インフライト2
規則正しくシートが並べられた客室には、1人の少女しか座っていなかった。
フライトスーツに身を包んではいるが、ロングヘアーと後頭部のリボンが特徴的な彼女の姿は子供そのもので、まるで人形のように愛らしい容姿をしていた。
「はー、やっぱりここで飲むコーヒーっておいしい!」
少女は、この時間が何よりも好きだった。
自分以外に誰もいない客室を、自分だけが独り占めできるのだ。水平線の彼方まで広がる青い大空を堪能できる窓際の席の特典も、誰にも邪魔されずに楽しめる。これは、民間の旅客機では絶対に味わう事ができない。
そんなひと時を、紙コップに入れたホットコーヒーを飲みながら過ごすのが、彼女の日課だった。
窓から青空や雲海を眺めたり、好きな文庫本を読んだりしている間に、ゆっくりと時間は流れていく。
ふと、少女は腕時計に目を向けた。
「あ、もうこんな時間! 行かなきゃ!」
予定の時間が迫っている事に気付いた少女は、すぐに残ったコーヒーを飲み干すと、席を立って駆け足で向かっていった。
通路の先にある、コックピットへと。
「ごめんなさいおじさま! すぐに準備します!」
コックピットの真後ろにあるコンソールが、少女の仕事場だ。
少女は席に座ると、ヘッドセットを装着し、チェックリスト通りにコンソールのスイッチをてきぱきと入れていき、準備を整える。
中央の画面には、窓のように設置された3Dディスプレイがあり、そこには乗っている機体の翼端が映っていた。
少女がスイッチを操作すると、翼単に設置されたポッドから、するするとホースが伸びていくのが画面で確認できた。その先端には、ろうと型のバスケットが付いている。
「さ、今日もお客様を明るくお迎えしないとね!」
そう言い聞かせて、少女は気持ちを整えコントロール用のスティックを握った。
彼女の名は、ユーリア・アーレント。
スルーズ空軍航空学園エリス分校に在籍する、空中給油機KC-30ボイジャーのブーマー候補生である。
間もなくして、客はやってきた。
スルーズ空軍で一番ポピュラーなプロペラ輸送機である、C-27Jスパルタンだ。
「いらっしゃいませー。空の喫茶店トライスターへようこそー」
いつもと変わらぬ挨拶で、ユーリアは客を出迎える。
実家の喫茶店を手伝っていた経験からか、自然と身に着いてしまった挨拶だ。
『えー、こちらリンドブラード・エクスプレス。定刻通りにやってきましたぜ』
「あ、その声はアリス! じゃあベルタとカローネも一緒だね!」
『いるよー!』
『今日も変わらずね』
モニターでは、コックピット内にいる3人の少女達がカメラに向かって手を振っているのが見える。知り合いのリンドブラード三姉妹だ。
『そんな訳で、いつもの奴で頼むぜユーリア』
「かしこまりました! ではドローグへご案内いたしますね!」
知り合いが相手だからか、声が弾む。
スパルタンが右側のバスケット――ドローグへとアプローチを開始した。
多少のふらつきはあるものの、ゆっくりと確実にドローグへと近づいていく。
そして、スパルタンの機首から伸びたプローブが、しっかりとドローグと接続された。
『よし、接続成功だ!』
『すごーい! 一発で成功させたねー! さすがアリス姉ちゃん!』
『あたぼーよ! 機長たる者、これくらい余裕でできなきゃな!』
『……調子に乗ってると姿勢崩すわよ、姉さん』
コックピットにいる三姉妹のいつもと変わらぬ話し方に、ユーリアの表情が自然と緩んだ。
「何かいい事でもあったの、アリス?」
『へへ、まあな!』
『……数量限定のケーキの最後の1個を買えたって、とても小さな事だけどね』
『ち、小さい事じゃねーよ!』
話が弾み、思わずくすくすと笑ってしまう。その光景はまさに、『空の喫茶店』だった。
ユーリアには、同級生の知り合いが少ない。
スルーズ空軍の輸送機戦力は、戦闘機戦力に比べると遥かに少ないため、それほど多くの要員を必要とする訳ではない。そのため、エリス分校はファインズ分校よりもずっと小規模で、必然的に顔見知りになる同級生が限られてしまうのだ。
『そういやユーリア、今度ファインズへ行くんだろ?』
「うん、ファインズ分校との交流なんだって」
『いいなー、ファインズ。カローネも行きたいー!』
『どうせツルギ様に会いに行きたいー、って言うんだろ?』
ツルギ。その名前が、ユーリアは少し気になった。
「……ツルギ様って?」
『知らないのー? ファインズ分校にいる日本人生徒だよー。車いす生活になっても戦闘機で飛び続けてる、かっこいい男子なんだよー!』
「え、車いす生活なのに戦闘機乗ってるの?」
『ツルギ様に会えるかもしれないユーリアが羨ましいなー、カローネに代わって欲しいよー!』
『おめーもあきねーな……ファインズはここ最近物騒だってのに……』
『その度胸は評価できるわね』
三姉妹は、3人で勝手に話を進めている。
「車いす生活なのに戦闘機……そんな人がいたんだ……」
一方のユーリアは、そんな人物の存在を初めて知りつつも、ツルギという名前に聞き覚えがあるような気がしていた。
確か、今のような給油ミッション中だったような気がする。だが、いつの給油ミッション中で聞いたのかは思い出せなかった。
『ユーリアも会ったらきっと好みになると思うなー』
「え? その人がどれだけかっこいいかはわからないけど、私の好みはやっぱり、おじさまみたいなダンディな人だから!」
その内思い出せるか、と棚に置いておき、ユーリアは三姉妹との話を楽しんだのだった。




