セクション06:すれ違う思い
翌朝。
目を覚ましたツルギは、いつものように身支度を整え、食堂へ行こうと寝室を出た。
すると。
「おっはよーツルギ! ほら見て! あたしこんなに元気になったよー!」
出迎えたのは、いつの間にか着替え終えていたストームだった。
両手を広げてくるくると回るストームの姿は、一見すると完全に回復したように見える。
一晩寝て治ったのか、とツルギは思ったが。
「だから今日は一緒に行け――」
ふらり、と姿勢を崩したストームは、力なく尻餅をついてしまった。
ツルギはすぐに、起き上がったストームの額に手を当てた。
明らかにまだ熱がある。これでも元気なふりをしようとしていたストームにツルギは呆れてしまった。
「……やっぱりまだ熱あるじゃないか。口だけ元気になってもダメだぞ。まだ寝てなきゃ」
「だ、大丈夫だよ! ツルギの手が冷たいからそう感じるだけ!」
「じゃあ熱計ってみるか?」
う、と途端に顔色を変えるストーム。
「は、計るまでもないよ! だって治ってるんだから計る必要ないでしょ? だから――」
そう言って外へ出ようとするストームの腕を、ツルギは素早く掴んだ。
思いの外力がなく、あっさりとストームは引き戻された。
「論より証拠。百聞は一見にしかず。自信があるならちゃんと証明してみせろ」
逃げないようにしっかりストームの腕を握りつつ、マジックハンドでテーブルに置いてある体温計を取り、ストームに差し出す。
「ほら、咥えて」
「う……」
口元に差し出された体温計を目の当たりにしたストームは、まるで苦い薬を飲みたがらない子供のように顔を背ける。
追って口元へ持っていっても、ストームは咥えたくないと言わんばかりに顔を逸らす。
「咥えなかったら証拠不充分で熱があるって事にするぞ?」
仕方なくそう脅してやると、ストームは嫌々ながらも抵抗するのやめた。
体温を計った結果、やはりストームにはまだ熱がある事が証明された。
だがストームは、尚も言い訳をし続ける。
「こ、この体温計、壊れてるよ! あたしそんなに熱なんてないもん!」
「体温計のせいにするな。そもそも、これ昨日買ったばかりの新品だぞ」
「新品だからって壊れないとは限らないじゃない!」
「じゃあ、壊れてるってどうやって証明するんだ?」
「う……カ、カンだよ!」
「はい、却下」
「ど、どうして? パートナーの感覚を信じないって言うの?」
「パートナーだからって、根拠のない感覚は通じないぞ」
ツルギは、時計を確認した。
食堂への集合時間が迫っている。ここであまり時間を食いすぎると食事の時間がなくなってしまう。
「わかったら観念して寝てろ。僕はもう行くからな。今日は昨日みたいに登校するなよ、絶対に」
「嫌だ! あたしも一緒に行く!」
ストームを寝室へ押し込み登校しようとするも、ストームは食い下がる。
「ダメだ! そんな事してたらいつまで経っても治らないぞ!」
「昨日と同じようにはならないもん! できるって思えば、人は何だってできるんだよ!」
「そういう事は元気になってから言え!」
「あたしは元気だもん!」
「熱があってふらつく体でそう言われても説得力ないぞ!」
「だって熱があるなんて問題は存在しないもん!」
「領土問題みたいな事言うな!」
「ないものはないのっ!」
いつ終わるとも知れない言い争いが続く。
ストームは、完全に譲る気はないようだ。これでは、らちが明かない。
この平行線を解決するには、どちらかが妥協するしかない。だが、ストームにその気はない。
なら、選択肢は1つしかない――
「わかったよ! そんなに言うなら今日は休む! 休んでストームが治るまで看病してやる!」
ツルギは、思いきり開き直ってそう言い放った。
「え!? や、休むって、どうして!?」
ストームにとっては予想外の発言だったらしく、空色の瞳を大きく見開いた。
「僕が休めば、ストームが登校する理由はなくなる! それならおとなしく寝てても文句はないだろ!」
こんな事で休むなんて、どう考えてもズル休みだ。ツルギは生まれてこの方、一度もズル休みなどした事がない。
だが、この状況で登校すればストームが何かにつけてついて来てしまう。それでまた先日のようなトラブルを起こされてはたまらない。
ツルギは文字通り身を切る思いで、ストームの回復を優先する選択をしたのだ。
「……」
ストームは呆気にとられたように目を見開き、黙り込んでいる。
これでやっとわかってくれたか、と思った時。
「……どうして?」
ストームの声が急に弱まった。
「え?」
「ツルギ、悔しくないの……? このままで――ツルギのパパを見返せないままでいて……」
その問いかけに、ツルギは大きく動揺した。
「そ、その問題は後回しだ! 今はストームの風邪を治す方が――」
「後回しにして、いつやるの……?」
ストームは、さらに問いかける。
その問いに、答える事ができない。ストームが治ってからだ、と言っても通じないのが明白だったから。
「もう、時間がないんでしょ……? なら、休んでる暇なんてないよ……! 後回しになんかしてられないよ……!」
心当たりだった事を、正面から言われた。
全てのきっかけは、あの父との面会。
父に退学させられそうだという事を知って、ストームはそれを何としても防ごうとした。自分の体調も顧みずに。
結果として、それが余計に事態を悪化させる事になってしまった。
それでも、ストームはあきらめなかった。無茶をしてまでも、ツルギを助けようとしたのだ。
「このまま時間切れになったら、ツルギの負けになるんだよ! それでもいいの!」
言葉に詰まる。
そう言われると、ストームの言い分を認めたくなってしまう。
だが、これも自分の責任。
自分が障害者であるせいで、無理をさせてしまった自分の責任――
「あたし、嫌だよ……大好きなツルギの夢が終わっちゃうのは……大好きなツルギがいなくなっちゃうのは……だから、あたしが今無理しなきゃ――」
「いい訳ない……でも、だからってストームが無理していい理由にはならない!」
ツルギは、ストームの言葉を遮って反論した。
「そんな事して今ストームの風邪を余計に悪くしたら、元も子もないじゃないか! 今はストームの風邪を治す方が先だ!」
「でも――!」
「父さんの事は、僕1人でも対策を考えられる! ストームが無理する必要はないんだ! 無理した所で――足手まといにしかならないんだよ!」
ツルギは、あまり深く考えずに強く声で突き放した。
「ツ、ツルギ……」
「だから、休め。僕が学園を休んででも休ませてやる。これだけは、絶対に譲らないからな」
ツルギは壁に車いすの背を当て、ブレーキをかけて動く気がない事を示す。
ストームは、信じられないとばかりにツルギを見つめてくる。
そうされると、なぜか自分のした事が間違いなような錯覚がして、すぐに謝りたくなる。
その感情を押さえ込み、心を鬼にして強くにらみ返す。
2人の視線は、すれ違い続ける。
そして。
「……バカッ!」
ストームはツルギから顔を背けると、自らの寝室へと戻っていった。
ばたん、と乱暴にドアが閉まる。
それは、2人を繋ぐ何かが壊れた音のようにも聞こえた。
静寂が、部屋を包む。
「……バカなのはそっちだよ、ストーム」
ツルギは顔をうつむけ、聞こえないように小声でつぶやく。
その声と、膝の上で握りしめていた手は、自然と震えてしまっていた。




