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アナステシアの影宰アナスタシアの影宰相〜冤罪で死んだ元議員秘書、【黒革の手帖】で異世界を裏から異世界を支払する〜  作者: 月神世一


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EP 2

最強の蹴り姫、キャルル

異世界に転生して最初の感想は、「酒が回るのが早い」だった。

空きっ腹にロング缶のビールを流し込んだせいか、それともこの世界の空気が地球よりも濃いせいか。足元がおぼつかない。

「……にしても、遠いな」

ルチアナが「近く」と言ったポポロ村の灯りは、歩けども歩けども近づいてこない気がする。

俺が履いているのは営業用の革靴だ。荒れ地を歩くようには出来ていない。

靴擦れの痛みを感じながら、俺はため息をついた。

ガサッ。

風の音とは違う、湿った音が茂みの奥から聞こえた。

俺は立ち止まり、ネクタイを緩める手を止めた。

議員秘書時代、スキャンダルの火種を察知した時と同じ、背筋が粟立つような嫌な予感。

「……誰だ?」

返事の代わりに響いたのは、重低音の唸り声だった。

茂みが割れ、巨大な影が飛び出してくる。

「グルルァァァァッ!」

月明かりに照らされたのは、軽自動車ほどもある巨大な猪だった。

全身が剛毛で覆われ、口からはナイフのような牙が突き出している。眼球は血走った赤色。

明らかに、地球の生態系には存在しない「魔獣」だ。

「……冗談だろ」

俺は半歩下がったが、足が小石に躓いて尻餅をついた。

【黒革の手帖】は懐にある。だが、これに「猪」と書いたところで、コイツのスキャンダルが表示されるだけだ。「実はドングリが好き」とか知ったところで、今この状況は打開できない。

(魔法? 剣術? 俺にあるのは土下座と接待のスキルだけだぞ!)

猪が地面を蹴る。

圧倒的な質量が、砲弾のように俺へ向かってくる。

死ぬ。

二度目の人生、開始わずか30分で終了か。

俺は反射的に目を瞑り、せめて痛みがないことを祈った。

その時だ。

リンッ――。

涼やかな鈴の音のような何かが聞こえた気がした。

直後。

ドォォォォォォン!!

寺の鐘を至近距離で叩いたような、腹の底に響く轟音が炸裂した。

突風が俺の髪を乱す。

「え……?」

恐る恐る目を開ける。

目の前に迫っていたはずの巨大猪が、いない。

いや、いた。

俺の遙か後方、数十メートル先の岩盤にめり込み、ピクピクと痙攣している。その巨体は「くの字」に折れ曲がっていた。

そして、俺の目の前には、一人の少女が立っていた。

「……ふぅ。危なかったね、おじさん」

月光を背負い、プラチナシルバーの髪がキラキラと輝いている。

頭には長くふさふさした二本の耳。お尻には丸い尻尾。

獣人族――それも、兎の特徴を持つ少女だ。

年齢は20歳くらいだろうか。

民族衣装風のエプロンドレスを着ているが、そのスリットから覗く脚には、不釣り合いなほど無骨で巨大な「金属製の脚甲グリーブ」が装着されている。

その脚甲からは、紫色の火花のような魔力光オーラがパチパチと放電していた。

(あの一撃……この細い脚でやったのか?)

彼女はクルリと振り返ると、あどけない笑顔で俺に手を差し伸べた。

「怪我はない? ここら辺は『マッド・ボア』が出るから、夜歩きは危ないよ」

俺はその手を取り、立ち上がった。

握った手は小さく柔らかいが、掌には固いマメがあった。武人の手だ。

「助かりました……。死ぬかと思いましたよ」

「いいのいいの。困ったときはお互い様だしね」

彼女はニコニコしているが、その紅い瞳は油断なく俺を観察している。

こんな夜更けに、スーツという奇妙な服装で荒野を歩く男。怪しまれて当然だ。

「私はキャルル。そこのポポロ村の村長をしてるの。おじさんは?」

「村長……あなたが?」

意外だった。この若さで、しかもこの愛らしい容姿で村の長とは。

だが、今の蹴りを見る限り、腕っぷしで選ばれた可能性が高い。

「私は若林幸隆と申します。……しがない旅の商人ですよ。商隊とはぐれてしまいましてね」

俺は瞬時に嘘をついた。

「異世界転生者です」なんて言っても狂人扱いされるだけだ。

そして、「おじさん」呼ばわりには内心傷ついたが、35歳なら仕方ないと割り切る。

「商人さんかぁ。珍しい格好だね。その服、ペラペラだけど寒くない?」

「ええ、これは『スーツ』という正装でして。……ところで、村へ案内していただけませんか? ご覧の通り、一文無しでして……何か仕事でもあれば」

俺が言うと、キャルルの表情が少し曇った。

長く垂れた兎耳が、力なくぺたんと下がる。

「……村に来るのは構わないけど、仕事はないかも。ウチの村、今ちょっと……ううん、かなり貧乏だから」

「貧乏、ですか?」

「うん。三つの国の国境にあるから、色んな人が来るんだけど……その分、色んな『無理難題』も押し付けられちゃって」

彼女はちらりと、岩盤に埋まったマッド・ボアを見た。

「このボアもね、ホントは持って帰って村のみんなで食べたいんだけど、帝国の徴税官が『害獣駆除税』とか言って、獲物を持ってっちゃうの。だから、最近みんなお腹空かせてて……」

キャルルの声には、隠しきれない疲労と憤りが混じっていた。

最強の武力を持っていても、理不尽な制度と権力の前では無力。

彼女の華奢な背中には、村人全員の生活という重すぎる荷物が乗っているのだ。

(なるほど。腕っぷしは強いが、政治と駆け引きは素人……か)

俺の「秘書としての本能」がうずいた。

この子は、良い「神輿みこし」になる。

強くて、優しくて、そして少し抜けている。

足りないのは、泥を被って交渉をまとめる「参謀」だけだ。

「……とりあえず行きましょう、キャルルさん。このボア、私が運ぶのを手伝いますよ」

「えっ、いいよおじさん! 重いし!」

「ははは、こう見えても力仕事(選挙ポスター貼り)は慣れてますから」

俺たちは歩き出した。

キャルルは軽々とボアの足を掴んで引きずり、俺はその巨体が岩に引っかからないようにサポートする。

丘を越えると、ポポロ村の全貌が見えてきた。

規模は小さい。建物も古い木造ばかりだ。

だが、村の中央には月見大根の畑が広がり、微かだが温かい生活の匂いがした。

「ここが私の村。……何もないけど、良いところでしょ?」

振り返ったキャルルが、少し誇らしげに、でも寂しげに微笑んだ。

その笑顔を見て、俺は腹を決めた。

ルチアナとの契約もある。

だが、それ以上に。

この健気な「最強の蹴り姫」が、薄汚い大人たちに食い物にされているのが、元・汚れ役としては気に食わなかった。

(まずは宿と飯の確保。そして……)

俺は懐の【黒革の手帖】を軽く叩いた。

(この村に巣食う害虫どもを、一匹残らず駆除してやるか)

「良い村ですね。……これからよろしくお願いしますよ、村長」

俺の言葉に、キャルルはキョトンとした後、満面の笑みで答えた。

「うん! よろしくね、若林のおじさん!」

……おじさんは余計だが、まあいい。

こうして俺は、ポポロ村の「自称・遭難した商人」、そして「影の村長補佐」としての第一歩を踏み出した。

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