一話
「お、おはよう?」
「お、おはようございます?」
「えっと、マジョリーヌちゃん?」
「は、はい!」
「俺の名前は田代譲二――いや、ジョージ田代だ。えっと、夫婦になっちゃったらしいけど、これからよろしくな……?」
「っはい! よろしくお願いしますジョーさん!」
「じょ、ジョーさん?!」
「? 変でした? 新婚夫婦はあだ名で呼び合うものだって、魔女の先輩に聞いていたんですけど」
「いや、変じゃないよ。それじゃ、俺も君をあだ名で呼ばないとね」
「え?」
「だって『新婚夫婦はあだ名で呼び合うもの』なんだろ?」
コクホー王国の首都コクホーは、王城を中心とした街を形作っていて、魔女に召喚された彼――ジョージと、ジョージを召喚した魔女――マジョリーヌが、これから一緒に住むことになる小さな家は、そこにひっそりと建っていた。
二階建ての細長い構造である家の近くには市場があり、実に立地条件の良い場所に建っている。屋上から見上げる王城は、それはそれは素晴らしいもので、一度もそういった建造物を生で見たことのないジョージは、年甲斐なくはしゃいでいたものだ。
ジョージの年齢は24歳だ。その髪の毛はくしゃくしゃな茶髪で、瞳の色はかなり色素の薄い茶色となっている。彼はクォーターであるので、これは地毛であり瞳の色も生まれてからこのままだ。
現在、彼が召喚された新月の夜を、別々の部屋で明けた朝、王城を見て興奮しながら、良いにおいに誘われて一階に下りたジョージを待っていたのは、先日の魔女服ではなく、町娘の着るような動きやすい格好に、簡素なエプロンを掛けたマジョリーヌの姿だった。
冒頭のような挨拶――思えば、初めてのチャントした会話――を交わした二人は、リビングのテーブルに座って向かい合っていた。
ちょうど朝食の支度が終わったあとらしく、目玉焼きに野菜のサラダ、黒っぽくて丸いパンが置かれている。
「んー、それじゃ、君の事はコレからマーちゃんって呼ぼうかな?」
「え、そ、それは少し恥ずかしいです……」
マジョリーヌは、笑いながらジョージが提案したあだ名を顔を赤らめてやんわり拒否する。ジョージはムムムと唸って、その頭から相応しいだろうあだ名をねじりだそうと考える。
考えて――思い至った。
「やっぱりマーちゃんだな! コレが一番可愛らしくて、君によく似合うよ」
「あう、わ、分かりました。私はマーちゃんですっ!」
恥ずかしげに顔を赤らめながら、コクリと頷くマジョリーヌの仕草は、小動物じみていて、やっぱり保護欲を強く刺激する女の子だ。と、ジョージはマジョリーヌの女性性を評価する。
「それじゃ、朝ごはん食べましょ?」
ジョージはパンに手をつけた。異世界の日本という国に住んでいたジョージが、いつも食べていたパンは、実に柔らかくて食べやすいものだったが、このパンは固くてぱさぱさしているようだ。千切ろうとすると、ギジギジと音を立てるようにパンの繊維が破れる様は、これはパンではないのではないかという疑問を、ジョージに抱かせた。
ふと前を向くと、マジョリーヌは堅いはずのパンを、小動物のように千切らずに食べていた。
幸せそうに目を細めて食べる様子は、誰でも癒されるものだろう。
じっとその顔を見つめるジョージを一切気にせずに、マジョリーヌはパンをハムハムと食べている。おいしそうに食べている姿を見て、ジョージも何気なく、千切ったパンを口に放り投げた。
正直、あまり旨くはなかった。齧っても齧ってもジョージの顎では噛み切れない。よく見ると、マジョリーヌだって上手く噛み切れていないようだ。しかし、少しずつゆっくりと食べられる朝食というのは、一応社会人であったジョージには新鮮なものだった。
ジョージ田代は、異世界において便利屋というやくざな職業を営んでいた男だ。たった数年でサラリーマン生活に幕を閉じ、なぜか祖父から続く便利屋という職業を継いだのは、単なる気紛れからだろう。
三代続く職業というわけで、近所のおっさんおばさんたちからの信用はあり、食いつなぐことすら難しいなんてことはないほど裕福で、様々な体験が出来た便利屋という職業は、ジョージの天職だったのかもしれない。
――そうだ、とジョージはこれからについて一つ思う。
「なあ、これから生活するんだから、俺って仕事したほうがいいよな?」
「? はい。お婆さまからいただいたお金は三月ほどひっそりと暮らせばなくなってしまう程度ですから……」
