第10話 幼女×緊縛=そこはかとなく危険な香り
壁に立てかけた台に縛り付けられたフェイは、気を失っているようだ。
胸のあたりから、絶えず紫色の光がぽうっと放たれている。
あの日記にあった“フェイリア”という名前は、フェイのことだったのか。
とすると、この老魔術師はフェイから力を引き出していることになる。
なら、フェイは自分を助け出してもらうためにわざわざ500年後の世界から俺たちを連れてきたのだろうか?
それはなさそうだ。
第一、あれだけの大魔法を使う元気があれば、自力で脱出できるはずだ。
しかし、フェイの持つ魔力が尋常でないことは確かだ。
では、俺たちをここに連れてきたのは、本当に俺たちと『遊びたかった』からなのだろうか?
……それも考えにくい。
俺に子供心がわかるわけでもないが、こんなことをしても面白くもなんともないだろう。
だったら、いったい何のために?
歩き回って方々に魔法陣を書き込んでいた老魔術師が、手を止める。
どうやら書き終えたらしい。
手に付いたチリを乾いた音を立てながらはたいてから、天井を仰いだ。
「ククク……
あとはマナが集まるのを待つのみ。
これだけの魔水晶とこの小童の天司の才をもってすれば、祖龍を地に引きずり下ろすなど、実にたやすかろう!」
老魔術師はしゃがれた声で独白した。
相当悦に入ってらっしゃるようで、いまだに俺たちの存在に気付いていない。
「あのおじいさん、フェイちゃんをどうなさるおつもりなのでしょうか?」
……あんな、見るからに狡猾そうなジジイにまで敬語を使うとは、まったくもって奇特なヤツだ。
「詳しいことは分からんが、無理やり魔力を引き出してるみたいだ」
「魔力を引き出す……ですか?」
エレナはキョトンとしている。
「さっき読んだ日記に『フェイリア』って名前が出てきただろう?
あれはフェイのことだったんだよ」
エレナが何も言わずに大きなブルーの瞳を見開いた。
それだけで彼女の驚きが十二分に伝わってくるというものだ。
そして、あの老魔術師の言うことが本当であれば、もうあまり時間がない。
よく分からんが、魔力が溜まるまでに決着をつけなければ、マズイことになる、というのは何となく分かる。
仕方ない。ここらで出向くとするか。
「行ってくる。
お前はすこし下がってろ」
俺はエレナの肩をひと叩きして部屋の中に踏み込んだ。
頼りないロウソクの灯りに照らされて、石の壁に俺の影がゆらゆらと伸びる。
それを見て、老魔術師はようやく俺の存在に気付いた。
「貴様、何者だ?
我が神聖な儀式を妨げるというのであれば、容赦はせんぞ」
いやに落ち着いた口調だ。
自分の力に相当の自身がおありのようだ。
「その子を、フェイを解放しろ」
俺は出来るだけ威圧的に、それでいて冷静に告げた(少なくともその努力はした)。
フェイはいまだ目を覚まさない。
「やはり邪魔をするか。
何者かは知らんが、今の儂に楯突いても無意味だぞ。
当代に儂以上の術者などおるはずもないし、さらにこれだけの魔力を引き出せるのだ。
命が惜しければ早々に立ち去るがいい。
まあ、逃げたところでどのみち殺すがな」
……まあ、よくしゃべること。
だが、部屋の中心に描かれた魔法陣の中に山積みにされた魔水晶を見るかぎり、こいつの言うこともまんざらではないようだ。
「ほう、逃げないのか。
ならば、丁度いい。
儂が70年かけて封印を解いた大禁術を、特別に味わわせてやろう。
これだけの魔力を扱えるのも、今だけだからな。
ククク……」
何を言っているのかさっぱり分からないが、老魔術師がむにゃむにゃと詠唱を始めた。
この隙にさっきドアを分解して作ったエネルギーをぶち込んでもいいが、そうするとフェイが巻き添えを喰ってしまう。
それに、大禁術というが、魔法であるなら恐らく分解できるだろう。
俺は詠唱の間にそろそろと移動して、フェイに被害が出ないように調整した。
次第に、壁に描かれたいくつもの魔法陣が光を放ち始める。
「どうした、恐怖で足が動かんか?
案ずるな。準備はもう、終わった」
――禁忌 拒絶結界――
いっそう低い声で、老魔術師がそう唱えると、壁の魔法陣が渦を描くように歪み、部屋の中央の魔水晶が紫色に輝き始めた。
「この結界は、儂が拒むものすべてを滅する、禁じられた魔法!
