第9話 魔術師の悪だくみとか言う、テンプレ的展開。
館の扉は鉄製で、押しても引いてもびくともしない。
「仕方ない」
俺は扉にタクアンの先を向け、分解糸を蜘蛛の巣のように張り巡らせる。
そして軽く念じ、鉄の扉を跡形もなく分解する。
タクアンに微かなエネルギーが蓄えられるのを感じながら、館へと踏み込む。
館の中は、外よりもひんやりとしていて、どことなくかび臭かった。
大理石の廊下にはくすんだ赤いカーペットが敷かれていて、脇には怪しげな西洋式の鎧が飾られている。
少し歩くと円形の、扉が幾つもあるエントランスに出た。
廊下から壁を結んだ直線を軸に、左右対称に取り付けられている。
「すごい数のドアですね……」
エレナは呑気に感嘆の声を上げている。
「片っ端から調べるぞ。俺は右に回るから、お前は左だ」
優に20はあるドアのノブを手当たり次第に回していくが、どれもロックがかかっている。
結局、対称の中心にあるドアでエレナと鉢合わせた。
このドアで最後だ。
ドアノブを回すと、何の抵抗もなく開いた。
「どうしてこのドアだけ開いていたのでしょうか?」
エレナが不思議そうな顔をするが、そんなことは分かり切っている。
俺たちをこのドアの先に誘導するためだ。
あのロリッ子、俺たちに何をさせようとしているんだ?
ドアの先は、書斎だった。
書斎と言っても、正面の壁の沿って本棚があるだけで、蔵書はそこまで多くないようだ。
机や暖炉、椅子なんかが完備されている。
俺は、机の上の、まだ比較的新しい本を手に取った。
革の表紙はほこりをかぶっていない。
後ろからエレナが覗き込んできた。
背伸びをしてきつそうだったから、椅子に座って机の上で本を広げる。
俺たちにも読める言語で記してあるようだ。
左隅に日付のようなものが記されているから、本ではなく日記かもしれない。
その「イシュドラ暦431年 クセナ月 21日」という記述を見て、エレナが唸った。
「イシュドラ暦431年というと、今から500年も前ですよ?」
「……どういうことだ?」
「イシュドラ暦は旧暦なんです。
今から400年前、大国イシュドラがウェゲニア、ナヴァルディア、ロズネルの三か国に分裂したときに現在のウェゲニア暦が導入されたのですが、それがたしか……イシュドラ暦520年ごろでした」
つまり、この本は今から500年も前のもの、ということか?
いや、とてもそうは見えない。
どう考えても、『松屋』の30年モノの出納帳の方が年季が入っている。
とすると、どこかの趣味人がわざとふざけた日付を書いているか、さもなくば――
「ここは500年前の世界、ということか?」
自分で口に出してみて、あらためて驚く。
あのロリっ子、そんな大魔法を……?
「ご、五百年前ですか!?
そんな大魔法を使える人が現代にいるのでしょうか……」
そういえば。
「お前、前に本当の魔法使いはウェゲニアに一人しかいない、って言ってたよな」
「天司の魔女様のことですよね。ウェゲニアのどこかにいると伝えられる、女神様と契約を結んだ偉大な魔女様です」
「“伝えられる”?」
「はい。誰も見たことがありませんから」
つまり、伝説上の人物ということか。
「それなら、もしその天司の魔女、ってのがいないんだったら、ウェゲニアには本物の魔法使いはいない、ということになるが?」
「天司の魔女様はきっといます。晴れているのに急に雷が鳴ったり、逆にものすごい大雨が一瞬で止んだりしたら、それは天司の魔女様の仕業なんです!」
エレナは少しムキになっている。
まあ、この世界の文化水準であれば、いまだに精霊信仰的なものが根強く残っているとしても何ら不思議はない。
「すまん、すまん。
俺が聞きたかったのは、天司の魔女以外にこの国に魔法を使えるやつはいないのか、ということなんだが」
「魔水晶の力を借りれば魔法を使える人はいますが、それなしで使える人は現代にはもういないと思いますよ」
魔水晶、というと、あの人さらいの親玉が投げつけてきた宝石のことか。
すると、フェイも魔水晶を使って俺たちをここに送ったのだろうか。
しかし、あの人さらいの親玉が言うには、魔水晶は相当高価な物だったはずだ。
10歳くらいの子供に、そんなものを手に入れることが出来るのだろうか?
