっぱいに所狭しと溢れ出す。
舌鼓をうつ者を次なる一枚へと駆り立てる、甘味と旨味の塩味の蠱惑的な調和。
ああ、なんという美味――
残りのタクアンに手を伸ばそうとしたとき、俺の脳裏にある閃きが浮かんだ。
さっきまで『引っかかっていた』ことを一手に解決する、スピリチュアルな閃きだ。
対象を『分解』して、エネルギーを作り出す。
すっかり失念していたが、この反応は漬物を漬けるうえで欠かせない“あの”反応によく似ている。
――そう、『発酵』だ。
有機物を分解してエネルギーであるATPを合成する反応は、先ほどの戦いで武器が引き起こしたものと根本的には同じなのだ。
「……あの、私にも一切れいただけないでしょうか?」
その言葉で俺の思考はストップした。
恍惚の表情を浮かべる俺を見て、エレナも食欲をそそられたようだ。
「ああ、もちろんだ」
そう言ってタッパーごとエレナの前に差し出す。
エレナは一切れ取って、陽に透かしたり、匂いを嗅いだりしてから、恐る恐る口に入れた。
俺はその様子を固唾をのんで見守る。
果たして、『松屋』の味は異世界でも通用するのだろうか。
一瞬の静寂。
高まる緊張。
そして――エレナは破顔した。
「とってもおいしいです!
甘くて、しょっぱくて、なんだか不思議な味ですけど、それでもおいしいです!」
俺は心底ホッとした。
二回繰り返したくらいだから、本当に美味しかったのだろう。
しかし、こんなにも幸せそうな表情をされると、自分が漬けたタクアンでもないのに嬉しくて泣きそうになる。
俺が感涙にむせいでいると、不意に脇の茂みで、がさがさと何かが蠢く音がした。
俺はエプロンの前ポケットから素早く武器を取り出して身構える。
野獣か、はたまたさっきのような悪党か。
茂みがさらに大きく揺れて、黒い影がふらふらと姿を現す。
「エレナ!!」
出てきたのはエレナと同い年くらいの、赤髪ショートカットの女の子。
目鼻立ちははっきりしていて、どこか男勝りな印象を受ける。
「こんなところにいたんだ。心配し――」
彼女は「心配したんだから」と言いかけてやめる。
俺の存在に気付いたのだ。
「……エレナから離れて」
彼女は俺に向かって低い声で言い放ち、眼光鋭くこちらを睨みつける。
俺と彼女の視線が交錯した瞬間、
「離れろって言ってんのよ!!!」
声を荒らげた。
俺は驚いて、思わず後ずさりする。
そのとき、エレナが俺をかばう様に立ちはだかった。
「違うんです、リーシャ!」
エレナの行動に面食らったのか、リーシャ、と呼ばれた彼女は動きを止める。
「違うって……?」
「この人、ツナグさんは、私が攫われそうになったところを助けてくれたんです!」
「助けてくれた、って、この青びょうたんが?」
リーシャは俺を指差して、さもおどろいたという風に言った。
「ツナグさん、こう見えてお強いんですよ」
エレナがこちらを振り返る。
「は、はは。まあな」
苦笑を交えつつ返答する。
異性から「お強いんですよ」などと言われるのは生まれてはじめてのことだったから、対応に困ってしまった。
「……ホントに?
そいつに脅されて言ってない?」
リーシャは俺に懐疑的な視線を投げかけている。
「ですから、本当です!」
エレナが語気を強める。
「……はいはい。わかったわよ」
リーシャは両手をあげて降参の意を表した。
「とにかく、村まで戻るわよ。
村長も心配してるわ」
俺のことを信用したわけではなさそうだが、これ以上は追求しないつもりらしく、前に向き直って、手まねきで「ついてこい」と合図する。
俺とエレナは肩を並べて、前を歩くリーシャの背中を追いかける。
「あのリーシャって子、お前の友達か?」
「はい。幼馴染で、親友です」
「そうか。いい友達だな」
きっとエレナは、いつだってこんな風にリーシャに守られてきたのだろう。
それでもあくまで対等な関係でいられる彼女たちが、すこしだけ羨ましくもあった。
「あっ!」
エレナが突然すっとんきょうな声を出した。
「どうした!?」
「道標、ちゃんとありました……」
エレナが指差す先を見ると、なるほど確かに道標のところで分かれ道になっている。
「エレナは間違えて一本内側の道に入ったのよ。
まったく、昔っからそそっかしいのは相変わらずね」
リーシャがこちらを振り返る。
エレナに向けられたその目は、どこか暖かかった。
分かれ道を右に曲がって、しばらく歩くと本当に村に出た。
レンガ造りの家々が立ち並び、そこここに牛のような動物(ただし鋭い角は食用牛というより闘牛を思わせる)を囲う木製の柵がある。
途中でリーシャは「じゃあ、アタシはここまで」と言って別れたので、エレナの家に着いたときには二人きりだった。
エレナの家は他の家よりも少しだけ造りが立派である。
