1.ピンポン玉おじさん
某地方都市の市営団地。
当時、私は四歳だった。
私の住む四棟の公園から少し離れた八棟の公園に、ときどき現れる男がいた。子どもたちは彼を「ピンポン玉おじさん」と呼んでいた。
私はその人を一度しか見たことがない。
けれど、見た目だけは妙にしっかり覚えている。
五十代くらいの男性。スラックスにシャツ。四角い黒い鞄。黒縁メガネ。前髪が後退して額が広くなりかけている。公務員風の見た目で、ミスターオクレみたいな感じだった。
おじさんは、スーパーボールにタコ糸をくくりつけた玩具を持って、公園に来る。
私の育った地域ではスーパーボールのことを「ピンポン玉」と呼んでいた。だから子どもたちは、そのまま彼を「ピンポン玉おじさん」と呼んだ。
当時、団地の子どもたちが通っていた保育園で誤飲事故があり、スーパーボールは禁止だった。
だから周辺の子どもにとって、スーパーボールは珍しかった。
ある日、「今日はピンポン玉おじさんが来ている」と聞いて、みんなで八棟の公園に駆けつけた。五、六人くらい集まっていたと思う。
おじさんは子どもたちにピンポン玉を見せたあと、公設市場に連れていき、ハイソフトキャラメルを一箱買って、ひとつずつ配った。
おじさんは全然しゃべらない人だった。声を聞いた記憶がない。
ただ、キャラメルの箱を開けて配る手の動きだけが、異様に忙しない。忙しないのに、無駄が多い。効率が上がっていない。
今思えば、あまりコミュニケーションが得意ではなかったのかもしれない。
家でこの話をすると、母は言った。
「ついていっちゃだめ。ものをもらってはだめ」
当時の私は、なぜだろうと思った。
大人が当然に感じる違和感は、子どもにはわからない。
でも大人になった今考えると、やっぱり不気味だ。
五十代の公務員風の男がひとり、団地の公園で、タコ糸にスーパーボールをくくりつけて振り回し、子どもを集めている。
平成初期の団地の公園では、親が付き添う子どもはほとんどいなかった。近所の大きいお兄ちゃん、お姉ちゃんと、三歳くらいの子が、大人の目なしで一緒に遊んでいる。そんな光景が普通にあった。
公園は公共の場だ。無関係の大人が混ざっても、止める手がない。
その後、ピンポン玉おじさんの姿を見ることはなかった。
後日、風の噂で、女児にいたずらをしてこの街からいなくなったと聞いた。真偽のほどは分からない。