「だよな。うーん、仕事に付くにしても、身分を証明できるものが必要じゃないか? だとしたら、異世界人である俺が就ける仕事って無いと思うんだが」
「あ、お仕事については大丈夫ですっ! この国には『浪人救済ギルド』っていうのがあって、そこに行けば、身分証明書代わりになるギルドカードを発行してくれますから!」
マジョリーヌ曰く、浪人救済ギルドとは、それに登録した無職の人間は、ギルドを介してお金となる依頼を受けることが出来るらしい。
ジョージは食事の手をいったん止めて、顎に手を当てて考える。
(便利屋でいろいろと経験を積んできた俺にとって、コレってぴったりじゃないか? マーちゃんの細腕じゃ、力仕事は出来ないだろうし、第一、俺は仕事帰りに奥さんの作った飯を食べてみたかったんだ)
そう考えたジョージは、
「それじゃあ、ご飯を食べ終わったら、早速向かってみるよ」
とマジョリーヌに言った。マジョリーヌはそれを聞いて、なぜか悲しげに眉を落としたが、「はい」と短く返事をして、黙々もぐもぐとご飯を再開した。
ジョージには、マジョリーヌが落ち込む理由が分からなかった。それは当然だろう。夫婦の仲になったとはいえ、出会って一日もたっていないのだ。
夫婦という関係は、いわば表面上だけのものである。マジョリーヌは一生懸命努力して、夫婦に近づけるようにしているようだが、ジョージはそれに気付いていないようだ。
ジョージという人間は鈍いのである。
それは、恋愛面ではなく、広く人間面として鈍いのだ。鈍くない人間が、いきなり右も左も分からない異世界につれて来られて、しかも美少女とはいえ、『掟』などという理由で妻ができることを容認できるはずがないだろう。
それが、ジョージの大きすぎる欠点であった。自覚していないのだから尚のこと悪い。
そんなジョージでも、マジョリーヌの目に見える異変には気付く。
「どうしたんだマーちゃん?」
彼女が提案した『夫婦間はあだ名で呼ぶ』に従い、親しげに話しかけたジョージの言葉に、マジョリーヌは先ほどまでの憂いが嘘のように笑顔になって、「なんでもありませんっ」と語尾を跳ねた元気な声で返事した。
ジョージはマジョリーヌの感情の落差に違和感を覚えた。
昨日――新月の夜、召喚の儀の時だってそうだった。あんなに泣いていた彼女は、あの老婆が言葉を告げたとたん、嘘のように泣き止み、笑顔になっていた。
現状に呆然としていたジョージはそのことを気にかける暇もなかったが、今なら彼女の異常性が理解できる。
どっちもどっち。どちらも異常性を併せ持った、似たもの夫婦であるかもしれない。
マジョリーヌがそれに気付いているかは分からないが、ジョージはもちろん、そのことに気付いていないが。
「ところでマーちゃん」
「なんですか、ジョーさん」
ご飯を食べ終えたジョージは、「ご馳走様」と両手を再び合わせた後、椅子の背もたれにもたれかかりながら、マジョリーヌに話しかける。
「『魔女』について教えてくれないか?」
――魔女ギルドを『追放』された彼女に、この質問は少しばかり無神経だったかもしれない。
ジョージは自分の口から言葉を吐き出してすぐに、そう思った。考えが少し足りなかったと、マジョリーヌが俯く姿を見て、ジョージは深く反省し、「やっぱりいいや」と言おうと思ったその時、ブンと音が出るほど強く顔を上げたマジョリーヌの顔は、輝いていた。
「はいっ! 魔女は『魔法』を使える人間を総じて魔女と呼ぶんです! 魔女の起源はこの国がまだ千国にも数えられない小国だったときに、一つの疑問を抱いた女性『マジョ・ジョ・ジョーン』さまであるとされています――」
魔女ギルドから追放された者とは思えない、魔女であることを誇りであるように語る姿は、幼い見た目に反して、過去を振り返ることのない力強い女性であるようだ。
マジョリーヌは生き生きと魔女について語り始めた。
その中でジョージが特に気になったのは、やはり魔女の扱う魔法のことである。
男であっても魔女と呼ぶということも、十分気にはなったが、それよりも、今までの世界には存在していなかった――技術と言うべきか、法則と呼ぶべきか――とにかく魔法というものが、一番ジョージの好奇心をひきつけた。
その旨をマジョリーヌに伝えると、興味を抱いてくれたのがうれしいのか、可愛らしい満開の花が咲くような笑顔を見せて、魔法について語りだした。
「魔法には、『創造』『維持』『破壊』の三系列が存在するんです」
