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プロローグ




 魔女発祥の地と呼ばれるここ、コクホー王国には、民間ギルドが四つある。

 その中の一つである魔女ギルドの本部で、一人の妖艶な格好をした魔女が、コクホー王国の名産品であるバナナシュガーで作られた飴を齧っていた。机の上に座り、そのスリットの大きく開いた長くて黒いスカートから、色っぽくて白い肌の足を見せ付けるように足を組みながら、飴をがりがりと齧りながら、分厚い書物を読んでいた。


「ガシャルカ! 大婆さまが呼んでるよ!」


 ガシャルカと呼ばれた色っぽい魔女が、次のページに捲りかけた手を止めて、顔を上げた。

 薄い青色の瞳は、妖しげに輝いている。その大きな胸は、魔女のローブに収まりきらず、パンパンに張っている。顔を上げる動作にあわせて、美しく煌く金色の髪が、ふわりと舞い、周囲に薔薇の良い香りをばら撒いた。


「ばーさんが?」

「うん、カンカンに怒ってたわよ? もしかして、何かしたの?」

「うーん、心当たりがありすぎて、分からないわね」


 もしかして、プリン食べたのばれたのかしら? と、小首をかしげる仕草は、同性である魔女の女性でも顔を赤くしてしまうほど美しかった。


 ――傾国の魔女。

 もしくは『警告』の魔女。それがガシャルカの二つ名だ。二つ名持ちの魔女となると、それは国に認められるほど名誉なことであるのだが、ガシャルカは古巣である、『民間』ギルドの魔女ギルドから出てくることはめったになかった。


「まったく。そんなんじゃ、あの娘みたいに、あなたも追放されちゃうかもよ?」

「あの娘? ああ、あの娘ね」


 ガシャルカは、口から出した棒付き飴を軽く振るった。すると、彼女の体はふわっと浮かび、机の上から彼女は綺麗に着地する。

 机の上に彼女の読んでいた書物はそのまま放置されている。


「で、ばーさんはどこにいるの?」

「中庭遺跡よ。昨日から一歩も動かないの」

「昨日から? ……やっぱり、あの娘のことが気にかかるのかしら」

「そりゃあ、こんなにちっちゃかった頃に大婆さまが貰ってきた娘だもの。縁が切れたって、心配なのは変わりないと思うわ」


 女性は親指と人差し指がくっつくギリギリで離したOKサインをガシャルカに見せる。ガシャルカは、それを見てクスクスと控えめな笑い声を上げた。


 彼女たちがその場から動き出した。そこは図書館である。身長170cmほどのガシャルカだが、その図書館の高さはなんと百メートルに近いだろう。さらに、そこにある本棚たちの高さは、驚くことに図書館の天井に届くほどのものである。魔女の巣窟であるこそ許された構造の図書館であった。


 彼女たちは図書館を後にして、その重苦しい鉄の扉を開いた。図書館の外は野外であり、美しい花が生え盛っていた。

 ――しかし、その外見に騙されてはいけない。彼らは、その根に致死毒を持った恐ろしき花々なのである。

 両脇に猛毒の花壇を沿えた通路は、切り立った岩で出来ていた。彼女たちが足を進めるたびに、コツコツと軽快な音が鳴る。


「あの娘、マジョリーヌちゃんだっけ? 難儀な人生よね。貴族さまの家に生まれて、その才能をばーさんに見定められたのに――実際は、才能の欠片も持っていなかった」

「『千国せんこく』の大婆さまも老いには勝てないのでしょうね」


 風が吹き、ガシャルカの美しい金髪をなびかせる。それを見て女性は、羨ましげに自分のくすんだ茶髪の先っぽを弄くる。

 それを励ますかのように、風に乗った、猛毒の根を持つ美しい紫色の花弁が、その髪にくっつく。

 ガシャルカはそれに気付き、取ってあげようと手を伸ばした。しかし、先に吹いた風が花弁を攫っていった。

 行き場を失った白魚のような手が、困ったように宙を掴み、そして苦笑いしながらガシャルカは手を引っ込めた。


「人間、召喚しちゃったんだっけ」

「うん」

 

 ガシャルカは空を見上げた。相変わらず、コクホー王国の空は美しく澄んでいた。白い途切れ途切れの雲の流れは速くて、のんびりとした景色に思わずため息をついてしまう。

 そうして、前日の夜のことを思い出す。雲ひとつない綺麗な夜景は、月が浮かばず星がよく見える夜だった――



  ☆



 その日は新月の夜だ。世界の揺れがもっとも大きくなる新月の夜に、魔女ギルドの魔女たちは建物本部の中庭に集まっていた。

 岩を組み立てて作られた、遺跡の入り口のようなそこは、トーテムポールのように何連も重なった不安定そうな丸い岩が、円を描いて十五本も並んでいる。ポツリポツリと宙に浮くいくつもの蝋燭は、薄暗くもその暗い大地を月の代わりに照らしていた。


