EP 8
交渉という名の処刑(後編)
「……こ、こんな条件、呑めるわけがない!」
バロスがペンを投げ出し、悲鳴のような声を上げた。
俺が提示した『ポポロ村に関する特別措置覚書』。その内容は、帝国の官僚にとっては死刑宣告にも等しい暴挙だったからだ。
ポポロ村に対する向こう10年間の徴税免除。
過去の「不当徴収分」として、金5,000万円の返還。
帝国による「緩衝地帯開発補助金」の名目で、年間1億円の予算を村へ配分すること。
「税を取らないどころか、金をよこせだと!? しかも私のポケットマネーから5000万返せ? さらに国の予算を横流ししろ? 狂っている! 監査が入れば私は終わりだ!」
バロスは床に座り込んだまま、首をブンブンと横に振った。
社会的破滅か、物理的抹殺かを選べと言ったが、第三の選択肢「職務上の破滅」も選びたくないらしい。強欲な男だ。
「狂っているのは、あなたの方ですよ、バロス様」
俺は冷ややかに言い放ち、投げ出されたペンを拾い上げた。
「監査? ご冗談を。あなたは既に裏帳簿で何億も抜いている。今さら数億の辻褄合わせなど、あなたの手腕なら造作もないでしょう? それとも……」
俺はわざとらしく、魔導通信石(に見せかけた黒い石)を手に取った。
「その計算能力も失われたと、ダルメシア伯爵にご報告しましょうか? 『奥方様との火遊びでお疲れのようです』と」
「ひいぃっ!! 待て! 待ってくれ!!」
バロスが俺の足にすがりつく。
その目には、完全な絶望が宿っていた。
「わ、分かった……税の免除と、予算の配分はどうにかする! 書類を改ざんすればいい! だが、5000万の返還だけは無理だ! 私は借金まみれなんだぞ!? 返せる金などない!!」
「存じております」
俺はニッコリと笑った。
ここからが、本当の「交渉」だ。
ただ脅して終わりではない。相手を追い詰め、逃げ道を塞ぎ、最後にたった一本の「俺が用意した蜘蛛の糸」だけを残す。
そうすれば、相手は一生、俺の操り人形(傀儡)になる。
「バロス様。私は鬼ではありません。あなたを破滅させたいわけではないのです。……むしろ、助けて差し上げたい」
「た、助ける……?」
「ええ。この借用書と不倫リスト、私が握りつぶして差し上げても構いませんよ」
バロスが顔を上げた。地獄で仏に出会ったような顔だ。
「ほ、本当か!?」
「ただし、条件があります。……この覚書にサインをし、我々の『共犯者』になっていただけるのなら」
俺はテーブルの上のウイスキー『響』のボトルを手に取り、彼の目の前にかざした。
「この酒の味、覚えていらっしゃいますね?」
「あ、ああ……悪魔的に美味かった……」
「これは異界の秘宝です。帝都のオークションに出せば、いくらの値がつくと思いますか?」
バロスの商人の目つきが戻る。彼はゴクリと唾を飲んだ。
「……最低でも1本100万。いや、希少性を煽れば500万……上手くやれば1000万でも売れるかもしれん」
「でしょうね。ニャングルさんの試算でもそれくらいでした」
俺はボトルをバロスの胸に押し付けた。
「これを差し上げます。さらに、毎月10本、あなたに卸しましょう」
「なっ……!?」
「それを帝都で売り捌けば、あなたの借金5000万など数ヶ月で完済できる。さらに、莫大な利益が手元に残る。……どうです? 悪い話ではないでしょう?」
バロスは震える手でボトルを抱きしめた。
彼の脳内で、計算機が高速回転しているのが分かる。
俺の要求を呑めば、確かに公金横領のリスクはある。
だが、この酒があれば、借金を返済し、さらに私腹を肥やすことができる。
何より、目の前の悪魔(俺)を敵に回さずに済む。
飴と鞭。
究極の二択に見せかけた、一本道。
「……あ、あなた……いや、若林先生」
バロスの呼び方が変わった。
彼は震える手でペンを受け取ると、覚書にサインをし、拇印を押した。
「従いましょう。……私は、あなたの犬になります」
「賢明なご判断です。これで我々はビジネスパートナーだ」
俺は満足げに覚書を回収し、彼の肩をポンと叩いた。
「借用書と不倫の証拠は、私が預かっておきます。裏切らなければ、永遠に表には出ません。……ああ、それと」
俺は耳元で囁く。
「今後、ポポロ村に手を出す輩がいれば、あなたが防波堤になってくださいね? 第4方面担当官の権限で」
「は、はい! もちろんです! この村は私の『大事な資金源』ですから!」
バロスは卑屈な笑みを浮かべ、ボトルを大事そうに抱えて立ち上がった。
その顔には、もう恐怖はない。あるのは、共犯者特有の暗い連帯感と、金への執着だけだ。
「では、失礼いたします……!」
バロスは逃げるように、しかし足取り軽く部屋を出て行った。
外で待機していた兵士たちが、主人の無事な(そしてなぜか機嫌の良い)帰還に驚いている気配がする。
馬車が去っていく音が遠ざかる。
部屋には、俺とキャルルだけが残された。
「……終わったよ、キャルルさん」
俺が振り返ると、キャルルは部屋の隅で膝を抱え、震えていた。
「若林のおじさん……」
「はい」
「おじさん、魔法使えないんだよね?」
「ええ。レベル1の一般人ですよ」
キャルルはゆっくりと立ち上がり、俺を見つめた。
その紅い瞳には、畏怖と、それ以上の信頼が混ざっていた。
「嘘つき。……おじさんが使ったのは、魔法より怖い『呪い』だよ」
「呪い、ですか」
「うん。あいつ、笑って帰っていったけど……魂までおじさんに売っちゃった顔してた」
野生の勘か。鋭いな。
確かにバロスは、もう俺なしでは生きられない。
甘い蜜(ウイスキーの利益)を吸わせ続けることで、彼は俺のために働き、俺のために村を守る番犬となる。
「……嫌いになりましたか? こんな汚いやり方」
俺が苦笑すると、キャルルは首を横に振り、俺の胸に飛び込んできた。
「ううん! 凄かった! むちゃくちゃ格好良かった!」
「ぐっ……!」
重い脚甲をつけたままのタックル。肋骨が軋む。
キャルルは俺のジャケットに顔を埋め、涙声で言った。
「ありがとう……。本当に、ありがとう……」
村を守るために、自分の身を売ろうとした少女。
その重圧から解放された安堵が、彼女の小さな体を震わせていた。
俺は躊躇いつつも、彼女の頭に手を置き、その長い兎耳を撫でた。
「仕事をしただけですよ。……私はあなたの『秘書』ですから」
こうして、ポポロ村の防衛戦は終わった。
一滴の血も流さず。
剣も魔法も使わず。
ただ一冊の手帖と、一本の酒瓶で、俺は帝国の官僚をひれ伏させたのだ。
「さて……」
俺は窓の外、満天の星空を見上げた。
「次は、予算1億円の使い道と……あの『将軍』への対策を考えないとな」
休む暇はない。
獣王国の影が、すぐそこまで迫っている。
だが今の俺には、確信があった。
この世界でも、俺のやり方は通用する。いや、最強だ、と。
(見てろよルチアナ。お前の箱庭、俺の色に染め上げてやる)
俺は【黒革の手帖】を開き、次なるターゲットの名前を書き込んだ。
『レオン・ハート獣人王国将軍 タイガ』
ポポロ村の影の支配者、若林幸隆の快進撃は、まだ始まったばかりだ。