マジョリーヌの食事も終わり、食器の片づけをジョージがしながら、彼女は家の壁についてある黒板のような板に、チョークのような白い物で模様を書き綴る。
まず、三角形を描いたマジョリーヌは、それぞれの頂点に円を描いた。そして、一つの中に五芒星を描き、一つの円の外枠に波のようにうねった線を描き、最後の一つの円の中心にもう一つの円を描く。
「これが『創造』を意味する魔法陣で、世界を象徴する波の円です。創造魔法系列は、魔法法則で確証された現象を再現できる力を持っているのです」
「魔法法則って?」
「はい、魔法法則とは、つまり『人間や動物、物体が大地に引き寄せられるのは、大地そのものが世界の揺れに干渉されて、大地に物体を引っ張る性質を持っている』ということです」
よくわからないが、つまり『物理法則』をこの世界風にアレンジしたものだろうか? ジョージにはマジョリーヌの言う、引力に似た意味を持つ説明がピンとこなかったが、とりあえず質問を告げた。
「世界の揺れってのは? それも魔法法則なのか?」
「えっと、『揺れ』と魔法法則は親と子の関係にありますね」
マジョリーヌは、ジョージの淹れた紅茶を啜った後、
「世界は常に揺れています。魔法法則とは、その揺れが大地とぶつかり合った結果に生まれる、いわば『自然魔法』なのです。魔女の扱う魔法とは、つまりその揺れを魔女自身が杖に刻んだ魔法陣に干渉させ、魔法法則に『似て非なる』現象を起こすのが魔法なのです」
と、ぺらぺらと述べたのであった。
ともかく、『魔女は凄い』ということだろう――という認識を脳内で固定したジョージはウンウンと頷いた。
「じゃあ、話を元に戻しますね?」
「うん、よろしく」
「次はこれ。これは『維持』を意味する魔法陣で、二重円は拡大縮小を象徴しているんです。維持といっても、ただ固定するだけではなく、その物体を拡大したり、逆に縮小したり――さらには縮小固定した物体を世界の揺れに合わせて動かし、別の位置に移動させる転移魔法はこれに類されます」
ジョージは首を傾げる。よく意味が分からないようだ。しかし、マジョリーヌとしても、これ以上分かりやすい説明は出来ないので、「別にそんな深く考えないでいいですよ。維持魔法の種類は、両手で数えて足りる程度しかありませんから」と付け足した。
「最後に『破壊』について話します」
その声は、どこか沈んでいた。しかし、顔は笑顔のままだ。その奇妙なギャップに、ジョージは内心で首を傾げた。
「この円の中に浮かぶ五画の星は、囚われた五つの王を意味するとされています。これの意味は後世になぜか伝わっていません。ただ、これが『破壊』の魔法陣であることは確かです。破壊の魔法は単純に、物体の破壊をだったり、魔法法則を壊したりする、まさしく破壊に特化した魔法です。『千国』の二つ名を持つお婆さまだけが使える未来視という破壊系列魔法だけは物を破壊しない、特例であるらしいです」
ジョージも、自分で淹れた紅茶を啜り、マジョリーヌの言葉に耳を傾けていた。そして、一つ気付いたことがある。
「ところで」
「はい?」
「当たり前のように紅茶を啜っているけど、ここって昨夜まで何も置いてなかったよね?」
魔法に関係ないことを話し出した。空気が読めないことに定評があった便利屋ジョージの店主である。
その言葉にマジョリーヌは「ははは」と乾いた笑いを上げて、ジョージに説明してやった。
「お婆さまからの餞別、らしいです」
「ふーん、……良い茶葉使ってるなぁ。これってどこで買えるだろうか」
「えっと、確か商人ギルドが経営する茶葉店モップから仕入れたものだと思いますよ?」
ジョージは紅茶を啜り、
「それじゃ、お金を稼げたら、一緒に買いに行こうか?」
と、マジョリーヌに笑いかけた。
マジョリーヌは顔を紅くする。
「そ、それって、でででデート、ですか?」
ジョージは頷く。
「一応俺達は夫婦になったんだし、それっぽいことを俺もしてみたいんだよ。マーちゃんみたいな可愛いお嫁さんをもらえることになって、俺は実に運がいい」
「運がいいって、あなた――ジョーさんは、私が無理矢理こっちに連れてきたんですよ? ジョーさんにも家族はいたんじゃないんですか?」
笑顔ははがれ、泣きそうな顔をしたマジョリーヌが言う。ジョージは変わらず笑顔を浮かべていた。
マジョリーヌの顔には、罪の意識で染まっていた。無理もないだろう、人一人の人生を台無しにしてしまったのだ。許されると考えるほど、マジョリーヌは常識知らずのお花畑ではない。