 その中心に、その男はいた。呆然と、口を開いている。その男の格好は、この魔女たちの宴には似合わず、不思議な不思議な格好だった。

 灰色のジャケットは、この世界にはありえない、アクリル素材のものだった。青い古ぼけたジーンズを穿いていて、現状を理解できないようで、周囲をキョロキョロと見回っている。


 彼の目の前には淡い光を飲み込む銀色の髪を持った少女が、その手に持ったイチイの木で作られた、指揮棒と同じ位の大きさの杖を彼に向けたまま、プルプルとその手を震わせている。


「ひ、人……?」


 魔女の一人が、ポツリとつぶやいた。


 ――今宵は召喚の儀。魔女らが招くのは、異世界の存在である。

 この世界と異世界。二つの『揺れ』は重なり合い、魔女の呼びかけによって、異世界の存在をこちら側に引き込むのが召喚の儀である。


 新月の夜こそが、異世界とこの世界の『揺れ』が重なり合う日であり、魔女の召喚魔法はこの日にしか扱えない。


「どういうこと? 召喚の儀で人が召喚されるなんて――」

「……やっぱり、あの娘じゃ無理だったのよ――」

「かわいそうに。唯一の希望が、このざまじゃ――」

「大婆さんも困惑しているだろうよ――」


 ザワザワと、魔女たちは小さな声で話し始める。それは、円の中心にいる彼にも聞こえたのだから、目の前にいる少女には、もちろん届いているだろう。


 その金色という幻想的な大きな目からは、ぽろぽろと、涙が零れ落ちている。それは、新月のよるに浮かんだ二つの月のようで、美しい泣き顔に彼は一瞬だけ見入ってしまった。


「――マジョリーヌ」


 深く険しいしゃがれた声が、夜の中庭に浸透した。

 言葉そのものが力を持つように、たった一言で、中庭は静寂に包まれた。フクロウの鳴き声一つ聞こえない夜に、少女の忍び泣きの音が目立ってしまう。


「マジョリーヌ」


 もう一度、その声の主は少女の名を呼んだ。声の主は、皺が目立つ老婆であった。何年生きればこれだけの皺を蓄積できるのか、彼には分からないほど皺くちゃな肌をしていた老婆は、足音を立てずに少女――マジョリーヌの傍に近寄り、その肩をそっと抱いた。


「ゴメンナサイね。私が、あなたをここに呼ばなければ、きっとあなたは幸せになれたでしょう。けど私は、あなたを魔女にしたことを後悔していないわ。そして、あなたは魔女なの。召喚の儀には決まりがある。それは人を召喚してはいけない。召喚した魔女は、ギルドを追放される――それが、お国の定めた法なのよ」


 それを聞いたマジョリーヌは抑えていた泣き声を隠す事無く、ワンワンと声を上げてなき始めてしまった。


「えっと、何この状況?」


 彼の言葉は、魔女たちには届いたのだろうか? 届いたとしても、誰も彼に意識を向ける事は無い。

 だが、とんとんとマジョリーヌの肩を叩いていた老婆は別だったらしく、その顔を彼の方に向ける。

 その目を見た彼は、その生命の波動に圧倒され、ざっと後ずさりをしてしまう。

 燃える紅い眼は、誰よりも優しいものでありながら、全てを焼き尽くす色に染まっていた。


「始めまして、私はコクホー王国魔女ギルドのギルドオーナーです。あなたは、召喚の儀によって、この娘に事故・・で召喚されてしまったのです」


 その言葉を聞いた彼の頭に浮かんだのは、『異世界転移』という単語だった。

 異世界から召喚された勇者が俺なのか――なんて、少しだけ思った彼だったが、現状の空気、そして老婆の『事故』という言葉から、それとは違うのだということを理解する。


「……俺は、元の世界に帰れるのですか?」


 そういうと、老婆は少し驚いたようだ。両目を隠す前髪の白髪は、眉間が覗くように分けられていて、そこの皺が僅かに動いた。


「いいえ。召喚の儀は一方通行です。申し訳ありませんが、あなたには、これからこの娘と一生を共にしていただきます――」


 老婆は、しゃがれた声で驚きの発言をした。


「一生を、共に? え? どういうこと?」


 彼は理解できないようで――いや、言葉自体は理解しているだろう。だが、その意味が分からずに、鸚鵡返しのように言った。


「もし、事故で人を召喚してしまった場合、召喚した魔女がその一生をかけて、罪を償わなければなりません。ですので、召喚者と被召喚者が異性の場合、夫婦めおととなってもらうのが魔女の掟であるのでございます」


