セクション16:夢の力と愛の力
その夜。
月がはっきり見える夜空へ、今夜も夜間飛行に飛ぶミラージュがアフターバーナーの炎を輝かせながら飛び立っていく。
そんな夜空を薄暗い部屋の窓から見ていたツルギは、はあ、と深いため息をついた。
車いすをベッドの側へと移動させると、腕の力だけでベッドに移動する。
自力で動かせなくなった足が、自然と目に入る。
去年の事故の際、ツルギは脱出した衝撃で運悪く脊髄を損傷し、下半身不随の体となった。
この下半身は、もはや一生治る事はない。現代医療を持ってしても、完全に治療する事は不可能な『不治の病』なのだ。
車いすが不可欠となったこの体になって、失ったものは多い。
まず、今までの生活。これまではできた些細な事もできなくなり、先程のようにベッドに座る事すら一苦労だ。階段に至っては1人では上れない。
そして、ツルギが当初目指していたパイロットに不可欠な操縦能力。それによってパイロットの資格も、それまで積み上げてきた優秀な成績も失ってしまった。
それは、事故から立ち直った今でも、決して癒える事のない傷跡だった。
「僕に、できるのかな……?」
次からは、全く新しい実習が待ち構えている。
しかしそれに、この体が悪影響を及ぼすのは誰の目にも明らかだ。次から行う緊急発進は、文字通りスピードがものを言うミッションなのだ。
そのスピードに、果たして体がついて来てくれるのか。
――兵士というものは五体満足な人間がなるものだ。1人で戦闘機にも乗れないような人間が、実戦で使えるはずがない。
フロスティの言葉を、嫌というほど思い出す。
つまり自分は、フロスティに使えない候補生という烙印を押されているのだ。障害者であるから、という理由で。
差別じゃないかとは思うが、なろうとしている仕事の事を考えれば、合理的なものだ。
フロスティの言う通り、ここは軍人を育てる学園だ。いざという時に戦場で使える兵士になれなければ意味がない。それを果たせなければ、自分の夢もまた消えてしまう。
「教官の言う、『使える兵士』になる事が……」
「そんな事、気にしちゃダメだよツルギ」
ふと、隣から声がした。
「ツルギはあいつの道具なんかじゃないんだからね」
見るとそこには、いつの間にかストームが座っていて、ツルギに笑みを見せている。
「人の言いなりになるだけなんて、全然楽しくないじゃない。周りが何を言っても関係ない。ただなりたいものを目指せばそれでいいんだよ。あたしはずっとそうやってきたんだから」
ツルギはそれに答えず、はあ、とため息1つついて顔をうつむけた。
組織の中でもそんな事ができるストームが、少し羨ましく思いつつ。
「……ツルギ、どうしたの?」
「ごめん。ちょっと1人にさせてくれ……」
自分って弱いな、とツルギは思う。去年、自分が操縦できた頃は、優秀な成績が取れる自分にそれなりの自信を持っていた。多少の失敗や注意ではへこたれないくらいには。
それが事故を経験してからは、この様だ。
立ち直った今でも、正面から自分を否定されるとこうやって思い詰めてしまう。
そんな自分がかっこ悪く思えてしまって、今ストームに見られたくなかった。
「大丈夫」
その時、自分の手に暖かさを感じた。
見ると、ストームの手が重ねられている事に気付いた。
途端、一気に顔と胸が熱くなり始める。
「前にも言ったでしょ、ツルギは1人じゃないって。だってあたしがいるんだもん」
「そ、それは、そうだけど――」
思わず、恥ずかしさでストームから目を逸らした。
だが、心なしか別の感情も湧いてくる。それが何なのかは、混乱してよくわからない。
「一心同体のあたし達は無敵なんだよ? 怖いものなんてないんだよ?」
「む、無敵って、何を根拠に――?」
「だって、あたし達には夢の力だけじゃなくて、愛の力だってあるんだもん」
直後、ツルギの頬に柔らかいものが触れた。
それがストームの唇だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
脳の思考が停止する。つい先程までの悩みを忘れてしまうほどに。
唇が離れると、ストームの手が頬に伸び、顔を向けさせられた。
「ね?」
青空のように透き通った瞳が、ツルギを優しく見つめている。
「ストーム……」
そうか、とツルギは確信した。
ストームはストームなりに、自分を励まそうとしてくれているのだと。
それが、とても嬉しい。
そう思ってくれているストームが、たまらなく愛おしい。
そうわかった途端、ツルギの心を縛っていた理性がゆっくりと解けていった。
昼間は人目も気にしないアタックに戸惑うばかりだったが、今なら――
「だから、ツルギ――」
2人の顔の距離が、ゆっくりと近づく。
重ねられていた手を、そっと握り合う。
そしてそっと目を閉じた2人は、再び唇を重ね合った。
柔らかい唇の感触を、何度も唇で吸って味わう。
しかしツルギはそれだけでなく、ストームの背に手を回し、強く抱き寄せた。
「っ!?」
ストームは一瞬驚いたが、すぐにツルギを抱き返す。
そしてそのまま、ツルギをベッドに押し倒した。
ベッドに倒れてからも、2人の口付けはしばらく続く。
ツルギは湧き上がる思いに身を任せるまま、息が苦しくなるまで唇を吸い続けた。
何度したかわからなくなった頃、2人の唇はそっと離れた。
「ツルギ、大好きだよ」
ツルギの瞳を見つめ、そっと告げるストーム。
その言葉が、とても心地いい。
そういえば、こういう時なんて答えればよかったんだっけ――?
「僕も大好きだ、ストーム……」
自然と、その言葉が出た。
そして、2人は再び唇を重ね合う。
今度は、さらに深く激しく。
気が付けば、2人は無我夢中で互いの気持ちを伝え合っていた。
仲良く毛布に入る2人の元には、着ていた服がやや乱暴に散らかっている。
そしてツルギの心にあった不安は、先程よりも大分和らいでいた。
「ありがとう、ストーム。少し、勇気が出てきたよ」
「うん、いつものツルギに戻ってきてよかった」
見つめ合う2人の胸元では、唯一身に着けているお揃いのドリームキャッチャーが静かに輝いていた。まるで、2人が確かめ合った絆を証明するように。
「これからもがんばろうね、ツルギ」
「ああ」
2人はその誓いを確かめ合うように、そっと抱き合って唇を重ねる。
そして2人の絆の証たるドリームキャッチャーも、胸元で静かに重なり合ったのだった。




