EP 16
狼の嗅覚(ライバル登場)
夜のポポロ村は、静寂に包まれていた。
昼間の喧騒――数千人の兵士による土木工事と訓練、そしてカレーの配給――が嘘のように、今は虫の音だけが響いている。
村長宅の執務室。
俺はタイガ将軍と、今後のスケジュールについて密談を行っていた。
テーブルには、俺の『黒革の手帖』と、タイガが持参した『王都周辺の地図』が広げられている。
「……なるほど。王都の守備隊は、南門が手薄か」
「ああ。そこの隊長は俺の元部下だ。金塊を握らせれば、夜間に門を開ける手はずになっている」
タイガが地図の一点を太い指で指し示した。
さすがは歴戦の将軍。武力だけでなく、寝返り工作も手際が良い。
「順調ですね。決行は予定通り、次の満月――」
ピクリ。
俺が言葉を続けようとした瞬間、部屋の隅で刺繍(人参柄)をしていたキャルルの長い兎耳が、不自然に跳ねた。
「……!」
彼女の手が止まる。
その愛らしい顔から表情が消え、紅い瞳が鋭く細められた。
野生動物が天敵の気配を察知した時の顔だ。
「どうしました、キャルルさん?」
「……臭う」
「臭う? 今日の夕飯のニンニクですか?」
「違う。……『濡れた犬』の臭いがする」
キャルルが音もなく立ち上がり、窓の方を睨みつけた。
「それも、すごく嫌な臭い。……風上から、殺気を消して近づいてきてる」
タイガの顔色が変わった。
彼もまた、鼻をヒクつかせ、そして舌打ちをした。
「チッ……! その臭い、まさか『銀狼隊』か!」
「銀狼隊?」
「獣人王国の諜報部隊だ。人狼族の中でも、特に鼻が利き、隠密行動に長けたエリート集団……。王への忠誠心が厚く、俺たち虎族とは犬猿の仲だ」
タイガが腰の蛮刀に手をかけた。
「まずいぞ若林。奴らは『王の目』だ。ここに俺たちが駐留していること、そして……大量の物資と金塊があることを見られたら、クーデター計画が露見する!」
「見つかったら、王都に通報されるわね。……消す?」
キャルルが魔導脚甲『紫電』を起動させる。パチパチと紫色の火花が散る。
彼女なら、音速で追いつき、一撃で始末できるだろう。
だが、俺は片手を挙げて二人を制した。
「待ちたまえ。早まってはいけません」
「何!? 悠長なことを言っている場合か! 奴に見られたら終わりだぞ!」
「ええ。ですが……『消した』としても、疑念は残ります」
俺は冷静にコーヒーを啜った。
「優秀な諜報員が行方不明になれば、王都はさらに警戒を強めるでしょう。次は一個小隊が送り込まれるかもしれない。……それではキリがない」
「じゃあどうするの!? 見逃すわけにはいかないよ!」
「ええ。だから……『利用』します」
俺は懐から【黒革の手帖】を取り出した。
ペンを走らせる。
『現在、ポポロ村に潜伏中の人狼族』
一瞬で文字が浮かび上がる。
【氏名:ガウル】
【所属:銀狼隊 少尉】
【性格:真面目だが思い込みが激しい。功名心が強く、手柄を焦る傾向あり】
【任務:行方不明のタイガ将軍の捜索と、ポポロ村の動向調査】
【現在地:村長宅の屋根裏】
(……屋根裏か。古典的だな)
俺はニヤリと笑い、手帖のページを破り、ペンでさらさらと何かを書いてタイガに見せた。
『屋根裏にいます。殺さずに、芝居を打ってください』
『内容は、以下の通りに――』
タイガはメモを読み、一瞬目を丸くしたが、すぐにニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
さすがは古狸。こちらの意図を瞬時に理解したようだ。
「……ふぅ。しかし参ったな、キャルル殿」
突然、タイガが大げさなため息をついて声を張り上げた。
「ん? 何が?」
キャルルがキョトンとするが、俺がウインクすると、彼女も慌てて口調を合わせた。
「あ、ああ……そうね! 参ったわね将軍!」
「うむ。我が軍の兵糧が尽きかけているのに、まさか**『ルミナス帝国への侵攻準備』**がこれほど難航するとはな!」
屋根裏で、カサッという微かな音がした。
ガウル少尉が聞き耳を立てている証拠だ。
「ええ、困りましたねぇ」
俺も役になりきって、深刻そうな声で続ける。
「我々ポポロ村としても、憎き帝国を倒すため、全財産を投げ打って貴軍に協力していますが……いかんせん、武器が足りない」
「くっ……! 悔しいぞ! 今の帝国は腐敗しきっている! 今こそ攻め込めば、かつて奪われた東方領土を奪還し、レグルス国王陛下に捧げることができるというのに!」
タイガがテーブルをドンと叩く。
「俺は……俺は、陛下のために、汚名を着てでも軍を動かしたかった! だが、物資が足りぬままでは、陛下にご迷惑をおかけしてしまう……!」
「将軍、泣かないでください! その忠義、いつか必ず陛下にも届きますわ!」
キャルル(棒読み気味だが、熱意は伝わる)が励ます。
「……ああ。もう少しだ。あと一ヶ月……いや、二ヶ月かけて物資を集めれば、必ずや帝国に一泡吹かせてやる! それまでは、この村で爪を研ぐしかない……!」
俺は手帖で屋根裏の気配を探る。
ガウル少尉の心拍数が上がっているのが分かった。
彼は今、世紀の大スクープを聞いたと思っているはずだ。
『行方不明のタイガ将軍は、謀反を企んでいるのではなかった! 独断専行ではあるが、国王のために帝国への奇襲攻撃を準備していたのだ!』
……と。
「よし、今夜はここまでだ! 解散!」
俺が手を叩くと同時に、屋根裏から風のような気配が遠ざかっていった。
キャルルが耳を澄まし、数秒後に頷く。
「……行ったわ。村の外へ、すごいスピードで」
「ふははははッ!! 見ろ、あの狼の慌てぶりを!」
タイガが腹を抱えて笑い出した。
「傑作だ! まさか俺が『憂国の忠臣』だと思い込んで帰るとはな!」
「これで時間は稼げます」
俺はコーヒーを飲み干した。
「彼が持ち帰る報告は『タイガ将軍に謀反の疑いなし。ただし、独断で帝国と戦争しようとしているので要注意』といったところでしょう」
「謀反でないなら、王都も即座に討伐軍を送る名分がなくなる。……むしろ、『帝国と戦うなら勝手にやらせておけ』と静観するかもしれん」
「その通りです。その隙に、我々は本当の準備を進めればいい」
情報を遮断するのではなく、あえて「都合の良い嘘」を流す。
情報戦の基本だ。
これで、最も警戒すべき「身内からの横槍」は防げた。
「若林のおじさん、悪い顔してるー」
キャルルが呆れたように笑う。
「人聞きが悪い。……全ては、無駄な血を流さないためですよ」
俺は窓の外、満月へと近づきつつある月を見上げた。
「さて、障害は排除しました。……あとは、役者が舞台に上がるだけです」
次の満月まで、あとわずか。
ポポロ村で蓄えた力と、欺瞞情報という煙幕を纏い、虎はいよいよ王都へ向かう。