 絶句。

 彼はまさに絶句していた。言葉が出ないとは、このことだろう。気付けばこの夜空の下に立っていた彼からすれば、勝手に進む現状を理解できず、壊れたテープレコーダーのように「夫婦」という言葉を繰り返し呟いている。

 そんな彼の前に、老婆に背中を軽く押され、少女がやって来た。


 年齢はまだ15を超したばかりだろうか。身長は彼の胸程度にしかなく、その潤んだ金色の瞳は、上目遣いにじっと彼の様子を窺っている。膝まで伸びた銀色の髪は、先端に向かうほど外側に放射状に広がっているが、先端から数センチは内側に曲がっている。


 美少女であった。彼が始めてみる、異人の美少女であった。日本人とはまた違った幼げで、保護欲を刺激するその表情は、むずむずとしていて、一生懸命、その口から言葉を吐き出そうとしているようだ。

 大きく深呼吸をするマジョリーヌの涙は、いつの間にか止まっていた。覚悟が出来たのだろう、その目には先ほどまでの憂いが嘘のように、前を真っ直ぐ見詰めていた。


「不束者ですが、どうぞこれから、よろしくお願いします!」


 凛とした鈴のような――それでいて、どこか甘ったるさを感じさせる声で、マジョリーヌは一生に一度しか言わないと決めていた言葉を吐き出した。


「あ、うん」


 彼は、呆然とそう返していた。

 すると、周囲の魔女たちから湧き上がる歓声。ヒューヒューと口笛を吹くものもいれば、「おめでとー」と声を張り上げて祝福の言葉を上げるものもいる。

 魔女らしく、その創造魔法系列である『閃光火線スタートヒューズ』による、夜空を翔る幾筋の火花を散らすものもいれば、同じく創造魔法系列である『軽量爆音ローロー』による祝砲に似たパンパンという爆発音を鳴らしたりするものもいて――


 魔女たちは、笑顔でいた。

 マジョリーヌは、綺麗な笑顔で魔女たちに笑いかける。

 老婆も、優しそうな笑顔でマジョリーヌの笑い顔を見ていた。

 彼も、周りにつられて、その頬を緩めて笑顔になる。


(……いつ以来だろう、こんなに大勢で笑ったのって)


 笑い声に包まれた夜、彼はとりあえず一つだけ理解したことがあった。それは、この自分の横で笑う少女と、これから一緒に過ごしていくということ――


彼は、波乱を予感した。



    ☆



「ばーさん、何のよう? もしかして、プリン食べたのばれちゃった? ごめんなさーい、反省してまーす」


 図書館から集会場に続く道を渡り、そこでくすんだ茶髪の女性と別れたガシャルカは、中庭に通じる鉄の扉を開き、中庭遺跡の中心に佇む老婆に向かって、そんなことを言い放った。

 老婆は振り返る。その目は険悪そのものだ。先日の優しげな紅い瞳は、攻撃的で猟奇的なものに変わっており、ガシャルカは睨みつけられた所為か、ずっと後退する。


「貴様か、私のプリンを食ったのは――」


『千国』の魔女が再臨した。

 この世界に存在する千の国の未来さきを知る、未来という破滅結果を見通す破壊魔法系列『未来視ルインアイズ』という魔法の使い手である魔女の紅き瞳は、きっちりとガシャルカの未来を見ていた。


「ギルドオーナー権限として――貴様を魔女ギルドから追放する」

「え? マジで?! うっそ、ちょっとまってよばーさん! 私をここに呼んだ理由は何なのよ! え、コレ転移魔ッ――」


 言い切る前に、老婆の手にいつの間にか握られていた、古ぼけた杖が振るわれる。すると、ガシャルカの足元に二重円の魔法陣が現れ、彼女の姿をその光で飲み込み掻き消した。

 老婆は久々に使った高位維持魔法に、フウとため息をついて、愛しき娘を思う。


「マジョリーヌ、掟とはいえ、まったく知らない男に嫁がせて、私はなんて愚かなんだ。やっぱり、召喚の儀をさせなければよかった……。彼の青年が、キチンとマジョリーヌの面倒を見ているだろうか? ああ、そういえばガシャルカを呼んだのは、それを見張らせるためだった」


 もう一つため息をついた老婆は、割りと近所の小さな家に移り住んだ、実の娘のように可愛がった落ちこぼれの永遠見習い魔女を思い、小さな、小さなため息をついた。


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