「いたよ。でも、もう死んだ」
ジョージは、まるで「この紅茶おいしいね」とでもいうような軽さでそういった。
「異世界に召喚される。これは、新しい人生をスタートさせるには、ちょうどいい出来事だ。だから、むしろ感謝していると思うよ、俺はマーちゃんに」
ジョージは満面の笑顔を見せた。それにつられて、つらそうな顔をしていたマジョリーヌの顔も、気付けば笑顔に変わっている。
ポニョンと、もちみたいに柔らかいマジョリーヌの頬を、ジョージは両手で挟んだ。じっとマジョリーヌの目を見つめるジョージの姿に、徐々にマジョリーヌの白い肌は、赤く染まっていく。
「ジョー、さん……」
悩ましげで、か細い声がマジョリーヌののどから出てきた。熱にうなされたように、妖しい声が、この目の前の幼さを残した少女から発せられたものだとは思えないほどのものだった。
だんだんと、二人の距離が近づいていく――
吸い込まれるように。そっと、マジョリーヌはそっと目を瞑った。
「…………?」
しかし、予想していた接触が訪れることはなかった。そっと頬に添えられていた武骨な両手が離れる。マジョリーヌは目を開いた。
「こーゆーのは、まだ俺達には早いよ」
自分でやっておきながら、ジョージはぬけぬけとそういった。
ジョージは立ち上がり、
「じゃ、俺は浪人救済ギルドに行くことにするよ。場所を教えてくれないか?」
「あ、はい。家を出た通りをお城に向かって真っ直ぐ進んだら、バナナシュガーのお店がありますから、そこで東に曲がって、真っ直ぐ進んだ南側に大きな建物が建っていますから、そこが浪人救済ギルドの集会所です」
ジョージが玄関に向かい、その三歩後ろをマジョリーヌはついていった。異世界から持ってきたランニングシューズを履いて、マジョリーヌに手を振る。
「じゃ、いってくるよ」
「はい、いってらっしゃい!」
手を振り合って二人は分かれた。なんかやけにあっさりとした別れだった。
ジョージが外に出ると、昨日は暗くてよく分からなかった街の風景にまず一つため息を零した。
中世的な建物が立ち並ぶが、生活は中世的ではなく、糞尿の臭いなどは全然しない。というか、各家にキチンと水洗トイレがあるという中世異世界。ジョージは首を傾げた。
道路はレンガで舗道されていて、カタカタと外からあまり揺れているようには見えない馬車が進んでいく。
ジョージはマジョリーヌに言われた通り、道沿いに真っ直ぐ進んでいくと、十字路に出た。角にある店のどれがバナナシュガーの店なのだろうか? この異世界の文字は、アルファベットによく似ていながらどこか違う形をしていて、ジョージには解読不能なものだった。
とりあえず、東に進めといわれたので、空を見て太陽を探す。時刻はまだ十時くらいだ。太陽は東から南に昇りかけている位置にあるはずだ。
その位置を確認して、取り合えず東であると思われる道をジョージは進んでいった。
「……迷ったかもしれない」
東に曲がったまま進んでいっても、全然南側に大きな建物が現れない。そろそろ外壁に到達してしまうほどだ。
この王城の膝元の街は、全方向を高い外壁で囲まれている。敵性存在から城を守るためにあるのだろう。
ジョージが小さくため息をついて、白い建物に背中を預けると、横から男が声を掛けてきた。
「どうしたんだお兄さん?」
男は癖の赤毛に、屈強そうな肉体を持った強面だった。
ジョージはそれに内心びびったが、それを表には出さずに返答する。
「ちょっと迷っちゃってね。浪人救済ギルドって、どこにあるか知ってる?」
「こんにちワーキングの事か? それならここの正反対、この道を真っ直ぐあっちに進んでいけばでっけぇ建物があるからすぐ分かるさ」
男はジョージの来た道を指差していった。ジョージはもう一つため息をついた。
「そう、ありがとう恩に着るよ」
「おう、ああそうだ。俺の名前はジャック・ニッパーだ。俺もそこにはお世話になっててな。また合うかもしれねぇし、何かの縁だ」
「俺はジョージ田代。ジョージでいいよ」
「なら俺もジャックでいい。よろしくなジョージ」
「ああ」
その強面を崩し、人のよさそうな笑顔を浮かべ、ジャックは右手を差し出した。ジョージも笑いながら、手を差し出し、がっしりと握手を交わす。
「それじゃ」
「おう」
二人は軽く会釈して別れた。ジョージはもう一度道を戻ることが億劫になり、ため息を吐きながらも、レンガの道を進んでいった。