プロローグ 次期漬物屋店主はかくしてその生涯を終えた・・・・・・?
はじめまして。
尾詰と申します。
もしかしたら「はじめまして」ではない方もいらっしゃるかもしれませんが。
漬物屋の次期店主がタクアンで無双するという荒唐無稽な設定ですが、一応展開は決まっているのでどうかご容赦ください。
足を止めてくださり本当にありがとうございます。
知らざぁ言って聴かせやしょう。
あっしは名にしおう老舗『松屋』の第10代後継者(予定)松野 継でごぜえやす……
え、何の老舗かって?
……漬物屋だよ、ツケモノヤ。
一応断っておくが別に俺は漬物屋になりたくてなった訳じゃない。
徳川綱吉の代から綿々と続く『松屋』の歴史を自分たちの代で終わらせる訳にはいかん、ということで親父に強制的に見習いとして働かされているのだ。
まあ、一応大学までは出してもらった(農学部)のでそんなに不満でもないのだが。
あ、農学部って結構いいとこなのよ?
薬剤師志望の貧乳眼鏡リケジョもいるし。
それはともかく、うちの『松屋』はこのスーパーマーケット至上時代にあっても、地域密着型の御奉仕精神と高品質な商品提供によって安定した業績を上げ続けている。
さすがに景気がいいとまではいかないが、特に経営が苦しいという訳ではない。
『松屋』の社員は4人。俺と俺の両親、バイト兼看板娘のアカネちゃん。
アカネちゃんは20歳の現役JDで、もう一年ほどここでバイトしている。
俺が22歳で大学を卒業して帰ってきた時にはここで働き始めて半月ほど経っていたから、その分だけセンパイということになる。
現店主が俺の親父で、母が専務。
店主である親父の仕事は主に仕入れと野菜の漬け込み。『松屋』で扱う商品の6割は農協や大手の商品だが、残りの4割は自家製品だ。
その自家製品の漬け込みが親父の仕事というわけだが、流石に熟練の漬物職人であるから味や食感は抜群で、既製品とは比べ物にならない。
親父が作る漬物は『松屋』の主力商品の一つである。
母親の仕事は野菜の下ごしらえと店員の総括。
実際に店先に出て接客や商品整理を行うのは彼女の指示の元に業務を遂行する俺とアカネちゃんである。
母親が店先に出るのは年に一度かそこらで、大変珍しいことなのだ。
「継ゥ、石山さんとこ、配達行ってきて!」
言っているそばから業務命令。
しかし石山さんの家は隣町にあるから自転車で行くのは面倒だ。
ダメ元だが
「アカネちゃーん、代わってよ。俺、今手が離せないんだわ」
レジでお釣りの補充をしているエプロン&三角巾姿のアカネちゃんに向かって言う。
この店の制服は腹の部分に赤字で「松」と描かれた茶色のエプロンと白の三角巾なのだ。
俺も社則に従いその格好をしている。
アカネちゃんは手元の小銭から目を離すことなく、快活な声でこう言った。
「えー、頼まれたの若旦那じゃないですかぁ。棚の整理なら私がやっときますから、さっさと行ってきてください!」
アカネちゃんは俺のことを「若旦那」と呼ぶ。
最初はからかい半分でそう呼んでいたようだが、そのうちに口に馴染んできたらしく今ではすっかり定着してしまっている。
俺は配達する漬物を風呂敷に包んで、しぶしぶ自転車にまたがる。
風で飛ばされるといけないので、三角巾は外しておく。
「隣町かぁ、遠いなあ」
誰に言うでもなくつぶやいて、俺は自転車のストッパーを足裏で跳ね上げた。
『松屋』は身体が不自由だったり交通の便が悪かったりする近隣の高齢者のために無料で配達サービスを行っている。
今時宅配業者に頼んでも良さそうなものだが、この配達サービスは高齢者の安否確認を兼ねているのだ。
利用する高齢者に「安心」と「おいしい」を提供したいという『松屋』の御奉仕精神の一隅である。
しかし自転車で片道15分かかる隣町は、やはり遠い。
特に石山さん宅に向かう道は勾配がきつく、案外重い漬物をくくって自転車をこぐ身としてはつらいものがある。
これをアカネちゃんにさせなくて正解だったなと、今更ながら思う。
アカネちゃんは明るく人当たりの良い性格で、しかも中々に可愛らしい顔立ちであるから、彼女を目当てに『松屋』を訪れる男性客も少なくない。
しかしながら、アカネちゃんの人を惹きつける力というのはそういった彼女自身の魅力だけでなく、もっと超自然的なものの影響を受けているような気がする。
例えば、金属が自然と磁石に吸い寄せられるように、彼女の存在を知らずともいつの間にか彼女のもとに吸い寄せられているというか、どこかそんな感じがするのだ。
考え事に夢中になると、坂道のきつさというのはついつい忘れてしまうものだ……ってあれ?俺は何を考えていたんだっけか?
