EP 3
黒革の手帖の真価
翌朝。
俺は納屋の藁ベッドの上で目を覚ました。
背中は痛いが、独房の冷たい床よりは幾分マシだ。
隙間風の入る板壁の向こうから、甘くて瑞々しい香りが漂ってくる。
外に出ると、朝日の中に広がる畑で、キャルルが農作業をしていた。
彼女が引き抜いたのは、真珠のように白く輝く球体――『月見大根』だ。
「あ、おはよう若林のおじさん! よく眠れた?」
泥だらけの顔で笑う彼女は、昨夜の「蹴り姫」とは別人のように愛らしい。
だが、俺の目はごまかせない。
彼女の笑顔の裏に、村の窮状に対する焦りがあることを。
「おはようございます、村長。……良い大根だ」
「でしょ? でもね、これも半分は『税』で持っていかれちゃうんだ」
キャルルが悲しげに大根を籠に入れる。
俺はネクタイを締め直しながら、決意を新たにした。
まずは、この村の戦力を把握する。
***
「おいキャルル! どこの馬の骨だ、このヒョロガリは!」
案内された鍛冶場に入った瞬間、怒声と熱風が吹き付けた。
鉄を打つ音が響く工房。その奥から現れたのは、筋肉の塊のようなドワーフの老人だった。
ガンツ。155歳。この村の最長老にして、凄腕の鍛冶師だ。
「ガンツじいちゃん、この人は若林さん。昨日のボア運びを手伝ってくれたの」
「フン! 帝都の役人みたいな恰好しやがって。気に入らねぇ。俺は気に入らねぇ奴には釘一本売らねぇぞ!」
ガンツは俺を睨みつけると、焼けた鉄を水桶に突っ込んだ。ジュウウッという音と共に蒸気が上がる。
頑固親父の典型だ。だが、職人というのは得てしてこういうものだ。
俺は懐から【黒革の手帖】を取り出した。
相手を知るには、履歴書よりも「噂話」の方が役に立つ。
(さて、どんな秘密が出てくる?)
俺はペンを取り、サラサラと記述する。
『ガンツ』。
瞬間、手帖のページに文字が浮かび上がった。ステータス画面のような無機質なものではない。もっと生々しい、週刊誌のスクープ記事のような文章だ。
【氏名:ガンツ】
【種族:ドワーフ】
【表の顔:偏屈だが腕利きの鍛冶師】
【裏情報:50年前、若き日の勇者から『聖剣』の研磨を依頼された際、くしゃみをした拍子に刀身を真っ二つに折ってしまった。パニックになり、強力な接着剤(スライムの粘液)でくっつけて誤魔化して返却。勇者は今も気づかず「魔王の呪いで切れ味が落ちた」と信じている。墓場まで持っていくつもりの秘密】
「……ブッ」
俺は思わず吹き出しそうになるのを、咳払いで誤魔化した。
なんだそのコントみたいな過去は。
だが、これは使える。
聖剣を折って誤魔化した男。つまり、技術は超一流だが、どこか抜けている。そして「勇者にバレる」ことを何よりも恐れているはずだ。
「……何がおかしい、ヒョロガリ」
「いえ。ただ、素晴らしい腕前だと感服しましてね。まるで、折れた聖剣すら元通りに繋ぎ合わせるような、神業をお持ちなのでしょう?」
俺がニヤリと笑いかけると、ガンツの顔色が赤銅色から蒼白に変わった。
金槌を持つ手が震えている。
「て、てめぇ……まさか、知って……!?」
「さあ、何の話でしょう? 私はただの商人ですから。……ですが、私の頼みを聞いてくだされば、余計な世間話はしませんよ?」
ガンツは脂汗を流しながら、何度も頷いた。
陥落。チョロいもんだ。
***
続いて向かったのは、村の自警団の詰め所だ。
そこには、既に朝食を食べている巨女がいた。
「モグモグ……ん? キャルル、誰だいそのシケたツラした男は。非常食か?」
モウラ。22歳。牛耳族の元冒険者。
