EP 7
交渉という名の処刑(前編)
運命の夕刻。
太陽が西の空を赤く染め上げ、ポポロ村に長い影が落ちる頃。
再び、あの不快な車輪の音が響いてきた。
ルミナス帝国の紋章が入った黒塗りの馬車。
前回よりも増強された、30名近い武装兵士を引き連れて、バロスはやってきた。
村の入口では、モウラ率いる自警団が槍を地面に置き、無抵抗の姿勢で整列している。俺の指示通りだ。
馬車から降りたバロスは、その光景を見て満足げに鼻を鳴らした。
「フン、賢明だ。蛮族風情が帝国に逆らっても無駄だとな、ようやく理解したか」
バロスは白いスーツの襟を正し、先頭に立つキャルルへ歩み寄った。
キャルルは俯いている。その震える肩は、恐怖ではなく、必死に怒りを抑えているからだと俺だけは知っている。
「さあ、約束の刻限だ。金か、女か。……まあ、この様子では金など用意できなかったようだがな」
バロスが下卑た笑みを浮かべ、キャルルの腕を掴もうとした。
「――ようこそお越しくださいました、バロス様」
俺は村長宅の扉を開け、恭しく一礼した。
新品のスーツ(ルチアナ通販:青山で2着目半額)に身を包み、髪を整えた俺の姿に、バロスは眉をひそめた。
「また貴様か、書記官。……往生際が悪いぞ」
「いえいえ。約束通り、全て準備は整っております。まずは旅の疲れを癒やすべく、粗末ですが一席設けさせていただきました。どうぞ、こちらへ」
俺はあえてへりくだり、屋敷の奥へと案内した。
バロスは警戒しつつも、周囲に伏兵がいないことを確認し、護衛の兵士2名だけを連れて中へと入った。
案内したのは、村で一番大きな客間だ。
とは言え、古い木造の部屋だ。だが、中央のテーブルには、異世界には存在しない「純白のテーブルクロス」が敷かれ、その上には見たこともない透明なボトルが置かれている。
「なんだ、これは……?」
バロスの視線がボトルに釘付けになる。
琥珀色に輝く液体。磨き抜かれたクリスタルガラス。
帝都の最高級サロンですらお目にかかれない代物だ。
「遠方より取り寄せた、最高級の蒸留酒『響』でございます。まずは一杯、いかがでしょう?」
俺はバロスを上座(窓を背にした位置)に座らせ、慣れた手つきでグラスに氷と酒を注ぐ。
カラン、という澄んだ音が、静まり返った部屋に響いた。
バロスは毒見もさせずにグラスを手に取った。その芳醇な香りに抗えなかったのだろう。
一口含んだ瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
「……ッ!! なんだこれは!? この深み、この香り……!!」
「お口に合いましたか?」
「美味い……! 帝都で飲んだどの酒よりも……いや、王室の蔵出し品すら霞むぞ……!」
バロスは一気に飲み干し、恍惚とした表情を浮かべた。
アルコールが回り、思考が鈍り、気が大きくなる。
これが接待の第一段階。
「ふぅ……。悪くないもてなしだ。だが、これで借金がチャラになると思うなよ?」
バロスは空になったグラスを置き、尊大な態度を取り戻した。
「金だ。滞納分の税と、これまでの延滞金……合わせて1億。今すぐここに積め。できなければ、そこのウサギ女を連れて行く」
1億。
ふっかけすぎだ。当初の倍以上になっている。
キャルルが息を呑む音が聞こえた。
俺は表情一つ変えず、懐から一枚の紙を取り出した。
「1億、ですか。……奇遇ですね。私が用意した『数字』も、似たような桁なんですよ」
「ほう? 金を用意できたのか?」
「いえ。金ではありません」
俺はその紙を、テーブルの上に滑らせた。
バロスの目の前で止まったそれは、ただのレポート用紙ではない。
ニャングルが入手した、裏カジノの借用書のコピーだ。
『借入金:金 5,000万円也』
『借主:バロス・フォン・グリード』
バロスが紙を拾い上げる。
最初は面倒くさそうに。
次の瞬間、目が点になり。
そして、顔色が白から青、青から土気色へと変わっていった。
「な……な、な……っ!?」
手が震え、紙がカサカサと音を立てる。
「ど、どこでこれを……!? い、いや、これは偽造だ! 捏造だ! こんなもの、何の証拠にもならんぞ!!」
バロスが叫び、紙を破り捨てようとする。
俺は冷静に、次の紙を取り出した。
「原本は安全な場所に保管してありますよ。破っても無駄です。……それに、これはほんの『前菜』です」
「前菜、だと……?」
「ええ。メインディッシュはこちらです」
俺は二枚目の紙を置いた。
そこには、日付と時刻、そして場所が克明に記されていた。
『○月×日 22:00 ホテル・ミラージュ 702号室』
『○月△日 14:00 帝都郊外 貸別荘』
『密会相手:シルビア・フォン・ダルメシア伯爵夫人』
その名前を見た瞬間、バロスの喉から「ヒュッ」という音が漏れた。
呼吸が止まったのだ。
「バ、バカな……なぜ、それを……」
「ダルメシア伯爵は、不義理を許さない方だと聞いております。もしこのリストと、お二人が親密に抱き合っている『魔法写真』が、伯爵の朝食の席に届けられたら……どうなるでしょうね?」
もちろん、写真はまだない。ハッタリだ。
だが、後ろめたい人間にとって、ありもしない証拠は現実以上の恐怖となる。
俺はゆっくりと立ち上がり、バロスの耳元で囁いた。
悪魔のように優しく、死神のように冷徹に。
「社会的破滅か。物理的抹殺か。……選ばせて差し上げますよ、バロス様」
バロスが椅子から転げ落ちた。
その高価な白いスーツは、床にこぼれた酒で無様に汚れていた。
「あ、あ……あぁ……」
護衛の兵士たちが剣を抜こうとする。
だが、俺は片手を挙げてそれを制した。
「おや、剣を抜きますか? この部屋の会話は、魔導通信石で『外部』に繋がっていますよ。……例えば、ダルメシア伯爵邸の執務室とか」
これもハッタリだ。通信石なんて高価なものは持っていない。
だが、今のバロスにそれを疑う余裕はなかった。
「や、やめろ!! 剣を収めろ!!」
バロスが悲鳴のような声で部下を止めた。
彼は床に這いつくばり、俺の靴にしがみついた。
「た、頼む……! 言わないでくれ! バラさないでくれ!! 殺される! 伯爵に知られたら、私は文字通りミンチにされて豚の餌に……!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたその姿に、かつての尊大な態度は微塵もない。
これが、権力という虎の威を借る狐の、本当の姿だ。
俺は冷ややかに彼を見下ろした。
キャルルが呆然と見ている。
そう、これが「大人の喧嘩」だ。暴力よりも残酷で、一方的な処刑。
「……取引といきましょうか、バロス様」
俺はしゃがみ込み、彼の目の前に新しい書類を置いた。
俺が夜なべして作成した、ポポロ村にとって極めて有利な『覚書』だ。
「ここにサインを。……そうすれば、この手帖は閉じましょう」
バロスは震える手でペンを握った。
その瞬間、俺は確信した。
勝った、と。