せめてこの圧倒的な絶望の中で死ね!」
その声に合わせて、魔法陣の歪みの中から黒い影のようなものがモゾモゾと溢れ出した。
影は、部屋全体に霧のように拡散していく。
俺は武器を構えて防御態勢をとる。
そして、いよいよ影が体に触れる、というところで、魔法陣の描かれた壁全体を覆うように蜘蛛の巣状に分解糸を放った。
分解糸のネットは影を壁に押しやって、魔法陣もろとも分解を始める。
「な、何が起こっているのだ?」
老魔術師は状況を把握できていないらしく、せわしなく辺りを見回した。
やがて、ほとんど何の抵抗もなく分解が完了する。
影はもちろん、壁の魔法陣や山のように積まれていた魔水晶もすべて消滅した。
これだけの物を分解したのだから、手に入る魔力の量もさぞや破格だろうと思ったのだが、タクアンがエネルギーを蓄えたという感覚があまりにも弱い。
敵は自身の生涯を賭けた大禁術がこうもアッサリと消滅させられたことに茫然自失となっているようだが、俺は俺でほとんど魔力が生産されていないことに面食らっていた。
これだけの魔水晶を分解して、これっぽっちしか魔力が得られないはずがない。
この間森で分解した、たった一個の魔水晶でさえ、もっと多くの魔力に変換されたのだ。
いろいろと考えなければならないことがあるが、とりあえず、目の前で完全に自信を喪失してふさぎ込んでいるコイツを処理せねば。
あまり魔力は溜まっていないが、フェイを巻き込まずに済むので丁度いい。
俺はわずかばかりの魔力を弾に変形して、活かさず殺さず程度の一撃を戦意喪失中の老魔術師に打ち込む。
小さな爆発が起こり、老魔術師は驚く間もなく吹き飛ばされて壁に激突。
ずるずると壁からずり落ちた後、白目をむいて悶絶した。
「……おにいちゃん、だあれ?」
爆発音で気が付いたのか、はたまた老魔術師の魔術による拘束が解けたのか、括り付けられていたフェイが目を覚ました。
「通りすがりの漬物屋だ」
と返答しながら、俺はフェイを縛り付けている紐をほどいてやる。
戦いが終わったことを察知して、エレナが通路の奥の暗がりから部屋の中に入ってきた。
「ずいぶんと早かったんですね。
でも、ご無事で何よりです」
エレナはそう言って俺の労をねぎらった。
そして、拘束から解かれたばかりのフェイと、屈んで目の高さを合わせる。
「ケガしてませんか?
痛いところは?」
フェイの体調を気遣ったようだが、いつぞやのように無視されてしまった。
「おねがい、おにいちゃん!
フェイをお外につれて行って!
早くしないと、ドラゴンさんがあばれ出しちゃう!」
せっかく屈みこんだエレナには目もくれず、フェイが俺の足に縋り付いて来た。
「そんなに、急がないとマズイのか?」
「うん!
あとちょっとしたら、手おくれになるの」
「でも、どうやってあの龍を止めるんだ?」
「フェイにまかせて!
女神様と約束すれば、ぜったいやっつけられるから!」
女神と約束?
女神というと、この世界に転移してくるときに会った、あの女神だろうか?
「……よくわからんが、信じていいんだな?」
そう尋ねると、フェイはこっくりと頷いた。
子供らしい無邪気な瞳に見つめられると、信じないわけにはいかなくなる。
「分かった。フェイ、お前を信じる」
俺は、フェイのおかっぱ頭をくしゃっと撫でた。
そして、エレナに老魔術師を拘束するよう頼む。
フェイを縛っていた紐を使って、エレナは気絶している老魔術師を括り付けた。
あれだけきつく縛っておけば、自力で抜け出すにはかなりの時間を要するだろう。
「お約束はお外じゃないとできないの。
早くしなきゃ!」
そんなに急を要するなら、来た道を引き返していては時間がかかりすぎる。
俺は再びタクアンを握りしめ、構える。
そして、部屋中に分解糸を張り巡らせ、さらに壁の中に糸を伸ばしていく。
雑草がアスファルトの中をかき分けて根を張っていくような感覚だ。
「建物ごと分解する。一気に抜けるが、いいな?」
呆気に取られている2人に、いちおう確認を取ってから、俺はタクアンに力を込めた。
分解糸が発光し、部屋全体が眩い光に包まれる。
光が途切れると、頭の上にあった石造りの天井は跡形もなく、かわりに不気味に暗い空と巨大な祖龍の蛇腹が見えた。
もとが地下室であったため、俺たち3人が立っている場所は他よりもかなり低くなっている。
「あと、任せるぞ」
俺は、フェイの頭にポン、と手を置いてバトンタッチを告げる。
フェイはうん!と答えて天を仰いだ。
「どうするつもりなんですか?」
エレナが不安そうに耳打ちしてくる。
「詳しいことは分からんが、女神と約束すればなんとかなるらしい」
「女神と約束……」
エレナは俺の言葉を繰り返してみた後、しばらく黙り込んだ。
そうしている間にも、フェイの周囲に膨大な量の魔力が集まっていくのがわかる。
俺がそんなフェイの様子を見守っていたとき、エレナがあっと声を上げた。
「分かりました!
フェイは司の魔法使いになるつもりなんです!」
そういえば、さっきのジジイも天司の才がどうだとか言っていたような気がする。
「司の魔法使い、というと、さっきお前が言ってた天司の魔女のことか?」
「はい。
女神様と契約してとてつもない魔力を得ることと引き換えに、決められたものを司っている魔法使いのことを司の魔法使いと言うんです。
天司の魔女は空を司る魔女だからあ――」
エレナが言い終わらないうちに、フェイの全身が紫の光を放ち始めた。
光は暗い空を貫く柱となって、暗澹とした森に屹立する。
「答えて、女神様!」
フェイが空に向かって叫ぶ。
声は森中にこだまして、遠くまで伝わった。
光がさらに強まり、柱の周囲の雲が晴れる。
「あ、あれは?」
エレナが指さす先を見ると、真っ白な光の塊が紫の光の中を下りてくるところだった。
あの光の球が女神……!?
ある程度まで降下した光の球が、何の前触れもなく、突然弾けた。
弾の内部から放たれた光が、薄暗い森の風景を白く塗りつぶしていく――
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気付くと、辺り一面真っ白のセカイに、俺とエレナとフェイの3人だけがぽつんと立っていた。
聞き覚えのある声が、脳内に響く。
――小さきものよ
私との契約を、望むのですね?――