テーブルの上には山盛りのパンと、鍋いっぱいのスープ。
彼女の傍らには、物騒極まりない『鎖付き鉄球』が置かれている。
「モウラ、失礼なこと言わないの! 若林さんはお客さんよ」
「へっ。どうだか。村の備蓄を狙うスパイかもしれねぇぜ? ……おいオッサン、怪しい動きしたら、この鉄球でミンチにするからな」
モウラは肉厚な舌で唇を舐めた。
威圧感が凄い。物理的な強さなら、今の俺などデコピン一発で即死だろう。
だが、情報戦において「筋肉」は防御力にならない。
俺は再び手帖を開いた。
『モウラ』。
【氏名:モウラ】
【種族:牛耳族】
【表の顔:怪力の自警団長】
【裏情報:極度の「蛙恐怖症」。幼少期、昼寝中に口の中にアマガエルが入ったことがトラウマ。カエルの鳴き声を聞いただけで失神する。その弱点を知られると威厳に関わるため、必死に隠している】
(なるほど。この見た目でカエルが駄目、か)
俺は手帖を閉じ、涼しい顔で彼女に近づいた。
「初めまして、モウラさん。勇猛果敢な戦士と聞いていましたが、確かに強そうだ」
「はんっ、おべっかは通じないよ」
「ええ。ですが、この村は自然が豊かだ。特に雨上がりなどは、ゲコゲコと鳴く緑色の彼らが大量に出るでしょう? 夜回りは大変ですねぇ」
「ッ!?」
モウラがビクリと肩を跳ねさせた。
スプーンを持ったまま硬直している。
「な、ななな、何のことだい……?」
「いえいえ。もし自警団の詰め所に、うっかり私が捕まえたカエルを放してしまったら……指揮系統が麻痺しないか心配でして」
俺が耳元で囁くと、モウラは涙目になって首を振った。
その顔には「許して」と書いてある。
「……分かったよ。アンタ、ただもんじゃないね。私の言うこと聞くから、その……緑のヤツの話はやめな!」
陥落。
物理最強の女傑も、弱点を握れば借りてきた猫(いや牛か)だ。
***
俺は村はずれの丘に立ち、ポポロ村を見下ろした。
ガンツとモウラ。
二人の「弱み」を握ったことで、俺はこの村の武力と技術力を間接的に掌握したことになる。
もちろん、悪用して彼らを破滅させるつもりはない。
むしろ逆だ。
「この手帖は、ただの弱点リストじゃない……『人心掌握』の最強ツールだ」
相手が何を恐れ、何を隠し、何を欲しているか。
それが分かれば、交渉において負けることはない。
金も権力もない俺が、この異世界で生き残るための唯一にして絶対の武器。
「若林のおじさん! ここにいたんだ!」
キャルルが走ってきた。
その手には、泥を落としたばかりの月見大根が握られている。
「これ、お昼ご飯! まだ何にもお礼できないけど、食べて!」
差し出された大根を受け取る。
生でかじると、梨のような甘みと、大地の力強い味が口いっぱいに広がった。
「……美味いな」
「でしょ! これがポポロ村の自慢なの!」
屈託のないキャルルの笑顔。
ガンツの職人魂、モウラの強さ。そしてこの肥沃な大地。
この村にはポテンシャルがある。
足りないのは、それを守り、外敵から守る「悪知恵」だけだ。
その時、遠くから土煙が上がるのが見えた。
豪華な馬車と、武装した兵士たちの列。
馬車には、ルミナス帝国の紋章が描かれている。
キャルルの表情が凍りついた。
「あ……来た。徴税官のバロスだわ」
俺はスーツの襟を正し、ネクタイをきつく締めた。
手帖を内ポケットにしまう。
さあ、仕事の時間だ。
前世で散々やってきた、泥臭くて、最高に痺れる「政治」の時間だ。
「キャルルさん、笑っていてください」
俺は震える彼女の肩に手を置いた。
「ここから先は、大人の喧嘩です」