この中にエレナの家族がいると思うと、少し緊張する。
なんだか、婚約者の実家に挨拶に行くような心境だ。
なんといっても気になるのはエレナの父親。
結婚するにあたり最後の障害となるのは、往々にして彼女方の父親である。
うまいこと取り入っておかなければ、今後のエレナとの関係に大きな影響を及ぼすだろう。
なにせ、いずれは『お義父さん』と呼ぶやも知れぬ人なのだから……。
俺が黙々と異世界ライフプランを練っていると、エレナに肩をたたかれた。
「どうしたのですか?ぼんやりされていたようですが」
「い、いやなんでもない」
「そうですか。じゃあ、お上がりください」
エレナが木製の扉を開けて中に入る。
「ただいまもどりました」
こいつは家でも敬語を使うのかと妙な感心をしつつ、その後に続こうとすると、玄関から延びる廊下の奥から、うちの親父より少し若い、50歳半ばくらいの男がのっそりと出てきた。
随分と強面の男である。
「おお、エレナ!心配しとったぞ!」
とこっちに近づいてこようとして、足を止める。
「後ろの」
さっきの優しい声はどこへやら、男は身震いするほど低い威圧的な声で、俺に言った。
俺の脳内でクルクルと回っていたバラ色の未来像が、音もたてずにスッと消えていく。
「誰だか知らんがうちの敷居を跨ぐんじゃねえ!」
凄まじい剣幕で俺を睨みつけてくる。
さっきもこんなことがあったような……。
「分からんか?出て行けと言っとるんだ!」
ドン、と床を踏み鳴らす。
俺は即座に後退し、距離を取る。
「待って、お父さん!ツナグさんは――」
「お前は黙っとれ!」
お父さんと呼ばれた男は――お父さん!?
エレナとその父であるという男の顔を見比べる。
……やはりこの男の鬼をも黙らせるような強面と、エレナの柔和で可愛らしい顔つきとは、どう贔屓目に見てもまったく似つかない。
茫然として動かない俺にしびれを切らしたのか、エレナの父親は今にも殴りかかろうかという勢いで近づいてくる。
そして、ついに拳を振り上げたそのとき
「やめて!!」
エレナが俺の前に立ちはだかった。
……もはや既視感しかない。
「ツナグさんは命の恩人なんです!」
前例によれば、これで相手の俺に対する疑いと警戒は一応解かれるはずなのだが、エレナの父親はリーシャほど甘くはなかったようだ。
足を止めることなく近づいてきて、エレナを強引に押しのけたのだ。
キャッ、と声を上げてエレナが尻もちをつく。
「何を吹き込まれたか知らんが、こんなどこの馬の骨とも分からん男を家に入れたらロクなことにならん!」
俺が観念して殴られる体勢に入ったとき、
「村長!大変です!!」
若い男が転がり込むように入ってきた。
「どうした!?」
エレナの父親が、俺を殴ろうとして掲げた拳を下ろしながら入ってきた若い男に尋ねた。
俺はその様子を両手で顔を守るみっともない姿勢のままで見守った。
「と、となり村に竜が出ました!
もうすぐこの村までやって来ます!」
「竜……だと……?」
エレナの父親兼村長の顔がサッと青ざめる。
「……となり村はどうなった?」
「壊滅です。避難が間に合って死者こそ出ていませんが、とても住めるような状態ではない、と」
「……わかった。住人を今すぐ避難させろ。荷造りしている暇はないと伝えるんだ」
はい、と返事をして若い男は走って行った。
「お父さん……」
エレナは父親を不安げに見つめている。
そんなエレナを見つめたあとで、村長は思い出したように俺を見た。
まるで俺が竜を呼び寄せたとでもいうような、非難と憎しみに満ちた目が、まっすぐにこちらを睨んでいる。
「……貴様らよそ者にはもううんざりしとるんだ。
竜が出たのも貴様らのせいに決まっとる。
とっとと失せろ、この疫病神め!」
そして、俺は蹴り飛ばされた。
あっさりと家の外に飛ばされ、目の前で戸がぴしゃりと音を立てて閉まる。
俺は、ギリと歯ぎしりしながら立ち上がった。
――ふざけるな。
なぜ、ただ『よそ者』というだけでこんな扱いを受けなければならないのだ。
おまけに疫病神の濡れ衣まで着せられて。
俺だって好きでこの世界に来たわけじゃないのに、理不尽にもほどがある。
怒りが沸々と沸き上がってくる。
俺はとうとう我を忘れて走り出した。
やり場のない怒りに身を委ね、ただひたすらに走ったのだった。
かなり長くなってしまいましたが、最後までお付き合いくださり本当にありがとうございました!
怒りにまかせて駆け出したツナグはどこへ向かうのか?
そして、エレナの住む村はどうなってしまうのか?
次回もよろしくお願いします!
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