セクション12:着陸の前に
「ラーム、そっちは見つけたか?」
ツルギはバズ・ラーム機が見つけていないか確認する。
索敵しやすいよう少し距離を開けてついて来ているバズ・ラーム機のコックピットの中で、ラームは望遠鏡を覗きこんだまま周囲を見回していた。
『……いいえ。ピース・アイ、そちらのレーダーは?』
ラームはその問いをそのままピース・アイへ渡す。
こうなれば、より広大な探知範囲を持つピース・アイに頼るしかない。
『先程の敵機は空域を離脱しています』
『何だあ? あそこまで戦っといて撤退かよ?』
バズが拍子抜けした声を上げる。
シチュエーション・ディスプレイを見ると、確かにピース・アイが捉えているタイガーシャークの機影が遠ざかっているのがわかる。
「ツルギ、どうする? 追いかける?」
ストームが振り向いて、指示を求めてくる。
「……いや、やめておこう。『深追いはするな。すぐに別の敵が来る』って言うだろ」
ツルギは『スルーズ空軍空戦10箇条』第5条を掲げてそう答えた。
口ではそう言ったが、実際には動きから見て戦意はないのだろうと判断したからだ。戦意のない敵を攻撃するのはさすがに抵抗がある。
『今回はドローって事ですね。まあいいじゃないですか。戦いは生きて帰る事が大事なんですから、そういう意味では勝利です! さて、本日の実習はここで終了です! 帰ったら復習をお忘れなく! それでは、また次回のフライトでお会いしましょう! さようならー!』
少し残念そうだったピース・アイの声がいつもの調子に戻ると、フライトの終了を告げた。
そして通信が切れた途端、どっと疲れが押し寄せてきた。
あれほどの激しいドッグファイトを繰り広げた結果だ。息はいつの間にか荒くなっていて、体も自分のものとは思えないほど重い。マスクを外し、汗だくになった顔を手で拭った。
『……にしても、試作戦闘機なんてヘルヴォルはどういうコネ持ってるんだ?』
『完成しながらも開発中止で倉庫行きになった試作4号機を買い取ったって噂を前に聞きましたけど、本当だったんですね……』
バズとラームがそんなやり取りを交わしている。
ヘルヴォルとは、スルーズ空軍航空学園において仮想敵機を運用している民間軍事会社だ。
ファイターパイロット教育の代行を業務としており、空軍航空学園自体もこの会社がスポンサーとなって設立されている。
軍に縛られない独自の装備を保有できるとはいえ、試作戦闘機まで入手しているのはかなり異例だ。どうやって入手したのかはツルギも確かに気になる。
だが、それを考えても仕方がない。考えた所で必勝法が浮かぶ訳でもないのだ。
「……後味が悪いけど、帰ろう」
「うん。それじゃブラスト1、これより帰還しまーす!」
すると、何を思ったかストームがいつもの明るさを取り戻して叫んだ。
えっ、と思ったその直後、ウィ・ハブ・コントロール号はぐるり、と左へ一回転した。
「わっ、待って――うわあああっ!」
その勢いで左へ傾くと、一気に急旋回。
ツルギは予想外のGに、思わず声を上げてしまったのだった。
* * *
やがて、帰るべき学園の姿が2時の方向に見えてきた。
だがそこでも、ツルギの苦労は絶えない。
「ス、ストームやめろって! 低すぎる!」
「これからやるのは低さが醍醐味なの!」
止めようとしても、ストームは全く聞く耳を持たない。
アナログ高度計の針は、未だ反時計回りに回っている。
『Pull up! Pull up!』
遂には、警報まで鳴り始める始末。
それでも、ストームは全くやめる気がない。あろう事か、機体を右に傾け、加速させ始めた。
すぐ真下には、高速で流れていく海面。あまりの低さに、水しぶきが海面を切り裂くように上がっている。
高度計の針はゼロを差している。もう高度計が当てにならないほどの低さにまで達してしまったという事だ。
そんな状態で、緩やかな旋回をしつつ高速で学園の基地に迫っているのだ。それも、多くの戦闘機が並べられている駐機場のすぐ近くに。