色々と疑問は残るが、とりあえず手元の日記を読み進める。
マナ、魔水晶、と何やら魔術的な言葉がちらほらと登場する。
「この日記を書いた方は、魔法使いなんでしょうか?」
エレナも同じような感想を持ったらしい。
そして、聞きなれない言葉に突き当たった。
――祖龍?
確かめるように呟いてみるが、どう考えても聞いたことのない言葉だ。
聞くは一時のなんとやら。
まあ、恥ずかしいことなど何一つないのだが。
「この“祖龍”ってのは何だ?」
エレナに尋ねてみる。
「たしか、イシュドラ神話に出てくる、天を司る龍のことです」
天を司る龍、というと、もしやさっき頭上を飛んでいたアレのことか!?
俺は、文面を声に出して読み上げた。
――ついに見つけた。
隣村のフェイリアという少女、あれほどの力であれば祖龍に直接干渉できる――
祖龍に干渉、とはどういうことだ?
さらに読み進める。
――ようやく生涯を賭した大願が成就する。
祖龍の力をもって、わが身を神霊の域に高めるのだ――
……よく分からんが、女の子を使って何かよからぬ事を企んでいるということだけは、なんとなく伝わってくる。
さらに続きを読もうとしたが、そこから先は白紙だった。
他の本も見てみましょう、とエレナが後ろの書架に向かった。
下の方の本を取ればいいのに、わざわざ背伸びをして高い所にある本を取ろうとする。
足元がどうにもおぼつないから、中々本が抜けないようだ。
手伝ってやるか、と俺が重い腰を上げたとき、エレナが引っ張っていた本が、その並びにある本すべてを道連れにして抜けた。
エレナは勢い余ってバランスを崩す。
そのまま背中から床に倒れこもうとするのを、俺は間一髪で抱き止めた。
おい、大丈夫か――と声を掛けようとして、カチッ、という何かのスイッチが入るような奇妙な音がしたのに気付いた。
エレナの上体をそっと押し戻しながら、耳を澄ませる。
音は、目の前にある本棚から聞こえたはずだ。
じっと待っていると、突如として本棚が動き始めた。
エレナが、えっ、という声を漏らす。
ちょうどエレナが取ろうとしていた本があった辺りを中心に、自動ドアのように左右に開いていく。
右に動く棚と左に動く棚の間にあった本がこぼれ落ちて、次々と床に積み重なる。
人一人が通れるくらいの広さになったところで、移動は終わった。
「これって……」
「隠し通路だな。
お手柄だ、エレナ」
おそらく、エレナが本を落としたことで仕掛けを動かすスイッチが入ったのだ。
お手柄、と言われて、エレナは照れくさそうに笑った。
さて、問題はこの先に何があるのか、ということだ。
エレナのファインプレーがなければ絶対に見つからなかった隠し通路であるから、相応の秘密が待ち受けているに違いない。
悪事をたくらむ魔法使いの秘密といえば、ロクでもないものと相場が決まっている。
だが、この500年前と思しき世界から脱出するには、目の前に示された道を進むほかあるまい。
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そんなわけで、意を決して隠し通路の中を進んでいく。
石造りの通路は、少しずつ地下へと潜行しているようだ。
途中途中に松明が設置してあって、灯りに困ることはない。
俺が先立って歩いていると、前方から風が吹いてくるのを感じた。
松明の灯りも微かに揺らいでいる。
近くに開けた空間があるようだ。
足音を立てぬよう、2人してかなり慎重に歩を進める。
さらに進むと、しゃがれた男の声が通路の先からうっすらと響いて来た。
もうすぐそこだ。
そろりそろりと進んでいくと、ついに開けた空間の手前まで来た。
気付かれぬよう、入口の陰からこっそりと覗き込む。
視界に入ったのは、先ほどの声の主であろう、古びた黒いローブに身を包んだ白髭の老人。
いや、もう一人、壁に立てかけられた寝台のような物に縛り付けられている。
――あれは……フェイ!?