気付くと最後の坂を上り切り、石山さんの家の前まで来ていた。
玄関のチャイムを鳴らすと、間髪入れず目の前の引き戸がガラガラと開いた。
中から80歳くらいの白髪のお婆さんが顔をだす。
「こんにちは、漬物をお届けに参りました!」
俺はガラでもなく、明るい声でそう言った。
チャイムを鳴らしてから戸が開くまでの間がほんの一瞬であったのは、石山さんが俺が配達に来るのを玄関で待っていたからだろう。
楽しみに待っていてくれたのだから、せめて明るい挨拶くらいしてあげなければ、と思うのが人情というものだ。
「よく来てくれたねぇ。元気かい、店長さんとミチコさんは」
ミチコ、というのは俺の母のことである。
「ええ、お陰様で。石山さんもお元気そうで何よりですよ」
「そりゃあ、毎日『松屋』のおいしい漬物を食べて精をつけとるからね」
「おいしいからって、あんまり食べすぎると腎臓に悪いですよ」
俺は冗談めかして言った。
石山さんに届けているのは『松屋』特製の減塩漬物セットだから、よほど大量に摂取しない限りは体に害はないのだ。
「『松屋』の漬物食って死ねたら本望さね!」
石山さんはわっはっはと豪快に笑った。俺も思わずそれにつられて大声で笑ってしまった。
「じゃあ、これで失礼しますね」
「あら、もう帰るのかい。気をつけてな」
「はい。店員が少ないもので、一人いないと色々と大変なんですよ。それじゃあ、また一月後に。失礼します」
見送ってくれた石山さんに手を振りつつ、自転車にまたがる。
早く帰らないと、夕方の書き入れ時になってしまう。
夕飯の準備をする主婦でごった返す5時台は母一人では流石に切り回せない。
行きと同じく、坂を上ったり下ったりしながら『松屋』に帰る。
上った後すぐに下り坂に差し掛かるのは、苦労して稼いだ位置エネルギーを無意味に垂れ流すようで気力を削がれる。
それでもどうにか踏ん張って、無事5時5分前に『松屋』に帰りついた。
まだ客の姿はまばらであるが、5時を過ぎると買い物かごを抱えた主婦で店はなかなかの賑わいをみせる。
帰り着くなりレジに座った母から業務命令がくだった。
「タクアン足りないから、裏の蔵から補充してきて」
『松屋』の裏には漬物樽が大量に並んだ蔵がある。
店頭販売用だけでなく、県外のスーパーに卸すための(競合を避けるため、県内では一切卸していない)漬物も作らなければならないので、かなりの数の漬物樽が並べられている。
俺はタクアンを詰めるプラスチックのタッパーを持って蔵に向かう。祭りで焼きソバやらタコ焼きやらを詰めるあれだ。
蔵の木戸を力ずくでこじ開け、中に入る。
蔵の空気はひんやりしている。
漬物は優れた保存食であるが、やはり高温多湿にはかなわない。
また、痛まなくても温度が高いと発酵が進みすぎて酸味が強くなってしまうし、白菜なんかの葉物は葉緑素が分解して色落ちしてしまう。
それで蔵の温度管理にはかなり気を使っている。
蔵の右側には漬物樽が、左側には梅干しの入った壺が所狭しと並べられた棚がある。
樽のような容量の大きい容器に詰めると、上部の梅の重量で底の梅が潰れてしまうため、梅干しだけは壺で漬け込むのだ。
漬物石をどけ、フタを開ける。
みっちりと詰まったタクアンから、独特の匂いが漂ってくる。
ここまで密度が高いと、お世辞にもいい匂いとは言えない。
あんまり長く嗅いでいると、気分が悪くなりそうだ。
ゴム手袋をはめてタクアンを4切れほど手早くタッパーに移し、フタをする。
手袋を外して、試食。
まずは舌に乗せて塩気を確認。
うむ。ちょうど良い塩梅である。
次に一回だけ嚙み締める。
漬け汁が溢れ出し、ほんのりとした甘さと加減の良いしょっぱさが広がる。
最後にしっかり噛んで食感を確認。ポリポリと小気味良い音を立ててタクアンが小さく噛み砕かれていく。
……上出来だ。
流石は『松屋』第9代店主である。
もう一度フタを開けてタクアンを詰めようとした時、背後に気配を感じて振り向いた。
気のせいだろうか、棚がこちらに接近しているように見える。
……気のせいではない。
梅干しの壺が並んだ棚がゆっくりと傾いて、俺の方に迫ってくるところだった。
時の流れが鈍化し、目の前の光景がスローモーションになる。
ああ、俺は死ぬんだなと、なんの抵抗もなく理解した。
傾きが大きくなるにつれ、棚が迫ってくるスピードが加速度的に速くなる。
やがて並んだ梅干しの壺が落下し、それと同時に糸が切れたように棚が倒れ掛かってきた。
一瞬いくつもの壺が砕ける連鎖的な音が聞こえた。
そして――倒れてきた棚に押し潰された。
かくして俺は梅干しの漬け汁にまみれて23年の生涯を終えたのである。
お読みいただきありがとうございました。
いろいろと違和感の多いプロローグだったと思いますが、今後の展開でその違和感を解消していくつもりです。
さて、次回より主人公の異世界生活が始まります。
週一回程度の更新になるかと思いますが、よろしければ感想・ブクマ等よろしくお願いします!