セクション01:ツルギのリア充(?)な朝・その1
「――ツルギーッ! ほら起きてーっ!」
誰かの声がする。流暢な英語だ。
そして、体が揺さぶられる感触。
まどろみの中、重い瞼をゆっくりと開けた。
差し込んでくる光が眩しい。
「ツルギーッ! ほら! もう起きないと遅刻しちゃうよーっ!」
目の前に誰かが立っている。
最初は誰だかわからなかった。声はいつも聞いているはずのものなのだが、どうも頭がうまく回らない。
次第に焦点が定まってきて、見知った少女の顔がはっきりと見えてきた。
「ストー、ム……?」
大きな空色の瞳は、文字通り快晴の空のように透き通っている。
そして栗色の髪には、青いメッシュが何本か入っている。
そんな少女の顔が、なぜかすぐ目の前にある。
「あれ……? もう起きる時間、だっけ……?」
「そうですよっ! ほら、早く起きてっ!」
見知った少女は、起きるように催促してくる。
だが、その割にはすっきりしない。
ぼんやりとした頭で考える。
目覚まし時計ならちゃんとセットしたはずだ。時間が来ればちゃんと鳴る。
それが鳴っていないという事は、まだ眠れるはずだ。
何だ、安心した。
「まだ、大丈夫だよ……」
そう言ってから、瞼を重さに任せて閉じた。
もちろん、起きるべき時間になるまで寝るために。
すると。
「もう……どうしても起きないって言うなら、こうだっ!」
どこかいたずらをする子供のように、少女がつぶやいたと思うと。
急に、口に何か柔らかいものが重なった。
「――っ!?」
驚きで一気に重さを失った目が開かれる。
目の前には、先程以上に間近にある少女の顔があった。
その瞳は、優しく閉じられている。
「んん……」
そして、時折漏れる艶っぽい声と、激しく唇を吸われる感触。
その感触が、妙に心地いい。
無意識に、その感触を味わおうと唇を吸う何かを吸い返していた。
ゆっくりと目を閉じて、味わう。
何だろう、何にも例えがたいこの感触は。
まるで、夢を見ているみたいだ――
「――って、え?」
そこで、何かおかしい事に気付いた。
今、自分は何をしている――?
途端、寝ぼけていた脳が一気に覚醒した。
唇を吸っていた何かが離れる。
「どうだっ、あたしのお目覚めキス攻撃!」
少女が、すぐ目の前で得意げに微笑む。
そこで、自分が何をしていたのかが一瞬で理解できた。
「え、え――」
心拍数が急上昇。顔が一気に熱を帯びる。
自分が無意識にしていた事への恥ずかしさで。
「ええええええええ――!?」
そして。
寮の一室に、少年の悲鳴が響き渡った。
* * *
こうして、少年――ツルギの一日は波乱の幕開けとなった。
「ああもう、なんで今日に限って目覚ましをセットし忘れるんだ、バカ……」
そう自分に言い聞かせるツルギの顔は、未だに熱を帯びたまま。
先程の事を思い出す度に、熱がぶり返し、心臓が再沸騰し、奇声を上げたくなってしまう。
寝ぼけていたとはいえ、無意識にあんな事をしてしまった自分が恥ずかしい。
できるなら、もう部屋から出たくない。一日中ベッドに隠れていたい気分だ。
だが、そういう訳にもいかないのが現実だ。
ツルギはいつも通りに制服に袖を通す。首から下げたドリームキャッチャーに気を付けつつ。
そして、ベッドから自らの足代わりとなる車いすに腕の力だけで移動し、座る。
後は、いつも通りにブレーキを解除し、手で車いすを進めて部屋から出た――
――のだが。
「ツールギッ!」
いきなり背後から抱きつかれた。
「わ――っ!? い、いきなり何するんだストームッ!?」
「充電だよっ!」
嬉しそうに笑う少女――ストームの顔が、ツルギの左肩に乗っかった。
「今日も一日、一心同体でがんばれるようにね! ぎゅーっ!」
「ちょ、ちょっと、待って――! む、胸が、当たってるって!」
背中に感じる、大きくふくよかな胸の感触。
それが、自分達がいけない事をしているような感覚を与え、顔が一気に熱くなる。
離れようとしても、車いすから降りられないツルギにはどうする事もできず、ただ手をじたばたさせるだけ。
だがストームは全く意に介さず、ツルギを抱き続ける。
「当たり前だよ、抱いてるんだもん! あたし達はもう恋人同士なんだから、朝にこういう事くらいしてもいいでしょ?」
「だ、だ、だからって、毎朝こんな事されたんじゃ、お、落ち着いて夜眠れなくなるじゃないか! し、心臓発作で僕を殺すつもりか?」
「そう? さっきのお目覚めのキスはノリノリだったくせに!」
「う……」
そう言われると、返す言葉が出ない。
思わずストームから目を逸らし、顔をうつむけた。
「もう、ツルギったら照れ屋さんなんだから! もっと堂々としてもいいんだよ?」
ストームが顔を寄せてくる。
堂々とって何だよ、と思いつつ、ちら、とストームの顔に目を向ける。
