EP 11
虎は飢えている
「……来たな」
ポポロ村の東、緩衝地帯の荒野から巻き上がる土煙を見て、俺はスーツの襟を正した。
地面が小刻みに震えている。それは魔獣の足音ではない。規律正しく行軍する、数千の軍靴の響きだ。
「若林のおじさん……」
隣に立つキャルルが、珍しく蒼白な顔をしている。
彼女の兎耳はピンと立ち、極度の緊張を伝えていた。
「あの旗……間違いない。『疾風師団』だわ。獣人王国最強の、虎将軍タイガが率いる部隊」
「へっ、噂通りの威圧感だねぇ」
モウラが鎖付き鉄球を構えるが、その額には冷や汗が滲んでいる。
無理もない。相手は正規軍だ。いくらモウラが強くても、数千の兵士に囲まれればひとたまりもない。
俺は懐から【黒革の手帖】を取り出し、冷静に戦況を分析した。
(数は約2000。装備は……ボロボロだな)
望遠鏡(ルチアナ通販:3000円)で確認する兵士たちの姿は、精鋭とは程遠かった。
鎧は錆びつき、軍服は擦り切れ、何より――彼らの目は、獲物を狙う猛獣というより、餌を探す野良犬のようにぎらついていた。
***
「止まれぇぇぇッ!!」
雷鳴のような怒号が響き渡り、進軍が停止した。
村の入り口からわずか50メートル。
先頭に立つ巨大な戦車――いや、巨大な『戦象』の上から、一人の男が飛び降りた。
ドォォン!
着地の衝撃で地面が陥没する。
砂煙の中から現れたのは、身長2メートルを優に超える巨漢だった。
燃えるようなオレンジ色の髪に、黒い縞模様。額には「王」の字に似た傷跡。
虎耳族の将軍、タイガだ。
彼は俺たちを一瞥もしない。
その視線は、村の中央にある『食料倉庫』にだけ向けられていた。
「ポポロ村の代表は誰だ!」
タイガの声だけで、村人たちが数人腰を抜かした。
キャルルが震える足で前へ出る。
「……私です。現村長のキャルル・ルナ・ホワイトテイルです」
「ほう、月兎族の小娘か。……話は早い」
タイガは巨大な蛮刀を地面に突き刺した。
「我々はレオン・ハート獣人王国の正規軍である! この村に対し、『戦時徴発』を命じる! 直ちに食料、水、そして金目の物を全て差し出せ!」
「徴発……!? そんな一方的な!」
キャルルが叫ぶ。
「断れば?」
「村を焼き払う。……我々は気が立っているのだ。手荒な真似はさせんでくれ」
タイガの背後で、兵士たちが剣や槍を打ち鳴らす。
「飯だ……」「肉をよこせ……」という怨嗟のような声が漏れ聞こえてくる。
(……なるほど)
俺は手帖を開き、ペンを走らせた。
『獣人王国将軍 タイガ』
浮かび上がった情報は、俺の仮説を裏付けるものだった。
【氏名:タイガ】
【役職:疾風師団 将軍】
【現状:
補給線の断絶:国王レグルスとの対立により、王都からの補給を止められて3ヶ月。
飢餓状態:兵士の配給は1日1食(固いパンのみ)。馬や戦象の飼料すら尽きかけている。
士気の限界:略奪で食いつないでいるが、限界に近い。今回のポポロ村侵攻は、クーデター前の最後の『食料確保』が目的。】
(……勝ったな)
俺は手帖を閉じ、内ポケットにしまった。
彼らに必要なのは、ポポロ村の支配権ではない。
明日の命を繋ぐ「カロリー」だ。
「……お待ちください、将軍」
俺はキャルルの肩に手を置き、前へ出た。
場違いなスーツ姿の男に、タイガが眉をひそめる。
「なんだ貴様は? ヒョロガリの人間に用はない」
「お初にお目にかかります。この村で顧問をしております、若林と申します」
俺は名刺(手書き)を差し出しながら、優雅に一礼した。
「タイガ将軍。……貴軍の勇猛さは聞き及んでおりますが、少々『お顔の色』が優れないようですね?」
「何……?」
「兵士の皆様もです。その痩せこけた頬、震える手先。……最後に『肉』を召し上がったのは、いつですか?」
図星を突かれたのか、タイガの喉がゴクリと鳴った。
獣人にとって、肉は力の源だ。それが断たれている今の彼らは、牙の抜けた虎に等しい。
「……貴様、我らを愚弄するか! 武士は食わねど高楊枝……!」
「いえいえ、滅相もない」
俺は微笑み、背後に待機させていたニャングルに合図を送った。
「我々は、争いを望みません。……むしろ、遠路はるばるお越しいただいたお客様を、万全の体制で『おもてなし』したいと考えております」
「おもてなし、だと?」
「ええ。将軍、略奪などという野蛮な真似をせずとも……」
俺は風上に向かって手を広げた。
その瞬間、村の広場から強烈な「匂い」が漂ってきた。
炭火で焼ける脂の匂い。
焦げた醤油と、ニンニク、そして果実の甘みが混じり合った、暴力的なまでの芳香。
地球の兵器よりも恐ろしい、胃袋を直撃する香り。
「な、なんだこの匂いは……!?」
「いい匂いだ……! よだれが止まらねぇ……!」
兵士たちがざわめき出し、隊列が乱れる。
タイガですら、鼻をヒクつかせ、視線が泳いでいる。
「今日のメインディッシュは、特選タレに漬け込んだ『厚切り豚カルビ』でございます」
俺は悪魔の誘惑を開始した。
「略奪すれば、得られるのは数日分の保存食だけ。……ですが、我々と『契約』すれば、今すぐ、あの肉を腹いっぱい召し上がれますよ?」
タイガの瞳孔が開いた。
プライドか、食欲か。
理性と野生の戦いが、彼の眼の中で繰り広げられている。
「……話を聞こうか、人間」
タイガが蛮刀を収めた。
その瞬間、俺は確信した。
この虎は、もう俺の手のひらの上だ。
「賢明なご判断です。……さあ、宴(交渉)の始まりです」
俺は村の門を開け放った。
ここから先は、剣ではなく、兵站と胃袋による戦争だ。