轟音を響かせやってきたウィ・ハブ・コントロール号に、駐機場にいた誰もが顔を向ける。
「ストーム、よせって!」
「ただいまーっ!」
そんな人々にストームが挨拶しながら、ウィ・ハブ・コントロール号は駐機場に背中を見せつつ高速で通過した。
あまりにも駐機場に近いため、その爆音に誰もが驚いて身を屈めてしまっている。
ツルギは、高度が低すぎるあまりそんな人達を直視する事ができなかった。地上にいる人々には本当に申し訳ないとしか言いようがない。
『ひゅう! 相変わらず凄いぜストームのアクロバットは!』
離れた所を飛ぶバズ・ラーム機から、バズの歓声が届く。
そこは褒めるより叱って欲しいぞ、とツルギは思わずにはいられない。
だが、叱った所でアクロバット好きなストームには馬の耳に念仏である。
そんなストームの手で水平に戻り、機首を上げたウィ・ハブ・コントロール号。警報がようやく止んだ。
「大成功! 以上、ストーム&ツルギによる『ファン・ブレイク』でした!」
「もう、怒られても知らないぞ……!」
高らかに叫ぶストームに呆れるしかないツルギ。
帰ったら何を言われるやら。まあそれでも、ストームは反省しないだろうけど。
そう思う中、ウィ・ハブ・コントロール号は着陸態勢に入った。
* * *
着陸したウィ・ハブ・コントロール号は、バズ・ラーム機と共に駐機場にやってきた。
そして、ゼノビアの誘導に迎え入れられ、元いた駐機スペースへと戻ってきた。
キャノピーを開き、エンジン停止。甲高いエンジン音がゆっくりと消えていく。
何はともあれ、今日もフライトは無事に終わった。
ヘルメットを抜いて、ふう、と大きく息を吐くツルギ。
「ツルギ、降りるよ」
そんな時、先にコックピットを出たストームに呼びかけられ、心臓が大きく高鳴った。
どうしてもストームと密着しなければならない時間が、またやってきたのだ。
ツルギはストームに抱きかかえられ、コックピットから出される。
胸の高鳴りを抑えられず、自然と目を逸らしてしまう。
この後のストームの行動は、大体予想がつく。
フライト前、続きは帰ってからと言っていたからには――
「お疲れさま、ツルギ」
その予想通り、ストームはツルギに唇を重ねてきた。
一瞬かつ予想できたものとはいえ、やはり頭が真っ白になってしまう。
その間に、ストームは軽やかに地上へ飛び降りた。
「うわっ!」
着地の衝撃に驚いて我に返る。
また飛び降りたのか、とツルギは気付いた。人の身長以上の高さからなのだが、運動能力が高いのかストームはこの程度の飛び降りも全く苦にしない。
「おかえりなさい、我が娘・息子達よ! はい車いす」
そこへ、ツルギの車いすを持ってきたゼノビアがやってきた。
ストームはツルギを車いすに座らせる。これでやっと、自力で動けるようになった。
「ストームちゃん、見てたわよさっきのフライト! あれだけの低空で『ファン・ブレイク』やるなんて、やっぱ天才ねストームちゃんは!」
「えへへ、ありがとママ」
ゼノビアの褒め言葉に、満面の笑みで答えるストーム。
そんな事言ったら付け上がるぞ、とは思いつつも、先程のキスの感触がまだ頭から離れないツルギは、でもいいか、と思ってしまった。
「……あっ、あれ!」
ふと、ストームが何かを見つけて声を上げた。
何かと思って見てみると、そこには先に戻ってきていたミミのミラージュがあった。
相変わらずプローブにはドローグがくっついたままで、話を聞きつけたであろう多くの生徒達が集まって携帯電話のカメラに収めていた。
そしてその隅に、ミミがいる事に気付いた。
彼女は生徒の人だかりの外で、フライトスーツ姿の男と話をしていた。いや、話しているというより、厳重に注意されているように見えるのは明白だった。
その男の冷静そうな顔は、ツルギと同じ日本人のものだった。
「あの人は――」
ツルギは自然と、車いすをミミの元へと動かしていた。