顔が近くにあるせいか、シャンプーのいい匂いがするのだ。
自然と、青いメッシュが入ったセミロングの髪に左手を伸ばしていた。
触ってみると、思いの外滑らかな事に気付く。
栗色の中に青が混じるという、普通の女の子には絶対ないであろう配色にも関わらず、その配色はストームの明るい顔にとても似合って見えた。
「やっぱり、かわいいな……」
「え?」
ストームが反応した事で、知らず自分の気持ちが口に出ていた事に気付く。
「あ――! な、な、何言ってるんだ僕! い、い、今のは、その――」
恥ずかしさのあまり、慌てて目を逸らし言い訳を考えるツルギ。
だが、熱で処理落ちした頭ではどうしても都合のいい言い訳が浮かばない。
どうするべきか悩んでいると。
「ありがと!」
そう言った直後、ストームは自らツルギの頬に唇を当てた。
ほんの僅かの間だけだったが、それはツルギの心臓をオーバーヒート寸前に至らしめるには充分な破壊力だった。
しばらくの間、思考が止まってしまう。
息をしているのかもわからなくなる。
それが数秒間続いた後。
「さ、そろそろしゅっぱーつ!」
ストームはようやくツルギから離れ、車いすを玄関へ押し始めた。
ようやく思考が戻ったツルギは、やっぱりストームには敵わないな、と思わずにはいられなかった。
自分自身、こんなに明るいストームの事が好きなのだから。
彼女の首からは、ツルギの物に似たドリームキャッチャーが下がっている。お揃いのペンダントが証明するように、2人は恋人同士の間柄だ。
とはいえ、ストームと気持ちを確かめ合って以来、ずっとこの調子。
ツルギは、未だこの甘すぎる生活に慣れていない。
別に嫌という訳ではないが、こういうのも少しは控えめにして欲しいな、と思っていた頃には、ストームが玄関先に車いすを止め、玄関のドアを開けていた。
ドアが開かれるに連れて、外の日差しが射し込み――
「おはようございます。朝から随分とハッスルしていたようですね、ツルギ」
目の前に、予想外の人物が現れた。
制服の上から紫色のケープを身に纏った、金髪の少女だった。顔こそ笑みを作っているが、その碧眼は、不愉快なものを見せられたかのごとく不機嫌な色を帯びて2人を見つめている。
「ミ、ミミ!? なんで、いるんだ――!?」
「なぜって、ツルギを迎えに来ただけですが?」
ミミと呼ばれた少女は、手に持った和風柄の扇子で顔を仰く。
怖い。なまじ顔は笑っているために、底の知れない怖さを感じる。
「……迎えに来たって、どうして?」
「もちろん、一緒に登校するためですが?」
ストームが玄関から出て対峙すると、ぱちん、とミミが扇子を閉じた。
2人の冷たい視線が交錯する。
「ダメ! そんな事したらツルギが嫌がるもん!」
「私はツルギに嫌がられてなどいません! こう見えても本校からの付き合いなのですよ?」
「だからって、ツルギには触らせないよ!」
「先程さんざん触っておいて私に触らせないなんて、卑怯です!」
まずい。朝から一触即発の空気なんて、縁起でもない。
だが、2人の間に入って説得する自信はなかった。下手をすれば藪をつついて蛇を出す事になりかねない。
「一緒に登校するのは、あたしだよ!」
「いいえ、今日は私が務めさせてもらいます! 少しはツルギから離れなさい!」
さらにヒートアップする口喧嘩。
ここは、構わずに先に行った方がいいかもしれない。幸い車いすが通れそうな空間はある。
ツルギは2人に気付かれないように、ゆっくりと車いすを進める。
そのまま音を立てないように、2人の横をそっと縫うように通り過ぎる――
「どこへ行くのです、ツルギ?」
はずが、見事に失敗。
途端、背筋が凍りつく。
「あ、いや……このまま待ってたら遅れちゃいそうだから、お先に……」
苦笑いしてごまかしつつ、ツルギは再び車いすを進める。
だが、手に力が入らず、進み方がぎこちなくなってしまう。
「では、私が押しましょう」
するとミミが、予想外の行動に出た。
我先にと笑みながら車いすのハンドルを握ったのだ。
「ダメ! 車いす押すのはあたし!」
すぐにその手をストームが払い除け、ハンドルを守るように握る。
手を無理やり剥がされたミミは、負けじとストームの手を剥がそうとする。
「何をするのです! 平民のくせに生意気なっ!」
「そっちこそ、姫様だからってわがまますぎだよっ!」
「いいから渡しなさいっ!」
「嫌だっ!」
たちまち、子供じみたハンドルの奪い合いが始まってしまった。
ハンドルを2人に握られているせいで、ツルギは身動きが取れない。
「ちょ、ちょっと、2人共! 玄関で騒ぐなああああっ!」
自分のした事が、かえって事態をもっと悪くしてしまった。
こんな時、車いすから降りて自分で歩けたらなあ。
後悔から、そんな気分にならずにはいられなかったツルギであった。




